ポジション



いつだったかの約束を果たすべく、俺は長門の部屋を訪問した。
わざわざ長門の部屋に行くことにしたのは、部室でやって、ハルヒの妙な熱狂を再燃させたくなかったからだ。
それにしたって、女装させられるために女の子の部屋に行くってのもどうなんだろうな。
エレベーターのボタンを押しながら、ため息を吐いた。
「どうかしましたか?」
と顔をのぞきこんでくるのは古泉だ。
俺が長門の部屋に行くと言ったら、自分も行くと強硬に主張したのだ。
それこそ、どこの亭主関白だと思うような勢いで。
長門に悪いだろうと思ったのだが、長門は少し考え込んだ後、了解してくれた。
その時呟いていた、
「彼の気持ちも分かる」
という言葉は、どういう意味だろうな。
こっちの都合でそうしたことが申し訳ないし、ついでなので何か料理でもしよう、とその時提案した俺は、古泉と共にスーパーに寄ってきたところだ。
古泉は当然とばかりに荷物をまとめて持ってくれた。
重い荷物を持ちたいわけではないが、なんとなくムッとくるのは、今の俺が男寄りだからだろうか。
優男風の見た目の割に、しっかりと筋肉がついた古泉の腕の力強さを羨ましいと思うのは多分、俺が中途半端だからだろうな。
俺の腕も体つきも、女と言い張るには筋張っているし、男としては情けない。
どちらがいいのかは分からないが。
「何を考えているんです?」
上っていくちっぽけな箱の中で、古泉にそう問われた俺は、少し黙り込んだ後答えた。
「別に。大したことじゃない」
ただ、お前の腕力が羨ましいと思っただけだ。
すると古泉は妙な顔をした。
困惑するような、あるいは、気色ばむような表情だ。
俺は何か妙なことでも言ったか?
「いえ。……あなたがそんなことを考えることに、少し驚きまして」
驚いたような顔には見えなかったが。
「そうですか? 気のせいでしょう」
そう言って古泉は階数表示に目を向け、顔を背けた。
一体何が古泉の気に障ったんだろうか。
首を傾げたところで、エレベーターが目的の階に到着したことを無機質に告げた。
長門の部屋にはもう何度も足を運んでいる。
俺は古泉と共にドアの前に行くまでもなく、長門がドアを開けて待っていた。
「待たせたな、長門」
俺が言うと長門は黙って首を振り、身を引いて、俺たちを中へ導いた。
長門の部屋は相変わらずだった。
基本的に殺風景な中、いくらか彩りを添えているのがいつだったかハルヒが持ち込んだ諸々の物だというのも、余計に寂しい印象を与える。
いっそのこと本棚にラノベでも並べてみたらどうかと思う。
それだけでも多分、印象は変わるだろ。
果たして長門がラノベを書籍として認めるかどうかはともかくとして。
長門は俺と古泉を、一度テーブルにつかせてお茶を勧めると、黙ってそれを飲み干す様を見ていたが、飲み切ってしまうと無限ループに突入してしまうことを学習していた俺は、二杯目は半分ばかり残して言った。
「さっさと着替えて終らせたので構わないか?」
「……いい」
それじゃ、着替えるとするかね。
勿論俺に女物の着付けなんざ出来るはずがない。
男物だって無理だ。
と言うわけで当然のように、万能宇宙人長門に着せてもらうことになる。
古泉を待たせて、連れていかれたのはいつぞや世話になった客間の和室で、今日はそこに着物が用意してあった。
それもわざわざ衣紋掛けに掛けてだ。
着物も含めて、どこかで買ってきたんだろうか、それともいつだったかのように作り出したんだろうか。
どちらにしろ、どうして長門がそこまでするのか理解出来ないな。
だがしかし、長門がそうして何かに執着するというのが俺としては嬉しいし、普通なら着れないような服を着ることが出来て楽しいと思わないこともないではないから、よしとしよう。
長門が用意したのは、薄桃色に緋色の花を散らした着物だった。
正直言って可愛いが、俺に似合うのかと聞かれたら首を傾げるしかない。
帯はなんとなくめでたく見える、白と赤の市松模様。
一体どうなるやら、と思いつつ、俺は長門にいわれるまま着せ替え人形となったのだった。
着物と呼ばれるこの日本特有の進化を遂げた衣装は、身体のラインをはっきりとさせる洋服とは逆に、身体のラインを徹底的に平坦化し、隠す効果を持つものだ。
つまりは、もとから平坦に等しい俺の身体には丁度いいらしく、タオルやさらしを使うこともなく、しかもきちんと着せられた。
少しきつめに締められた帯が苦しいが、こんなものだろう。
長門は満足げに俺を見遣ると、
「……回ってみて」
と言った。
そう言われても、俺は着物なんか着るのはおそらく初めてだし、そもそも着物で裾を割らないように気をつけながら回るのは難しいだろう。
鶴屋さんあたりなら、日本舞踊くらいやってそうだから、簡単にやってのけてくださるかもしれないが。
それでも俺が長門の頼みを断れるはずがなく、俺はちょこちょこと不恰好に回って見せた。
回るというよりもむしろ、円を描くように歩いたって感じだな。
長門は別にそれで良かったらしい。
「次は…これ…」
と長い割烹着を取り出した。
そう言えば、今回の希望は着物と割烹着だったな。
しかし、せっかく着物を着たんだから古泉にも見せてやりたんだが……。
「だめ」
……やけにはっきりと言われてしまった。
仕方がない。
後で割烹着を外せばいいだろう。
果たしてこんな割烹着をひとりで着ることは可能なのだろうかと考察を巡らせる俺に、長門はてきぱきとそれを着せ、ついでに三角巾を被せた。
「完成か?」
かすかに頭が上下した。
しかし、本当にこの格好で料理していいんだろうか。
というか、出来るんだろうか。
首を傾げる俺に、長門は小さな声で、
「……楽しみ」
と呟いた。
そう言われたら、やめられるわけねえだろ。
俺はやれやれと息を吐いて、客間を出た。
こちらに背を向けるようにして座っていた古泉が振り返り、一瞬目を見開く。
驚きの表情が、一転して笑顔に変わった。
「和服もよく似合いますね」
そうなのか?
姿見も何もなかったから自分では確認してないんだが。
「本当に、綺麗ですよ。……すでに割烹着をつけていらっしゃるということは、これから料理をなさるんですか?」
そのつもりだ。
「楽しみですね」
その言葉が、先ほどの長門の言葉と重なり、俺は思わず小さく笑った。
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもない」
長門と古泉を似ていると感じ、それを微笑ましいとさえ思ったなんて、口に出来るかよ。

長門と古泉を居間に残し、俺は台所に立った。
いくらか歩き辛く、かがみ難い他は、着物でも至って問題はない。
長門の着せ方がよかったんだろうか。
だから俺は、着慣れない着物で調理をすることよりも、やけに重苦しく沈黙した居間が気になった。
思えば、あのふたりの取り合わせと言うのも珍しい気がするな。
いつだったかに俺を呼びにきた時は二人一緒だったが、それも長門は突っ立ってるだけに等しかったし、古泉だけがしゃべっていた気がする。
かといって、全く会話が成立しないわけではないことは分かっている。
古泉なら適当な話題を振ることくらい出来ると思うんだがな。
…それに長門が答えるかどうかはともかく。
そう思いながら、俺が調理を始めてかなり経ち、もう少しで仕上げにはいる、と言うところで、唐突に古泉が口を開いた。
「…前々から、お聞きしたいと思っていたことがあるのですが、構いませんか」
「……」
長門は答えない。
しかし、古泉はその沈黙を肯定と受け止めたらしい。
「あなたは――彼をどう思っているのですか」
おいおい、何を言い出すんだこいつは。
その「彼」というのが間違いなく俺のことであることは自明の理だ。
長門が俺をどう思ってるかなんて、何で聞かなきゃならないんだよ。
わきあがる疑問に耳をそばだてると、長門が小さく答えた。
「……好ましい人」
「どのように、好ましいと?」
長門はたっぷりと黙り込んだ後、
「……言語化は困難」
と言った。
やっぱりか。
長門のことだからそうなるだろうとは思ったが、意外と頑張ったな。
むしろ、最初に短くとはいえ自分の感情を伝えられた時点で褒めてやりたい。
俺は皿に煮物を盛りつけ終えると、それを古泉たちのところへ運んでやった。
他のものも適当に置きながら、俺は古泉に釘を刺す。
「あんまり長門を虐めるなよ」
すると古泉は何故か傷ついたような微妙な表情を見せ、
「では、あなたにお聞きしましょうか」
なんだよ。
「あなたは、長門さんをどう思っているんです」
どうって……。
と俺は考え込む。
俺は長門をどう思っているかと問われても、困るしかない。
そもそも、恋人同士だの何だのという状態であればそれを答えれば済むだろうが、俺が長門について抱く感情はなんとなく曖昧模糊としているように思われるのだ。
SOS団の仲間というのも間違っちゃいないが、それでは足りないと思う。
好きと嫌いの二択なら、迷うことなく好きだと答えるだろう。
ただ、どういう種類の好きかと言われると、――さて、これでいいんだろうかと悩まずにはいられない。
「答えられないんですか?」
古泉の顔が険しくなる。
珍しい表情だ。
ちょっとカッコイイかもしれないと思った自分の頭を軽く殴ってやりたくもなるが。
古泉も、不安だったんだろうか。
俺が女の子に対してどう思うのかとか、気になったんだろうか。
だとしたら、少し、気分がいいかもしれない。
だが、これを正直に言って、こいつに通じるんだろうか。
いや、通じないことはないと思うんだが、果たして納得してくれるかどうかが分からないな。
まあ、言うしかないんだろうが。
それでもまだしばらく躊躇った後、俺は口を開いた。
「……娘、かな」
「…娘ですか」
古泉の顔が驚きに緩んだ。
俺は鷹揚に頷いて見せる。
長門のことは好きだし、可愛いと思ってるが、これは絶対に恋愛感情じゃないし、そうもなり得ない。
何故ならこれは、俺が妹に抱くようなのと似ており、かつそれ以上に責任のような物を感じさせるから、娘のように思ってると表現しても構わないと思ったんだが、やっぱり俺の感覚は少しおかしいのだろうか。
長門の言葉によれば、長門は生まれてきてまだ四年前後のはずだが、外見上はとりあえず俺と同じ年頃の少女だ。
それを娘のように思うというのは、変か。
「長門さんはそれでいいんですか?」
驚きの抜け切らない顔で古泉が問うと、長門は頷いた。
「いい」
更に驚いた古泉へ、長門は追い討ちでも掛けるように、
「…私は彼のことが好き。…でもこれは……あなたのとは、種類が違う」
わざわざ長門がそこまで言うということは、なんだ?
古泉は長門が俺に恋愛感情を抱いているとでも思っていたんだろうか。
「思ってましたよ。長門さんはあなたに懐いて、僕のことを敵視してくださいますからね」
そう言いながら、古泉は何故か笑い出した。
自分の馬鹿さ加減にようやく気がついたのだろうか。
「まさか、長門さんがあなたを母親のように慕い、あなたも長門さんを娘のように可愛がっていたとは、思いもしませんでした。てっきり、あなたの男性的な部分が、長門さんに恋愛感情を抱いているものだとばかり思っていたのですが。しかし、そうなると長門さんが僕に対して敵愾心を燃やしていたのは、マザー・コンプレックス的なもののためだったのですね。同じような嫉妬心でも、異性に対するそれではなく」
俺は呆れた。
いくら俺が男性的な部分と女性的な部分を精神面身体面共に持ち合わせているとはいえ、別に二重人格なワケでもないのに、同時に別の人間を愛することなど出来るはずがない。
俺はそこまで器用じゃないぞ。
「ええ、そうでしたね。すみません。…でも、僕も不安になるんですよ。あなたは時々とても冷たくもなりますし、長門さんと親しくもしていますから。それに、以前仰られたでしょう? 涼宮さんのことも、男性としてはそれなりに好きだと」
俺が言ったんだったか?
どちらにしろ、今はもう無理だな。
「どうしてです?」
「うるさい。いいから黙って飯を食え」
にやにや笑う古泉に、俺はそう言い捨てて、会話を打ち切った。
男の部分でもお前に惹かれてるからだ、なんて恥ずかしいことが言えるか。

食事をしながら、俺は長門に言った。
「長門、俺のことは親代わりとでも思っていいからな」
長門はあの綺麗なガラス玉のような目で俺を見つめると、
「……ありがとう」
俺の方こそ、お前みたいな可愛い娘がいるのは嬉しいぞ。
言いながら、軽く頭を撫でてやると、長門が言った。
「…お母さん…と、呼んでもいい…?」
「お袋でも母さんでも好きにしろ」
ママなんてのは恥ずかしいからナシでな。
「…お母さん」
「なんだ? 有希」
名前で呼んでやると、長門のまとう空気が緩やかに和らいだように思えた。
長門の小さな変化に気がついたのか、古泉が目を細めているのを見た俺は、長門に言う。
「有希、一樹のことはお父さんって呼んでやらなくていいのか?」
長門は小さく目を見張った後、
「…いい?」
と古泉に問うた。
古泉は長門よりいくらか大きく目を見開き、困惑の表情を浮かべた。
さっさと頷いてやれ、と俺が睨みつけると、古泉は苦笑し、
「ええ、いいですよ」
「……お父さん」
「はい」
返事をした古泉が笑みを浮かべる。
なんだ、やっぱりお前も長門は可愛いんじゃないか。
あるいはそれは、誤解が解けたために、余裕が生まれたからかも知れないが。
それより俺は、長門も家族が欲しいと思うという事実が嬉しかった。
少しずつ、少しずつ、長門は変化してきている。
いつかその人形めいた顔に、明確な表情が浮かぶ日が来るかもしれないと思うと、それだけで嬉しい。
俺は目を細めて、俺の大事な「家族」を見つめた。