俺の手の中に二枚のチケットがある。 電車で少し行ったところにある、人気の遊園地のチケットだ。 ついでに、俺の懐は月末にもかかわらず暖かだ。 そう言えば、何がどうなっているのか、察しのいい人なら気がつくのだろう。 つまりこのチケットは口実で、財布の中身は軍資金、すなわち俺は、出来たと報告した彼氏と共にデートに行って来いと言われたのだった。 古泉と付き合いはじめてもうそこそこ経つ。 最初が最初だったせいもあって、不純異性(?)交遊と言われればその通りですとひれ伏すしかないような関係にもなっている。 だからこそ、今更こんな健全なデートは恥ずかしいと思う。 思うんだが……どうやら、俺の中の女の部分は意外と単純に出来ており、かつ、ステレオタイプに弱いらしい。 気を抜くと、退屈な授業の合間や手の空いた時にどうやって古泉を誘おうかなんて嬉々として考えてしまう。 何故だか非常に情けない気分だ。 しかし…本当にどうやって誘うべきだろうな。 ストレートに言うべきか、それともチケットを渡してそれで伝わることを祈るべきか。 いっそのこと、駅前で待ち合わせてそのまま遊園地まで連れて行くべきか? どちらにせよどこかで言わなきゃならないなら、早く済ませてやるべきだろうか。 ――なんであいつのことでこんな風に悩まなきゃならんのだろうな。 はぁ、とため息を吐くと、正面の席で古泉が、 「うわっ!」 と妙な声を上げた。 「どうしたんだ?」 見ると、古泉が飛んでくる消しゴムから腕で頭を庇っていた。 消しゴムを飛ばしているのは…と目を向けると、長門がどこから出したのか、いくつもの消しゴムをガンガン投げていた。 「な、長門…? 何、やってんだ?」 「攻撃している」 「だからなんで…」 「大丈夫。あなたが怒らない範囲」 いや、まあ、消しゴム飛ばしでキレるほど狭量じゃないが、だからなんでそんな風に攻撃しなきゃならないんだ。 「……古泉一樹があなたの思考の大部分を占めていたのが許せない」 それってつまりお前が俺の頭の中身を読んだってことだよな。 しかもなんでそれで怒るのかも分からん。 そう言った俺の額に、消しゴムが一つ突き刺さるような勢いでぶつかった。 悪い、古泉。 これは痛かったな。 心なしか荒い歩調で長門が帰って行った後、赤くなった腕や額を擦りながら、古泉が言った。 「それで、結局何だったんです?」 何がだ。 「あなたの思考の大部分を占めるほど、僕の何を考えていたんです?」 「う」 「それも、長門さんがあのような反応をするようなことでしょう? 気になりますね」 仕方ない。 こうなったら言うしかないんだろうな。 俺は諦めのため息を吐き、ポケットからチケットを取り出し、古泉に突きつけた。 「これは……」 「お袋から、『彼氏』にだと」 言いながら顔を背けたから、古泉がどんな表情をしたかは知らないが、なんとなく予想は出来た。 おそらく驚いて、それから嬉しそうに笑っているんだろう。 かたん、と椅子を立つ音がする。 足音が俺の背後に回って止まった。 「嬉しいです」 と抱きしめられる。 「今度、きちんとご挨拶に伺いたいですね」 「浮かれすぎるだろうからやめてくれ」 「今日、考えていたのは僕をどう誘うかということですか?」 うるさい。 遊園地なんかに人を誘ったことがないんだから仕方ないだろうが。 「それでは、長門さんに消しゴムをぶつけられても仕方ありませんね」 あれ、結局なんでだったんだ? 「気付いてないんですか?」 さっぱりだ。 「それなら、内緒にしておきましょう。敵に塩を送るほど、余裕はありませんから」 全くもって意味の分からないことを言いながら古泉は笑い、俺の前に移動した。 「あなたが好きですよ」 馬鹿言ってる暇があるんだったら、いつ行くかとか決めろよ。 主に忙しいのはお前なんだからな。 「そうですね。度々あなたとの約束をキャンセルすることになってしまって、申し訳なく思っているんですよ」 それは分かってる。 気にするなとも何度も言ってるだろ。 「これまでのお詫びも込めて、デートの費用は全部僕持ちにさせてください」 俺の方もお袋に軍資金を渡されてるんだが…。 「それはあなたがもらったのでいいじゃありませんか。とにかく、デート代は僕持ちでいいですね?」 嫌だと言っても聞かないんだろ。 「聞かないわけではありませんよ? ただ、デートの時に、あなたにはお金を出させないようにするまでのことです」 それなら素直に聞いた方がマシだな。 「ありがとうございます。日時はまた後で連絡しますね。それから、当日のデートプランは任せてください」 もうなんでもいい。 それよりお前、さっきからわざと何度も「デート」って言ってないか? 「さて、何のことでしょう?」 古泉はそう言って、胡散臭く笑って見せた。 やっぱり狙ってやがったな。 さて、あっという間に時間が経って、次の土曜。 いつものように駅前かどこかで待ち合わせたのでいいと主張した俺に対して一樹は家まで迎えに行くと強硬に主張し、うちの親のプッシュもあってそうすることになってしまった。 というか、妹を連れてわざわざ一泊旅行って、避妊具を渡されなかったのが不思議なくらいにお膳立てされてるぜ…。 しかし、妹が出て行ってしまっているなら、家で着替えてもいいわけだ。 公衆トイレの身障者コーナーで着替えるよりは気分的にもずっといい。 まだ早朝と言っていいような時間に両親と妹を送り出した俺だったが、なんとなく気分が浮ついて、二度寝も出来なかった。 昨日の夜、妹が寝静まってから考えに考えて選んだ服をベッドの上に広げ、再び悩み始める。 最初の頃こそキュロットスカートやなんかで我慢していたものの、一樹と出歩くことに慣れた今となっては、それでは満足も出来ない。 ワンピースにしてしまおうか、それともタイトスカートにしようか。 考え込みながら手に取ったのは、淡いピンクのロングスカートだった。 …一樹は割とむっつりだから、意外と喜ぶんじゃないだろうか。 開き直って、朝比奈さんの私服のようなイメージで合わせてしまえ。 と先日買ったばかりの白いキャミソールを女物の服入れとなっているスーツケースから引っ張り出す。 レースをたっぷり使った、男なら決して縁がない代物だ。 その上に羽織るのも、ふりふりとしたピンクのボレロ。 とどめは、昨日買って来たばかりの勝負下着だ。 帽子と男女兼用な服装と化粧とで外見を誤魔化して行ったものの、半分は男である俺に女性向け下着専門店は恥ずかしすぎた。 あたふたと選んだものは俺の男としての好みを如実に表したかのようにレースやリボンで飾られており、後で我に返って泣きたくなったが、古泉もこういうのが好みであることを祈りながら、俺は頼りないそれに足をくぐらせた。 余計な装飾品がついているくせに薄くて頼りないそれは、身につけるだけでなんだかむず痒い。 ブラも同様だ。 俺のほとんど扁平に等しい胸のサイズにちゃんと合わせたブラなのに、女の子らしく可愛くて、自分だけじゃないんだと思えて来る。 俺と同じブラを使っているお嬢様方も、どうぞ頑張ってください。 そんなことを考えながら時計を見る。 余裕はたっぷりあるが、あいつの性格を考えると早めに迎えに来ても不思議はない気がする。 俺はきっちりと用意したものを着込み、鏡の前に立った。 服装に髪型が合わないのは想定済みだ。 だから、と俺はいつだったかに一樹が俺に寄越したカツラを被る。 俺の髪色と同じで、しかも安っぽいものではないため、それはしっくりと俺の頭に馴染んだ。 肩までの長さのそれが地毛ならポニーテールにしてやるんだが。 うん、いつか伸ばしてみよう。 伸ばせる時が来たら、だが。 化粧を終え、テレビを見ながら落ち着かない時間を過ごす。 こういう時に限って、時計の針というものはサボり癖を見せるのか、時間の経つのが遅かった。 更に言うなら、一樹は俺が思っていた以上にきっちりした奴だったらしい。 約束した時間丁度に、ベルが鳴った。 「はい」 といつもより高めに出した声で答えながら、俺は玄関に向かう。 念のため、小さなのぞき穴越しに確かめると、一樹のいつもと変わらない笑顔が見えた。 俺が扉を開くと、 「お迎えに上がりました」 と言って一樹が大きなブーケを差し出してきた。 カスミソウだけを束ね、淡いピンクの柔らかな紙で包んである。 古泉のきざったらしさを考えると花を持ってくることくらいは予想の範囲内だが、このセレクトは読めなかった。 俺は思わず笑みを浮かべながら、 「ありがとう」 とそれを受け取った。 しかし、一樹の返答はない。 「一樹?」 不審に思って見上げると、一樹は言葉も感情もなく、ただ俺を見つめていた。 どこか変だったんだろうか。 やっぱり、……この服はやりすぎだったか。 「着替えてくる」 泣きそうになりながら背を向けると、肩を掴まれた。 「なんでですか?」 「……似合わないんだろ」 涙目で問うと、一樹が困ったようにふふっと笑って言った。 「大変似合ってますよ。そのウイッグも、服も、全て。思わず、見惚れてしまいました」 「……嘘じゃないだろうな」 「本当です」 そう言って一樹は俺を抱きしめた。 せっかくのブーケが潰れるだろうが。 「いつものボーイッシュな格好も、制服姿のあなたも好きですが、今日のあなたはいっそう素敵ですよ」 わざわざ耳元で囁くな、くすぐったい。 「そうですね。健全なデートの前には相応しくありませんでした」 そう言って一樹は俺から体を離した。 俺は一樹を振り向き、その顔を見つめる。 …嘘は吐いていないらしい。 そう判断した俺へ、一樹は微笑みかけ、 「今のあなたはそのままお持ち帰りしたいほど可愛いですよ」 ……デート前に言う台詞じゃないだろ。 「言わなければ、あなたが落ち込んだまま浮上してくださらないかと思ったんですよ。もう、大丈夫ですね?」 不本意ながら頷き、ブーケを置きに一度家の奥へ向かう。 花を花瓶に生けてから、玄関に戻り、置いてあったショルダーバッグを肩に掛ける。 可愛くないサイズのパンプスに足を通せば、もう準備万端だ。 慣れないヒールに少しよろけた俺を、一樹が自然な動作で支え、 「では、行きましょうか?」 とどことなく締りのない顔で言った。 俺は頷いて、一樹と共に家を出た。 歩いてバス停まで行き、バスで駅前へ向かう。 わざわざバスを使ったのは、慣れない靴に苦労する俺への、一樹の配慮だ。 「自転車でお迎えに上がった方がよかったかもしれませんね」 二人掛けの座席に座りながら一樹が言い、俺は軽く眉を寄せた。 どういう意味だ? 「あなたを後ろに乗せて、あなたの姿を見せびらかしながら自転車で走るのも気持ちがいいんじゃないかと思いまして」 「…ばか」 毒づく声に力が入らないのは、脱力感と奇妙な浮遊感のせいだ。 つまりは一樹のせいでもある。 幸せすぎて怖い、と言う使い古されたセリフがあるが、今の俺の状況は少し違うな。 幸せすぎて落ち着かない。 自分が普通の女の子になったような気がする。 並んで座った座席の狭さに、伝わりあう体温も。 恥ずかしさから目を向けた窓ガラスに映る、じっと俺を見つめてくる一樹の視線も。 世界の何もかもが俺に優しい存在へ姿を変えてしまったかのように思えてくる。 でも、バスのステップを下りる時に、わざわざ手を貸すのは少しきざったらしくてやりすぎだぞ。 「そうですか?」 と笑顔を浮かべたままの一樹はどうやら少しもおかしいと思っていないらしい。 相手が朝比奈さんのように可愛らしくて頼りない女性ならまだしも、大柄と言ってもいいだろう俺相手じゃ滑稽なだけだ。 「僕にとっては、あなたの方がよっぽど可愛くて助けてさしあげたくなる存在なんですけどね」 ああ、なんでだ。 なんでこいつはこんな風に優しいんだ。 俺が男でも女でもあるということに気を遣ってくれているんだろう。 俺に対して古泉は基本的に、男女を限定するような言い回しを使わない。 今みたいに、「存在」とか「人間」とかいった言い回しにしてくれる。 例外は「彼」だけで、それだって俺がそれでいいと言ったからこそ使っているんだろう。 その優しさだけで、泣きそうに嬉しくなる。 ステップを下りた後、恥ずかしさから振り解いた手を、一樹の手に触れさせると、一樹は小さく、だが嬉しそうに微笑んで、俺の手を握り返してくれた。 乗り込んだ電車の座席は空いていなかったが、二人並んでドアの側に立ち、窓の外を見ながら話しているだけであっという間に時間は過ぎた。 下車する駅まではかなりあったのに、だ。 座席横のポールに片手で掴まり、反対の手を一樹と繋いだ。 そこそこ込み合い、左右に揺れる車内で、一樹が見せる、俺を気遣う仕草がくすぐったい。 自然浮かべた笑みに、一樹は笑みを返してくれる。 これまでは人前でいちゃつくカップルを見るたびに苛立っていたものだが、今度からは許してやろうと思う。 人前とか公衆の場とか、そんなことを考えられなくなるほど誰かを愛し、側にいられるだけでも嬉しくなるということがあるんだと、俺も知ったからな。 遊園地のゲートをくぐり、中へ入る。 子供の頃に一度来たことがあるが、その時既に可愛げのない子供だった俺は、着ぐるみやなんかに胡乱な目を向けたものさ。 それなのに、なんでだろうな。 今は凄く楽しい場所に思える。 多分、一樹と一緒だからだ。 同時に、俺と一樹が並んで、しかもしっかりと手を繋いで歩いていても、少しの好奇の目も向けられないからかもしれない。 「何に乗りましょうか」 パンフレットを広げながら言った一樹に、俺はにやっと笑って答えた。 「デートの定番ならあれだろ」 「なんです?」 「ジェットコースター」 楽しくて、嬉しくて、ほとんど俺が一樹を振り回しまくったんだが、古泉は少しも気にする様子はなかった。 むしろ、振り回されて楽しいと言わんばかりの顔をしてたな。 ジェットコースターで歓声を上げ過ぎた俺を労わるようにジュースを買ってきてくれたり、少し額に汗をかいただけで涼しそうな場所へ連れてってくれたりと、本当に甲斐甲斐しかったな。 俺のわがままを聞いてくれて、しかもそれを俺に悪いと思わせないようにする気遣いは普段も同じなんだが、こういう場所だからか余計に嬉しく思えた。 園内のレストランで少し高めの食事をして、午後も思いきり遊んで、日が暮れかかった頃になって、定番中の定番、観覧車に乗った。 消せない笑みを浮かべたまま、俺は向かいに座った一樹に言う。 「一樹、今日は本当にありがとう。おかげで楽しかった」 「まるでこれで終りみたいなことを言いますね。ちゃんと送って行きますよ?」 そんなことは分かってるけど、言っておきたかったんだよ。 というか、俺がこれだけ素直になってるんだからありがたく受け取っておけ。 「そうですね。ありがとうございます。僕も、とても楽しかったですよ」 嘘じゃないよな? 「勿論です。あんなにもはしゃぎ回るあなたを見られて、嬉しかったですよ」 はしゃぎ回るというよりむしろはっちゃけたという気もするがな。 ああでも、あれだけやっちまった後で取繕ったってしょうがないだろう。 俺は慎重に座席から立ち上がると、一樹に抱きつき、 「愛してる」 と言って、今日一回目のキスをした。 「僕も、あなたのことを愛してます」 そう言って、今日二度目のキスをされた。 すっかり暗くなってから遊園地を出た俺と一樹がどこへ向かったのか、なんてことは詮索するな。 俺は素直に家に帰ったとも。 ――そういうことにしておいてくれ。 |