涼宮さんたちが風呂から上がり、さて僕たちも、と脱衣所に入るなり、彼が言った。 「俺が先に入る。お前はちょっと外に出てろ」 「別に一緒に入ったっていいじゃありませんか。初めてでもないんですし」 「だから嫌なんだろうが。お前、前に一緒に入った時何やったか、忘れたとでも言うつもりじゃないだろうな?」 ジロリと睨まれ、僕は苦笑するしかない。 前というのは多分、僕の家で強引に一緒に入った時のことだろう。 「僕だって節度は弁えてるつもりです。涼宮さんたちが一緒なのに、あなたに手出しすると思いますか?」 「思う」 きっぱりと言われてしまった。 日頃の信用をもう少し高めておくべきかも知れない。 「とにかく出てろ」 「余り長くかかると涼宮さんに不審に思われるかもしれませんよ?」 「ここの時間の流れがおかしいと指摘したのはお前だろう。都合のいい時だけ忘れたふりをするな」 話しながら僕は考える。 さて、この彼は男性的なのか女性的なのかと。 この素っ気無さを考えると男性かとも思うのだが、一緒に風呂に入ることをここまで拒むところを見ると女性のように思える。 どちらにせよ、これ以上機嫌を損ねない方がいいだろう。 「分かりました。しかし、あなたが浴室に入った後はここにいてもいいでしょう? 離れない方がいいのですから」 「…勝手にしろ」 「では」 と僕は脱衣所を出て、扉にもたれかかるように立った。 静か過ぎるその場所に立っていると、余計なことばかり考えてしまいそうだ。 それにしても……本当にここから出られないとしたら、辛いものがある。 例えばここで過ごし続ける時間が年単位で経過していったら? 涼宮さんは彼に対する思いを余計に強め、またこの異常な状況下だからこその大胆な行動にでるかもしれない。 そうなったら僕は大人しく引き下がるしかない。 彼の特殊性を説明したところで無駄骨でしかないだろう。 しかし……それで僕は本当に引き下がれるのだろうか。 彼のことをここまで知ってしまっているのに。 「古泉?」 扉が開き、僕はしたたかに頭をぶつけた。 「何やってんだ、お前」 顔を出した彼はまだ風呂に入ってはいないようだった。 タオルを腰に巻いただけの格好で、呆れたように僕を見ていた。 「すみません、考え事をしていました」 「全く、いいぞっつっても返事しないからついつい余計なことまで考えちまっただろうが。ほら、とっとと入れ。ハルヒに見つかると喧しいぞ」 「そうですね」 どうでもいいことかもしれませんけど、タオルは上半身にも巻きませんか。 あなたのその白い肌とか、控え目というのもどうかと思うような胸とかを見るだけで僕は結構つらいものがあるんですけど。 恥らうなら恥らうでそれくらいしましょうよ。 そうじゃないならないで平気ですから。 ――と、言ってしまえればまだ楽だったかも知れない。 言いたいことを何とか飲み込んで、僕は脱衣所の中におかれていた籐の椅子に座った。 彼はすたすたと浴場へ入ってしまう。 優しくするだけしておいてこうなんだから、全く、つれない人だ。 「古泉」 すりガラスの向こうから声を掛けられる。 「はい?」 「……出られるよな」 不安の滲んだ声に、僕はそんな場合じゃないと分かっていながら思わず微笑んでいた。 「出られますよ、きっと」 「だよな」 「ええ」 お互いにそれになんの確証もないと分かっていながら、そんな言葉を繰り返さずにはいられなかった。 彼が許してくれるなら今すぐ抱きしめたくなるほど、彼は不安そうに思える。 すりガラス越しに見える姿はすりガラスのためでなく、儚く見えた。 「古泉」 「はい」 「外出てろ。俺もう上がるから。というか、お前、言われる前に察して出て行ったらどうだ?」 ……だからどうして緩急つけて攻めて来るんですかあなたは。 それから、それぞれの部屋で眠ることになり、僕は疲れのせいか、ベッドに入るなり目を閉じていた。 だから、気がつかなかったのだろうか。 「古泉…」 と口付けられたのに驚いて目を開けると、彼が立っていた。 ドアには鍵が掛けておいたはずなのに彼がいるということは、合鍵さえも念じれば出てくるのだろうか、ここは。 「どうか…しましたか?」 僕が目を開けると、彼はほっとしたように表情を緩めた。 「悪い、起こしたりして……。その、謝りたかったんだ…」 謝る? 何をだろう。 「…風呂で、あんな風に扱って、悪かった」 そう頭を下げられた。 僕としては信じられないという思いしかない。 思わず苦笑し、 「気にしないでください」 「……ありがとう」 落ち込んでいる時のように、不安そうに彼は言った。 「いつも、振り回してばかりでごめん。でも、……俺は、ちゃんとお前のこと……大好きだから…」 「ありがとうございます」 「信じてないだろ」 拗ねたような目で上目遣いに睨まれる。 「そんなことは…」 答えようとしたところを抱きしめられた。 「好きなんだ。…愛してる。お前のことが、何よりも好きなんだ…」 ……嬉しいと思います。 そう、あなたが本物ならと思うだけで。 「古泉…? 何言ってるんだ…?」 「すみません。僕としても騙されて差し上げたい気分にはなるんですけど、やっぱり本物の彼じゃないとだめですね」 「俺が、本物じゃないって言うのか?」 「それは偽物のあなたが一番良くご存知でしょう?」 「っ…酷すぎるだろ……」 ぼろ、と彼の目から涙がこぼれる。 ああ、偽物だと分かってても嫌なものですね。 あなたの涙は。 彼の手がTシャツにかかり、それが一息に脱ぎ捨てられる。 「なあ、見れば分かるだろ? ちゃんと俺なんだって…分かってくれるだろ?」 その手がイージーパンツにかかる。 流石に嫌悪感が湧きあがる。 「止めてください。その姿でそんなことをするのは許せません」 「だ、って、お前が、信じてくれないから…っ」 涙がボロボロと零れ落ちていく。 「このまま、出られなくなったら、って思うだけで辛いのに、お前までお前じゃなくなったみたいで、嫌で…っ! 怖いんだ、古泉…。頼むから、俺を……抱いてくれ…」 「――いい加減にしてください」 自分でも驚くほど冷淡な声が出た。 彼がびくりと身を竦ませる。 「こいず…み……?」 「許さないと言ったでしょう。それは僕や彼に対する侮辱でしかありません。さあ、選んでください」 僕はドアを指差した。 「自分で出て行きますか? それとも摘み出されたいですか?」 彼はくしゃりと顔を歪め、僕を睨みつけ、 「…っ一樹の馬鹿!!」 立ち上がるなりドアへと走っていく。 ドアを開け、出て行く彼に、僕は呆然とするしかない。 なんでそこで名前呼びなんですか!? 万が一本物だった場合どんな目に遭わされるんですか、僕は! というかせめてTシャツ着てから出ていってくださいよ!! 偽物だと確信していたくせに思わずそれが揺らぐ。 追いかけようと慌ててドアを開くと、ドアの開く音がやけに大きく響いた。 と思ったら残り四部屋のドアも勢いよく開いていたらしい。 驚いている涼宮さんに、当惑顔の朝比奈さん。 いつもと変わらない長門さん。 そして、何やら慌てた様子の、彼。 よかった、あれは偽物で間違いなかった。 ……とは後にも先にも口に出せない。 だから僕は、 「これはこれは」 と苦笑するしかない。 しかしやっぱり、と僕は彼を見つめる。 視線をふいと逸らされたのは、まだ彼が不機嫌だからなのかそれとも彼のところにも偽物が現れたためだろうか。 何にせよ、やっぱり彼はこうでなくてはと思う。 つれなくても、あなたが誰よりも好きですよ。 その後聞いたところによると、彼のところに現れたのは朝比奈さんの偽物であったらしい。 誰のところに誰が現れるかを決めたのはおそらく長門さんである以上、彼が申し訳なく思う必要はないと思うのだが、彼は自分の男性的な欲求をむざむざと見せつけられたらしく、後になって僕に平謝りしていた。 しかし、僕にしてみれば彼のところに現れるのは朝比奈さんがベストなのだ。 彼が朝比奈さんに対して崇敬の念しか抱いていないことは明白な以上、僕が彼女に嫉妬する必要はないのだから。 しかし、それが涼宮さんや長門さんになると、そう落ち着いてもいられなくなる。 彼の、彼女等に対する感情は非常に曖昧で、恋愛感情にもなり得る危うさを持っていると僕は見ている。 そうしてそうなった時、特に彼が涼宮さんに恋愛感情を選んだ時、僕に出来ることは、大人しく引き下がることだけだ。 出来ないかもしれないが、するしかない。 そんな状況にならないことを、僕は祈らずにはいられない。 しかし本来祈る対象である神こそがライバルである僕は、一体誰に祈ればいいのだろう。 |