「明日、うちの親も妹もいないんだ。お前、暇なら来るか?」 照れ隠しでいくらか突き放すように言ってしまったのだが、古泉にはお見通しらしく、穏やかに笑いながら、 「ええ、喜んで」 とあっさり答えられてしまった。 嬉しいのか、困るのか、どっちだろうな。 さて、その後でひとつ問題が発生した。 それは俺にしてみればよくあることなのだが、誘った時点では色々な意味でやる気があったのだが、一晩明けると何もかもをリセットされてしまったかのように、感情が変わってしまったのだ。 つまり、一応恋人とは言え同年代の男と一日家の中で過ごすのもあまり楽しくないと思ったわけだ。 大体、家の中にいたらやることは驚くほどに限られてしまう。 たとえ家の中で出来ることであっても大抵は却下されてしまうのだから。 それなら外へ誘うべきなのかもしれないが、古泉と二人で出かけるような場所など俺には余り思いつかない。 まあ、本人に聞けばいいか、と俺は古泉にメールを送った。 内容は簡潔極まりない。 「天気がいいから出かけるぞ」とそれだけである。 返事はすぐに来た。 「却下です」 ……またえらく短文だな。 有無を言わさぬ笑顔が見える気がする。 というか却下か。 それさえも却下なのか。 もしかしたらと思っていたのだが、古泉が最近調子に乗っているように見えるのはどうやら俺の勘違いでもなんでもないらしい。 ここいらで一発ガツンと言わせてやるべきか? 俺は女でもあるが同時に男でもあるので、それなりの報復手段は持っているのだが、それを行使してやるべきかもしれない。 ……なんてな。 俺が古泉相手に男として役に立つはずもないのだからそれはくだらないどころかつまらないことこの上ない考えにすぎない。 気の迷いだ。 しかし、どうしたものか――。 考え込みながら寝返りを打ち、天井を仰いだところで、ドアホンが鳴った。 土曜の朝っぱらからなんだ? 宗教関係者でも訪問販売でも速やかにお帰り願いたい。 しかしそれはしつこく鳴り続ける。 俺は諦めてベッドから下りるとだらしない格好のままで玄関へ向かい、ドアを軽くすかした。 そうしてそこに立っていた人間の顔を見るなり思いっきりドアを閉じた。 いや、閉じようとした。 しかし、それを見越していたかのようにドアの隙間に靴を挟まれる。 お前はマルサか。 なんでわざわざ安全靴もどきのごつい革靴なんか履いてきてるんだ。 「僕も学習するんです」 人の良さそうな笑顔でやることじゃないな。 「あなたこそ、これはないんじゃありませんか。いいかげんに諦めてドアを開けてくださってもいいと思うんですが」 絶対嫌だね。 「困りましたね」 言いながらも古泉はドアを開けようとする手を止めない。 これ以上やると不法侵入だぞ。 「元より覚悟の上で、すっ!」 答えながら古泉は火事場の馬鹿力的なものを発揮し、ドアを開けてしまった。 俺はドアを閉めようとドアノブを握っていたわけだから、必然的に引っ張られ、前のめりに倒れかかることになる。 それを器用に、あるいはいやみったらしく抱きとめ、古泉は笑顔で言った。 「おはようございます」 それからの古泉の行動は迅速と言うほかはなかった。 速やかにドアを閉め、かつ鍵を掛けると俺を抱え上げた状態で俺を俺の部屋まで運んだ挙句、とどめのようにベッドに下ろしたのだ。 どさりと下ろしたのならまだしも、慎重に軽く下ろして見せたのがまた嫌味だな。 お前の行動の半分は嫌味で出来ているのか。 そうだとすると残り半分はキザったらしさか。 「違います。半分は理性で半分は感情です。そして今日の僕は、今日のあなたがどちらかというと男性的なのと同じように、感情が勝っているわけです」 どういう意味だ。 「分からないあなたではないでしょう?」 言いながら古泉は俺の抵抗を封じるように俺に馬乗りになり、俺の手を押さえて俺の四肢を押さえ込んだ。 「待て待て待て古泉、落ち着け!」 自分の顔から血の気が引くのが分かる。 「なんでそんながっついてるんだ、お前らしくもないぞ!?」 「あなたが僕についてどう考えているかは知りませんが、僕だって一応男子高校生なんです。性欲をもてあますことだってあるんです」 「だからってこれはレイプだろ!? とりあえず落ち着け、古泉!!」 「落ち着けません」 そう言って古泉は強引にキスをした。 嫌悪感もあるのだが、古泉が上手いのかはたまた俺が慣らされてしまっているのか、それが確かに気持ちいい。 思えば最初から古泉はキスが上手かったような気がするが、あの時の俺はキスの上手い男は信用ならないと思わなかったのだろうか。 だがしかし、古泉に首筋を舐められ、俺は思わず叫んだ。 「ちょっ、…やめろ!!」 ぞわぞわする。 それは勿論快感なんぞのためではなく、生理的な嫌悪感のためだ。 自分の体の上を虫が這っているような感触に、肌が粟立つ。 「見ろっ! 鳥肌立ってるだろ!?」 そう訴えても、古泉は耳も貸さない。 「すぐによくなりますよ」 そんなもんは要らん! 俺の苦情など聞かず、古泉は俺の男としては少し妙で、女としては余りにもかすか過ぎる胸に触れる。 「ひぅっ…」 声とも空気の漏れる音ともつかない音が俺の口から飛び出す。 「これだけ感じやすいのに、よく男として暮らしていられますよね。水着になる時に恥ずかしくないんですか?」 「恥ずかしいわけ、ある、かっ…!」 くそっ、声が上擦る。 その上遠慮のかけらもない古泉は確実に俺の服を脱がせていく。 「やめ、やめろっ! 古泉っ!!」 手足をばたつかせても、古泉には堪えもしないらしい。 困ったように笑いながら、 「やめられると思いますか?」 「それでもやめてみせろ。お前に愛はないのか!?」 「愛してますよ。だからこそ止まらないわけですし」 それに、と古泉は言う。 「涼しい顔をしているばかりでは、あなたに僕の想いは伝わらないようですので」 「はっ!?」 「自分に正直になってもいいのではないかと思ったんです」 その結果がレイプってお前、どれだけ変態なんだ。 「レイプにしてはあなたの反応は…どうでしょうね」 言われるまでもなく気がついていたそれをわざわざ指摘されると顔が真っ赤になった。 俺の体は俺の意思を裏切り、そう、男としての部分さえも俺を裏切っていたのだ。 思わず口ごもる俺に、古泉はにっこりと書いてあるような笑みを見せた。 「本当は嬉しいんでしょう?」 「なっ…!?」 「違いますか?」 違うと言ってやりたい。 大体俺は今日のんびりと過ごしたかったのであり、朝からこんな過激な運動をするつもりなど、小指の爪の先ほどもなかったのだ。 それなのに、こんなレイプまがいのことをされて嬉しがっていると言われるような覚えはない。 だが古泉の言う通りに、どこか喜んでいる部分も俺の中にあるのは確かで、それは多分――自分の欲望に忠実な古泉など、おそらく初めて見たからだ。 俺が本気で抵抗しても強引に我を通すような古泉など、本当に初めて見たのだ。 古泉はいつも俺を優先させてくれるから。 どんなわがままを言っても、酷い言葉を投げつけても、どれだけ振り回しても、笑っているから。 ――だから余計に、不安だった。 信じたいと思えば思うほど、不安になった。 芝居かも知れない。 機関の命令なのかも知れない。 本当は俺みたいな異形を気持ち悪いと蔑んでいるのかも知れない。 他に恋人がいるかも知れない。 俺にとって、恋人としての古泉一樹は、いつ全てが虚構に変わるかも分からない存在だった。 それでも古泉は笑って優しくしてくれるから、俺は、そんな不安を抱いていることにさえ、気付かないふりをした。 自分がそう思っている事にさえ蓋をして。 だが、それでも、 「それ以上、するな…っ」 声を絞り出して訴えた。 古泉の熱くなったそれはすでに準備万端で、俺の中へ押し入ろうとしていた。 「それ以上すると……お前のこと、嫌いになるっ…!」 視界がぼやけるのは俺が泣いているからなんだろう。 自分が泣いている理由も、もう分からない。 古泉は一瞬怯んだように戸惑いの表情を見せたが、俺の目からこぼれた涙をぺろりと舐め取り、微笑んだ。 「あなたはこのくらいで僕を嫌いになったりしませんよ」 待て、その自信はどこからくるんだ。 そう言いかけたというのに、それは見事にかき消された。 何にだって? 自分の悲鳴じみた嬌声に、だ。 ふたりしてぐったりと横たわった。 俺のベッドはシーツどころか布団までぐしゃぐしゃのぐしょぐしょだ。 誰が片付けると思ってんだこのレイプ犯は。 ぶつぶつと文句を言ってやろうかと思ったのだが、諦めた。 本気で喉が痛いのだ。 風邪も引いていないのに喉が痛いと言って家族に不審に思われたらどうしてくれる。 このかぴかぴになりそうな布団を発見された挙句、赤飯をたかれたらどうしてくれる。 責任は全てお前のものだ、古泉。 どう言ってやるのが一番いいかと思案を巡らせたのだが、なかなか思いつかない。 俺は諦めて、とりあえず思いついたそれを小声で呟いた。 「この…ケダモノ」 古泉は俺に向かって笑みを振りまきつつ、 「嫌いになりましたか?」 俺は古泉に背を向けながら、正直に答えた。 「……嫌いになれない自分が嫌だ」 俺としては不本意なことこの上ないがな。 「僕は好きですよ」 そう言って古泉は俺の肩に口づけた。 それがくすぐったくて、同時に何故だか嬉しくて、俺はそれを忘れるために目を閉じた。 |