未知夢



天気がいいと思いながら、俺は窓の外を見ていた。
少し前に、講義が思ったよりも早く終ってしまい、次の講義までの間、暇を持て余しているのだ。
昼寝でもしてやろうか。
しかし、それもなぁ…。
日差しは暖かいというのを通り越し、じりじりと暑いほどだ。
暑い日はスカートを履いて来てよかったと思う。
少なくとも通気性の面ではズボン以上だ。
髪が首筋にまとわりつくのは鬱陶しいが、本格的に夏が来る頃までにはおそらく結べるようになるだろう。
目指せ、バランスのいいポニーテールだ。
などと考えを逸らそうとしたところで、暑いことに変わりはない。
そんな風に日差しに焼かれながらも、俺が窓際から動かないのは、膝の上に邪魔なものが乗っかっているから。
これのせいで余計に暑い気もする。
それに、動くことが出来ないので、退屈を誤魔化そうにもこうしてわけの分からない考えをめぐらすことの他には、膝の上の物体をつつくくらいしか思いつけない。
しかし、そんなことをすれば余計に面倒なことになるだけだろう。
俺は頬杖を突いて、小さくため息を吐いた。
それにしても、大学生ってのは思っていたよりも暇なものだな。
そんなに忙しくないだろうと思っていたが、忙しくないどころか暇を持て余す。
だからこそバイトだのサークル活動だのに勤しめるのかもしれないが、高校時代に散々活動させられた俺としては、サークル活動なんかお断りだし、バイトも今ひとつ気が乗らない。
もっとも、バイトが嫌なのは古泉がしょっちゅう「バイト」という名の「奉仕活動」をやっていたからかもしれない。
正義の味方ってのも大変だな。
正義の味方といえば、未だに将来の夢のところに正義の味方と書くような子供はいるのだろうか。
そんな純粋さはもはや希少価値な気もするし、それが穢されていくだろうということを考えるとかわいそうにもなるな。
――などと、俺がひたすらくだらないことを考えていると、不意に声を掛けられた。
「やっ」
声のした方――正面に目を向けると、俺よりひとつふたつ年上なのだろう男がにやけた顔をして俺を見ていた。
世間一般の基準に照らし合わせるのなら、イケメン――もう死語か?――とか言われるのかも知れないが、高校時代に男女問わず、やけに顔のいい連中に囲まれていた俺には、平均以下にしか見えなかった。
「……ええと、どちら様でしたっけ?」
年上らしいので一応敬語で話す。
が、よく知らない人間に対して払うような敬意なんぞ、少しも持ち合わせちゃいないからだ。
「ん、俺のこと、聞いたことない?」
そう言ってそいつは自慢話をふんだんに織り込んだ自己紹介をしたが、俺はそいつの暇つぶしに付き合ってやる気もなければ余計なことに聴力を使ってやる気もなかったので聞き流した。
洗濯は明日の朝やろう。
掃除は今晩だな、明日可燃ゴミの日だし。
今日の晩飯は何を作るかな。
と、俺が考えた時だった。
「君、かわいいよね。俺、好みだな。君みたいな子」
囁くように男が言った。
もしかするとそれはそいつにとって必殺技並の声だったのかも知れない。
だがしかし、俺にとっては格ゲーの必殺技以下の効果もなかった。
長年古泉の「声がキモイ、顔が近い、無駄にキザ」な三連コンボを喰らってきたからかもしれん。
もはや少々の声や顔の近さじゃ動揺もしない強靭な精神を身につけてしまった。
俺は笑顔を作るのも面倒で、うっそりとそいつを見て言った。
「だからなんだって言うんですか」
そいつにしてみれば、俺が顔を赤らめる予定だったのだろう。
うん、確かに顔を赤らめてやってもいい。
似合わない顔で恥ずかしいことを言う奴ってのは見るだけで、こっちも恥ずかしくなるからな。
「えっと……だから――そうだな、食事でも一緒に行かないか?」
どうやら、そいつなりにショックだったらしい。
俺の問いに対する答えとしては妙なことを言ってきた。
「食事……ですか」
呆れつつ呟いたのを、そいつは見事に勘違いしたらしい。
「そう。どんなところがいい? 色んな所知ってるんだ。あ、もしよかったら友達と一緒でもいいよ」
「……だとよ。古泉、どうする?」
膝の上で邪魔な物体と化していた奴はのっそりと起き上がると、起き抜けとはとても思えないような爽やかな顔で言った。
「勿論、ダメに決まっています。鏡を見てから来るべきでしたね。見たところで顔は変わらないでしょうけど、見ていたらまだ自分が相応しくないと気付いたかもしれませんし」
突然、死角となっていた机の影から現れた古泉に、本気で度肝を抜かれているらしいそいつには、この上なく嫌味な笑みを向け、古泉は俺を抱きしめた。
「それにしても、ただ座っているだけで男を呼び寄せるなんて……高校を卒業して以来、あなたは本当にどんどん女らしくなりますね」
「そうしたのは誰だと思ってるんだ?」
「僕だと思いたいですね」
「お前以外に誰がいる」
全く、男に声を掛けられるだけでヤキモチを焼かれてたんじゃ叶わんな。
「堂々とあなたを独り占め出来るようになったのに、長い忍耐の時もしらない輩があなたに群がるのが苛立たしいだけですよ」
「嫉妬深い奴だ」
呆れと共に呟いた俺は、笑みを浮かべているがために半分ほど閉じられている古泉のまぶたの上に、軽くキスした。
「無駄なエネルギー使ってるから眠くなるんだろ」
「そうかもしれませんね」
嬉しそうに笑った古泉は、すっかり存在を忘れられていた野郎の方へブリザードか何かのように冷たい目を向けて言った。
「いつまでそこにいるつもりですか? さっさと消えてください」
「し、失礼しましたっ!」
何しろ、古泉ときたらそこいらの連中とは比べ物にならないくらい波乱に満ちた人生を送ってきているのだ。
目線ひとつで人を威圧するくらい、難しくもない。
俺は走って逃げていった哀れな男にいくらか品のない笑みを浮かべた。
それから古泉に目を向け、
「けど、お前もさっさと起きろよ。あいつが来た時点でもう目は覚めてただろ?」
「すいません。あなたがどうするか気になりまして」
「…いつまでたっても悪趣味な奴だな」
仕返しに、まぶたにピンクの口紅が付いていることは教えてやらないでおいた。
次の講義は俺とは別で、しかも潔癖なことで有名な教授の講義のはずだ。
精々恥をかいてくるんだな。

目を覚ました俺は、ベッドの上でのた打ち回った。
なんだ今のは!
ハルヒの夢が伝染したのか!?
この時点の俺にとって不幸だったのは、男としての意識の方が女としてのそれよりも強い時期だったことだ。
逆ならまだ喜べたかも知れん。
が、少なくとも今は無理だ。
大学に入ってもあいつと縁が切れないとしたら、本気で嫌だ。
教室で抱き合った挙句人の目の前でまぶたの上にキスとか、恥ずかしすぎる。
俺は、今の夢がただの夢であることを祈った。
――同じ夜、古泉が全く同じような夢を見たことも知らないで。