内容が多少生々しいのでご注意ください
腹が痛い。 腰が痛い。 イライラする。 とんでもない不快症状に、俺は苦しめられていた。 生まれてからずっとお世話になっている先生の助言通り、腹巻の上にカイロまで貼っているのだが、堪えられないほどの痛みはおさまろうともしない。 これまでも多少あったが、これほどまでに痛むのは本当に初めてのことだった。 俺を苦しめているのは――生理痛だった。 しかし、これまでそれほどでもなかったのがここまで痛むっていうのはどういうことだ? 腹を抱えて唸りながら考えていた俺はふと、主治医の発言を思いだした。 教室の、自分の席に座って教科書を見るともなしにめくっていると、突然彼がやってきた。 彼がここに来るなんて珍しい。 それに、妙に険しい表情だ。 「どうかしましたか?」 と問うと、彼は苦々しげに僕の腕を掴んだ。 「来い」 乱暴に僕を引っ張って行く彼に、クラスの視線も集まる。 「どうしたって言うんです」 彼は答えない。 僕の方を向こうともしない。 ただ、向かっている先はどうやら部室のようだった。 短い休み時間の終りを告げるチャイムが響く。 部室棟はひっそりと静かだ。 「どうしたんです」 何度目かの問いを繰り返すと、彼がやっと振り向いた。 その顔は真剣そのもので、僕は思わず、口にしようとした言葉を飲みこんだ。 「お前、今すぐ車呼べるか?」 彼の言葉は問いへの答えではなかったが、僕はそれ以上問わず、 「呼べますが…」 「すぐに呼んでくれ」 「……分かりました」 彼は考えもなしにこんなことを言い出すような人ではない。 僕は彼を信じて、それに応じた。 車が走る。 運転しているのは新川さんか。 確認する余裕もなく、俺は住所を告げ、そこへ行ってくれるよう頼んだ。 車でいくらかあるとは言え、何時間もかかる訳ではない。 腰の鈍い痛みを少しでも軽くしようと体勢を整えつつ、俺は携帯を取り出した。 古泉が俺に理由を問いたそうにしているが、連絡を取るのが先だ。 コール音が3回を越すことはなかった。 電話の向こうから、穏やかな女性の声が聞こえる。 『もしもし? キョンくん?』 「そうです」 『どうしたの? 学校は?』 「抜けてきました。…すみません。急で悪いんですが、診てもらえますか?」 『ええ、大丈夫よ。すぐ着くの?』 「まだ30分くらいはかかります」 『じゃあ、準備しておくわ』 「お願いします。……あ、一緒に連れていく奴がいますんで…」 俺がそう言うと、彼女はしばらく黙り込み、それからちょっと笑う気配がした。 『楽しみにしてるわ』 電話が切れる。 俺はため息をつきながら携帯をしまった。 結局彼は車の中で一言も説明してはくれなかった。 電話についても、目的地についても、何も。 いつも自分が彼にしていることが、こういうことなのかもしれない。 どこへつれていかれるか分からない不安感に、罪悪感が重なる。 なんとなく居心地の悪い沈黙が落ちる。 しかしどうしてか息が詰まるような閉塞感はなかった。 むず痒いような、その不思議な感覚は車が止まると共におさまった。 到着したのは、大きな個人医院の裏手だった。 彼はまだむっとした顔のまま、その個人医院の小さな門扉に手を掛けた。 それはどうやら院内へ続くのではなく、院長の自宅への扉らしい。 それを平然と開き、奥へと入る彼に僕も続く。 インターフォンのボタンを彼が押し、中から「どうぞ」と声がした。 先程の電話の相手らしく、同じような感じの声だった。 「お邪魔します」 と応じて、彼がドアを開けると、室内の様子が見えた。 玄関からそのまま続いて見える部屋は、病院のそれによくにたツルツルとした床で、そこに立っている女性も白衣を羽織っていた。 一瞬、どこに来てしまったのかと戸惑う僕に、彼女は微笑み、 「いらっしゃい。あなたが、キョンくんの彼氏?」 僕が目で問うと、彼は頷いた。 「そうです」 彼女は何か、と思いながらそう答えると、彼が口を開いた。 「古泉、こちらが俺の主治医だ。生まれた時から世話になってるんだ」 「そうでしたか。しかし、どうして僕を…?」 「……」 彼はまた黙り込んでしまった。 どうやら、言い辛いらしい。 困り果てる僕に代わり、彼女が言った。 「まあ、とりあえず私がキョンくんの話を聞きましょうか。古泉くんって言ったかしら? あなたはこっちに座ってちょっと待っていてね」 「はい」 大人しく、示されたソファに腰掛けると、彼女と彼は隣室に行ってしまった。 と思うと、彼女が顔をのぞかせ、 「コーヒーと紅茶、どちらがお好き?」 そう柔らかく尋ねられた。 僕は苦笑しつつ、 「紅茶をいただけますか?」 「ええ」 嬉しそうに彼女は顔をひっこめた。 少しして、紅茶が運ばれてくる。 「それじゃ、しばらく待っていてね」 その言葉通り、僕はしばらく待たされることとなった。 「素敵な人みたいね」 古泉を残して診察室に入るなり、先生はそう俺に囁いた。 悪戯そうに目を輝かせながら。 俺は顔を赤くしながら、 「どうしてそう思うんですか?」 「だって、キョンくんが信頼してるのだもの。それなら素敵な人なんだろうなと思って」 「……素敵かどうかはともかく、いい奴だと思いますよ。こんな俺のことも大事にしてくれるし、俺のわがままにも付き合ってくれるし」 「そう。……私は本当にずっとキョンくんを見てきたから、キョンくんが幸せになってくれるか、ずっと心配だったの。今の日本の現状じゃ、あなたの考えやなんかを認めてもらうのは至難の技でしょう? でも、あなたは私がどうこうするまでもなく、いい人を見つけられた。それが、嬉しいわ」 俺は恥ずかしくなって目を覆った。 先生はクスクスと笑い、 「それで、今日はどうしたの?」 「あ、それが……」 俺は手短に説明した。 生理痛がいきなり酷くなったということを。 生理痛が突然重くなるのは病気の前兆だったりする、という話を、俺はもうかなり前からこの先生から脅しのように聞かされていた。 だから、不安になったのだ。 ことに、この変化が古泉とつきあい始めてからのものだから、気になったのかもしれない。 先生もそれが分かったのだろう。 「おりものは?」 と真剣な表情で問われた。 「それは特にありません」 「そう。とりあえず、血液検査かしら。それ、いつから?」 「今回からです」 「ああ、それで彼を連れてきたのね」 としたり顔で言われれば、苦笑するしかない。 「いいことよ。STDの可能性を考えると特にね」 でも、と先生は笑顔で言った。 「私が思ったことを言ってみてもいいかしら?」 「どうぞ?」 「キョンくん、胸、大きくなってない?」 「はっ?」 突然何を言い出すんだこの人は。 「少しだけど、大きくなってる気がするのよねー」 いや、先生、それはセクハラだって。 俺の言葉に耳も貸さず、先生は言った。 「キョンくん、女の子に近づいてるんじゃないの?」 「……近づく?」 「そう。前は生理になってもすぐ終るし、出血量も少なかったでしょ? でも、今回はどうもふつうの女の子の生理みたいな感じなのよね。だから、もしかしてそうかなと思って」 「それは……」 「彼が出来たからじゃないかなと思ったんだけど、キョンくんはどう思う?」 「……かも、しれません」 「検査はするわ。でも、病気じゃない可能性も高いってこと、忘れないでね」 そう先生は安心させるように言って笑ったが……まだ当分は男でいなけりゃならん俺としては、どうすりゃいいんだ。 診察室から出てきた彼は何度も首を傾げていたが、僕にはそれをみている余裕はなかった。 彼女から矢継ぎ早に質問を浴びせられていたのだ。 「性行為の経験は?」 とか、 「かゆみとかはない?」 とか、答え辛いようなことを聞かれたし、勢いに任せて、 「彼とだけです」 とか、 「ありません」 とか、本当に正直に答えてしまった。 特に、先の質問は彼の前で答えるのは本当に恥ずかしいものだったので、思い返すだけでも顔が赤くなってしまいそうだ。 それにしても、彼が意外そうに僕を見てたってことは…疑われてたんだろうか。 それから検査のためと言って血を抜かれたりした。 やっとあれこれ終って帰る時にはもう日が暮れかかっていた。 「結局、さぼっちゃいましたね」 僕が言うと彼はいくらか顔を赤らめながら、 「お前まで付き合わせて悪かったな」 「いいえ、あなたのためならいくらでも」 「……ありがとう」 顔を背けながら小さく言った彼が可愛くて、僕はつい、頬を緩めた。 それに、あの先生の言葉。 去り際に、僕にだけ聞こえるように言われた言葉が、嬉しかった。 『私の子供みたいなものなのよ。キョンくんは。だから……私の娘をよろしくね。古泉くん。君になら頼めそうだから、お願いするわ』 彼女はそう言っていた。 |