いつか未来に



あたしは大学を卒業して、新進気鋭のCMクリエイターになったわ。
CMクリエイターなんてのはあたしにとっては映画監督になるための足がかりでしかなかったから、もちろん大成功で、あちこち飛び回りながら、いい撮影場所を探してたの。
あたしは全然知らない街を歩いていたわ。
だって、そうじゃないと目的は達成出来ないでしょ?
もちろん、不思議も同時に探していたわ。
見つけられたとは思えなかったけど。
その、全然知らない街であたしは突然声を掛けられたの。
「涼宮 ハルヒ、よね?」
あたしはムカつきながら振り向いたわ。
突然名前を呼ばれて驚かなかったって言ったら嘘になるけど、その頃のあたしは名前と一緒に顔も売れてたから、テレビか雑誌であたしを見たんだと思ったのよ。
てっきり、馴れ馴れしいおばさんかなんかだと思ったら、違ったわ。
そこにはちょっと背の高い、綺麗な女の人が立っていたの。
年は二十四、五歳かしら。
その時のあたしくらいだったわ。
少し茶色っぽくて長い髪は綺麗なポニーテールにしてあって、それが楽しそうに揺れてたの。
目は、凄く優しそうな目をしてたわ。
それから、女らしさが全身から滲み出てるみたいなのに、服装はパンツルックで、男物みたいに見えるのがちょっと不思議だったけど。
あと、そうね。
よく考えるとそんなに綺麗でも美人でもなくて、普通の顔立ちだったような顔もするけど、その時のあたしにはきれいに見えたの。
例えるなら、美術館とか教会なんかに行くとある聖母子像ってところかしら。
見た目以上に、印象がとても綺麗だったわ。
その人はあたしに向かって凄く懐かしそうに笑ったわ。
「本当にハルヒだ。懐かしいなぁ。覚えてる? 私のこと」
「悪いけど覚えてないわ。あんた、誰?」
「相変わらずね」
そう言って、くすくすと笑う彼女に、普通ならイライラしたと思うの。
でも、なんでかその時は怒ろうとも叫ぼうとも思わなかった。
多分、失礼なことを言ったって自覚があったのよ。
口先だけだけど、謝ったわ。
でも彼女は余計に笑って、
「いいから気にしないで。むしろ、変わってないって分かって、凄く嬉しい。それに、如才なく答えるハルヒなんてハルヒらしくないし」
「…ねぇ、あんた本当に誰なの? あたしのこと随分詳しいみたいな口ぶりじゃない」
「詳しいみたい? みたいじゃなくて詳しいんだって。まだ思い出せない? 名前を言ったら分かるかな?」
悪戯っぽく笑って、彼女は名前を口にしたわ。
今ならそれが誰のことか分かるんだけど、その時は思い出せなかった。
でも彼女は怒りもしないで、
「そんなことだろうと思ってた。皆、私のことはあだ名で呼んでたしね」
面白がるように、彼女は言ったわ。
「私はキョンよ。キョン。……もしかして、それも忘れた?」
あたしは返事も出来なかったわ。
当たり前でしょ?
あたしの知ってるキョンは男だもん。
一人称は俺だったし、彼女みたいに笑ってばかりもいなかった。
いつも間抜け面をさらして、余計な邪魔ばっかりしてた。
やっとあたしが口に出したのは、
「……嘘でしょ…」
っていう、なんの捻りもない言葉だったわ。
我ながらもっとうまい返事があったんじゃないかと思うけど。
でも彼女は満足そうだった。
悪戯が成功したみたいに笑うから、てっきり悪戯なんだと思おうとしたのに、
「嘘じゃないって。本当にキョンなの。高校の3年間、ずっと同じクラスでずっとハルヒの前の席だった」
その時のあたしの顔と言ったら、きっととんでもない間抜け面だったに違いないわ。
呼吸することも忘れちゃってたくらいだもの。
彼女は楽しそうに言ったわ。
「ねぇ、今、時間あるかしら? 色々話したいの」
惰性で頷いたあたしを連れて、彼女はすぐ近くの喫茶店に入ったわ。
「ハルヒと二人だけで喫茶店に入るなんて、どれだけ久し振りだろ。あの頃はまだ私も男として暮らしてたのよね。もう随分前に思えるけど、まだ十年も経ってないんだ。嘘みたいに思えるなぁ」
奥まった席の小さなテーブルを挟んで向かい側で、彼女は微笑んでいたわ。
ここに来るまでの間にいくらか落ちつきをとりもどしかけてたあたしは、意を決して聞いてみたの。
「本当に、本っ………っ当に、キョンなの!?」
「そうよ」
彼女の穏やかな雰囲気は変わらなかったわ。
「証拠は?」
「証拠? うなじにあるほくろとほくろ毛でも見る? それとも、昔話でもしたらいいのかな」
そう言って、彼女は話し始めたわ。
SOS団のメンバーから活動の思い出深かったことまで楽しそうに話してくれた。
あたしが知らなかったことや忘れてたことまで並べてね。
話し方も、どんどん変わっていったわ。
ううん、戻っていったっていうべきなのかもしれない。
キョンのあの回りくどくて装飾過剰で時々何言ってんのか分かんないような話し方に。
一人称はとうとう「私」のままだったけど、話し終えた時、彼女はもうキョンだった。
「こんなところでいいか?」
「…うん。信じるわ。あんたはキョンなのね。本当に」
「そうだって言ってただろ?」
そう言ってキョンが笑った。
……知らない女の人だと思ってる時は許せたのに、キョンだと分かると無性にイライラして、唇を尖らせると、キョンは余計に笑ったわ。
「その口。本当に変わってないな」
「うるさいっ! それで、なんでそんな風になってるのよ。あんた女装癖の持ち主なの?」
「これは女装じゃないんだ。私は元々女でもあったんだよ。もちろん、男でもあったけど」
「どういうことよ」
「半陰陽、って言ったら分かるかな」
そう言ってキョンは説明を始めたわ。
なんだか複雑で訳が分からなかったから、もう忘れちゃったけど、ようするにキョンは男でも女でもあるっていう特殊な性別の持ち主だってことらしいの。
高校卒業までは男として過ごしてたけど、大学に入学する時に思いきって女にしてみたんだって。
理由は笑って誤魔化すばっかりで、吐かなかったわ。
「これだけ変わったから、」
キョンはなんだか寂しそうに言った。
「昔の友達に会っても名乗り辛かったんだが、ハルヒならきっと変に面白がったりしないと思ったんだ」
「分かんないわよ。今も不思議は大好きだもん。あんたのこと根掘り葉掘り聞くかもしれないわ」
「それでも、ハルヒは私の精神状態や男としてずっと過ごしてきたことを興味本位で聞きだそうとしたりはしないだろ。そういうところは割と常識的だし、プライバシーを尊重してくれるから」
「そうでもないと思うけど」
「ハルヒの興味の示し方は、嫌じゃない。純粋に事象自体に興味を持って知りたがるし、生半可な知識を振りかざしたりせずにちゃんと話を聞くだろ。半陰陽ってだけで珍獣みたいに扱われたり、話す必要もない私的なことまで聞きだそうとするよりは、ずっといいさ」
「…そんなこと、されたの?」
「たまにはな。医者以外には明かさなかったけど、医者にも色々いるし、学者タイプの医者だと私のことなんかただのサンプルにしか見えないから。全裸に剥かれてとか、人には見せたくないような恥ずかしい場所が見えるようにした状態とかで何枚も写真を撮られたり、それを論文に添付されて学会で大写しにされたりな。……人伝に聞いただけでも泣きたくなった」
「何それ、最低な医者じゃない! そんな奴、訴えてどうにでもしてやんなさいよ!」
「そうしたら、名前や顔をさらさなきゃならないことになる可能性が高くなるだろ。見世物にはなりたくないんだ」
「……」
どう答えていいか分からなくなって黙ったあたしに、キョンは楽しそうに笑ったわ。
「やっぱり、ハルヒはいい奴だな」
「うるさいわね」
「褒められて怒るなよ」
「その程度の褒め言葉なんて貰い飽きてるのよ」
言い切ってやったら余計に大笑いしてたわ。
結局その日は、キョンと話しこんで終ったの。
それ以上撮影場所を探しにいく元気も湧かなくなるくらい、驚いてたしね。
こんな状態で走り回ったって無駄だわ。
だって、インパクトのあるものを見たところでそうと思えないに違いないんだからね。
去り際に、キョンは伝票を持って言ったわ。
「ハルヒとお茶したんなら、やっぱり私が払わないとな」
「別にいいのに。あたしも今それなりに稼いでるんだってさっき言ったでしょ?」
「それでもまだ駆け出しなんだろ。映画監督になるなら金もいるだろうし、こんなところで使う必要はないさ。それに私は、養ってくれる高給取りの旦那がいるからいいんだ」
「旦那? あんた、結婚したの!?」
キョンは満足そうに頷いた。
「そう。私のことを分かってくれる、最高の旦那だ。ハルヒも羨ましかったらさっさと結婚するんだな」
「うるさいっ!」
そう怒鳴り散らして喫茶店を出たあたしは、駅の方に向かって歩きだしたの。
てっきりキョンもそっちだと思いこんでたのに、キョンは喫茶店の前で足を止めて、あたしに向かって叫んだわ。
「私の家はあっちだから、ここで」
「えっ!?」
メールアドレスとか住所とか聞いてやろうと思ってたのにうっかり聞きそびれてたあたしは本当に驚いたわ。
それに、慌ててもいた。
せっかく会えたのにこれっきりなんてつまらないじゃない。
もっといっぱい話したいし、結婚した相手ってのも見てみたい。
「待ちなさいよ、キョン!」
「今度の同窓会には行くから! その時に、また!」
そう笑いながら背を向けたキョンに、あたしは諦めてため息をついた。
次の同窓会は二ヶ月先にまで迫ってたし、それくらいならキョンは待たせるだろうって思ったのよ。
そうしたらキョンが突然振り返って言ったの。
「言い忘れてたけど、私の今の名字、古泉っていうんだ」
「――どういうことよ!」
思わず走り出したわ。
でもキョンは笑いながら走っていっちゃった。
本当に、最悪な夢だったわ。

長々とハルヒの話を聞かされていた俺は思わず、向かいにいる古泉の顔を見た。
古泉の表情が心なしか強張って見えるのは気のせいではない。
こいつも驚いているのだ。
ハルヒは限界まで冷め切っていた、朝比奈さんが丁寧に淹れてくださったお茶をぐいっと一気に飲み干すと、
「あーあ、本当にキョンがそうだったらよかったのに」
と言うと、帰り支度を始めた。
俺はまだ動けない。
これはどういうことなんだ。
ハルヒには願望を実現する能力のみならず、予知能力まであったのか?
いや、正確に言うなら予知ではないだろう。
ただ、知らないはずの俺の体のことを夢で見たということが驚きだった。
ハルヒが出て行ってしまった部屋の中で俺と古泉は顔を見合わせた。
ふたり揃って、困惑としか言いようのない表情で。
「涼宮さんには本当に驚かされますね」
そうだな。
俺の体のことやお前とのことを知られたのかと思ってひやひやしたが。
「それは確かにそうですね。でも、悪い夢でなくてよかったと思います」
…そうだな。
「勿論、ただの夢に過ぎないのでしょうけど」
俺は頷きながらも願わずにはいられなかった。

もしも叶うなら。
ハルヒの見た夢が正夢になりますように。
いつか未来にそれが実現しますように。
おそらく最良の形で。