着せ替えキョンくん



どうしてこんなことになったのだろう、と訳が分からなくなってしまったフリをしたかった。
だが、俺はしっかりと覚えていた。
こうなった理由を。

珍しく、ハルヒが部室に来なかった。
珍しいが、これまでもなかった訳じゃない。
気にせず、いつも通りだらだらと過ごしていると、朝比奈さんが鶴屋さんに連れられて姿を消してしまった。
そうして、室内にいる人間が、俺と古泉と長門の三人になった。
それだって、別に珍しい訳じゃない。
朝比奈さんはよく、なんやかやと鶴屋さんに連れて行かれたりしていたからだ。
珍しかったのは、いきなり長門が本を閉じたことだった。
いや、いきなり閉じるのは珍しくない。
退校チャイムの時間までまだかなりある、こんな早い時間に、そうするのが珍しかったのだ。
「長門? どうかしたのか?」
俺が問うと、長門はかすかに首を縦に振った。
そうして部屋の隅に行くと、おいてあった大きな紙袋を抱えて戻ってきた。
誰の荷物かと思ってたら、お前のだったのか。
「そう」
長門はがさがさと紙袋を漁ると、中から布の塊を取り出した。
布の塊を広げていく長門を、俺も古泉も、駒を動かす手を止めて見つめていた。
広げられたそれは、紺色のワンピースかなにかのようだった。
「ダルマティカですか」
驚いたような声で、古泉が言った。
長門もこくりと頷いたが、俺には訳が分からない。
なんだそれは。
「古い形のワンピースみたいなものですね。今でも、キリスト教の聖職者が身につけていますが。これは……どうやら、修道女の衣装のようですね」
長門が頭の動きで肯定する。
しかし、そんな物をどうするのだろうか。
疑問に思う俺の前に、長門がさらに頭巾のようなものなどを並べ立てる。
そうして、すっかり長机を埋め尽くしたところで、長門が俺に言ったのだ。
「脱いで」
一瞬と言わず、俺の頭は停止した。
本当に何を言われたのかと思った。
古泉も呆気に取られている。
だが長門はいつもながらマイペースに、
「これに着替えて」
と広げた衣装一式を指す。
何のために、と俺が問うと、あっさりと答えた。
「似合うと思ったから」
――長門にそんなことを考えるだけの情緒が芽生えたことを喜ぶべきか、はたまた、常識という部分が育っていないことを嘆くべきか、俺は考え込んだ。
その間に、古泉が余計なことを言う。
「いいじゃありませんか。長門さんのお願いですよ」
お願い?
命令の間違いじゃないのか?
じとりと古泉を睨むと、長門が言った。
「…お願い」
上目遣いに言われても、あまり色気がないのはどうしたことだ。
無表情のせいか、それとも俺が長門を自分の娘のように思ってしまいつつあるからなのか。
しかし、結局俺は長門の「お願い」を聞くことになったのだった。
「お前の差し金じゃないだろうな」
長門をドアの外に追い出してブレザーを脱ぎながら俺が言うと、古泉がいつもながらの胡散臭い笑顔で答えた。
「まさか。第一、僕が頼んだところで言うことを聞いてくれる長門さんではないでしょう」
それもそうだ。
あのハルヒでさえ、長門は扱いかねるんだからな。
「それを、あなたはいとも簡単に頼ってみせますけどね」
文句でもあるのか?
「ありませんよ」
どんなに付き合いが長くなっても、こいつの笑みを胡散臭く思わずに終ることなどないようだ。
俺は嘆息しつつ、ダルマティカとやらを手に取った。
ズボンやシャツ、靴は履いたままだ。
これだけたっぷりしたデザインなら、大丈夫だろう。
溺れそうな布の量に苦労しながら、頭を出し、袖に手を通す。
更に同じく布の多い、頭だけを通すコート状のものを被る。
最後に、よく分からない構造に四苦八苦しながら頭巾――ウィンプルだと古泉が言った。どうでもいいが服飾用語まで頭に入ってるっていうのはどういうことだ?――を被り、バンド状の布で止めると、やっと着るべき布の山がなくなった。
疲れた、とため息をつくと、古泉が俺をしげしげと眺めていた。
「似合いますね」
「知るか」
投槍な気持ちになるのは当然のことのはずだ。
俺は適当に答えながら、ドアの外の長門へ声を掛けた。
「長門、もういいぞ」
きぃ、と小さく音を立てて、ドアが開く。
顔をのぞかせた長門はじっと俺を見つめ、それからゆっくりと近づいてきた。
「じっとして」
と俺を直立させ、ぐるりと俺の周りを歩く。
古泉のニヤニヤ笑いと相まって、居心地が悪い。
「やっぱり、よく似合う」
ありがとう、と言うべきか?
しかしよく、俺にぴったりのサイズがあったな。
というより、どこで調達してきたんだ?
「……知りたい?」
いや、いい。
なんかいやな予感がする。
「そう」
ところで、もう着替えていいか?
俺が問うと、長門は頷いた。
満足したらしい。
よかった、と思った瞬間、長門が言った。
「次は、こっち」
紙袋がまだ空になっていなかったことに、俺は気がついていなかった。
続いて取り出された衣装は、今着ているそれよりはずっと布が少なかった。
いや、少ないと言うより、比較するのも間違いだろうって位量が違った。
長門が取り出したのは、よりにもよって、半袖のチャイナドレスだった。
定番と言えば定番だが、これほど、男が着て見苦しい衣装と言うのも珍しいだろう。
「あなたは男ではない。よってかまわないと判断した」
長門の言葉が若干胸に痛い。
長門、分かってくれ。
俺は確かに半陰陽で、彼女が出来る前に彼氏を作ってしまったような奴だが、一応男でもあるんだ。
長門は首を傾げるばかりだ。
「嫌?」
嫌じゃない奴は少ないと思うが。
「……そう」
心なしか、沈んだように見えた。
長門にそんな顔をさせるのは俺の本意ではない。
かくして俺はぴちぴちのチャイナドレスと言う恐ろしい代物を着るはめになったのだった。
今度は古泉も長門と共に部屋から追い出す。
「別にいいじゃないですか」
と残ろうとする古泉を乱暴にドアの外へ押し出し、俺はもう一度深いため息をついた。
なんでこうなるんだ、と。
開き直り、さっさと着替えてしまうことにした。
ごちゃごちゃとした衣装を脱ぎ捨て、やけくそのようにズボンやシャツを脱ぎ捨てる。
どうやって採寸したのかと聞くのも恐ろしいほど、チャイナドレスは俺の体にぴったりに作ってあるようだった。
諦めて、アンダーシャツも脱ぐ。
靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、用意されたストッキングに脚を通す。
薄いくせに存在感を主張する感触が、不慣れな俺には気持ちが悪い。
チャイナドレス自体も、頭や手は簡単に通るくせに、ボタンがし辛い。
爪で引っ張りながらはめたが、残るひとつは顎に近すぎて難しかった。
出来ない、と投げ出して、俺は外で待つ二人に声を掛けた。
「いいぞ」
嬉々として入ってきた古泉の足が止まる。
長門の表情はどこか満足げだ。
「思った通り」
どう思っていたんだ。
というかどこを見てる長門!
「脚」
すぱっといっそ清々しく答え、長門は俺の足元にしゃがみこんだ。
そのまま、つぅっと脚を撫でる。
「っ!」
くすぐったい、というよりそれに似た別の感覚が走る。
それはヤバいって、長門!
だが長門は頓着した様子もなく、俺の周りを歩いて点検しだした。
「おや」
と古泉が俺の喉元を見ながら言った。
「このボタンは? 留めないんですか?」
出来なかったんだよ。
不器用だと笑うなら笑え。
「笑ったりしませんよ。確かに、留め辛そうですね」
古泉の手が、すっとそれに触れる。
そうしてしばらく顎の下で動かす気配がしたとおもうと、すぐに離れた。
「これでいいでしょう」
「ああ、…ありがとう」
「いえいえ」
笑顔がいつにもまして気色悪い。
俺が救いを求めるように長門を見ると、長門はまた紙袋をがさつかせていた。
まさか、まだ出て来るんじゃないだろうな?
「履いて」
と長門が取り出したのはチャイナドレスと同じ、赤い布で作られた靴だった。
俺は諦めと共に椅子に座り、それに足をつっこんだ。
「これ」
長門が更に取り出したのは、化粧道具一式で。
一瞬唖然とした俺も、流石に慌てた。
化粧はまずいだろう。
この間、化粧をした顔でハルヒに会っているんだ。
ばれる。
確実にばれる。
「大丈夫」
長門は化粧水を手に取りながら言い、有無を言わさず俺の顔につけ始めた。
俺は今日何度目とも分からないため息に諦めを吐き出した。
かなりの時間と手間をかけ、長門は俺に化粧をした。
鏡がないからどうなっているのかわからないのだが、普通の化粧と言うよりもむしろ、舞台用の化粧に近いようだった。
目じりよりもずっと離れたところまで、アイラインやアイシャドーが入れられる。
顔なんか、もう真っ白だろうってくらい塗りたくられた。
口紅も、しっかりと赤く塗られ、一体どんな顔になっているやら、想像するのも恐ろしい。
髪にも花飾りを留められる。
「出来た」
長門がやっと俺を解放してくれた。
と思うと、白いふわふわとしたファーで出来た、マフラー状の肩掛けを持ってくると、俺に掛け、手に持たせた。
これでいいらしい。
古泉は黙って俺を見ている。
反応しろよ。
いいのか悪いのかも分からないだろうが。
「……とても、素敵ですよ。メイク前も十分綺麗でしたけど、より華やかになりましたね。しかし、長門さんにメイク技術がおありとは知りませんでした」
それは俺も同感だ。
だが、長門のことだからどんなこともすぐに習得出来るだろう。
しかし、どんな顔になってるんだ?
「お見せしましょうか」
という古泉の言葉に惹かれて顔を上げると、携帯のカメラが立てる、独特の音が聞こえた。
「撮るな!」
「すぐ消しますよ。勿体無いですけどね。どうぞ」
古泉が携帯を俺の目の前につきだした。
映っているのは、本当に派手な――それこそ役者のような顔をした俺だった。
いつもの、女の時のメイクとは全然違う。
まさに、迫力がある顔になっている。
「ね、凄いでしょう?」
古泉が自分の功績であるかのように言った。
俺は頷きつつ、長門を見た。
なんだってここまでするんだ?
「ユニークだから」
分かりやすいのか分かり難いのか判断に悩む言葉が返ってきただけだった。
その時だ。
ドアが乱暴に開いた。
そんな開け方をする人間はそうはいない。
鶴屋さんかハルヒだ。
そして鶴屋さんはすでに出没済みだった。
「やっほー!」
といかにも楽しげに飛び込んできたのはハルヒだった。
その動きが、俺を正面に見据えて止まる。
「え? …だ、誰?」
悪戯が成功した気分になったのは俺だけじゃなかった。
古泉はニヤニヤといくらか人の悪い笑みを浮かべ、
「さて、誰でしょう?」
と言うし、長門も楽しげに沈黙している。
ハルヒが俺の顔をじっと睨み、そうして、珍しいほど間の抜けた顔で叫んだ。
「まさか、キョン!?」
よく分かったな。
「消去法でいっただけよ。わざわざうちの部室に女装姿を見せびらかしにくるような面白い人間がいたら、あたしが見逃すわけないしね」
なるほど。
「それにしても……似あってるわね。そう言う趣味だったの?」
失礼な。
これをやったのは長門だ。
「有希が?」
びっくりしたように長門を見るハルヒに、長門は静かに頷いた。
そこで古泉が余計なことを言った。
「今日は彼を着替えさせて遊んでいたんですよ」
ハルヒにばらすな。
やりたがったらどうする。
案の定――ハルヒは楽しげに衣装の物色を始めた。
「んー、でもみくるちゃんのじゃキョンには絶対入らないわよね。新しく買わなきゃだめかしら」
わざわざそんな余計な物に金を使うな。
「みくるちゃんと被ったんでもいいかしら。ふたり一緒に着せて、楽しいのって言ったら、やっぱりナースとかウェイトレス? いっそ、いろいろ試してみる?」
やめてくれ!
俺の叫びは思いきりシカトされた挙句、その後も散々写真を撮られたばかりか、もう一度修道女姿になれという命令の下、チャイナドレス姿のまま化粧を落としにトイレに行かされたりした。
他に見られなかったのが幸いと言えば幸いだが、それ以上に大量の写真をどうしようかと悶絶しつつ、とりあえず古泉への復讐を誓ったのだった。

なお、有言実行の女、ハルヒに、俺が後に「いろいろ試してみ」られたのは言うまでもない。