少々暴力表現が含まれるため
R15とさせていただきます
苦手な方はバックプリーズ





























激昂



彼が危ない連中に呼び出されたと聞いた時、僕の目の前は黒く染まった。
もし間に合わなかったらどうしようかとそのことを考えるだけで、血の気が引いた。
廊下にいた見張りを昏倒させたりしてまで、どうにかこうにか僕が現場にたどりついた時には、もう、遅かった。
彼の痛みに歪んだ顔と、その頬に刻まれた傷を見て、僕の目の前は真っ赤に染まった。
「彼になんてことをしやがったんだ、貴様らは…」
怒鳴り声も出てこなかった。
怒鳴るなんて、そんな馬鹿げたことに使う余分なエネルギーは存在しない。
表情を作るのも要らない。
僕はただ、彼に傷をつけたナイフを持つ女だけを見ていた。
僕の様子に不味いと気付いたのだろう。
女が早口に何かをまくし立てるけど、僕は聞きやしなかった。
一息に距離を詰め、そうして女のナイフをまず蹴り飛ばす。
余った勢いを利用して、女を床へと蹴倒す。
僕の中には明確な殺意がふつふつと煮えたぎっていた。
恐怖を感じたのか、他の連中が逃げ出していく。
彼を床に縫いとめていた連中も逃げ出すと、彼はやっと体を起こすことが出来た。
僕を見たその顔には、驚きが浮かんでいた。
震える唇が、何かを言うように動いた。
僕の名前を、呼んだのだろうか。
でも、ごめんなさい。
今はあなたの言葉だって、聞けないんですよ。
僕は、彼に傷をつけた罪深い女を殴った。
蹴った。
殺してやるつもりで、容赦なく、生命活動に関わる部分を攻撃した。
腹を蹴り上げ、頭を床に叩きつけた。
死ね。
殺してやる。
殺す。
「やめろ! 古泉っ、やり過ぎだ! やめてくれ!!」
彼の制止の声が耳に入るようになったのは、女が動かなくなってからだった。
彼の目を見るのが怖くて、しばらく振り向けなかった。
それでも恐る恐る振り向くと、どうしてだろう、彼は泣いていた。
「もう、やめてくれ…」
「どうしてです?」
分からない。
分かりたくもない。
もしこの女が気になっていたとか、そんな理由だったら僕はきっと自分を抑えきれなくなってしまう。
「…っ、お前がそうやって何かを傷つけるところなんて、見たくねぇんだよ」
彼のその返事に、安堵した。
嬉しい。
どうしよう。
嬉しくて堪らないのに、悲しい。
彼はこんなに優しいのに、僕はこんなに汚いことが。
嬉しさと悲しさのせめぎ合いがどうしようもなく苦しくて、僕は泣きそうになりながら、女を放り出した。
その女にしろ、他の逃げた連中にしろ、顔も名前も把握している。
もう逃がさない。
だから、今はいい。
僕は床に座り込んだままの彼に近づき、手を差し出した。
それだけだったのに。
――びくりと彼が怯えた。
何に対して?
僕……に?
「怖がらないでください…」
「…怖がっては、ない、が……お前、その手、大丈夫なのか?」
彼が見つめる僕の手は、殴り過ぎて赤くなっている。
ところどころ滲んだ血は僕のものではないはずだけど、見た目では分からないのだろう。
「大丈夫ですよ」
僕が請け負うと、彼はおずおずと手を伸ばして、僕の手を取った。
そうして立ち上がった彼の頬を、血が伝い落ちる。
とっさに、それを舐め取ったのは、服が汚れてしまうとかそう言う理由ではなかった。
ただただ、もったいないと、そう思っただけだった。
「古泉…っ!?」
驚く彼の傷を舐めると、彼の顔が歪む。
痛いんだろうか。
その痛みも癒したくて、僕は傷の深さを確かめながら、その傷を何度も舐めた。
思ったより深くないことに安堵しながら、
「怖い思いをさせてしまってすみません…」
と謝った。
僕のミスだ。
もっと早く駆けつけていれば、こんなことにはならなかったのに。
「でもあなたも、どうして呼び出しに応じたりするんですか。それがどんなに危険なことかくらい、考えればすぐに分かるでしょう?」
「そんなことより!」
彼は強引に話をそらし、
「…あの人、どうなったんだ……?」
と倒れたままぴくりとも動かない女を指差した。
どうしてそんなものを気にするんです?
どうなったっていいでしょう?
あなたを傷つけたりしたんですから。
どうしてあなたはそんなに、誰にでも優しいんですか。
――にだけ―――して欲しいのに。
「動かないが……まさか、殺して、ない、よな…?」
知りません。
ねぇ、どうしてこんな人を気にするんです?
どうして――を――くれないんです?
「答えろ! 古泉っ!!」
恐怖を、感じた。
彼を怒らせてしまったことに。
彼を怖がらせてしまったことに。
また一人になるかもしれないということに。
一人は嫌。
何があっても嫌だ。
もう一人になんてなりたくない。
そうならないためなら僕はなんだってする。
ほかの事はどうなったって構わない。
「おい、古泉、聞いて…」
「どうしたら、」
「…え?」
「どうしたら側にいてくれますか。どうしたら、僕が何をしたら、僕がどうあれば、僕の側にいてくれますか。僕だけを見てくれますか。僕のことを考えてくれますか。僕を認めてくれますか。あなたを守ればいいんですか。邪魔するものを全て排除すればいいんですか。あなたに利益をもたらせばいいんですか。それとも他のありとあらゆるものがなくなれば、あなたは僕のことを考えてくれますか。僕はあなた以外何も要らな」
「古泉! お前なんか変だぞ!? 落ち着け!」
そう叫んだ彼が、僕を強引に抱きしめた。
暖かい。
柔らかい。
何より、そこに彼が確かに存在すると言うことにほっとした。
なのに僕の目の前には、彼の傷が見えて。
まだ血の滴るそれに、心が乱れた。
見ていられなくて、滴るそれを舐め取った。
ぴくりと彼が震えたのは、抵抗したかったからなんだろうか。
でも彼は、抵抗しないという道を選んでくれた。
じっと僕を抱きしめて、僕のしたいようにさせてくれた。
「大丈夫だから……な…?」
優しく声をかけられ、背中を撫でられ、
「…はい」
と答えた。
僕の頭もいくらか落ち着きを取り戻せたらしい。
「落ち着いたな?」
ほっとしたように笑う彼に、
「すみません、取り乱してしまいました」
となんとか返せた。
まだ笑みは作れない。
でも、作れない方がきっと自然だろう。
「いや、俺の方も取り乱したから」
そう言って彼は、
「救急車、呼んでくれ。言っとくが、俺の分じゃないぞ」
「ええ、分かってます」
勿論僕はそんなことをしたくはなかったけれど、彼が言うならそうしなくてはならない。
機関の息の掛かった病院へ連絡し、救急車を呼ぶ。
当然、事後処理も頼んだ。
彼のことはタクシーで別の病院へと送った。
僕は当然彼に付き添った。
彼から離れたくなかった。
彼は自分の方が怪我人のくせに、酷く心配そうに僕を見ていた。
診察室に入る時には、
「あんまり酷くはするなよ。あの子らだって色々あったんだと思うし……お前の方こそやりすぎたんだから、注意とか、それくらいで済むようにしてやってくれ」
とまで言っていた。
「ええ、分かりました。あなたは本当にお優しいですね」
僕が笑顔でそう返したからだろうか。
彼は安心したように笑みを見せてくれた。
でも、ごめんなさい。
本当にそれくらいで済ませてあげられるなら、僕はきっともっと普通でいられた。
こんな風に、「彼女」に選ばれることもなかったんじゃないかと、そう思うんです。
彼の頬の傷の縫合が済み、彼を家まで送り届けようと思ったのだけれど、連絡していたため、ご家族が迎えに来てしまった。
僕は出来る限り丁寧に事情を説明し、頭を下げた。
僕のせいですと。
彼は違うと言ってくれるだろう。
ご家族がそう言ってくれたように。
でも、これは僕のせいだ。
全部、僕のせい。
だから僕は、責任を取る必要がある。
彼が帰ったのを確かめて、僕はある場所に向かった。
もうかなり遅い時間になっていたのに、彼女は嫌な顔一つせずに僕を迎えた。
僕は、その部屋に上がりこむなり口にした。
「事情はご存知でしょうから説明しません。ただ、あなたに協力していただきたいのです。協力してはもらえませんか?」
しばらく黙り込んだ彼女は、小さな声で答えてくれた。
「……聞かせて」
そのガラス玉めいた瞳が僕を映す。
「…それは、報復?」
「違います。――制裁です」
「彼は望まない」
「知っています。でも、彼女らは罰せられるべきです。それだけのことをしました。けれど、涼宮さんに気付かれるのがまずい以上、表立って処罰を与えることは出来ません。それを理由に、見逃したくなんてないんです」
それだけのことを、彼女らはしたのだから。
長門さんはしばらくの間また黙り込んだ。
「…望む手段は?」
それは協力してくれるということだろう。
僕は安堵の笑みを浮かべながら答えた。
「存在の否定、あるいは抹消を」
「…了解した」
そう言った彼女がテーブルの上においてあったグラスを手に取った。
それは、その白い手の平の上でぐにゃりと形を変え、小刀となる。
「それで切りつければいい。ただし、存在の痕跡は微量ながらも残る。…あなたの中に」
「十分です」
僕の中に彼女らの記憶が残ったところで、僕にはなんの負担にもならない。
むしろ、忘れてしまい、警戒を怠ることの方が怖いのだから、丁度いい。
僕は小刀を大事に受け取って、早速行動を開始した。
勿論最初は、あの女だ。
彼の頬に傷をつけた、最も罪深い女。

存在の抹消によって人が消えるというのは、不思議なものだった。
その人のいた痕跡は視覚的に何一つ残らない。
関わっていた物事や人物などの記憶も、書き換えられたり、あるいは別の人物が突如として出現するなどで、ほんの少しずつ変化しながらも、一応辻褄が合うように変えられる。
そうして、違和感一つ残さずに、世界は置き換わる。
長門さんの協力の下、彼の記憶の書き換えも行った。
その傷も綺麗に、跡形なく残した。
だから、彼は傷つけられてなどいない。
それでも僕は覚えている。
彼の頬の傷も、血の赤さも、怯えた様子も、震える体も、その暖かさも、優しさも、何もかも全て。
もう二度と、あんなことがないように、僕は彼への嫌がらせを徹底的に排除する。
やり直すための手段を得たとはいえ、もう同じ失敗はしない。
それでももし、どんなに手を尽くしても諦めの悪い人間がいたらその時は、きっとこの懐の小刀が物を言うことになるのだろう。
薄い笑みを愛想笑いに変えて、僕は今日も、何食わぬ顔で部室に足を踏み入れる。