長門に提示されたいくつかの方法の中からどれを選ぼうかと考えていると、ひとつのことに気がついた。 体内での時間凍結、というのが一番妥当であるという気はした。 それが俺の体に与える影響についても、それくらいならなんとかなるとは思った。 だが、本当にそれだけで済むのか? 「…なあ、長門、子供の成長を止めて、それでこの子に影響は出ないのか?」 俺が聞くと、長門はしばらく躊躇うように黙り込んだ後、 「……全くないとは言い切れない。特に、精神面については」 と正直に答えてくれた。 「そうか。……だったら、」 と俺は覚悟を決めて答えを告げる。 「このまま自然に任せて産むことにする。古泉、お前にも迷惑を掛けると思うが、いいよな?」 「ええ勿論、喜んで何でも協力しますよ」 ……と、たった今決めておいてなんだが、いきなり考え直したくなった。 それというのも、古泉がとんでもなくだらしのない顔をしていたからだ。 どれくらいだらしないかと言うと、真夏の沖縄で炎天下に一時間以上放置されたソフトクリームの方がいくらかしっかりしているという程度にだらしがない。 でろっでろのどろっどろである。 こういう擬態語で表そうとするのは自分の言語能力の低さをひけらかすようで好きじゃないんだが、そうとでも言わなければ言い表せないくらい、酷い顔だった。 「……お前、何だその顔」 「すみません」 口先だけで謝りながらも、古泉はにまにましたまま、俺に向かって手を伸ばしてきた。 「本当に、嬉しくてならないんです」 言いながら、俺の体を抱き締める。 その手つきがいつになく慎重なのは、腹に子供がいると分かったから、なんだろうな。 笑ってしまいそうになるくらいの慎重さだが、笑う前に、愛しさと喜びらしきものを感じた。 しかし、くすぐったさも酷い。 だから俺は、 「父親になるんだから、もうちょっとしっかりしてくれ」 と毒づくように言ったのだが、この言葉は俺の予想以上に効いたらしい。 「そうですね」 はっきりと答えた古泉は、もう色ボケしたような間抜け面などしていなかった。 きりりと引き締まった精悍な顔は……まあ、あれだ。 ちょっとだが、そう、本当にちょっとだけだが、惚れ直したと言ってやってもいいような凛々しさだった。 真剣に何を考えているんだろうな。 また馬鹿げたことじゃなければいいんだが。 はらはらしていると、古泉がやっと口を開いた。 「今から、あなたの家にお邪魔して構いませんか」 「は? 俺ん家で何するんだ? 大体、最近は俺が知らない間にすら、ちょくちょく来てるだろうが」 「そうじゃありませんよ」 困ったように小さく笑った古泉は、しかし真剣に、 「あなたのご両親に、きちんとご挨拶したいんです」 「……は…?」 「何かおかしいですか? 当然でしょう? あなたが僕の子供を産んでくださるなら、僕はあなたと共に暮らせるようになりたいと思います。制度的に可能なら、今すぐにだって結婚を申し込むところです。…いえ、たとえ法的には認められなくても、僕はあなたと結婚したいです。SOS団の皆さんや、あなたのご家族の前でだけでも、あなたと一生を共にすることを誓いたい。宣言したい…。そう、思うほど、あなたが好きです。愛してます」 「…はっ、恥ずかしいやつ……」 あまりにも熱っぽく、恥ずかしい発言に、俺の顔が真っ赤に染まる。 それなのに、俺はそれがちっとも嫌じゃないのだ。 むしろ、もったいなくすら思えた。 「…ありがとな」 「僕と、結婚して、くださいますか…?」 返事なんぞ分かりきっているだろうに、律儀にそう聞いてくる古泉に、俺は笑って頷いた。 「俺の方こそ、…その、……頼む」 「…嬉しいです」 ふわりと微笑む古泉が、愛しくて、抱きついた。 それから、俺は長門を振り返り、 「長門、俺たちが一緒に暮らすことになったら、お前も一緒に暮らさないか?」 と声をかけた。 なんら不思議でもないはずの言葉に、どうしてか、長門は大きく目を見開いて驚きを表した。 「どうした?」 「…いい、の?」 戸惑うように聞く先は、俺ではなくて古泉だ。 古泉はにこにこと、 「どうして反対されると思うんです? 大歓迎に決まってますよ。あなただって、僕たちの娘、でしょう?」 と言わずもがなのことを言ってやった。 言わなくても分かるだろう、と俺は思ってたってのに、どうやら長門にとってはそれが必要な一言だったらしい。 言葉も出ないほど感激した様子で俺たちに抱きついてきた。 それを強く抱きしめてやりながら、 「これからは、長門じゃなくて、有希って呼ばんとな」 と呟くと、長門……有希がこちらを仰ぎ見る。 「これまでも、そう呼びたいとは思ってたんだが、一度呼び方が定着するとなかなか変え辛くてな。…それで不安にさせたなら、悪かった」 ふるふると有希が首を振り、その顔を埋めるように抱きついて来る。 古泉が静かに注ぐ視線も優しそうでいとおしげで、こちらが暖かい気持ちになった。 さて、それからがまた一騒動だったことは言うまでもない。 古泉があちこちに奔走してくれたおかげでいくらか抑えられたはずだとは思うのだが、それでも凄い騒ぎだった。 うちの親にしてみれば、息子が男と付き合っているということに加えて、男なのに妊娠しちまったと言う予想だにしない展開に、卒倒しないのが不思議なくらい驚かされていたし、本当なのかと大騒ぎした。 …まあ、あれこれ検査した結果を提示して――それどころか検査に立ち会って腹部のエコー映像を生で見せることまでして――納得したら、案外あっさり認めてくれたのは助かったか。 それも、子供がいるなら仕方ない、と言うよりはむしろ、本当に子供がいるなら今から準備しないと間に合わない、とかなり乗り気であれこれ整え始めたのには、こっちが驚かされた。 俺の順応性の高さはこの両親から受け継いだんだなと、盛大に納得させられたとも。 それから、俺が妊娠した、ということは俺の両親や機関の関係者他ハルヒの力を知ってる人間を除いた周囲の人間にはあくまで伏せられたのだが、日に日に大きくなっていく腹を隠し通そうと、急病でしばらく入院、ということになった時には当然ハルヒが見舞いに行くのなんのと騒いだ。 実際、ハルヒが見舞いに来ると言うことになって、これはとうとう伏せられないぞとあせっていたところで、古泉が一世一代の大嘘を考え出した。 俺が実は、半陰陽だった、という大嘘である。 だから俺が妊娠した、と。 ――男が妊娠し得るとハルヒが思えば、世界中にその影響が出ると思えば、改変されたところで俺一人で収まる方がいいということは分かる。 それにしたって、よくそんなことを思いついたものだ。 お前にはきっと詐欺師になれる才能がある。 「酷いですね。これも、有希と相談してのことなんですよ? あなた一人であれば、有希が治せるから、そうしたんです」 「どっちにしろ、大嘘だろうが」 「残念なことですが、まさか本当のことを言ってしまうわけにもいきませんから」 「お前は本当に、そういう荒唐無稽な嘘を吐かせるとうまいよな。ちょっとした嘘はそう得意でもないくせに」 毒づくように呟きながら、俺は視線を伏せる。 そうすると見えるのは、病院のツルツルした床くらいになる。 病気での入院ではないし、出産が近いとはいえ間近というほどでもないから、入院着を着ているわけでもない。 ただ、大きく膨らんだ腹が目に入って、何故だか泣きそうなほど切ない気持ちになった。 「……なあ、古泉」 「一樹と呼んでくださいよ」 苦笑しながら言う古泉が、しゃがみこむようにして俺の顔を下から覗き込む。 「もし……お前が俺のこと騙してるなら、本当は全部嘘なら、最後まで…騙し通してくれよ」 「何を言い出すんですか」 驚きに目を見開く古泉に、俺は顔を醜く歪めながら言う。 「だ、って、怖い、んだ……。今に、なっても、まだ…、なんで、お前がそこまで俺のこと、好きでいてくれるのかとか、大事にして、くれるのかとか…分かん、なく、て……」 「…不安になりました?」 驚きを引っ込めた古泉は、優しく俺を抱きしめた。 腹が膨らんでいるせいでぴったりと抱きつくことは出来ないが、そうして触れられるだけで、ささくれ立ったような気持ちがいくらか落ち着くのを感じた。 「不安、なんですよね。無理もありません。お互いにまだ未成年なのに、妊娠して、出産なんて、不安で仕方ないでしょう。ましてや、あなたは男性で、本来なら、こんなことになるはずはなくて。……でも、だからこそ、僕は幸せでなりません。この奇跡が、嬉しくてならないんです。あなたは不安で…こんなに震えているのに、喜んでいてすみません」 優しく囁きながら、古泉は俺の背中を撫で、そっと頬にキスをする。 「愛してます。嘘でも、作られた思いでも、勘違いでもなく、僕はあなたが好きです。陳腐ですけど、あなたがいてくださらなければ、この世の何もかもが色あせて見えるほどに、僕にとってはあなたが重要で、大切なんです。だから、」 と古泉は少しだけ意地の悪い笑みを見せた。 「今は、マタニティ・ブルーで、普通の精神状態じゃないから許してあげますけど、もし、そうじゃない時にまたあんなことを言ったら、今度こそ許しませんからね」 「あんな、こと、って…?」 「僕が嘘を吐いてるのかも、なんて、疑うことですよ」 その目に、かすかなものではあるが、怒りめいたものが滲み、気圧される。 なんで、そんな、怒るんだよ…。 「……全く、僕があなたを騙している? なんで僕があなたを好きなのか分からない? 僕はそんなに信用なりませんか?」 苛立ちを含んだ声で言われ、びくりと体が竦んだ。 俺は別にそう言いたかったわけじゃない。 古泉が信じられないんじゃない。 信じられないのは、自分の方だ。 いつまで経っても、どんなに優しくされても、言葉で告げられても、古泉が俺を好きだと言ってくれるのが不思議で、そんな価値が自分にあるのかと思ってしまう。 「泣かないでください」 まだ泣いてない、と返す気力もない俺の頬を、古泉が優しく撫でる。 「…あなたの涙は、とても綺麗ですけど、見ていると切なくなりますから」 そんなことをどこまでも優しく言うから、余計に涙腺が熱くなる。 視界が歪みそうになったところで、古泉が柔らかく微笑んで言った。 「退院したら、一緒に暮らせるんですね。楽しみです」 「ん……」 「あなたの家に同居させていただく、というのが少々もったいないような気もするんですけど、育児がある以上、仕方ありませんよね。ある程度子供が大きくなったら、家族四人で暮らせるところを探しましょうね」 「そう、だな」 頷く俺の髪を撫でて、古泉は楽しそうに囁いた。 「新婚旅行は、有希も、この子も連れて」 そう言って、俺の腹をそっと、愛惜しみ、慈しむように撫で、その手の平を触れさせたまま、誓うように告げる。 「あなた任せにしたりせず、あなたと一緒に子供を育てると誓います。あなたたちを守ってみせます。だから、あなたは何も心配しないで、この子を産むことだけ、考えていてください」 「……ん…」 じわり、と滲んだ涙が玉を作って零れ落ちる。 それを当たり前のように舐め取って、古泉は俺にキスをした。 「愛してます」 「…俺も、愛してる……」 嬉しそうに笑う唇に、自分のそれを重ねて、 「どこにも、…行くな、よ…」 「行きませんよ。あなたの側にいないで、どこにいろって言うんです? 本当は、高校にも行かず、ずっとあなたについていたいくらいなんですからね」 「それはだめだ」 厳しく言ってやると、古泉は小さく声を立てて笑った。 「あなたのそういうところも、好きです。でも、遠慮はしないでくださいね。…夫婦になるんですから」 「…ああ」 答えて、古泉の首に腕を回し抱きつく。 密着出来ないのを寂しいなんて思うのは、俺がこんな情緒不安定に陥っているからに相違ない。 でも、そうでなくてもきっと思っただろう。 こいつといられてよかった、ということだけは。 |