僕には双子の兄さんがいる。 兄さんは、平々凡々な顔の僕とは違って綺麗な顔をしているのに、自分の外見が持つ効力と言うのをまったくと言っていいほど分かってない人だから、僕はいつも兄さんを守るのに必死にならざるをえない。 幸か不幸か、兄さんは決して馬鹿でも愚かでもない、むしろしっかりした人だ。 それならきちんと話せば自分が他人からどんな風に見られているかなんてことくらい分かってくれるはずだというのに、そういうところだけは分かってくれない。 「お前の目がおかしいんじゃないのか?」 なんて、あっさり返すだけだ。 この性格は間違いなく母さんに似たんだなと思う。 外見は、派手と言っていいほど綺麗な父さんにそっくりなのに、どうしてここまで母さんそっくりの、人から寄せられる好意や悪意に対して鈍感な人になってしまったのか、理解し難い。 僕はと言うと、あっさりとして平凡な外見は母さん似、妙な陰謀癖や斜に構えたものの考え方のような中身は父さん似という、損なんだか得なんだかよく分からない感じに生まれ育ってしまった。 兄さんや父さんが変にもてることであれこれトラブルに巻き込まれるのを見てると、十人並みであって決して悪くはない母さんに似たことは幸いかも知れないとも思う。 それに、この顔だと僕のことを侮る人の方が多くて、僕も色々とやりやすいのだ。 兄さんみたいに、見るからに頭がよさそうな人だと最初から警戒されてしまうかもしれないけれど、僕の場合それはない。 だったら、それを利用させてもらうまでだ。 薄く唇を歪めた僕の頭を、兄さんが隣りから軽く小突いた。 「お前、またなんか企んでるだろ」 「そんなことはありませんよ」 少なくとも兄さんの害になることは少しも考えてない。 「…胡散臭い。何でお前はそういうところばっかり親父に似ちまったんだ」 「どうしてでしょうね。理由は僕にもさっぱり分かりません」 もしかしたら、兄さんを守らなければならないと言う使命感のなせる業なのかもしれないけれど。 嘆かわしげにため息を吐く兄さんは、外見はともかくとして、本当に母さんそっくりだ。 「敬語」 「はい?」 「敬語は止めろって言ってるだろ。人前でだけなら我慢出来ないでもないが、何で家の中でまでそんななんだ、お前は」 「それは勿論、外でボロを出さないためですよ。父さんだってそうでしょう?」 「だから俺はあの親父が好きじゃねぇんだよ」 唸るように言った兄さんに、僕は慌てて聞く。 「じゃあ、僕のことも好きじゃないんですか」 「……あのな、」 兄さんは眉を寄せながら口元で笑うという器用なことをしながら僕の頭を撫でてくれた。 「嫌いだったら、わざわざ休日に、他の友達の約束を断ってまで、お前と二人だらだらDVDなんか観てると思うか?」 「…だって、兄さんはお人好しだから、放っておくのは心配なんですよ…」 「お人好しってのは自覚してるが、心配されるほどか?」 「そうですよ。友達の約束を断ってもらったのも、兄さんだけで遠くまで行かせるのが心配だからで……」 「だから、お前も来ればいいって言っただろ?」 「嫌ですよ。なんでそんなことしなきゃいけないんですか。僕が一緒に過ごしたいのは兄さんだけで、兄さんの友達なんかに興味はないんです」 もちろん、 「……ほんと、お前って何でそんな風になっちまったんだろうな」 兄さんは深い深いため息を吐いたかと思うと、小さくにやりと笑って、 「ブラコン」 とまるで悪口を口にするように言ったけれど、僕は微笑を返して、 「事実ですから、そう言われてもどうってことありませんね」 「そうかい。……つうかお前、俺に嫌われたくないんだろ?」 「そうですよ?」 「だったら、さっき言ったこと聞けよ」 「さっき言ったこと…ですか?」 「敬語はやめろ」 「……分かった」 本当は、他の誰よりも兄さんにこそ敬語を使いたいんだけどな。 兄さんをこそ、僕は尊敬しているのだから。 「家では敬語で話さないようにしたら、嫌いになったりしない?」 「…まあ、元から嫌いになれるとも思っちゃいないんだがな」 からかうように笑った兄さんが、僕の鼻先を軽くつつく。 「腹の中からの付き合いだろ。しかも腹ん中に余計なくらい長くいたって言う話だからな。生まれてからだって…十三年、か? 愛想尽かすならとっくに尽かしてるだろ」 「本当に?」 「おう。あんまりべたべたしてくるのはちょっと困るけどな」 「…兄さんが困るならしない」 本当は抱きついたりとかしたいけど、我慢出来る。 そう思ったのに、 「ばか」 と兄さんは優しく僕の頬を抓った。 「ちょっと、って言っただろうが。今更お前がまともな距離を保つようになったらそれこそ天変地異の前触れかと思うだろ。気にせずに甘えてろよ。お前、俺にじゃないと甘えられねぇんだし」 「だ、って、それは……」 「恥かしいんだろ? まあ、俺も、姉さんに甘えるのは恥かしくてなかなか出来んが」 ぴくり、と自分のこめかみの辺りが引き攣ったのが分かった。 何もここで姉さんのことを持ち出さなくてもいいのに。 「…兄さんって、本当に姉さんのことが大好きだよね」 「ん? まあな。勉強にしろ何にしろ、一番世話になってると思うし、ある意味理想の人だからな」 照れ臭そうに笑った兄さんに、僕は思い切り抱きつく。 「…僕は、好きじゃない」 「なんでだよ」 「兄さんが、姉さんのことばかり好きって言うから」 「……お前なぁ…」 困惑気味に呟きながらも、兄さんは優しく笑ってる。 「お前のことも好きだぞ?」 「姉さんと比べたら姉さんの方が好きなくせに」 「不貞腐れるなよ」 参ったな、と呟いて兄さんは僕の背中を、赤ん坊にするみたいに優しく叩いた。 宥めるように、あやすように。 「つうか、お前が好きじゃないって言うのは、好きってことだろ」 「…は!?」 なんでそうなるんですか!? 「実際、そうだろうが。嫌いなら嫌いではっきり言うだろ。特に、俺には遠慮なく」 「それは…そうだけど……」 でも、だからって姉さんのことを好きかと言われると頷き難いものがある。 あの人は、僕にとって兄さんを間に挟んだライバルのようなものであることも間違いないことなんだから。 「要するにお前は、何をやっても姉さんには敵わないのが悔しいだけなんだよ」 ニッと意地悪に笑った兄さんは、僕の複雑な表情に歪む顔をつついて、 「俺も、姉さんには敵わないとは思うが、だからってお前みたいに張り合おうとあれこれ頑張ってみたりする気にもなれんからな。…お前のそういうところは、結構好きだぞ」 「……なんか、兄さんの見る世界は綺麗そうだね」 思ったことをそのまま口にすれば、兄さんは訝しげに首を傾げた。 「なんだそりゃ。世界なんか誰が見ても同じだろ」 同じであるはずがない。 世界なんて、身長が変わるだけでも違って見えるような不安定なものなんだ。 兄さんくらい綺麗な目で見る世界は、僕のそれよりずっと綺麗で、濁りも歪みも少ないに違いない。 僕の世界は、こんなにもひねくれているのに。 でも、だからこそ兄さんが好きだ。 そんな兄さんと、兄さんの住む綺麗な世界を守りたいと思う。 だからとりあえず、 「この間から兄さんにちょっかいかけてきてるコーラス部の部長に、制裁を与える許可を」 「……お前、そういうところは妙に姉さんに似てるんだよな。――当然、却下だ」 「どうして?」 「当たり前だろ。大体、制裁って何するつもりだよ」 呆れたように言う兄さんに、僕は滅多に見せないような満面の笑みを見せつける。 「具体的に、聞きたい?」 兄さんはげんなりした様子で目をそらし、 「……やめとく。その方が俺の精神衛生にはよさそうだ」 そう、それでいいんだ。 兄さんは知らなくっていい。 僕が勝手にすることなんだから。 「兄さんが困るようなことにはしないから、許可してよ。僕も、兄さんを守りたいんだ」 「つったってな…。あの人も悪い人じゃないんだから……」 「じゃあ聞くけど、」 と僕は渋面を作り、 「双子なのに全然似てないのねって俺のことを面と向かってせせら笑って行くような人を、兄さんは庇うの?」 「やっちまえ」 間髪入れずに言った兄さんの眉が寄って、眉間に皺が出来ている。 そんな反応が嬉しくて、 「ありがとう。…大好きだよ、兄さん」 そう言って兄さんの体に体重を預けると、そのままずるずるとソファの上で横になることになる。 でも、そんな風に押し倒されたって、兄さんは苦笑するだけだ。 「この甘ったれ」 なんて言いながら僕を抱きしめ返す。 そうしておいて、恥かしくなりでもしたのか、目をテレビの方に転じて、 「…あー、くそ。お前がわざわざ観たいって言うから借りてきてやったのに、なんだか分からんうちに終りつつあるじゃねえか」 「それなら、もう一度観ればいいだけだろ。時間はたっぷりあるんだしさ」 「だったら離れろよ、この変態ブラコン野郎」 そんな棘のない声で言われたって、離れられない。 「嫌なら本気で抵抗してよ。兄さん」 蹴りくらいは覚悟してるから。 でも兄さんは、僕が胸に頭を押し当てても、本気で抵抗なんてしやしない。 僕たちは抱きしめあった状態でもう一回DVDを再生し直し、気がつけばそのまま眠っていた。 目を覚ました時には、ブランケットがきちんと掛けられていて、部屋の中に他の人間の気配があったのには驚かされたけれど、うちではままあることだ。 「ん…?」 「起きた?」 と聞いてきたのは姉さんだ。 「帰ってたんですか?」 返事は小さな頷きひとつだ。 …我が姉ながら、いつもよく分からない人だ。 いや、人じゃなくて宇宙人だからなのかもしれないけど。 これでも、昔と比べるとはるかに感情表現も豊かになったって言うんだから、昔はどれだけ無表情に無感情だったのか、想像することも出来ない。 「この季節に、そんなところでの昼寝は勧められない。風邪を引く危険性が高い」 「大丈夫ですよ、少しくらいなら」 「だめ。…兄さんが好きなら、大事にしてあげて」 「……」 そういう風に兄さんのことを持ち出されると弱いと分かってて言ってるんだろうな。 僕は軽く肩を竦めて、 「姉さんって、なんでも出来るんですよね」 「そんなことはない」 「そうですか? まあ、事実はどうであってもいいんです。僕にとっても兄さんにとっても、姉さんは万能で、越えられない人なんだなってことは確かに感じていることですから。だから僕は、……姉さんのことがあんまり好きじゃありません」 「…知ってる」 ほんの少し、傷ついたような響きが、無機質な声に滲んだ。 「でも、」 と僕が言葉を続けてしまったのは、今日、兄さんとあんな話をしたせいでもあるし、何時間かとはいえ大好きな兄さんを独り占め出来たからでもあるんだろう。 「…嫌いじゃ、ないです」 「……ありがとう」 そう言った姉さんがかすかに微笑む。 その笑みの綺麗さは、どこか兄さんの笑みと似ていて、ずるいなと思った。 僕には出来ないような、優しくて柔らかくて、幸せな笑み。 幸せな、というのは笑っている当人がではなく、見ている方が幸せになるようなという意味だ。 「あなたの笑顔も同じ」 僕の考えていたことを見透かしたように姉さんは言い、そっと僕の頭に触れた。 どこか拙さのある動きは、母さんや兄さんのそれを真似しているように思えた。 「真似なんて、しなくていいです。どうせなら、姉さんのしたいように、姉さんのするように、自然にしてください」 「……ほら、」 僕の言葉に答えるのではなく、姉さんはそう言った。 「お母さんにもお父さんにも似た笑顔になっている。…私は、あなたの笑顔も好き」 それから、僕の言葉に答えるように、ぎゅっと僕を抱きしめてくれた。 姉さんらしく、ちょっと強すぎるくらいに。 小さな頃から馴染んだそれが、なんのかの言って反発して見せたりしていても、やっぱり心地好くて、思わず目を閉じると、 「ずるいぞ」 と声がして、背中に暖かさを感じた。 「兄さん?」 「姉さん、こいつだけじゃなくて俺も」 なんて姉さんに甘える兄さんを見るのは、いつもなら嬉しくない。 今だって、そんなにいい気はしないのに、つい笑ってしまったのは、兄さんが本当に嬉しそうな顔をして姉さんに抱きつきながら、僕のことも抱きしめてくれるからだ。 姉さんも、二人まとめて抱きしめてくれる。 二人の間に挟まれて、感じる幸福感は本当に暖かで、愛おしい。 「あったかい…」 思わず呟いた僕の耳元で、兄さんの笑う声が響く。 「んなこと改めて言うなよ。まるでうちが冷え切ってるみたいじゃねぇか」 「え、あ、ごめん。なんか、つい…」 「全く…何でお前はそこまで親父そっくりなんだ? 貧乏性っつうか、変に不幸好きなんだよな、お前ら。幸せなら幸せでそれを満喫すりゃいいのに、難しく考える必要性なんてないだろ」 「兄さんの言う通りなんだろうけどね」 今が幸せであればあるほど、この幸せがいつまで続くのか不安になる。 この幸せを守りたいと思ってしまうんだ。 苦笑した僕の頭を優しく撫でて、姉さんが言った。 「…まだ、いい。私もお父さんもお母さんも、あなたたちを守ってみせるから」 「姉さん…」 兄さんも頷いて、 「姉さんがこう言ってるんだ。お前まで難しくあれこれ考えなくていいだろ」 「…そうだね」 なら、もう少しだけ、この幸せを味わいたい。 「もう少しなんて言うなよ」 咎めるように言った兄さんが僕の頭を優しく叩く。 「ずっと幸せでいたって、バチなんか当たりやしねえんだから」 「そうかな?」 「そうだよ」 「…兄さんが言うなら、そうなのかもしれないね」 くすくすと笑ってしまった僕に兄さんは渋い顔をして、 「お前、俺のことバカにしてるだろ」 「してないよ。するわけないじゃないか」 「本当か?」 疑うように言いながら、兄さんが僕の首に腕を絡める。 そのまま真似事とはいえ絞められそうになったところで、 「ただいまー」 と母さんの声が聞こえてきた。 「お帰りー」 と兄さんは僕の首に手を掛けたまま返し、僕も引き攣った声で、 「お、お帰りなさい…」 と返して、母さんを硬直させた。 「…何やってんだ、お前ら」 文句は兄さんに言ってもらいたい。 しかし、兄さんは悪びれもしないで、 「こいつが構って欲しそうだったから、姉さんと二人で遊んでやってるところなんだ」 「…あんまり弟をいじめてやるなよ」 ため息混じりに言った母さんの背後から、父さんがひょっこり顔を見せる。 今日は一緒に買い物に行っていたのだ。 長々と一体どこで何をしてきたんだか。 「兄弟仲がいいのはとてもいいことですけどね。なんだか、孫の顔も見れないんじゃないかと心配になってきそうな絵面です」 「っておいこら、それをあんたが言うのか」 反射的に突っ込んだのは兄さんで、僕はため息を吐くしかない。 父さんが自分たちのことを棚に上げるのはいつものことだ。 姉さんは僕たちからそっと離れたかと思うと、いそいそと母さんに近づき、 「…可愛かったから撮った」 と言って携帯を見せたのだが、そこに何が映し出されていたのやら、母さんが再度硬直した。 何事かと思って覗き込んだ画面には、重なって昼寝をする僕たちの姿が映っており、なんというか……母さんの硬直の理由がよく分かった。 「……ここは説教をするところなのか? それとも諦観と共に受け入れるところなのか…?」 なんてぶつぶつ言ってる母さんに、僕と兄さんは苦笑と共に顔を見合わせる。 「心配しなくていいですよ。僕は兄さんのことを弟として慕ってるだけですから」 「そうそう。女の子に興味ないってわけでもないから、安心しろって」 母さんは、嘆かわしげにため息を吐き、 「…本気で心配になってきた」 と呟いた。 …ちゃんとフォローしたつもりなのに、なんでそうなるのか聞きたいくらいだ。 首を傾げた僕と父さんの目が合う。 父さんは困ったような笑みを寄越して、 「それが分からないうちは、まだまだ心配要らないってことかもしれませんね」 と言い、余計に謎を深めてくれた。 母さんは父さんをじっと見つめて、 「…本当に心配要らないと思うか?」 「大丈夫でしょう。大体、まだ中学校に上がったばかりですよ?」 「そう言われればそうなんだがな…」 「僕としては、本人等が構わないなら、孫の顔が見れなくても構わないといえば構わないんですけどね」 ――と言うか、父さんも母さんも、それが子供たちの前でしていい会話だと思っているんだろうか。 思わずぽつりと呟いたところで、夫婦はそろって身を竦ませ、 「…き、聞かなかったことにしろ」 「……はいはい、了解しましたよ」 そういうところはもう子供じゃないから、別に構わないんだけどね。 「兄さん、大人の会話が始まるらしいから、僕たちは部屋で大人しくしてようか」 「え? 俺は姉さんが帰ってきたなら書庫で本を読みたいんだが」 「じゃあ、僕も一緒に行く。兄さんと姉さんを二人っきりになんかさせたくないし」 「…はいはい、好きにしろよもう……」 呆れたように言っていても、兄さんの声は優しい。 だから僕は兄さんが大好きなんだ。 もちろん、弟として、ね。 |