比較世界



「今度はまた別の世界のいっちゃんとキョンくんを召喚してみたいと思いまっす!」
と長門が宣言したのは、前回からほんの一週間が過ぎただけの日曜日のことだった。
前回、無力にも全く阻止できなかった俺と兄ちゃんは、揃って諦めのため息を吐くしかない。
どうせ今回も無駄だ。
それくらいなら覚悟を決めといた方がマシだろうという判断の元、俺は長門に、
「今度はどんなのを呼ぶつもりだ」
と聞いてみた。
長門は、今回は邪魔されないと喜んでか、にんまりと笑い、
「えっとねー、いっちゃんと同じで、本当は敬語でしゃべらないいっちゃんだよ。口は結構悪い方、かな?」
「へぇ、なんか面白いな」
口が悪い兄ちゃんとか、想像出来ん。
兄ちゃんは苦笑して、でも心配性の兄ちゃんらしく、
「口が悪いだけ? 中身まで荒っぽいとかじゃないだろうね?」
「その辺は大丈夫だよー。大体、キョンくんも一緒に呼ぶんだから、大丈夫に決まってるじゃん!」
そう言って長門は前回と同じく、スターリングインフェルノと称されているハルヒが作ったステッキを振り回した。
そうして、前回同様部屋のど真ん中に登場したのは――妙な二人連れだった。
いや、別の世界のとはいえ自分たちをそう呼称するのは非常に難があるわけではあるのだが、妙だとしか言いようがなかったんだから仕方ないだろう。
俺じゃない方の俺(ややこしいからキョンと呼んでおこう)は、どうやら掃除の真っ最中だったらしく、三角巾にエプロンをつけているのはともかくとして、なんでその両方ともがピンクで、しかも下に着ているシャツの背中が半分くらいめくれ上がっているのか、理由を聞きたいくらいだが怖くて聞けない。
でもって、兄ちゃんじゃない古泉(これも古泉でいいだろう)はというと、おそらく中学のものと思しきよれよれのジャージのズボンに見事な筆で「油淋鶏」と書いてあるが…なんて読むんだこれ。
覚悟を決めてたってのに度肝を抜かれ、俺たちはぽかんとするしかなかった。
その間に長門がひょいひょいと二人に近づいたかと思うと、
「異世界へよーこそっ、お二人さんっ!」
と満面の笑みで言った。
「異世界…って……」
驚きの表情のまま呟いたのは古泉で、その声で正気を取り戻したんだろうキョンが慌てて衣服の乱れを直した。
…本気でなにやってたんだこいつら。
「異世界は異世界だよっ。平行世界、って言ったら分かるっしょ?」
「…そう、ですね。なんとなくですが分かります。どの程度違う世界なんでしょうか?」
「んー…ハルちゃん含めてあたしたちの基本属性はおんなじだよ。未来人宇宙人超能力者って揃ってる。おっきく違うのはー、ハルちゃんには内緒にしてるけど、あたしがほんとはこういうキャラってこととか、キョンくんといっちゃんが実の兄弟ってところくらいかな?」
「じっ……実の兄弟ぃ!?」
本気で驚いたらしい古泉が俺と兄ちゃんを見比べる。
その表情は兄ちゃんじゃしないような顔だ。
なんていうか…凄く分かりやすく驚いてる顔。
俺たちはむしろその反応に驚かされた。
それを見て取ったらしいキョンが、
「ほら古泉、驚かせてるだろ。落ち着け」
「つっても…」
と何か言いかけた古泉は慌てて言葉を止めて、軽く咳払いした。
そのまま長門に視線を戻し、
「どうして僕たちを呼んだりしたんです?」
「え? 完全にあたしの趣味、娯楽のためだけど?」
「…な……」
今度こそ、キョンも一緒に絶句した。
俺と兄ちゃんはため息を吐く他ない。
と思ったら、兄ちゃんが苦笑混じりに、
「すみません。こちらの世界の彼女はこういう人なんですよ」
「はあ…」
呆れたように歯切れの悪い返事を寄越した古泉に、長門が笑顔で言う。
「ねえねえっ、言葉、崩していいんだよっ?」
「…そう、言われましても……」
「そうじゃないと呼んだ意味ないしさっ。観念していつも通り喋りなよー。あ、それともキョンくんが嫌かな? 見せびらかしたくない?」
聞かれた方のキョンは、困ったように笑いつつ、
「まあ、別にいいが……驚かせるんじゃないのか?」
「いーってば。ほらほら!」
急かされた古泉は、ちらりと俺と兄ちゃんを見つめ、それからキョンを見つめた。
それに対してキョンが軽く頷き返すと、やっとほっとしたように座りなおした。
どっかと胡坐をかいた古泉は、
「んじゃ、遠慮なく」
といくらか低い声で言い、
「自己紹介の必要はあるか?」
と俺たちに聞いてきた。
兄ちゃんはビックリしつつも、こいつにあわせて敬語を止めておくことにしたらしい。
「いや、いいよ。それとも何か言っておきたいことでもあるかな?」
「んー……」
天井を向いてしばらく唸っていた古泉は、
「…そうだな。ちょっとだけ」
と言ってキョンをいきなり抱き寄せると、
「こいつは俺のだから手出しすんなよ?」
「…っ、アホか!」
ビシッとキョンのパンチが古泉の顔面にヒットした。
加減してはいるんだろうが、凄い。
「なんでだよー」
「なんでも何もあるか! わざわざアホなことを宣言するな」
「アホってなんだよ。大事なことだろ?」
「うるさい。んなこと言うんだったらもう少しまともなことを言え。自己紹介のつもりならそれらしく、趣味は料理だと言うとかな」
その言葉に兄ちゃんが反応した。
「料理が好きなの?」
古泉は怪訝な顔をしつつ、
「…好きだけど……あんたも?」
「僕の場合、下手の横好きってところだけどね」
「へぇ、面白いな。そんなところで共通点があるのか」
古泉の関心がそれた隙に、その腕の中から逃げ出したキョンは、俺の隣りに避難してきたかと思うと、
「驚かせて悪いな」
と申し訳なさそうに言った。
「いや…別に、驚かされるのはいつものことだし」
「ああ、もしかして、ああいう長門が一緒だからか?」
そう言ってキョンが視線を向けた先では、長門が兄ちゃんと古泉の二人に、
「じゃあ二人で一緒に何か美味しいご飯作ってよー!」
とせびっているところだった。
…というか、もしかしてそれが目的で呼び出したのか?
二人が嫌がってない、むしろ乗り気なようだからいいのかもしれないが、本当に傍迷惑な奴だ。
……これで兄ちゃんが創作料理に挑戦したりしなければ、いいのだが。
俺は小さくため息を吐き、
「長門だけじゃないのはお前も同じだろ。ハルヒなんて大ボスがいるんだからな」
「それもそうか」
と笑ったキョンは、こっそりと、
「で、実際料理はどうなんだ? うまいのか?」
「うまいと思うぞ。とりあえず、俺にとっては一番」
「ああ、なるほど。…俺もそうだな。あいつ、変なところでマメだから、俺の好みにあわせて作ってくれたりするし」
「へぇ」
俺の場合、元々兄ちゃんの味が好みだからそういうのはないな。
「ただ、兄ちゃんの場合は、料理はちまちました作業も省かずするくせに、片づけが全然ダメっていう難点があるんだよな…」
と俺がため息を吐くと、キョンは薄く笑って、
「こっちもか」
「お前の方も?」
「うちの場合は、キッチンだけはピカピカにするんだが、他の部屋は全然片付かん、というか、人が片付けていく端から汚してくような有様でな。…キッチンだけ徹底してるだけに、余計に腹が立つぞ」
「それは…」
確かにそうだろうな。
片づけが出来るなら他の部屋もちゃんとしろと言いたくなるに決まっている。
本当に全然からっきしな兄ちゃんとどっちがマシだろう、と考えている俺の横で、キョンはため息を交えつつも柔らかく微笑み、
「…ま、完璧じゃないからいいってのもあるんじゃないのかね」
と呟いた。
その言葉も話し方も、なんだか俺とは全然違っているように思えた。
本当に俺と同じ奴なんだろうか。
それにしては、俺よりもずっと大人に思える。
この余裕には憧れるぞ…!
などと思っていたら、ひょいと戻ってきた古泉がキョンを背後から抱きしめ、
「あんた、何自分を口説いてるわけ?」
と言ってきた。
「くど…っ!?」
と慌てる俺とは違い、キョンはきょとんとした顔で古泉を見上げ、
「口説くって言うのか?」
「だぁあ…」
唸りながら肩を落とし、ついでにキョンをさらにしっかりと抱きしめた古泉はぶちぶちと、
「もう、この天然さが心配なんだよな…」
「重いぞ」
と文句を言いつつも、キョンは突き放そうとしてはいない。
ナチュラルにいちゃついている。
そのいかにも慣れてますと言うような自然なやりとりが、なんだか無性に羨ましかった。
そう思いながら、兄ちゃんはどうなんだろう、と横目で様子を伺うと、兄ちゃんは真剣に料理本を探している真っ最中だった。
……兄ちゃんの、ばか。
諦めつつ、俺はキョンに言った。
「なんか、羨ましいな。そうやって普通にいちゃつけて」
「そうか? お前らもこんなもんだろ?」
「んー…なんか違うんだよな…」
遠慮がないのだろうか。
兄弟とそうじゃない二人で、遠慮のあるなしの違いが出るというのも変だし、兄弟の方が遠慮してるってのも変なんだが。
「なんか、コツとかあるのか?」
思わずそう聞いた俺に、キョンは困ったように少し考え込み、
「…ほどほどに甘やかすけど、譲るべきでないラインは絶対に譲らない、ってところか? そう決めとくだけで、どこまで許容するかとかがはっきりするから、対処もしやすいんだよ。こっちからも、要求しやすいしな」
「はー…」
そういう線引きもろくに出来ずにぐだぐだになった経験のある身としては感心するしかない。
しかし、何でそんなことを考えるに至ったんだ?
「……前に、な」
とキョンは少しばかり遠い目をしたかと思うと、
「一度もめたんだ」
「もめたって…」
「軽い大ゲンカを」
「軽い? 大ゲンカ? 一体どっちなんだよ」
キョンはしばらく黙り込んでいたのだが、最終的にめんどくさくなったらしい。
「…とにかく、ちょっとばかりもめたんだ。で、その時に色々とルールを決めたんだ。ちゃんと明文化して、サインまでさせてな」
「そこまでしたのか」
「そうしないとこいつには効かないんだよ」
そう言ってキョンは古泉の額を軽く小突いた。
たしなめているはずの行為まで、いちゃついているように見える。
「ま、ルールは決めとけよ」
そう言ったキョンに、額を小突かれた報復のつもりだろうか、古泉が言う。
「でもさぁ、あれ、やっぱあんたに都合よく出来てねぇ? 結局、文章化する時にあれこれ付け足されたし。あんたに甘いと思うな」
「文句があるなら、わ」
「ありません。すみません。俺が悪かったです。だからそれだけは絶対勘弁してください」
早っ!
「別れる」の「わ」までしか行かなかったぞ!?
話し方とかワイルドでちょっとかっこいいと思ったのに、恐ろしく情けない。
「ほら、呆れられてるぞ、お前」
唖然としていた俺の表情から読み取ったらしいキョンがそう言うと、古泉は唇を尖らせて、
「別に、あんた以外の誰に呆れられたって関係ねぇよ。俺が気になんのは、あんただけだもん」
「開き直るな、ばか」
そう言いながらも、キョンは満更でもなさそうな顔をしていた。
……なんていうか、俺と兄ちゃんとはあまりにも違いすぎて、参考にはならなさそうだな、こいつら。

それにしても、ああだこうだ言いながら作られた料理がえらくうまかったのには驚かされた。
兄ちゃんの料理が一番だと思ってきた俺としては、目から鱗ものの衝撃だった。
兄ちゃんにも是非精進してもらって、料理の腕を上げてもらいたい。
ついでに言うと、食ってる間中、キョンが恥かしくなるほど幸せそうな顔をしていたのが、自分も同じ顔で似たような表情をしているだろうという自覚があるだけに、見ていてくすぐったかった。
古泉の嬉しそうを通り越して幸せに蕩けきった顔も。
だからあいつらは、あんなに仲がいいのかね?
俺はそんなことを考えながら、あいつらも長門もいなくなった、二人きりの部屋で兄ちゃんに甘える。
兄ちゃんの膝を枕に寝そべると、兄ちゃんが優しく俺の頭や顎を撫でてくれる。
「兄ちゃんは、あいつら見ててどう思った?」
「そうだなぁ…」
と考え込んだ兄ちゃんは、くすぐったそうに笑って、
「幸せそうだな、って思ったよ」
「…俺も」
「僕も、キョンにあんな顔をさせたいな」
「…してないか? 俺」
「……どうだろうね」
そう答えをはぐらかした兄ちゃんが、俺の唇を奪う。
「兄ちゃん、」
「うん?」
「…大好きだからな」
そう囁くと、兄ちゃんが幸せそうに微笑んだ。
あの古泉ほど蕩けた顔ではないのだが、それでも十分幸せそうな顔だった。
多分、俺にもあのキョンみたいな顔は出来ない。
でも、俺は十分幸せで、兄ちゃんといられることが嬉しい。
だから多分、それでいいんだろう。
それを伝えたくて兄ちゃんを抱きしめると、
「愛してるよ」
と囁かれ、さらに幸せな気持ちをもらった。