携帯の呼び出し音で目を覚ました俺は、布団の中からもぞもぞと手を伸ばして携帯を掴むと、掛けて来た人間を確認することもせずに通話ボタンを押した。 「ふぁい」 『おはようございます。まだ、眠ってらしたんですね』 聞こえてきた古泉の声に目が覚める。 妙な違和感を感じるが、それが何なのか具体的に指摘できない居心地の悪さに俺は首を傾げたが、古泉は、 『あの、今日…外で会う約束をしていたと思うのですが…』 「え? あ、今日…だったか?」 昨日の電話でそんな会話をしたかと思い返そうとするのだが、寝ぼけていてうまく頭が働かないのか、思い出せない。 しかし古泉が言うのだからその通りなんだろう。 穏やかな口調の下でどんな風に毒を吐かれているかと思うとぞっとする。 「すまん、すぐに行くから待っててくれ」 『はい、お待ちしてますね』 電話を切ってから、違和感の正体に気が付いた。 古泉が終始敬語で喋っていたせいだ。 あるいはそれは、外から掛けていたせいなのかもしれないが、何かが違う気もした。 ともあれ、せっかく一緒に出かけられるならとっとと行った方がいいだろう。 どうやら、俺の方が待たせてしまったようだし、これで更に待たせたりした日には、後でどんな目に遭わされるか分からん。 そう思いながらも、口元をだらしなく緩めて待ち合わせ場所へと走っていったってのに、そこにいたのは古泉じゃなかった。 その姿を見れば分かる。 そっくりな姿をしていても、そいつは俺の古泉じゃない。 拍子抜けして立ち尽くす俺を見つけたそいつも、別人だと分かったらしい。 困惑した様子で苦笑を浮かべると、俺の方にゆっくりと近づいてきた。 まるで、俺を警戒させないように注意するかのように。 「おはようございます」 律儀に声を掛けて来たそいつに、儀礼的に、 「おはよう」 と返してからはうまい言葉の掛けようもない。 違和感を感じたり、約束に覚えがなかったりするわけだ。 そもそも約束なんてしてなかったんだから。 そうため息を吐いた俺に、そいつは苦笑を漏らし、 「一体どうなっているんでしょうね」 と困ったように呟いた。 「そんなことは俺じゃなくて長門に聞いてくれ。俺にはさっぱり分からん」 「そうですね」 と答えたそいつだったが、しばらく考え込んだ後、情けなく眉尻を下げたまま言った。 「…すみませんが、あなたから連絡していただけますか?」 「ん? …ああ、まあ、別にいいが…」 「助かります」 そう言った表情が本当にほっとしたように緩んで見えたのだが…ひょっとしてこいつは、長門が苦手なんだろうか。 首を傾げながら、俺は長門に電話を掛けた。 長門にも、古泉と付き合っていることは言っていないのだが、こういう時に頼っても多分大丈夫だろう。 それに、長門が把握していないとも思えない。 ただ、わざわざ自分から言うのは嫌で、俺は単純に、 「古泉に呼び出されて会ったら、どうもいつもの古泉と違うんだが、何があったんだ?」 と聞いた。 長門は少し黙り込んだ後、 「…次元にズレが生じている。いくつかの世界で同様のズレが発生している。そのズレが古泉一樹の平行的移動」 要するに、古泉が入れ代わったということか。 つまり、この世界は俺のいる世界で間違いはないらしい。 となると、 「あいつはどこに行ったんだ?」 「他の世界。…大丈夫、明日の朝までには修正作業が完了する見込み」 「そうか。……頼むな」 呟くように口にした言葉には、同じSOS団員を心配するにしては想いが込められ過ぎていたような響きがあったが、長門は何も言わずにいてくれた。 俺が電話を切ると、別の世界の古泉とやらは、 「どうなっていましたか?」 と聞いてきたが、 「説明はお前の部屋でした方がいいだろ。お前にとっても」 「そう…ですか?」 首を傾げるそいつに、 「そうだろ。ほら、行くぞ」 と言って、そいつを連れて古泉の部屋に向かった。 「と言うかお前、部屋の様子なんかで、何か違うと思わなかったのか?」 エレベーターの中で俺が聞くとそいつは、 「違和感は確かに感じたんですけどね」 と苦笑しておいて、 「目が覚めたら約束の時間が迫っていて、慌てて飛び出したものですから」 なるほどな。 確かめる間もなかったってことか。 呆れながらドアを開けると、……いつものことだが、部屋が散らかっていた。 「あの、これはですね、別に僕が散らかしたわけじゃ…」 慌ててそう言い出すそいつに、俺は力なく笑い、 「分かってる。いつものことだからな。…全く、あいつときたら……」 「……そう言いながら、嬉しそうに笑うんですね」 「な…っ!?」 驚いてそいつを見れば、そいつは柔らかく目なんぞ細めながら、ドアを閉め、 「好きなんでしょう?」 「……俺、そんなに分かりやすいか?」 「どうでしょう? 僕だから分かったのかもしれませんが」 俺たちは、散らかった床の上をなんとか歩いてソファにまで辿り着くと、妙な疲れと共に座り込んだ。 「付き合ってるんですよね? あなたの知る僕と」 「…そうだが、その話の前に、長門の話を説明させてくれ」 そうじゃないと、お前も何がなんだか分からんだろ。 俺が言うと、そいつはくすりと笑って、 「ある程度聞こえていましたから、大体は分かりますが、説明していただけると助かりますね」 「分かった」 と請負って、俺は簡単に説明した。 ほとんど、長門に言われた言葉を適当に簡略化しただけの話だったのだが、それでもこいつにはちゃんと通じたらしい。 特に困った様子も見せず、口先だけ、 「困りましたね。別の世界に放り出されてしまったわけですか、僕は」 と呟いた。 「まあ、長門がなんとかしてくれるらしいから、大丈夫だろ」 「ええ、そう信じましょう」 そいつはそう言って、小さく笑った。 「……それはそうとして、」 俺はじっとそいつの目を覗きこんだ。 「…なんですか?」 怯んだように少しばかり仰け反って逃れようとするそいつに、 「…言葉」 「……は?」 「崩してもいいぞ。敬語は疲れるだろ?」 「……え?」 俺が言うと、そいつはぽかんとした顔をした。 それは別に見抜かれて驚いたとかそういう様子にも見えなかったので、つまりは本当に驚いたんだろう。 「…あれ? そんなところも違うのか?」 てっきり同じだと思ったんだが。 「ええと…どういう意味でしょうか」 「俺の知るあいつは、外でしかそんな丁寧な口は聞かないんだ」 「はぁ」 「この部屋の中で俺と二人きりだったり、あるいは森さんとか機関の関係者しかいないところでもなけりゃ、崩さないがな。崩したら、凄いぞ。口が悪いなんてもんじゃないな、あれは」 自分では、こういう方言なんだって主張してたが嘘くさい。 「一人称は『僕』じゃなくて『俺』だし、俺のことは『あんた』って呼ぶし、ちょっと見てない間に、いや、俺が見てても、部屋を散らかしてこんなありさまにしちまうようなやつなんだ。おまけに、服装の趣味が悪いから、外に行く時に着る服は機関が買い与えたものしかないし」 「ああ、そう言えば変わった服がありましたね」 そう苦笑したそいつは、 「そんな風に言っても、好きなんですね」 と柔らかく微笑んだ。 俺の古泉なら外でしか見せないような感じの、余所行きの笑顔だ。 俺の古泉なら、もっと明るくて眩しいような笑みを見せてくれる。 あの笑顔が見たいと、強く思っちまった。 明日には会えると聞いてるってのにな。 「お前は、無理してないのか?」 俺が聞くと、そいつは苦笑して、 「僕も、これが全くの地の状態だとは言いませんけど、そこまで極端ではありませんね。今の状態も、ほとんど地に近いようなものです」 そうかい。 まあ、 「元の世界に戻れるまではここがお前の家なんだから、寛げよ」 俺はちょっと掃除でもさせてもらうとしよう。 「あ、僕も手伝いますよ」 「…出来るのか?」 「酷いですね」 と苦笑したそいつは、 「掃除くらい、出来ますよ。不安でしたら、ゴミらしきものを拾うだけにしておきましょうか?」 「……ああ、頼む」 「本当に、この世界の僕は掃除が下手なんですね」 何が楽しいのかそいつはそう笑っていた。 だから、だ。 ちょっとばかり余計なことを言ってみたくなったのは。 「…お前は、心配とかしてないのか?」 「……心配、ですか?」 不思議そうに呟いたそいつに、 「元の世界に戻れないかもしれないとか、そういうことじゃなくてだな、その……お前の世界の俺が、お前じゃないお前と会って、どうしているかとか、心配じゃないのか?」 「そういうことを聞くと言うことは、あなたはそんな心配をしているわけですか」 「…っ」 しまった、墓穴を掘った。 「困った人ですね、この世界の僕は」 そう言って苦笑したそいつは、 「そんな不安を抱かせるようなことをしているわけですか?」 「違う! そんなんじゃ、ないんだ」 俺は慌てて否定した。 「違うんですか? てっきり、そうだと思ったのですが…」 「う……」 そりゃ、な。 全く心配してないわけじゃない。 あいつはあの通りのお調子者だし、いい加減なところも多い。 大体、俺のどこが好きなんだと聞いたら、真っ先に「背中」なんて答えるような奴だ。 信用ならないといえば信用ならん。 だが、それでも俺は、 「信じてる、から…そこまで心配は、してない」 俺がそう答えると、そいつは優しく笑って、 「僕も、同じですよ」 「同じって…」 「僕の好きな人は、少しばかり危なっかしくて、同じ世界にいても、目を離しているだけで心配になってしまうような人なんですけどね。それでも……かえって、これだけ離れてしまうと信じていられるんです。どんなことがあってもあの人はきっと僕と他人を見間違えたりなんてしないと信じていますし、他の誰かに何か危ない目に遭わされることもないと思えるんです。…不思議ですよね」 くすぐったそうに笑った笑顔は、どこか俺の古泉の笑みと似ていた。 掃除がひと段落ついてから、俺が昼食を作った。 簡単なものしか作れない俺が、珍しくも料理なんてしたのは、ひとえに、古泉の聖域であるところのキッチンに、別の世界の同一人物とはいえ、別の人間(ややこしいな)を入れるわけにはいかないと思ったからだ。 大してうまくもなければ面白味もない食事を取りながら、 「お上手ですね」 とそいつは褒めてくれたが、 「俺の古泉の方がずっとうまい」 「それはそれは。…僕の世界のあなたは、料理なんてほとんど出来ませんよ」 「へぇ」 声に滲み出ないように、極力好奇心を抑えたつもりだったのだが、こいつにはお見通しらしい。 余裕ぶった笑みと共に、 「聞きたいですか?」 と問われる。 「何をだ」 「僕の世界のことです。たとえば……涼宮さんたちとの関係とか」 「ハルヒ?」 なんでハルヒが出てくるんだ? 「僕と彼の仲は、涼宮さんが取り持ってくださったと言っても過言ではありませんから」 「……は?」 本当の話か? 驚く俺に、 「その辺りもどうやら違うようですね。あなたの話も、是非聞かせてください」 そう笑って、そいつは話し始めた。 ハルヒが俺を女装させたと聞いた時には血の気が引くかと思ったのだが、それが似合っていたと言われ、更にはそれで自分の思いに気がついたと言われると、一応他人事ながら、くすぐったくなった。 きっかけがそれだったから、ハルヒにも完全にオープンにしており、うっかりと両親にもばれてしまったので、結果的に家族にも認められていると聞くと、少しだが、羨ましいような気もした。 「だが、」 と俺は苦笑混じりに言った。 「俺たちまでハルヒに認めて欲しいとは思わんな」 「どうしてですか?」 不思議そうに聞いてくるそいつに、俺は正直に答えてやる。 「そりゃ、ハルヒにばらしちまえば堂々と付き合える時間だって増えるだろうし、この部屋以外でも古泉が好きに出来るようになるんだろうとは思う。内緒にしていることについて、罪悪感や不安がないわけでもない。だが、それ以上に俺は、」 俺は自分の口元が勝手に緩んでくるのを感じながら唇を押さえ、 「…あの口が悪くてだらしなくて可愛い古泉を、独り占めしたいんだ」 俺の答えにそいつは小さく微笑み、 「本当に、愛し合っているんですね」 と羨ましそうにでなく、共感を示すように言ったので、俺は顔を赤くしながらも頷いた。 |