世界の交差点
  ヘタレ



古泉とデートをする、と浮かれていたせいだろうか。
日曜の朝、俺が目を覚ますと、俺はまたもや女になっていた。
…こう、ちょっとしたきっかけで簡単に女になるってのもどうなんだろうな。
そろそろどっちが自分本来の性だか分からなくなりそうだぞ。
…なんてな。
十数年男をやってて、今更女になりきれないことくらい、俺だってとっくに分かってる。
だから、何度女になってもまた男に戻るんだろう。
呆れながら、毎度調子よく様変わりした洋服の中から余所行きのちょっと大人びたデザインのワンピースを選び出す。
薄手のチュニュックと重ねて、ビーズのペンダントをつける。
化粧はしない。
やり方を知らないし、化粧品なんぞ持ってもないからな。
まだ早いってことなんだろう、多分。
興味が出たら買ってみてもいいような気はしたが、そうなると男に戻った時どうなるのかが気になる。
男性用の化粧用品に変わったりしたら目も当てられんなと下らないことを考えつつ向かった待ち合わせ場所にいたのは、古泉なのだが古泉じゃなかった。
分かり辛いが、その通りなのだから仕方がない。
姿形は古泉だ。
腹が立つくらい綺麗な顔立ちも、涼やかな立ち姿も古泉以外の何者でもない。
しかし、違う。
まず第一に、古泉のくせに女になっている俺を見て俺だと分かっていない。
それから、ちょっとした仕草や表情が違って見える。
どこか幼いというんだろうか。
俺の古泉もひとつとはいえ年下だが、ここまで幼い印象はないぞ。
何より、人待ち顔ではあるのだが、その目が反応する相手が髪の長い妙齢の女性ばかりである。
一体どういうことだ、と思いながらも、どうやら悪いものではなさそうな気がしたので、
「おい、古泉」
と声を掛けてやると、そいつは驚いたように大きく目を見開いた。
その目がじっと俺を見つめ、脳内で照合でもしているような顔つきになる。
だが結局、見覚えがないと判断したのか、ややあって、
「……ええと、どちら様でしょうか?」
と聞き返された。
やっぱりな。
俺はその質問には答えず、携帯をショルダーバッグの中から引っ張り出し、長門に電話をかけた。
「長門? 俺だ。今、俺の目の前に俺のじゃない古泉が間抜け面さらして突っ立ってるんだが、一体何が起こってるんだ?」
「え」
と声を上げたのは目の前の古泉だ。
俺はにやりと笑い返してやりながら、長門の話に耳を傾けた。
それを要約して伝えてやると、古泉は目を白黒させながらもどうにかこうにか理解してくれたらしい。
ちなみに場所は待ち合わせ場所から程近い喫茶店の一隅である。
流石に立ち話としては長くなりすぎる話だったからな。
「道理で、待ち合わせの時間が過ぎてもみくるさんが来ないわけですね」
苦笑した古泉に、ぴくりと自分の耳が動いた気がしたが、別に俺はそんな一発芸など持ち合わせてなどいないはずであり、であれば、そんなものはただの気のせいまたは無意識的な比喩表現に過ぎないのだろうが、そう感じるに値するだけの言葉を古泉は言ってくれた。
「…お前は、もしかして朝比奈さんと付き合ってるのか?」
「え? いいえ、違いますよ?」
あっさりといった古泉は、やはりどこか幼さを感じさせる頼りない笑顔で、
「僕は、僕の世界のあなたとお付き合いさせていただいています。もっとも、その人はあなたと違って男性なのですが」
「…俺だって男だ」
今は女だってのに、そう言われるとなんとなく癪でそう言うと、古泉がまたもや驚きに目を見開いた。
「えっ?」
「正確に言うなら、今は女だけどな。…時々、女になるんだ。多分、ハルヒのせいだとは思うが……」
俺の古泉――ええい、一々所有格を付けるのもめんどくさいし照れ臭い。便宜的に一樹と呼んでおこう―― 一樹は、俺が女になったりするのはハルヒのせいだけでなく、俺がそうなりたいと軽はずみにも思うからだという説を唱えているのだが、それはこの古泉には説明しないでおいた。
「それで、不自由はないんですか?」
「もう慣れたからな。それに、体が変わるだけじゃなくて、社会的認識なんかも変わっちまうから。それから、記憶も多少二重になる」
「それって大変なんじゃないんですか?」
お人好しの顔をして心配そうに言ってくる古泉に俺は軽く笑い、
「混乱するって程でもないからな。大体は男でも女でも俺の行動なんて変わらないらしいし。ちょっとした思い出が少しばかり変形するくらいで」
「そうなんですか?」
「ああ。例えば――」
どの例が分かりやすいかと俺は少し考え込んだ。
お袋に一樹を好きになったと相談した時の話が分かりやすいか?
それとも、ハルヒと二人で閉鎖空間に閉じ込められた時の話の方がいいか?
……いや、多分あっちの方が分かりやすいな。
「俺が古泉に告白しようとした時ってのは、俺が男の状態で、古泉がてそれを途中で遮って止めやがったんだ。それは立場がどうのって言うより、男同士で付き合うなんてことを俺にさせられないとかそういう理由だったらしいんだが。とにかく、そのせいで、俺は女になってやるなどと捨て台詞を残し、ハルヒに泣きつき、結果どうやらこんなことになっちまったんだが、その時のことを今この状態で思い出そうとするとそうじゃない、女としての記憶も出て来るんだ」
「はあ」
本当の、男としての記憶では、一樹が男同士だからと俺に告白する自由すら与えなかったとなっている。
だが、女としての作られた記憶では、俺に告白されるなどとは予想だにしていなかった一樹に、帰り道の途中で、話の流れと勢いに任せて俺が告白したことになっている。
予想していなかった、ということになっていることから分かるように、女としての記憶では、俺はちゃんと自分から告白することに成功しているわけだ。
自分よりずっと高い位置にある一樹の顔を見つめ、
「こんなこと、俺なんかに言われても迷惑なだけかもしれないが、」
と前置きした上で、
「…古泉、俺、お前のことが好きなんだ」
と告げた。
その俺に、一樹は呆然とした顔を見せた。
それまでに、俺が一樹をからかっていた時に見た顔とも違う、本当に驚いている顔で、そのくせ期待してはいけないと、冗談だと言われるのだと覚悟を決めようとしているように見えたのは、後々になってこうして思い返しているからだろうか。
「……冗談、ですよね…?」
「冗談な訳あるか!」
というか、お前、それは失礼極まりないぞと憤慨した俺に、
「すみません、とても、本当のこととは思えなくて……」
うろたえながら、少し考え込んだ一樹はしかし、途中で無理矢理思考を断ち切るように頭を振り、
「…あの、今、なんとお返事したらいいのか分からないんです。でも……ちゃんと返事はしますから、もう少し、時間をいただけますか?」
「……分かった。出来るだけ、早くしてくれ。余り待たされるのも……辛いから」
「すみません」
そうして、黙りきったまま、気まずく下校した――。
「…とまあ、そんな風に記憶が二重化してるわけだ」
俺が説明してやると、目の前に座っていた古泉は小さく声を立てて笑い、
「なんだか羨ましいですね」
と言った。
そりゃどういう意味だ。
「だって、そうでしょう? あなたとの思い出が二重になっているということは、思い出も二倍ってことじゃありませんか。それに、」
と古泉はにっこりと、一樹のそれとよく似た笑みを浮かべると、
「そこまで熱烈に愛されているあなたの古泉一樹が羨ましいくらいです」
「っ…!」
そう同じ顔で言われて、俺は瞬時に真っ赤になった。
うっかりしていたが、俺は自分の恋人と全く同じ顔に向かって延々惚気てたわけだ。
話している間は全然気にしていなかったのだが、そう言われて自覚すると恥じ入るしかない。
くすくすと笑った古泉は、
「どうぞ、お気になさらないでください」
などと余裕を見せている。
だから俺は古泉を睨みつけ、
「…お前んとこはどうなんだよ?」
と聞いてやったのだが、途端に古泉は笑みを引っ込めやがった。
なんだ?
一体どういうことになってるんだ?
「……悪い状態では、ないんだと思います。ただ、僕が不甲斐無いせいで彼を不安にさせてしまうようで……」
そう言って古泉はため息を吐き、
「少し、聞いていただけますか? 彼の並行的存在であるあなたになら、僕には思いつかないような解決策をもたらしてくれるかもしれませんし」
と妙に深刻そうに言ってきたので、
「解決策を提示できるかは分からんが……話くらいならいくらでも聞いてやる」
「ありがとうございます」
ほっとしたように笑った古泉は少し黙った後、
「…僕は彼とお付き合いしています。でも、対外的には僕の交際相手はみくるさんと言うことになっていて、実際、みくるさんとも親しくさせてもらっています。ただ、僕とみくるさんとしては、極々健全な友人関係に過ぎないのですが、そのせいで彼に不安を抱かせてしまうようで……」
「対外的には、ってことはハルヒへのカモフラージュか?」
「それもあります。ですが、そもそもは、僕が彼に片思いしていて、それを忘れるため、僕とみくるさんが付き合っていると言う間違った噂を利用させてもらおうとしたんです。…結果として、彼が僕への感情を自覚するに至り、今のような複雑なことになってしまったのですが」
「はー…」
そっちの方が俺たちよりよっぽど大変そうに思えてくるな。
「本当に、朝比奈さんとはなんでもないんだよな?」
「ええ、ただのお友達です。一緒にお出かけしたり、僕の部屋で一緒に料理やお菓子作りをしたりはしますけど……」
「………」
ちょっと待てよ、俺は今、一般的な男女交際と言うものについて考えてるからな。
若い男女が二人一緒に出かけたり、男の部屋で料理をする。
普通それは付き合っている以外の何物ではない気がするのだが、こいつは違うと言い張るつもりだろうか。
「……それ、付き合ってるって言うんじゃないのか?」
プラトニックとかそういう感じ、または、ままごと遊びみたいに。
「違いますよ」
意外とはっきり、古泉は否定した。
「僕と彼女の間にあるのは友情に過ぎません。趣味や食べ物の好みが合うので、一緒にいて楽しいですけど、でも、僕は彼といる時の方が楽しいですし、何より、みくるさんにときめいたことなんてありませんから」
ときめくとか、お前、男のくせに恥ずかしげもなく使うなよ。
朝比奈さんと趣味が合うということといい、どうやら随分と乙女チックな奴らしいと呆れつつ、
「しかし……そうなるとそっちの俺が妬くってのも分かるな」
「そう…でしょうか…」
しゅんと俯く古泉に、酷かもしれないとは思いつつ、はっきりと言ってやる。
「だってそうだろ。男と女が二人で会ってて、たとえ何ら体の関係がないにしてもそれなりに心が通い合ってんなら、それをどうやって友情と愛情と区別つけられるんだ? 少なくとも、傍目には無理だ」
「そう…なんでしょうね……。分かっている、つもりなんですが…」
古泉は頷きながらどんどん俯き加減が増していくが、ここで攻勢を緩めるつもりはない。
「いいや、お前は分かってない。お前がもっと分かりやすく、気持ちを伝えてやらないのが悪いと俺は言ってるんだ」
「きちんとお伝えしているつもりですし、彼にも伝わっているはずなのですが…」
「だったら、なんでそっちの俺はそんなに不安がるんだ? お前の気持ちが本当に自分に向いてるのか、朝比奈さんの方にも向いてるんじゃないのかって、心配になるからだろ。それはつまり、お前が伝え切れてないってことだ」
古泉はいくらか顔を青褪めさせ、反論もしなくなった。
「…鈍いんだか、単純に慣れてないんだか分からんが、そんなんじゃダメだろ。もっと分かりやすく、自信を持てるように愛してやってくれよ」
言うほどに、こいつの世界の俺が可哀想になってきた。
というか、あの朝比奈さんがライバルだと、たとえ騙されてでも思ったなら、俺ならさっさと諦めただろう。
それなのに、そいつは頑張ったんだ。
こいつに好きになってもらえるように。
それなら、どうしてそれが報われない?
今報われてないならこれから何があっても報われるべきだろ。
「…僕は……どうしたらいいんでしょう…」
「朝比奈さんと一緒に過ごすのをやめるって選択肢はないんだよな?」
それがあるなら、そもそもそっちを選んでるだろうし。
「だったら、カモフラージュとしてじゃない、二人で料理をするとかそういう時に、そっちの俺も混ぜてやったらいいんじゃないのか? 実際にやってることを見れば、思い違いだって分かるかも知れんだろ」
逆にこじれる可能性もないわけではないが。
「彼も一緒にですか? でも…彼は僕たちが作るようなお菓子とかはあまりお好きじゃなくて……」
「そうやって、変に気を回しすぎるからいけないんだろ」
まだ分からんのか、こいつは。
「惚れた相手なら、よっぽどじゃない限り嫌いになったりしないし、遠慮なんてしてもらいたくないもんだろ。なのにそうやって妙なところで気を遣って、何か秘密にしようとしたりするから、俺は不安になるんだ」
言いながら、これは自分のことだと思った。
一樹も、この古泉と変わらない。
俺のことを大事にしてくれるし、好きだと言ってもくれる。
だが、俺は別に壊れやすいものみたいに大事にされたいわけじゃなく、もっと自分のことを、も…、求めてほしい、とか、思いもする。
だから、そんな風に大切にされるだけじゃ、本当に好きでいてくれるのか不安になるんだ。
そんなことを言いながら、自分のことまで吐き出しそうになるのをぐっと堪え、涙が出そうになるのを我慢する。
「だから、嫌われるかもしれないなんて馬鹿なこと思わずに、もっと振り回してやれよ。お前のしたいようにしてやれ。…そっちの俺も、多分それを望んでるから」
「……いいんでしょうか。僕の好きにしてしまっても」
不安そうに言う古泉に、俺ははっきりと頷く。
「お前のしたいように愛してやってくれ。多分…それを望んでるんだろうからな」
「…はい、きっとそうです」
そう言って泣きそうな顔を歪めてやっと笑った古泉は、
「前に、彼にも同じようなことを言われたんです」
「……お前な、」
それでなんで出来ないでいるんだ、どこまでヘタレなんだと怒鳴らずに済んだのはひとえに、俺が本気で呆れ果てたせいだった。