メール



高校を卒業して以来最初の12月26日を、俺は昨日一昨日と同様に、実家の自分の部屋でだらだらと過ごしていた。
帰省したものの、特に会う相手がいるわけでもない。
いや、流石に大晦日あたりには国木田や谷口と会う約束をしてはいるが、その時あいつらの彼女を紹介されて、妬ましいのかなんなのか分からない気持ちになることまでほとんど決まっているかと思うと、余計に他のやつと顔を合わせるつもりにもなれず、引きこもるようにして過ごしちまっているだけなのだが。
あの谷口にすら彼女が出来たと言うのに、俺は相変わらずだ。
SOS団なんてものが、解散こそしてないものの、実質上ばらばらになっちまった今となっては、こんな俺を引っ張り出すようなお節介もいない。
それでも退屈して、携帯を弄っている時に、ふと思いついてメールボックスを開いた。
暇な時には要らないメールを消去していくのが意外と暇つぶしになるものだ。
時と場合によっては、要らないことまで思い出して腹立たしくなったりすることもあるがな。
むかむかしながら谷口の締りのないメールを削除して、他のも軒並み消していく。
重要なメールなんてものはほとんどありやしない。
そうしてどんどんメールが少なくなっていったメールボックスの中に、俺はひとつの異変を見つけた。
――もう一年近くも前のメールが、それもいくつも、残っていたのだ。
残されたメール群は新しいものでも今年の3月のもので、古い物になるとさらに数年を遡るほど古かった。
それを異変と言ったのは、俺が基本的に、要らなくなったメールは今日のような暇な日に削除するようなやつだからだ。
うっかり必要なメールを消してしまうこともあるくらい、さっさと消す。
それなのに、どうしてだと自分で頭を抱えたくなるほど、短くてちょっとしたメールまで保存してあった。
たとえば、無題で、
「明日の集合場所が変更になりました。駅前ではなく公園に集合とのことです」
なんて、今となっては間違いなく意味のないものまで置いてある。
けれどそのメールは、目を通すだけで勝手に送信者の声を俺に思い出させてくれた。
落ち着いた、穏やかな声。
ただ、どこか強張ったような、不思議な緊張感を秘めているような時もあった。
いくつもの無駄としか思えないメールはどれも、そいつからのものだけだった。
下手をすると、
「分かりました」
とか、
「はい」
なんて返答だけの味も素っ気もないようなメールまである。
何一つ、捨てられなかったかのように。
そうして読み返すだけで、胸がずきりと痛んだ。
どうしようもなく苦しくて、視界が歪みそうになる。
「……なんで、」
思わず呟いた声は情けなく震えていた。
「古泉、」
のメールだけ、と呟こうとしたのに、名前を呼ぶだけで後は続かなかった。
それくらい、胸の中が乱れて、考えることも出来なくなる。
フラッシュバックするように思い出されるのは、古泉の笑顔。
困っていても、楽しんでいても、文句を言う時さえ、あいつは笑みを浮かべていて、俺はそれが酷く嫌だった。
文句があるならそれらしい顔をして言えなどと、何度言ってやったかなんて、思い出せないくらいだ。
そのくせ、たまにあいつが真剣な顔をしているとどうにも落ち着かない気持ちになった。
「……ああ、そうか」
ひとりきりの部屋に、俺の呟きだけが響く。
「…好き、だったんだな」
そう認めてしまえばすっきりするかといえばそうではなく、ただ、自分の愚かさに笑いが込み上げてきた。
今頃気付くなんて、遅すぎる。
馬鹿としか言いようがない。
何せ、古泉とは完全に音信不通状態なのだ。
長門とはたまにメールをするし、ハルヒからは俺が黙っていてもメールや電話が来る。
朝比奈さんは未来に帰ってしまったから仕方がないとはいえ、古泉とはそうする努力さえしていれば、連絡を取り続けることも可能だっただろうに。
携帯にはまだ古泉の電話番号もメールアドレスも残っている。
ただ、それが使い物になるかと言うと疑問だった。
古泉の立場から考えると、あの頃の古泉が使っていた携帯は今はなき機関からの配給物か何かだろう。
それなら、もうあの携帯も番号もメールアドレスも使われていない可能性が高い。
せめて、古泉本人にちゃんと、卒業後の進路だの連絡先だのを聞いておけばよかったのに。
――そうしなくてよかったとも思ってしまうのは、あいつにとって最大のしがらみだっただろう「涼宮ハルヒ」の関係者である俺が、今更あいつに干渉するなんてことは、あいつにとっておそらく迷惑以外の何物でもないだろうということが分かるからだ。
今、あいつの連絡先を知っていたら、確実に時間も状況も弁えず連絡を取っていた。
そのまま、勢いに任せてとんでもないことを口走っていた。
そう思うくらい、自覚してしまった気持ちは大きく、重たい。
どうしてこれまで気付かなかったのか、不思議なくらいだ。
悔しくて、切なくて、涙が出た。
家族はもう眠っているし、こんな夜中に電話をしてくるような奴もいないだろう。
いたとしても出なければ同じことだ。
それなら、少しの間、泣いてたっていいはずだ。
そんな風に自分を納得させて、俺は涙を止めなかった。
膝を抱えて、声を立てないよう気をつけながら、時折しゃくり上げながら、どれくらいの間泣いていただろう。
不意に、携帯が鳴った。
電話は普通突然鳴りだすものだが、それにしたって今の状況で鳴り出されるのは心臓に悪い。
谷口辺りだったらただじゃ置かんぞ、と思いながら鳴り止むのを待つ。
今出たところで涙声しか出ないだろうからな。
しかし、電話を掛けてきたのは存外しつこい人間だったようだ。
留守番電話に自動で切り替わることもなく、何分間もコール音が鳴り続けるのに根負けして手に取れば、表示された番号には見覚えすらなかった。
掛け間違いだろうか。
ここまで必死ってことは何か弁明の電話だったりするのかね。
それなら、間違いだと教えてやるべきか。
俺は深呼吸をして無理矢理涙を止め、呼吸を整えると、意を決して電話をとった。
「はい」
ああくそ、やっぱりまだ涙声だな。
腹の中でそう毒づいた俺の耳に、
『もしもし、』
と恐ろしいほど懐かしい声が突き刺さった。
俺の名前を確認するそれに、答えることも出来ない。
止めたはずの涙が、またぞろ流れ出すのが分かった。
「こ…いずみ……!?」
『ああ、よかった。まだ、同じ番号を使っておられたのですね』
同い年のはずだというのにそうやって敬語を使う奴なんて、古泉以外にあり得ない。
間違いなく古泉だと思うと、喉が引き攣れた音を立てた。
『すみません。ずっと連絡も何もしていなかったのに、突然、それもこんな時間に電話をしたりして……』
そう言う古泉の話はほとんど頭に入ってこない。
「…うそだろ……」
驚きのままそう呟くのがやっとだった。
なんてタイミングだ。
劇的、いや、御都合主義にも程がある。
ハルヒが好きそうな展開かもしれないが、あいつの力はなくなったんじゃなかったのか?
『嘘じゃありませんよ。何かの罠という訳でもありません。ただ少し……』
と何か言いかけた古泉の声を遮るように、抑えきれない声が俺の口から漏れた。
慌てて口を手で覆ったが、気まずい沈黙が垂れ込める。
ややあって、
『……あ、の………泣いて、るん、です…か…?』
気付かれたと思うと恥ずかしくて、頭に血が上るのが分かった。
「――っ、お前の、せいだ…!」
『え』
戸惑う古泉にも構わず、俺は支離滅裂なことを口走る。
「なんでだよ…っ、なんで、今、このタイミングなんだ? どうして、昨日とか明日とか、もっとマシな時にしてくれないんだ。空気を読め! 頼むから。俺は、お前のこと、考えて…っ、どうしようも、なく、なっちま、って、のに……」
ひっく、と横隔膜が痙攣する音がした。
『え、っと、あの、すみません、状況が全く分からないのですが……』
「――古泉、」
目を閉じたのは、これ以上視界の歪みで涙を自覚したくないからだったのだが、そうすると余計に涙が頬を伝い落ちていくのが分かった。
目を閉じていると古泉の声だけが感じられる。
『はい…?』
戸惑いそのもののような返事に、自然と笑みが零れた。
どんな顔をしているんだろう。
俺の見たことのないような顔だろうか。
そう思うだけで、心臓が騒がしくなった。
それも悪くないと思えるのは重症だからで間違いない。
「…好きだ」
携帯の向こうで、古泉が息を呑むのが聞こえた。
言っちまった。
俺は本当に大馬鹿者だ。
いくらこのタイミングで声を聞くことが出来て嬉しかったとはいえ、こんな風にせっかく繋がりかけたものを断ち切るような真似をするんだからな。
しかし、自覚してしまった感情を押し留めておくことが不可能に思えるくらいには、最悪かつ最高のタイミングで電話を掛けてきた古泉が悪い。
俺を気味悪がるならその前に自分の間の悪さを恨め。
「好きだ。…ずっと、好きだった、みたいだ…。多分、いや…間違いなく……」
そう念を押しながら、俺は小さく笑った。
馬鹿でも何でもいい。
もう二度と機会がないかも知れないなら、こうして言ってしまった方が精神衛生上マシなはずだ。
事実、そう言っただけで俺はかなりの部分で満足していた。
少なくとも、膝を抱えて泣いてた時よりはずっといい。
『あ、あの…僕、ですよ? 古泉一樹です。誰か他の方とお間違えなんじゃあ……』
古泉はそんな間の抜けたことを言ったが、それが妙にカチンと来たのは、本気に取ってもらえなかったせいだろう。
「違う!」
自分でも驚くくらい声を荒げて、噛みつくように訴える。
「間違ってないんだ、お前で、あってる。お前に、古泉一樹に、言いたいんだ。だから、……っ、し、真剣に、聞いて…っ…くれよ…」
ぼろぼろ涙が零れ、呼吸器まで不全状態に陥りそうになる。
「お前が、好き…なん、だ…。お前の、声、聞けて嬉しい、し、お前に、…会い、たい…」
物理的にも苦しくなりながらそう訴えると、今度こそ退いたのか、古泉はしばらく黙り込んだ。
その沈黙さえ嫌でなかったのは、古泉がちゃんと考えてくれているらしいことが分かったからだ。
それでいいと思った。
むしろ、これでいいからと電話を切ってやろうと思った時、
『――分かりました』
「……はっ!?」
何が分かったって言うんだ?
やっと通じたということじゃないだろうな。
だとしたら鈍いにも程があるぞ。
『今から会いに行きます』
「はぁ!?」
それこそ一体何を言われたのかと思った。
が、どうやら古泉は本気で言っているらしい。
『今はご自宅に?』
「そりゃ、帰省中だからな…。けど、」
『でしたら、今すぐこちらを出れば二時間はかからないと思いますが、難でしたら眠ってしまっても一向に構いませんので、そのままご自宅にいらっしゃってください。そちらに着いたらまた電話します』
「え、ちょっ…」
と待て、と言う間もなく通話が切れる。
「……マジかよ」
有り得ん。
一体どこにいるのか知らないが、二時間近くかかるってことは結構遠方にいるんじゃないのか?
それなのに、今すぐ駆けつけて来る?
俺は――期待して、いい、のか?
そう思っただけで、どうしようもなく顔が真っ赤になるのが分かった。
眠っていいと言われても、そんな反応をされた上、浮ついた精神状態じゃ眠れるはずなどなく、俺はまんじりとも出来ずに古泉からの電話を待った。
電話が掛かってくるまでの約1時間半の間、それこそ古泉のこと以外何も考えられなかった。
あの卒業式の日以来変わってないのか。
それとも、やっぱり変わってしまっているのだろうか。
あるいは、演技なんてしていない古泉はどんななのだろうか。
そんなことを考えていると、それなりに待たされたという気もするのに、それ以上に、あっという間だったようにも思えた。
前回は何分間も鳴るに任せたそれを、今度はワンコールで取り、
「もしもし、」
と言えば上擦った声が出た。
『今、あなたの家の前にいます』
そう言った古泉の呼吸が荒いように思えたのは、多分気のせいじゃない。
それだけ急いで来てくれたのか。
「すぐ出る」
と答えながらも電話を切れないのは、切ってしまったが最後醒めてしまう夢のようにも思えるせいだ。
家族が起きるかもしれない、と思いながらも止められず、階段を駆け下り、玄関のドアをまごつきながら開ける。
そこには、高校時代にはとても見れなかったような必死の形相と、それにはいっそ不似合いなほどラフな格好をした古泉が立っていた。
その姿を見るだけで、どうしようもなく胸がざわつく。
「…っ、ヤバイ。また、泣きそうだ……」
自分をなんとかなだめたくて、わざと笑ってそう言うと、古泉も優しく笑った。
以前とはどこか違う、前よりも自然で柔らかい笑顔だ。
その笑みも、こうして来てくれたことも含めて、やっぱり好きだと思った。
間違いや勘違いじゃない。
「古泉…っ」
名前を呼んで、後数歩の距離まで近づくと、
「あの…本当に、僕のこと、を?」
不安そうに尋ねられた。
それにはっきりと頷き、それだけじゃ俺の方が足りなくて、
「好きだ。お前が、好きだ…」
会えただけで、こんなにも嬉しい。
嬉しすぎて、胸が潰れそうなほどに思える。
それなのに、それだけじゃなかった。
そのまま抱きしめられ、それこそ腰を抜かすかと思った。
「こ…っ」
「僕も、好きです」
息が止まる。
いや、全く予想してなかったわけじゃない。
ここまでの展開で、そうじゃなかったとしたらそっちの方がよっぽど驚かされるような超展開だ。
だが、はっきりそう言われることの衝撃というものは、覚悟していたからといって緩和出来るようなものでもないらしい。
言葉も出せない俺の耳元で、古泉が囁くように言った。
「今日、電話したのも、あなたの声が聞きたくて、我慢出来なくなったから、なんです。もう、ずっと、悩んで…考えて、たんですけど、あなたがもし、誰かと幸せなクリスマスを過ごすのだとしたらと思うと、もう堪らなくて、一昨日も、昨日も、電話したくなったのを、我慢したんです、よ? 今日になって、もう、邪魔にならないかと、思ったら、もう、止められなかったんです…」
うまく声が出ていないのは、古泉もそれだけ必死だからなのかもしれない。
「一緒にクリスマスを過ごすような奴なんていねぇよ」
そう笑ってやると、
「本当、ですか?」
「ああ。…もっと早く電話してくれりゃよかったのに」
そうしたら、俺からのこんなみっともない形じゃなくて、古泉から告白してくれてたかもしれない。
その時俺が自分の感情を理解してなかったとしても、古泉に好きだと言われたら、間違いなくそこで理解したはずだとも思うからな。
「…ずっと、好きだったんです。好き、なんです。あなたが、あなただけが…」
「俺も同じだ」
そう答えた俺の頬を涙が零れ落ちていく。
今度こそ、間違いなく嬉し涙だ。
それを古泉の指が拭い、
「一日遅れどころか、もう二日遅れになってしまいましたけど、今からクリスマスケーキでも一緒に食べませんか」
「ばか。わざわざんなことするまでもないだろ」
クリスマスを祝いたかったら、ちゃんと来年のクリスマスを待てばいい。
とりあえずは大晦日の予定を完全にキャンセルしてやるから、二人だけで二年参りにでも行くとしよう。
「…そうですね」
俺の浮かれきった言葉を笑いもせず、古泉は嬉しそうに頷いた。