古泉は俺より階級が上の幕僚総長、言ってみればうちの軍のナンバーツーであり、一応とはいえ作戦参謀なんてもんを押し付けられた程度の俺であれば、本来なら軽々しく話したりすることなどないはずなのだが、気がつけば今日のように古泉の部屋で茶など飲みつつ愚痴りあうようになっていた。 理由は簡単だ。 ハルヒのような傲岸不遜、傍若無人、天上天下唯我独尊な女上級大将を生み出した女性上位社会において、男というものは非常に肩身が狭い。 一般兵卒として役に立てば上等、というような扱いである。 そんな中、何の因果か作戦参謀だの幕僚総長だのといった幹部にまで引き上げられちまった俺たちとしては、余計に身の置き場がないのだ。 女性が大半で男は極少数というような男女比で構成された学校に放り込まれたことのある人なら分かってくれると思うのだが、女性が圧倒的に多数を占める空間において、遠慮や体面や恥じらいは存在しないと言っていいような状況に陥ることが多々ある。 ハルヒはその筆頭のような存在で、俺や古泉がいようがお構いなしに着替えを始めたり、 「あ、やだ、生理始まっちゃったかも。みくるちゃん、ナプキン持ってない?」 みたいなことを平然と言い放ったりしてくれるので余計に困る。 俺たちは速やかに部屋から逃げ出すか、聞かなかったフリをするしかない。 「ハルヒももう少し考えてくれないもんかね」 古泉に淹れさせたヤケにうまいコーヒーを飲みながら俺がそう呟くと、古泉はいつものように底知れぬ――しかし実際にはおそらく特に何も考えてないだけであり、底も何もないのだろう――笑みを浮かべたまま、 「それは、今度の作戦のことでしょうか? それとも日頃の言動についてですか?」 「両方だ」 それくらい分かれ。 「もしくは、いつまで経っても行動を起こさない彼女に、あなたも焦れておられるのかもしれませんね」 「……どう言う意味だ」 と聞き返しはしたものの、古泉の言うことはなんとなく予想がついていた。 それは古泉も分かっていたらしい。 「今更率直に申し上げるまでもないでしょう?」 とぼかした上で、 「いっそ押し倒した方が早いですよ、とでも進言して差し上げましょうか」 薄笑いを浮かべた古泉は、もう随分と以前から、ハルヒは俺に恋愛感情を抱いていると言う妄想に取りつかれているのだ。 可哀相なやつだと思うが、ハルヒになんとかして産休でも取ってもらい、数ヶ月でもいいから前線から引っ込んでもらいたいという気持ちはよく分かるぞ。 しかし、何でそうなるんだ。 「涼宮閣下を見ていればよく分かりますよ。あなたに必要以上に構ってみたり、あなたの反応が芳しくないので今度は冷たくしてみたり。実に可愛らしいではありませんか。彼女もまだ十代の女性に過ぎないのだと思える瞬間ですね」 「全く…人手不足だかなんだか知らないが、なんでこんな若い連中に一軍を任せるんだろうな」 「涼宮閣下については彼女がいわゆる天才であり、それに値する能力を持っているということくらい、周知の事実でしょう。その彼女が選んだからと、我々は今の位置にあるわけです。その期待を裏切らないよう、頑張りましょう」 それは言われるまでもないことだが、 「そのこととお前の日々の発言を合わせて考えると、ハルヒが俺を好きだから俺はこんな分不相応な位にいる、と言われてるような気がするんだが、俺の被害妄想か?」 「そういうつもりではないのですが、」 と苦笑した古泉は、 「お気を悪くしたのでしたらすみません。あなたは十分作戦参謀としてやっていけるだけの能力も素質もおありだと思いますよ。先日の作戦も、大変お見事でした」 古泉のような奴に手放しで褒められるむず痒さに俺は話題をそらすことにし、眉を寄せながら、 「大体、押し倒した方が早いってのはなんだ。お前は俺をなんだと思ってるんだ?」 「おや、今頃それを気にされるんですか?」 と古泉は悪戯っぽく笑いながら、 「しかし、あながち間違っていないと思いませんか? そうして直接的な行動に出れば、あなただって恋愛感情の存在を疑うなんてことは出来ないでしょう?」 「それにしたってだな…」 「それに、」 俺の言を遮って、古泉は言った。 「あなた、恋愛については特に受身的でしょう。ご自分から積極的に動かれることなんて、ないんじゃありませんか?」 そりゃ、俺は自分から誰かに告白したりだのなんだのしたことはないが、された覚えもないので、受身的とまで言われると面白くないな。 「それを言ったらお前も同じじゃないのか? どんな可愛い子に告白されようがことごとく断ってんじゃねぇか」 「驚きましたね。僕のことに関心を持っていただけていたのですか?」 「阿呆。――軍の内部に不安要素があると作戦を立てる側としても困るんでな。ある程度の情報は入ってくるようになってんだよ。もっとも、お前はあしらい方がうまいのか、後ろから刺されるようなこともなさそうで、その点は安心してるんだが」 「光栄ですね」 そう笑った古泉だったが、 「…僕がどうして断るのか、なんてことも考えていただけたんでしょうか?」 とどこか昏い笑いを見せたが、 「他に好きな人間でもいるんだろ」 俺があっさりとそう答えると、 「ええ、その通りです」 また柔らかなものに笑みを戻しながら言った。 …どうでもいいが、こいつはどうしてこうも笑いっぱなしなんだろうな。 微妙なニュアンスの違いも分かる自分のお人好しさ加減も、そろそろ笑えなくなってきてる気がするぞ。 「あなたにそうして分かっていただけて、嬉しい限りですよ。しかし、僕のことは置いておきましょう。今、お話し出来ることではありませんから」 そう言った古泉は不意に表情を引き締めると、常に浮かべている笑み――何しろ敵の艦隊に向かって一斉放射を命じる時すら笑ってるような不気味な野郎だからな、こいつは――を珍しくも消し、 「作戦参謀」 と俺に呼びかけた。 空気の変化に戸惑いながらも俺も頭を切り替える。 「はい、閣下」 「――少し、お伺いしたいことがあります。まだお時間はよろしいですか?」 「本日は休暇となっておりますから、本来でしたら仕事の話は避けていただきたいところですが、時間はあります」 口調だけは一応敬語に直しつつも発言内容にはいつも通りの色が滲んでしまうのは、もはや仕方ないこととして諦めてもらいたい。 ほかに部下や上官がいるわけでもなければ、古泉の方もどうやら大真面目に仕事の話をするつもりではないらしいということが見て取れたからな。 敬語を保ってやってるだけ褒めてくれ。 「それを聞いて安心しました」 ふっと薄く笑った古泉は、 「――他国の軍でもおそらくそうなのでしょうが、我が軍においても、階級差というものは基本的に大きなものですよね」 「…そうですね」 一体何を言い始めるつもりなんだろうか、こいつは。 なお、基本的にと付けたのはおそらく、ハルヒが階級なんてものをまるきり無視する女だからだろう。 「それでも、本来なら直接の上司及び同じ系列部門に属する上官のみが下位の士官等に指示を与えられることになっているのは、越権行為を防ぐためです。しかしながら、僕は幕僚総長としてほぼ全軍に指示を下すことが出来ます。当然、あなたの所属する部門も例外ではありません」 幕僚総長そのものにそこまでの権限があるかないかで言われたらあると答えられるが、実際に行使することは滅多にない。 そうする必要のある事態というものが基本的に発生しないからだ。 幕僚総長は基本的に上ってくる書類や報告に可否を与え、上級大将に進言したりするものであり、自分から動くような役職じゃないからな。 そんな分かりきったことを何で言い出すんだ、と戸惑いつつ、半分くらい古泉の話を聞き流していると、 「つまり、僕が命じればあなたは逆らえない、ということになりますよね」 「……はぁ」 それはそうだけどな、お前何考えてんだ? というかさっきまでのんびりコーヒーなんぞ飲んでたのになんだこの妙に重苦しい空気は。 そうしたのが古泉ひとりであることは言うまでもない。 さっさと帰って休みたい、いや、休むためにここに来てたという面もあるんだが。 そこの隅にあるベッド、俺のより寝やすいんだよな。 あれを借りて寝てやろうと思ってたのに何で俺はコーヒーなんぞ飲んだんだっけ? いや、古泉が勧めてきたせいなんだが、古泉のコーヒーがうまいのも悪い。 「聞いてますか? 作戦参謀」 「…失礼しました」 よそ見していたのがばれたらしい。 とりあえずそう謝ると、古泉はそっと息を吐いた後、 「すぐに結論を言ってしまった方が早そうですね。――上官の命令は絶対、ということくらい、分かりますよね?」 それはどこの王様ゲームだ、と内心で突っ込みつつも、 「はい」 と殊勝に答えると、古泉がいきなり俺を抱き竦めた。 何のつもりだコノヤロウ。 「……上官命令です。あなたを、」 俺を? 「…抱かせてください」 ………命令にしては気弱だな、オイ。 大体お前、ついさっきまでハルヒに俺を押し倒せと進言するとか何とか言ってたんじゃなかったか? 呆れ果てながら俺はあくまでも事務的な口調を保ちつつ、 「命令の意図が分かりません」 「一々命令に納得する必要がありますか?」 あるに決まってるだろ。 俺はわけの分からん命令に従うつもりなんぞない。 ただ上官というだけで盲目的に従ってどうする。 上官の命令や能力を信頼するからこそ命を張れるってもんだろう。 「危険思想ですね」 といつになく酷薄な笑みを見せた古泉は、 「場合によっては軍法会議ものですよ。これは、懲罰を与える必要がありますね」 だからそういうことを笑いながら言うんじゃない。 あと、話しながら背中とか尻をまさぐるな。 どう文句を言ってやろうかと考えながら、ふと気付いたのは嫌悪感がないということだった。 その理由もついでに考え、思い至ったそれに苦笑する。 それから、古泉の指が上着のボタンを全て外し終え、インナーの裾に掛かったところで、 「……ひとつだけお伺いしてよろしいですか」 「なんです?」 「――幕僚総長は、本官に懲罰として暴行を加えたい、とそう仰っているのですね?」 確認するように、はっきりそう問えば、ぴくりと古泉の動きが止まった。 ついで、くすくすと小さな笑い声がした。 「全く……そんな風に言われたら僕が何も出来なくなると分かってて言ってるんでしょう?」 楽しげに笑いながら俺から体を離した古泉に、もう敬語を使う必要もあるまいと判断した俺は、 「そういうわけじゃない。ただ、命令や懲罰にかこつけてなんてのは、お前には似合わんぞ」 と言ってやると、古泉は今度こそ満面の笑みを浮かべ、俺を抱きしめなおした。 ただし今度はいたって健全な形で。 「あなたには敵いませんね。――あなたに少しばかりでも危機感を持っていただきたくてこういう悪戯を仕掛けてみたものの、本気で嫌がられないので、一体どうしようかと思ったんですよ? このまま最後までしてしまおうか、と」 「冗談でもやめろ」 友人付き合いをやめるぞ。 「……ねえ、どうして本気で抵抗しなかったんです? まさか、僕が上官だからなんて馬鹿げた理由ではないでしょう?」 「お前が本気じゃないって分かったからな」 俺がそう言うと、古泉は一瞬息を呑んだ後、それをゆっくり吐き出しながら、俺の肩に頭を預けた。 …重いぞ。 「本当に…あなたって人は……」 俺がなんだって言うんだ? 「…何でもありませんよ。言ったって、お解かりにならないでしょうしね」 苦笑した古泉は、 「…コーヒー、淹れなおしましょうか」 といつものように言ったが、俺はそれを断り、 「それよりベッド貸してくれ。誰かさんのせいで余計に疲れた」 古泉は本気で呆れきった顔をすると、 「……あなたはもう少し危機感を持った方がいいですよ」 とわけの分からないことを言いつつ、 「お休みになられるんでしたら僕がいてもお邪魔でしょう。少し出かけてきますね」 と言って出て行った。 本当に分からん奴だと思ったが、それもいつものことだ。 俺はごそごそとベッドに潜り込むとそのまま目を閉じて眠った。 俺のと同じタイプのベッドのはずなのにどうしてこいつのベッドだとこんなによく眠れるんだろうなと呆れたくなるくらい長時間、それを占拠してやったのだが、目を覚ました時には戻ってきていた古泉には聞けず、まだ寝ぼけた頭でコーヒーを一杯所望した。 |