「世界を自らの意思で創ったり壊したり出来る存在――人間はそのような存在のことを、神、と定義しています。……か」 いつだったかに彼に対して告げた言葉を口の中で繰り返す。 あれは本当に茶番だった。 涼宮さんの力は確かにそのようなものだ。 世界を好きに作り変え、破壊し、また作り出すことの出来る力。 しかし、彼女自身は神なんてものじゃない。 ただ力を与えられただけ。 本当に力を持っているのは僕で、そして僕の持っている力はどうしようもなく中途半端なものなのだ。 世界を創ったり壊したりすることは出来る。 しかし、作り変えるということが出来ないのだ。 一度創ってしまえば、後は世界が勝手に動いていくだけ。 僕に出来るのは壊すことだけだ。 そして、同じように創ったからと言ってうまく前と同じようになるとも限らない。 言ってみれば、僕に出来るのは種をまくことと収穫することだけなのだ。 あるいは、畑を耕すことと畑を壊すことかもしれない。 何が出来上がるのかさえ、僕には分からないのだから。 これまでに何度も世界を創っては壊してきた。 それは、僕にとって楽しくない世界だったからじゃない。 世界が勝手に崩壊へと向かっていったからだ。 勝手に滅んでいく世界を見たくなかったから、僕が自らの手で終らせた。 何度も何度も繰り返すうちに、躊躇いなどなくなっていった。 破滅の予兆を感じるだけで壊してしまいたくなるほど、世界は壊れやすい。 僕の心も弱い。 もしかすると、僕の弱さが反映されているのかもしれない。 だからこそ、僕の創る世界は弱く、脆くて、どうしようもないのかもしれない。 そう思ったから僕は、一人の少女に世界を託してみようと思った。 自分自身も世界の内側に置いて、今度世界が壊れる時には共に滅ぼうと思った。 まさかそれが、違った方向に作用するとは思いもしないで。 人に身をやつした僕は、彼と出会った。 僕とは違って、強い人。 優しい人。 彼と出会って僕は心と呼ばれるものを取り戻した気さえした。 彼を見出してくれた涼宮さんに感謝した。 そうでなければ、気付けなかっただろうと思うほど、さり気ない存在に過ぎない彼を、僕は愛した。 彼の性格を考えれば、受け入れられるはずなどないと思っていたため、ずっと告げないつもりでいた想いを告げてしまったのは、その想いが胸の中で余りにも大きくなってしまったから。 苦しくて、切なくて、理性をも打ち壊してしまいそうなそれに恐怖した僕は、錯乱した自分が世界を壊してしまう前に、彼に想いを告げた。 「あなたが好きです」 と。 たった一言。 拒絶される覚悟だったから、拒絶されたからと言って世界を壊したりはしなかっただろう。 けれど、驚くべきことに、彼は僕の想いを受け入れてくれたのだ。 はにかむように笑いながら、嬉しそうに頷いてくれた。 もし僕が、僕が涼宮さんに与えたような万能の力を持った神だったなら、その時感じた感情はおそらく絶望だっただろう。 自分の望みが、願いが、彼の意思を歪めてしまったのだと思ったに違いない。 けれど僕にそんな力はない。 つまりはそれは間違いなく彼の意思であり、僕は狂喜した。 「愛してます」 「好きです」 囁くたびに恥ずかしそうにしながら、照れながら、小さく頷いてくれる彼が愛おしくて、僕は何度彼に口付けただろう。 何度彼を抱きしめただろう。 ゆっくりと歩みたいと思った。 彼は人間で、僕は中途半端ながらも神で、共にいられる時間は短い。 だからこそ、彼のことをゆっくり愛したいと思った。 ゆっくり、きちんと愛せば、僕は彼の仕草や言葉のひとつひとつも忘れずにしっかり覚えていられる。 振り返るたびにその時間の長さを実際よりも長く感じられたに違いない。 それなのに、 「……っ、お前、俺のことが好きなんて、嘘だろ…!」 どうして彼はこんな風に泣いているのだろう。 優しい笑みを浮かべられる顔を悲しげに苦しげに歪めて。 こんな時、どうして僕には人の心を読む力すらないのだろうと嘆きたくなる。 人と同じように手探りで読み取ろうと努力するしかない自分が歯がゆい。 「どうして、そう思われるんです」 彼の涙を見ていられなくて、彼を抱きしめてそう尋ねれば、彼は子供のようにしゃくり上げながら、驚くしかない言葉を告げた。 ――だってお前、俺を抱こうともしないじゃねぇか。 一瞬、それを理解しかねたのは、彼がそんなことを言うなんて思いもしなかったせいだ。 言葉の意味を理解して、更に硬直した僕を、彼が睨み上げる。 「付き合いはじめてどれだけ経ったと思ってるんだ? 半年だぞ、半年! その間一度も手出しして来ないなんて、嘘だって証拠じゃないか」 半年。 それは短すぎて僕にはピンと来ないくらい短いのだけれど、人間である彼にはとても長かったらしい。 あるいは、人間の交際期間としてということなのかもしれない。 データとしてあるものなら参考にして行動することも出来るのだが、こういうことは生憎データも見当たらないので僕には調べることも出来ない。 そのせいで彼を不安にさせてしまったのだろうか。 「…すみません」 「…っ、やっぱり、」 「違いますよ。そういう意味ではありません。あなたを…不安にさせてしまって、すみません。……ただ僕は……僕が、あなたをそんな風に扱ってしまっていいのか、分からなくて……」 「…んだよ、それ……」 「僕は……あなたの思うような人じゃないんです」 そもそも人でさえない。 そんな僕が、彼を抱いて、いいのだろうか。 そんな僕を、彼は受け入れてくれるのだろうか。 もうずっと、言ってしまおうと思っていた。 僕は人ではないと。 それを言わなければ彼と付き合っているとは言えないとさえ思っていたのに、ずっと言えずにいたのは、彼に拒絶されるのが怖かったからだ。 …ああ、やっぱり僕は弱すぎる。 彼の隣りにいるには、相応しくない。 それなら、今、言ってしまおう。 そうして、拒絶されてしまえばいい。 彼のことだから、僕のことを知ったとしても今後も彼らしく振舞ってくれるだろう。 いくらかぎこちなくなるかもしれないけれど、きっと涼宮さんには気取られない。 だから僕は、冒頭の一言を呟いた。 「…古泉……?」 突然何を言い出すのかと戸惑う彼に、僕は口を開く。 「聞いて、いただけますか?」 「……何を言い出すつもりか知らんが、聞いてやろうじゃないか。くだらないことだったら蹴り飛ばすぞ」 「ええ、あなたの好きになさってください」 僕は彼を腕の中から解放すると、ソファに座らせた。 まだ彼の肩が震えているのは、涙が止まっていないせいだ。 それを必死に止めようとしている彼の強さを眩しく感じながら、僕は告げた。 「……僕は、人間ではありません」 「……は?」 「今の僕は人間に近いものではありますけど、正確には違います。僕は――涼宮さんに力を与えた存在です。そう言えば、お分かりになるでしょうか」 彼が小さく息を呑むのが聞こえた。 「それって……お前が、黒幕ってことか…」 「黒幕。……そうですね、そう言っていいと思います。僕がこの世界を創りました。そして、涼宮さんに力を与えた……」 「お前も、ハルヒみたいな力を持ってるってことか?」 「いえ、違います」 「…どういうことだ?」 首を傾げる彼に、僕は少々複雑な説明をした。 彼は「お前の説明はいつ聞いても分かり辛い」と文句を言いながら何度か質問をし、そうしてやって分かってくれたらしい。 「つまり、お前は言ってみれば創造主で、しかも力はかなり限定された神様だと」 「ええ、そうです」 「超能力といい、本当にお前は中途半端だな」 あきれ返った様子で呟く彼に、僕は困惑していた。 どうしてここまでいつも通りでいられるのかと。 「で、なんでそれが俺に手を出してこない理由になるんだ?」 顔を赤らめながらではあるがそうはっきりと聞いてきた彼に、僕は再び絶句する。 何なんだこの人は。 本当に分からない。 器が大き過ぎるということなんだろうか。 「古泉?」 「…いえ……あなたは……いいんですか? 僕はあなたと同じ男で…それなのに人間ですらなくて……」 「それを言うなら、俺の方こそお前に聞くべきだろ。俺なんかただの人間だぞ。それでいいのか?」 「あなたがそうでなければ、僕はあなたを好きになってません」 「…俺も同じってことだ」 そう、小さく笑った彼が、僕の膝に乗るような形で僕を抱きしめる。 「お前が神様だろうが妖怪だろうが関係ない。お前だから、好きになったんだ。これまでのお前が全部嘘だって言うなら、考え直したっていいが、違うんだろ?」 「…え、ええ……」 「なら、俺にいうべきことはない。…まあ、多少、人間としての感覚も養ってもらいたいとは思うがな」 半年も何もないと流石に不安になるんだ、と独り言のようにもごもごと呟いた彼を、僕は怖々と抱きしめ返した。 「本当に、いいんですか?」 「…ああ」 「本当に?」 「ああ」 「嘘や、冗談じゃ、なくて…」 「くどいぞ」 怒ったように言った彼が、僕の唇に乱暴なキスを落とす。 笑いながら、恥ずかしそうにしながら。 本当に、分からない。 人間はなんて複雑なものなんだろう。 その中でも彼は飛びぬけて複雑で、難しい気がする。 でも、だからこそ、僕は彼に夢中なのかもしれない。 「愛してます」 込められるだけの想いを込めてそう告げて、僕は彼を、彼の望むとおりに押し倒した。 |