「ベストフレンド?」の続きです
キョンは犬、
古泉は猫、
長門と朝比奈さんは小鳥(セキセイインコ)、
ハルヒはキョンの飼い主で小学生
という設定であることを踏まえてから読んでくださいませ
おお、雷雨になりそうだな。 なんてことを思いながら、俺は薄暗くなる空を見上げた。 我ながら、悠長だとは思う。 何しろ今の俺は、いつもの安全な我が家ではなく、少し離れた公園の木の下におり、しかもそこから動けない状態にあるのだ。 それなのにぼやぼやと空を見つめているのだから、悠長以外の何物でもないだろう。 俺が何故動けないかというと、俺の首輪に繋がっているリードがしっかりと木に結び付けられているせいだ。 それは引っ張ったくらいじゃ外れず、千切れるなんてことも考えられないほど丈夫なものだ。 猫はあちこち入り込んだりするからか、猫用の首輪だったりすると、ある程度力が加わるとすぐに外れたりするのだが、俺に付けられている首輪はそんなものではなく、少々のことでは外れやしない。 誰か通りかかっても、飼い主が戻ってくると思ってか、外してくれる気配は皆無だ。 憐れっぽく鳴いてみても駄目だった。 吠え立てれば余計に人が避けていくのは目に見えていたから止めておいたのだが、そろそろ人が通る気配さえなくなってきたぞ。 これはいよいよまずいんじゃないだろうか。 いつ降り出してもおかしくない空を見ながら、俺は、 「…ハルヒー……」 と、俺をこんな目に遭わせている張本人を呼んだのだが、返事は当然なかった。 そもそもなんでこんなことになったかと言うと、俺の飼い主の娘であるハルヒが、俺を散歩に連れ出したのがことの発端である。 俺の散歩は大抵飼い主がしていたのだが、珍しくハルヒが、 「あたしが散歩に連れてくわ!」 と言い出したのだ。 俺は余りよく覚えていないのだが、俺を飼い始めた時はハルヒが俺の世話をすると約束していたそうなので、飼い主であるハルヒの両親もそれを許可した。 俺としてはハルヒが珍しいことを言い出した時にはろくなことにならないということを経験上よく知っていたので、全力で抵抗させてもらったのだが、 「キョン! ついて来ないと餌抜きにするわよ!」 とハルヒが脅してきたため、仕方なくハルヒと共に家を出た。 ハルヒは俺より年長のはずなのだが、人間は俺たち犬よりも成長が遅いらしいということは俺にも分かっているため、俺は自分より幼い子供を相手にしているんだと思い込むことにしている。 …それはそれで腹が立つが、子供のわがままだと思ったほうが気分的にはマシなんだ。 そうして連れていかれたのは公園で、ハルヒの友達の谷口が公園で待っていた。 この谷口という奴は、どこかおかしな性質でも持ち合わせているのか、どうやらこの傍若無人そのもののハルヒをいたく気に入っているらしい。 確かにハルヒは人間としては、外見的に非常に恵まれているようだし、それなりに面白い奴でもあると思うのだが、それにしたって谷口は酔狂な奴と言ってだろう。 ハルヒによって酷い目に遭ったことも一度や二度でなく、それでも一緒にいてやったりするんだからな。 俺がいささかの同情を含んだ眼差しを谷口に向けてやると、頭を撫でてきた。 「キョン、お前も元気そうだな」 体調を崩す要因も見当たらないからな。 「涼宮、キョンに芸を仕込むんだって?」 何、それは聞き捨てならんぞ。 俺は慌ててハルヒを見上げた。 ハルヒはにんまりと楽しげに唇を歪めている。 縁起でもないほどに細い三日月のようだ。 これは、まずい。 いかにしてこの危機的状況を乗り切るべきか、今からでも逃亡は可能かなどと俺が頭の中で算段している間に、ハルヒが俺の鼻先へなにやら円盤状の物体を持ってきた。 食いもんでもないのにそんなことをされても嬉しくないぞ。 「ほらキョン、今からあたしがこれを投げるから、あんた取ってらっしゃい!」 何で俺が。 「いいから!」 俺が思わず俯いて我が身の不幸を嘆いている間に、ハルヒが円盤を放り投げた。 見事なラインを描きながら飛んでったそれを見送っていると、 「さっさと追いかけなさい!」 と蹴りを食らわされた。 お前な、昨今はたとえ飼い主であったとしても、動物虐待で捕まったりすることもある世の中なんだぞ。 しかし、そんなことを言ったところでハルヒには通じないので、俺は渋々円盤を追いかけて走った。 草むらにぽてんと落ちていたそれをくわえて戻ると、 「それでいいのよ」 と軽く頭を撫でられた。 ……それだけか。 どうせならもう少しご褒美らしいものをくれ。 骨とかジャーキーとかクッキーとか。 「もう一回行くわよ!」 嫌だと言っても無駄なんだろうな。 結局俺は自分がへとへとになり、ハルヒが満足するまでそれをやらされたのだった。 ハルヒは俺が空中で円盤をキャッチ出来ないのが不満だったらしく、頬を膨らませながら、 「あんたもう疲れたの? 情けないわね」 やかましい。 俺は基本的に惰眠を貪っていたいんだ。 犬が皆走り回るのが好きだと思ったら大間違いだぞ。 雪が降ったからといって庭を駆け回るよりはむしろ家の中に上げてもらいたいくらいだからな。 「じゃあ、あたしたちはちょっとその辺で遊んでくるから、あんたはここで待ってなさい」 と言って、くたびれて座り込んだ俺のリードを木に結びつけたハルヒは、 「行くわよ、谷口!」 と哀れな子分を連れて走っていった。 「……やれやれ」 俺はため息をつきながらその場に丸くなると、あくびをひとつして目を閉じた。 ハルヒが帰ってくるまで寝ていてもいいだろう。 ……ところが、だ。 ハルヒがいつまで経っても帰ってこなかったせいで、俺は未だに公園にほっとかれてるわけだ。 雨雲はいよいよ重く垂れ込め、いつ降り出したとしてもおかしくないような有様である。 というか、本気でもう降り出すぞ、これは。 雲の向こうにあるはずの太陽も、沈みかかっているのだろう。 辺りは暗くなってきている。 犬の俺は別にそれで不自由するほどでもないのだが、ここまで暗くなったら余計に人は来ないだろうな。 雷雨の中なんとか持ちこたえられるだろうか。 死にはしないと思いたいが、風邪を引くくらいは覚悟しておくべきだろうな。 「…恨むぞハルヒ」 もし死んだら化けて出てやる。 化け猫ならぬ化け犬だ。 普通じゃないからと大喜びされそうな気もするが。 などとくだらないことを考えて気を紛らわしていると、 「こんなところにいたんですか」 と耳慣れた声がした。 どこか呆れたような色を帯びたそれは間違いなく、俺のところに餌をもらいに来る野良猫の一樹のものに間違いなかった。 一樹の性格を考えれば、こんな天気の中ほっつき歩くとも思えない。 だから俺は驚いて、 「一樹…。どうしたんだお前」 と呟いたのだが、 「どうしたんだ、じゃありませんよ」 不機嫌な顔をした一樹は、 「あなたこそ、どうしたんです?」 と俺のリードを睨みあげた。 「……あなたの飼い主ですか。こんなことをしたのは」 憎々しげな口調に俺は目を見開き、 「一樹?」 と問うしかない。 何でお前そんなに怒ってるんだ。 「怒りもしますよ。…必死になってもがこうともしない、あなたにもね」 そう言った一樹は、俺の背中をジャンプ台にしてリードの結び目に飛び掛ると、そのすぐ側の枝を足場にしながらガリガリとそれを引っ掻き始めた。 「そんなんじゃ解けんだろう」 「そのようですね。しっかり結び付けられていますから」 それでも一樹はまだそれに爪を立てながら、 「どうしてあなたはそんな風に落ち着いていられるんです?」 「落ち着いてるように見えるか?」 「違うとでも?」 俺と一樹の体格差を考えれば、小さな猫に過ぎない一樹に睨まれたところで、また実際ケンカになったとしても俺の優位は間違いない。 だが、そうやって睨みつけられるとつい怯みそうになるのは、一樹が本気で怒っているせいだろう。 「…なんとかなると思ったんだが」 「雨に打たれて一晩経って、それで迎えに来てくれるという保証もないでしょうに、よくそんなことが言えますね。……人間なんて、すぐに忘れてしまいますよ。どんなに楽しい時を過ごそうとも、いずれは…」 「……一樹…」 それは体験談かと問うまでもなかった。 もとより、一樹はそこいらの野良猫とは余りにも毛色が違っていたから、誰か人間に飼われていて、捨てられるかどうかしたのだろうとは思っていたからな。 それに、そんなことを知らなくてもそうと思えただろう。 それくらい、一樹は余りにも苦しげな表情をしていた。 八つ当たりのようにリードを引っ掻く一樹を見つめながら、 「……たとえ、ハルヒが俺を忘れても、お前は覚えててくれるだろう?」 と呟くと、一樹は弾かれたようにこちらを見た。 「長門も、朝比奈さんも、もしかしたらシャミとか他の奴等だって、覚えていてくれるかもしれない。そうしたら、お前みたいに探しに来てくれるかもしれないじゃないか」 「…っ、別に僕はあなたを探しに来たわけじゃ…!」 「違ったのか?」 「……」 ぐっとつまった一樹は、不貞腐れた表情になりながら、 「……探すなんて言えるほどのことは、してません。いつもなら天気がよくても悪くても小屋の中で丸くなっているはずのあなたがいらっしゃらないから、少しばかり変だと思って、散歩がてらにあちこち歩いてみただけです。心配してたのはむしろ長門さんたちで……僕は、まさかこんな状況になってるなんて思ってませんでした」 「それでも、ありがたいよ。……ありがとな、一樹」 一樹は俺に背中を向けるように木から飛び降りると、どこかへ走り去ってしまった。 その背へ、 「もし余裕があったら何か食いもんでも持って来てくれ。走らされた上にほっとかれて、流石に腹が減ってるんだ」 と声を掛けてみたが、ちゃんと聞こえたんだろうか。 一樹は振り向きもしなければ返事も寄越さなかった。 そんなやりとりをしている間に、空からはぽつりぽつりと雨粒が落ち始めていた。 ゴロゴロと唸るような音もしている。 ……一樹が濡れて風邪を引かなきゃいいんだが。 この期に及んでも俺には強い危機感などなく、単純に、なんとかなるだろうと思っていた。 なんとも言いがたい轟音が響き、地響きがした。 落雷は思ったよりも近くで起こっているらしい。 けたたましい音と激しい光、射抜かれるかのような強い雨に体が竦む。 季節柄、さほど寒くないとはいえ、雨に濡れた体はどんどん重くなっていく。 体の自由が利かなくなるというのはやはり恐ろしいもので、俺は身を小さくして嵐が行き過ぎるのを待っていた。 もし今、何か外敵が襲ってきたところで俺には如何ともし難いだろう。 リードによって繋がれているということ以上に、体力の消耗が激しかった。 せめてあの過酷な往復運動がなかったらもう少しマシだったのだろうが、今更そんなことを言っても遅い。 救いといえば外敵と言えるような存在があたりに溢れているわけではないということくらいだろうが、いるとしたら人間であり、しかもそれは場合によって非常に強力かつ手出しの出来ない相手であるため、もし今刃物か何か武器を持った人間に襲われたら、俺はひとたまりもないだろう。 もし俺に最悪の事態が起こったとして、それをハルヒに見つけられることだけは避けたいと、こんな状況になってもまだ、俺はそんなことを思っていた。 だって、嫌だろう? それなりに苦楽を共にしてきた家族に、自分の無残な姿を見せられるものか。 特にハルヒはまだ――人間の基準で考えると――幼いんだ。 だから、余計に見せたくない。 もし誰か近づいてくるものがあったとしても、今の俺には分からない。 雨で匂いも音も何も分からなくなっているからな。 だが、相手にも同じような状況だろう。 だから俺は必死に身を縮め、見つけられないよう祈っていた。 そこに、 「…っ、大丈夫ですか!?」 珍しく焦ったような一樹の声が響いた。 「いつ、き…?」 まさか、戻ってきたのか? この豪雨の中を? 有り得んだろう。 よって今のは幻聴に違いない、と思おうとしながらも、つい顔を上げてしまったのは、その声が救いの声に思えたからだ。 そしてそれはどうやら間違いではなかったらしい。 いつもは明るい色をして艶やかに光っているはずの毛並みを、ずぶ濡れの暗い色に変えて、一樹が駆け寄ってくる。 「ああ、よかった。まだご無事だったんですね」 ほっとした様子で言った一樹が、 「ほら、しっかりしてください」 と言いながら俺の顔を舐めた。 たったそれだけのことさえ、あったかいと感じるほど俺の体は冷え切ってしまっているようだった。 「お前…なんで……」 濡れるのは嫌いなはずだろう。 それなのにどうして。 「あなたをこんなところに放っておいて自分は雨宿りなんて出来ません」 そう薄く笑った一樹が、来た方向を振り返りながら、 「こっちです」 と声を上げる。 誰か連れてきたのか、と思っているうちに、傘をさした俺の飼い主の姿が目に映った。 …ああもう大丈夫だ。 そうほっとしたからだろう。 俺はそのまま意識を手放した。 「外してください!! なんで僕がこんなものを付けられなきゃならないんですか!?」 という一樹の悲鳴で俺は目を覚ました。 ぐるんと辺りを見回すと、いつもは入れてもらえない家の中に俺はいるらしかった。 体に掛けられたタオルから這い出し、声のした方に目を向けると、 「あ! キョン!!」 と一樹を抱えたハルヒが駆け寄ってきた。 「ごめんね、キョン、あたし、うっかりして……」 泣き出しそうに顔を歪めたハルヒに、 「無事だったんだから構わん」 と言ってやりながら目元を舐めてやると、 「…許してくれる?」 「当たり前だろ」 もう一度、今度は頬を舐めてやると、 「もう、くすぐったいわよ」 とハルヒが笑った。 ああ、それでいい。 お前はそうやって笑っていろ。 ハルヒに抱えられたままだった一樹は不満げな顔をして、 「本当に甘いですね、あなたは。軽く噛み付くくらいしてやったらどうです?」 「別にいいだろ、そこまでしなくても」 それより、 「お前、何を嫌がってたんだ?」 「…見て分かりませんか?」 そう言って顎を上げた一樹の喉元には、緑色をした真新しい首輪があった。 俺の青い首輪とお揃いらしい。 「……つまり、何か」 お前もうちで飼われると、そういうことか? 「不本意ながらそうなるようですよ」 本気で嫌そうな顔をした一樹は、 「首輪なんてもうしたくなかったんですけどね」 「まあ、いいんじゃないか?」 とりあえず、食事と寝る場所は保証してもらえるだろうからな。 ハルヒは俺と一樹が会話をしていることに気付いているのかいないのか、俺の鼻先に一樹を突き出すと、 「キョン! あんた古泉くんにお世話になったんだから、ちゃんと仲良くしてあげなさいよ!」 「……古泉くん?」 一樹は盛大にため息を吐いた後、 「それが僕の名前だそうですよ? なんで名字なのか、少々お尋ねしたいところなんですが」 考えるまでもなく、ハルヒの趣味だろ。 古泉と一樹、両方あわせて使ってもいいんじゃないのか? 「そういう問題じゃありません」 俺は小さく笑いながら、 「それじゃあまあ、これからもよろしくな。古泉」 お前もうちの家族かと思うとなにやら不思議な感じもするが。 俺がそんなことを言っても、一樹は言葉を返さず、ただため息を吐くのみだった。 |