好きになったのは



「じゃあな」
「それでは、僕たちはこれで」
そんな言葉を言いながら、ハルヒたちと別れた。
部室で俺たちが、本の貸し借りがどうのといった話をしていたから、ハルヒが不審に思う様子はない。
安心して古泉の部屋に向かいながら、俺は横目で古泉の表情をうかがった。
ハルヒたちといる時は貼り付けたような笑みになっているのだが、それが少しずつ消えていく過程を見るのが楽しい。
唇が引き締められる。
目から気負ったような光が消える。
どこかぼんやりと気が抜けたような様子は、かっこいいとは言いがたいのだが、そんな古泉が俺は好きなのだ。
表情が完全になくなったのは、古泉の部屋についてからだ。
じっと見ていたらなかなか気付けないくらいの微妙な表情の変化を目で追える自分がどうにもくすぐったい。
完全に無表情になった古泉に、俺は苦笑しながら、
「ほら、さっさと着替えて来い」
「ん……」
ふらふらと部屋の奥に歩いていく古泉を見ていると、心配になりはするのだがこれもまたいつものことなので大丈夫だろう。
俺は荷物を居間のソファにおくと、ブレザーを脱いで空調を付けた。
今晩の夕食は何をするかな、と考えていると、ブレザーだけを脱いだ古泉がぬっと顔を出し、
「夕食は…僕が……」
と小さな声で言った。
「大丈夫なのか?」
古泉がこくりと頷く。
長門より大きな動きだが、人形の首を傾けるような動きに、そのまま頭がもげそうで怖い。
しかし、古泉がそう言うなら本当に大丈夫なんだろう。
疲れているように見えはしても、そうでもないと信じて、
「じゃあ、頼む。お前が作った方がうまいしな」
「ん」
そう頷いた古泉が、どことなく嬉しそうに見えた。

初めて古泉がこの状態になった時は本当に驚きもしたし、一体何が起こったんだと慌てふためいたものなんだが、慣れれば平気だ。
むしろ、そんな古泉が可愛くさえ思える。
俺は残っていた洗物をしながら、古泉が初めてこうなった時のことを思い返した。

古泉が保健室に担ぎこまれた、と聞いたのは谷口からだった。
たまたま見かけたという谷口の言葉を聞いて、思わず保健室に向けて駆け出していた理由については、自分でもよく分からない。
ただ、胸騒ぎがしてどうしようもなかったのだ。
話を聞いたのが昼休み終了間際だったため、保健室に飛び込んだ時には授業は始まっていた。
保険医は用事でもあったのか、メモを残していなくなっており、そこにはベッドに横たえられた古泉だけがいた。
青白い顔に俺の血の気まで引いていく。
「古泉…っ」
名前を呼んでその手を掴むと、古泉が目を開けた。
うっすらと開かれたまぶたの間に見えるその目は鈍く光って見えた。
「古泉……大丈夫なのか?」
「……大丈夫…です……」
切れ切れの声に余計に不安が煽られる。
「一体何があったんだ?」
「いえ………その、軽い貧血で……」
「……貧血だと?」
心配して損したと思う前に、古泉の胸倉を掴んでいた。
「お前は一体何を考えてんだ! それはつまり、ちゃんと体調管理してないってことだろ。自分の体くらい、大事にしろよ!」
「……すみません」
「…ちゃんとしてないのか?」
機関のことだから厳しいかと思ってたんだが。
「…して、ます……けど…」
しどろもどろになりながら、古泉は言った。
「意外と、大変で……考えられない…」
「……古泉? お前、やっぱりどこかおかしいんじゃないのか?」
敬語でなくなったり、そんな風にしどろもどろになるなんて、おかしすぎるだろう。
そういえば、いつも貼り付けている笑顔もうまく出来ていない。
不安になった俺を、古泉は困り果てたような顔で見上げた。
「……自分の、ことを、…話すのは……難しい。………です」
「……はい?」
「前もって………準備、して、ないから…余計…。それに………あなたに………嘘は、吐きたく……ない……………んです…」
なんでだよ。
古泉の目が俺を見つめる。
どこか長門と似た、真っ直ぐな目から視線をそらすことが出来ない。
「…あなたが…好き………です」
ぽかんとした俺を、古泉は手を引っ張って引き寄せた。
古泉の上に倒れこんだ俺を、古泉が抱きしめる。
心底嬉しそうに、優しく抱きしめられ、俺は抵抗することも出来なかった。
「好き……です」
囁かれる言葉が、俺の顔を赤くする。
「古泉……」
じっと見つめてくるのは、返事を求めてのことなんだろうか。
逃げ出したくなるくらい真っ直ぐ見つめられて困り果てた俺は、古泉の体を抱きしめ返した。

「着替えてきました…」
と戻ってきた古泉を見ると、シャツのボタンを掛け違えていた。
「お前な…」
「…?」
「なんでボタンを掛け違えたりするんだ」
制服の時はきっちりしてるくせに、と呆れながらボタンを直してやる。
今みたいにスイッチが切れた状態の古泉はどうにもだらしなく、隙だらけにしか見えない。
言葉より行動の方が先に出るし、俺は人間を相手にしているのかどうかも怪しく思えてくるくらいだ。
いきなり抱きしめられたりキスされたりなんていうのはもはや日常茶飯事だし、それ以上の行為に及ぶ時すらロクな説明も言葉もなかった。
それでも、怖いと思わなかったのはやっぱり、古泉だからなんだろうな。
俺が苦笑したところで、古泉に手招きで呼ばれた。
「なんだ?」
と言いながら近づくと、軽く触れるだけのキスをされた。
「くすぐったいだろ」
口先だけで文句を言うと、抱きしめられる。
俺が好きになった古泉は、かっこよくない。
頼れもしない。
むしろ面倒なくらい手間がかかるし、二重人格かと疑いたくなるようなところもあって、かなり厄介だ。
だが、それでも、そんなことなど関係なく、俺は今のこの古泉のことを好きだと思う。
好き? と尋ねるように俺を見つめてくる古泉に、
「少し頼りないとは思うが、ちゃんと好きだぞ」
と答えてやる。
「……頼りない…?」
「だろ。違うって言うつもりか?」
「……いざと…なったら、……ちゃんと、する」
そうかい。
まあ、あまり期待はしないでおこう。
それに、
「……よっぽど大変な事態にでもならない限り、お前は今のままでいいんだからな?」
と言って抱きしめ返してやると、古泉が嬉しそうに笑ったのが見なくても分かった。