奪われた



俺が部室に向けて渡り廊下を歩いていると、
「こんにちは、奇遇ですね」
と古泉に声を掛けられた。
「奇遇も何も、同じ場所に向かってるんだからそりゃタイミングが合うこともあるだろうよ」
そう答えながらも、珍しいと思った。
古泉は大抵いつも俺より早く部室にいて、ボードゲームの準備を始めようとしているか、読書その他の個人作業に入っていることが多いからな。
そうでなければ、バイトで休むとか掃除当番で遅くなるとかそんなパターンが多く、今日のように途中で会うなんてことは滅多にない。
それだけに少しばかり嬉しく思いながら、俺の隣りを歩く古泉を横目でうかがった。
「今日は天気もいいですし、涼宮さんのご機嫌も麗しいようで、言うことなしですね。何よりあなたとこうして会えたのが嬉しいですよ」
「そういう寒々しいことを平然と吐き出すことが出来るあたりお前はおかしいと思うぞ」
「おや、率直な気持ちを口にしたまでですが、お気に召しませんでしたか?」
「召すか」
言いながら、眉を寄せる。
あと少しで部室棟に入り、そうすりゃ階段を上がってすぐに部室がある。
ハルヒは先に行って、朝比奈さんと長門をどこかに連れて行くと言っていたから、そこで話をすればいいだろう。
何を差し置いてもこいつには言ってやらねばならないことがある。
「疲れてるんだろ」
部室に入り、いつもの席につくなりそう言ってやると、古泉は困りながらも嬉しがっているように見える、器用な笑顔を俺に見せた。
「ばれてしまいましたか」
「そりゃあな。……昼まで機関に呼び出されてたとか、そういうことか?」
「ええ、そんなところです。ちょっとした連絡事項がありまして、そのための書類をまとめるために昨夜は徹夜してしまったので、少々眠いんですよ」
古泉がそう正直に白状したことに驚きながらもほっとする。
それだけ、心を許してくれているということが嬉しく感じられる程度には、俺も古泉が好きらしい。
「疲れてるなら寝た方がいいんじゃないか?」
「そうしたいのは山々ですが、涼宮さんに僕がだらしなく寝こけている姿を見られるわけにも行きませんからね」
お前の寝姿が果たしてだらしないといって言いものかどうかは置いておくとして、それくらい、別に構わないという気がするんだが。
「そうでしょうか…」
「まあ、心配ならハルヒが来る気配がしたらすぐに起こしてやるから、お前はとっとと寝ろ」
「…お願いしていいですか?」
「俺に出来ることなんてのはそんなにないだろ。それくらいさせてくれ」
古泉は柔らかく微笑むと、
「あなたにはいつも助けていただいてばかりですよ。あなたのおかげで、僕は僕自身としてのパーソナリティーを保つことが出来ているようなものですからね」
「お前は一々大袈裟すぎるんだ」
御託はいいから、と俺は手を伸ばし、古泉の頭を机に押し付けた。
「…涼宮さんが来たら……絶対に起こしてくださいね」
「ああ、分かってる」
答えながら、俺は古泉の髪を撫でた。
俺のそれより柔らかい髪が気持ちよくて、寝る必要のない俺までうとうとしてきそうだ。
……髪に触るのは性行為よりも先に進んだ行為だって言ったのはどこの誰だったっけな。
誰だか知らんが、明らかにおかしいだろう。
俺としては、性行為は別にどうでもいいが、この髪に触りたいとかは思うからな。
ついでに言っておくが、俺は別に髪フェチとかそういうんじゃない。
ただ単に指通りのいい古泉の髪が好きで、髪や頭を撫でられるのがどうやら気持ちよくて好きらしい古泉の、嬉しそうな顔を見るのが好きなだけだ。
古泉の呼吸が規則正しい寝息に変わった辺りで、俺はあくびをしながら手を止めた。
それでも手は離さない。
「…いつもご苦労さん、古泉」
そう呟いて俺も目を閉じた。
ハルヒが来れば流石に目が覚めるだろう、と思っていた俺は甘かった。
ああ、全く甘かったね。

薄く目を開けると、すぐ近くにハルヒが座っているのが見えて一発で覚醒した。
「ハルヒ!?」
「間抜け面」
間髪入れずに言われたが、寝起きの顔なんてものは誰だってそんなもんだろう。
ああ、長門と古泉はのぞいてやってもいいんだろうが。
「全くもう、有希とみくるちゃんを連れて帰ってきたら二人して寝てるんだから。大声出しても起きないし、あんたたちが寝てたせいで依頼人を逃がしてた、なんてことが判明したらただじゃおかないから」
心配するな、ここに客が来るなんて可能性はほぼゼロに等しい。
それにしても、ハルヒに騒がれても起きなかったとは……。
寝穢い俺はともかく、古泉まで起きなかったと言うことは、やはりよっぽど疲れてるんだろうか。
心配になりながら俺が古泉を見ると、ハルヒが唐突に言った。
「ねえ、あんた、古泉くんと付き合ってるの?」
一瞬驚きはしたものの、ハルヒの言い方には疑念を抱いているというよりもむしろ、確認を求めているような響きがあった。
古泉に知られたらあれこれ文句を言われる可能性も高いが、それでもハルヒに嘘を吐く方がまずいだろうと思った。
だから俺は、
「…ああ」
と短く答えたのだが、それに対するハルヒの反応はと言うと、小さく笑みすら浮かべて、
「やっぱりね」
と言って見せた。
だがその笑みはどこか悲しげにさえ見える、ハルヒにしては珍しい表情だった。
何だその反応は、と驚く俺に、ハルヒはその笑みを変えないまま、
「……古泉くんに、先を越されちゃった」
と呟いた。
「何?」
思わず問い返した俺に、ハルヒは滅多にみないほど真剣な表情を見せると、
「キョン、」
俺が聞き間違えたり誤魔化したりすることを許さないかのように俺を呼んだ上で、
「…あんたが好きよ」
と告げた。
「――すまん」
反射的に答えた後で、まずったか? とも思った。
まさかこれで古泉が消えるなんてことはないと信じたいが、世界が改変されたりしたら俺の責任であることは間違いあるまい。
どうなるか、と内心戦々恐々としている俺に、ハルヒは明るく笑った。
それこそ、さっきの発言は冗談だと言ってくれるのではないかと期待したのだが、その口から出た言葉は、
「うん、分かってる」
というものだった。
「あんたは二股なんてするほど器用でも不誠実でもないもんね。そう言うと思ってたわ。でも、言っておきたかったの」
まあ、その気持ちは分からんでもないが、ハルヒに言われるといささか不気味にすら思えるのは俺だけだろうか。
嵐の前の静けさだの、災害を予知する動物の異常行動だのといった、縁起でもない考えが脳裏を過ぎる。
後者はなんとなく違う気もするが構うもんか。
分かるのは、ただ事ではないということ、それだけだ。
ハルヒが大人しく黙り込んでいることが余計に恐怖を誘う。
「……ねぇ、キョン」
ハルヒはそう言いながら、俺ではなく机に突っ伏して眠ったままの古泉を見つめた。
「…もっと早く、あたしが素直になってたら、違ったのかしら。せめて、古泉くんよりも早く、勇気を出してたら……」
「…どうだろうな」
正直、俺には分からん。
ハルヒに先に告白されてたとしたら、驚きながらもそれを受けたという可能性ってのも十分あるだろうし、逆に、たとえ後から古泉に告白されたとしても、古泉を選んでいたかもしれないと思うくらいには、今の俺は古泉のことを大切に思っている。
だから、今更考えても分からない。
考え込む俺に、ハルヒは笑って、
「…ありがと、キョン。ちゃんと聞いてくれて」
と座っていた椅子から立ち上がった。
「いや、こっちこそ……何と言うか、……すまん」
「別にいいわよ。あ、どうしても心苦しいって言うんだったら、今度みんなで出かける時に何かおごってくれてもいいわよ?」
そうやって憎まれ口を叩くのも、ハルヒなりの気遣いの形なんだろう。
俺は苦笑しながら頷き、
「ああ、そうする。何がいいか考えておけよ。出来れば、俺の財布の状況を考慮に入れてくれ」
「あら、お金がなくなっても古泉くんに出してもらえばいいんじゃないの?」
「何でだよ」
「連帯責任よ」
「お前な……朝比奈さんも長門もいるってのに、そんなことが出来ると思うのか?」
「別にいいんじゃないの? ばれちゃっても」
さて、どうなんだろうな。
冷静にカミングアウトを考えたことがなかったから、返事のしようがない。
「なんにしても、あんたの好きにしちゃえばいいんじゃないの? …あたしはそろそろ帰るけど、ついでだから古泉くんと二人で話し合ったら? そういうことだから鍵はよろしく。それから、」
とハルヒはいきなり俺のネクタイを掴んで俺を引き寄せると、有無を言わさずキスしてきた。
「な…っ」
古泉ともしてないんだぞ、とも言えず、絶句するしかない俺に謝罪の一言もあるのかと思ったがそうではなく、
「大声出して起こそうとしたって言うのはウソよ。それじゃ」
ととびきりの笑顔を残して出て行った。
二重の意味で呆然とした俺は、一体どうしたものか、と古泉に視線を戻し、更に言葉を失う破目になった。
俺同様に唖然としている古泉が、俺を凝視していたせいだ。
「み、見たのか…?」
「見てしまいました…。あの、一体何がどうなってるんですか?」
それは、俺の方が聞きたい。
俺はもはややれやれと呟くことも出来ず、ため息だけを吐き、とにかくこれだけは言ってやろうと口を開いた。

「俺が好きなのはお前だからな」