好きだと思う。 一緒にいたいと思う。 他の人間と一緒にいて欲しくないと思う。 それくらい依存して、独占欲を抱いているんだから、これはおそらく恋愛感情なんだろう。 だが俺は、それで十分なんだ。 一緒にいて、言葉を交わしてという、それだけで。 手を握るくらいならいい。 抱きしめるのも……まあ、いいだろう。 だが、それ以上は無理だ。 何があろうと、絶対。 「え、っと……」 男の俺でも綺麗だと思うような、無駄に整った顔を、滅多に見られないような戸惑いに染めて、俺の恋人であるところの古泉一樹は困惑の声を上げた。 ちなみに今の俺の状況はと言うと、古泉の部屋に泊まりに行き、ぐだぐだと話をした後、風呂に入り、一緒の布団で寝ようとしたところ、もう少しで入眠するというところで古泉に抱きすくめられ、本気で古泉を突き飛ばした挙句、勢いよく起き上がり、先に上げたような言葉を絶叫したという次第である。 それをあえて古泉の視点で言い換えてやると、恋人であるところの俺が泊まりにきて、一緒に飯を食い、しかも一緒に寝るっていうんだからそれなりに期待していただろうところを、単純に抵抗されるだけならまだしも、思い切り長文で苦情を言われてしまってはどうしようもないだろう。 それくらいのことは俺でも分かる。 分かるんだが如何ともし難い。 いつもいつも饒舌に要らんたとえ話まで混ぜながら話をするはずの古泉が、しばらく黙り込んだのも無理はない。 その上、やっと口を開いたと思ったら、 「それは、僕が男だからですか?」 という短文だけを喋った。 短くて分かりやすいのはいいが、若干答え辛い。 イエスノー式に答えるなら答えはノーなんだが、その理由となるとどう言えばいいんだろうな。 たっぷり悩んだ挙句、俺は答えた。 「Aセクシュアルって知ってるか?」 ――って答えてねぇし! 質問に質問で返してどうするんだ。 しかも手順を二つ三つ飛ばした気がする。 昔ながらのRPGならイベントが完全に滞るところだが、古泉は幸い、最近のRPGくらいには話の分かる男だったらしい。 「教養として知ってはいますが、あなたがそうだと仰るんですか?」 「……そうだ、と、思う」 Aセクシュアルとは、無性愛とも言われる性的指向がない状態を指す。 簡単に言えば、性愛を抱かないということだが、更に噛み砕いて言うと、誰かと性行為をしたいと思わない状態と言えばいいんだろうか。 俺が、自分がそうじゃないかと思ったのは、中学生の頃だった。 修学旅行か何かの時に、他の連中がこそこそと話しているのを聞いても特に何も思わなかった。 嫌悪感さえない。 ただ単に、どうでもいいと思ったのだ。 冷静に周囲を観察していくにつれて、もしかすると俺の方がおかしいんじゃないかと思ったのだが、それが強まったのはそれから少し後のことだった。 あまりそうは思えなかったにしても、女の子をチャリの後ろに乗せて塾まで通うなんてことをしながら、興奮のこの字すらなかったからな。 それで、自分の方がおかしいんだろうと気がついた。 最初こそ、自分はホモだったのかと狼狽したものだが、深く考えてみると男にときめいた記憶もなかったので、それも却下した。 じゃあ何だ、と悩みながら色々と調べ、行き着いた結論が「Aセクシュアル」だった。 以来、二年ばかりか? 性愛どころか、恋愛感情すら抱かないAセクだろうと思って過ごしてきたわけだが、案に相違して俺は人を好きになった。 その相手が古泉であり、やっぱりホモかよと驚きもしたんだが、好きだと思ってもそれは性的衝動には少しも結びつかず、ああやっぱり俺はAセクだったんだと若干のショックを伴いながらも納得したのだった。 誰かを好きになることが出来ると分かっただけでもよかったと思ったからな。 だから俺は自分から、 「お前が好きだ」 と古泉に告げたんだ。 断られる前提で、むしろ自分が本当に人を好きになれた証し立てをするような感覚で。 ところが、返ってきた答えは、 「僕も、あなたが好きですよ」 という言葉と優しいハグだった。 言葉は嬉しい。 嬉しいんだが、いきなりのハグは生理的嫌悪感が顔をもたげそうになった。 古泉が悪いんじゃない。 俺が悪いんだろう。 だが、どうしようもないじゃないか。 そこが俺のボーダーラインだったんだ。 長い長い俺の話を大人しく聞いていた古泉は、まだ戸惑いを消せない様子で、 「…えっと…僕のこと、好きだとは思ってくださってるんですよね?」 と聞いてきた。 「…そうじゃなかったら、付き合ったりしてないだろ」 なんで今更そんなことを聞いて来るんだ。 「いやでも…」 「とにかく、キスも過剰なお触りもナシ! セックスなんてもってのほかだ! それが嫌なら他の奴のところへ………いや、やっぱナシ。それはナシだ。浮気は何があっても許さん」 我ながら酷いと思わないでもない。 だが、嫌なんだからしょうがないだろ。 「一緒にいて、話して、……精々、手を繋いだり、抱き合ったりするだけじゃ、だめか?」 古泉は即答しなかった。 迷っても仕方がないだろう。 俺は古泉を見ていられなくなって、目を逸らした。 「……すまん。気を悪くして、当然だよな…。ごめん…」 振られると思うとそれだけで泣きそうになった。 初めて好きになった。 もう二度と、誰も好きにならないかもしれない。 たとえ誰かを好きになったとしても、もうそれを告げることはないだろう。 「どうして、謝られるんですか?」 そう聞かれて、俺は顔を上げた。 古泉は困ったような曖昧な笑みを浮かべながら、 「謝る必要があるのは僕の方です。…あなたのことも考えず、酷いことをしようとしてしまって……すみません…」 その謝罪は正当なものに思えたが、それでも驚くしかない。 まさかそんな反応が返ってくるとは、思ってもみなかったんだ。 「怒って、ないのか?」 「どうしてです?」 「だって、俺、かなり酷いこと、言っただろ…」 それくらいの自覚はあるんだ。 「あなたに怒りたいことがあるとしたら、こんな状況になるまでそのことを隠していたことくらいですよ。もっと早く言っていたら、あなたに恐怖を感じさせることもなかったでしょうに」 そう言った古泉の目を、俺はまじまじと見つめた。 本気で言っているのかと疑って。 だが古泉の目はどこまでも真剣で、誤魔化しや体裁を取繕うとして言っているのではないと感じられた。 「あなたがそう仰るなら、僕は我慢します。ああでも、僕があなたをオカズに抜くことくらいは許してくださいね?」 悪戯っぽく囁かれた言葉に、俺は思わず赤面した。 「お、オカズとか言うなよ、その顔で!」 「顔は関係ないでしょう? それとも他に何かいい言い方がありましたっけ?」 知らん。 というか、 「…お前、本当に……いいのか…?」 「あなたと一緒にいるだけでも、僕は十分幸せなんです。それ以上を望んだら罰が当たりますよ。…なんて、襲おうとしておいて言うのも変ですけどね。出来れば、先ほどのことについては不問に付していただけるとありがたいのですが、それは虫のいいお願いでしょうか」 「いや、別に……いいが…」 本当にいいんだろうか。 振られるのは嫌だと思ったくせに、いざ認められるとかえって怖くなる。 そこまで甘えていいんだろうか。 「いいですよ、甘えてください。それに、完全に諦めたわけじゃないんです」 何? 「Aセクシュアルというものは、ある日突然そうなることもあれば、そうでなくなることもあると、聞いたことがあります。それならば、あなたがそうでなくなる可能性も、ないとは言い切れないでしょう? ですから、その奇跡を待ち望むことにします」 そう笑った古泉は、 「キスは、だめなんですよね? ハグはどうです?」 「…予告してからなら、平気だ」 「いきなりはだめなんですね。分かりました」 ベッドの隅に座っていた俺との距離を、慎重に詰める。 「抱きしめて、いいですか?」 その声がどこか緊張しているように感じられ、俺は思わず笑った。 「ああ」 「…どうして笑うんですか?」 「いや、なんとなく」 ついさっき、それ以上のことをしようとした奴が、ただ単に抱きしめるだけのことでそんな風に緊張するのがおかしくて、とは言いかねて、そう答えた俺に、古泉はいくらか不貞腐れたような表情を見せながらも、俺の体をそっと抱きしめた。 壊れ物を抱えるように、優しく。 そうして感じる体温は心地好い。 「愛してます」 そう囁かれるのも。 それだけで、俺は満足なのだ。 それに付き合わされる古泉を可哀相にと思わないでもないが、俺が血反吐を吐くような思いをしてまで無理をすることは、古泉も多分望まないだろう。 だから俺は、自分に出来る精一杯のことをと思い、 「俺も、愛してる」 と言いながら、そっと古泉を抱きしめ返した。 |