黒と白 9



それは、いまひとつ実感の湧かない冬の日のことだった。
実感が湧かないのは、この館の庭が年中花盛りで同時に年中収穫期のせいだ。
多少空気が冷えているようには感じられたものの、上着の一枚で調節できるレベルなんだから、季節の変化を感じられなくても不思議じゃない。
それでもなんとなく冬らしい気分で、サロンの暖炉に火を入れていると、
「ただいま戻りました」
という古泉の声が、玄関の方から聞こえてきた。
古泉が、調べ物があると言って出て行ってからそろそろ半月だ。
長いことかかったな、と思いながらお気に入りの揺り椅子から体を起こす。
廊下に出ると、長門と朝比奈さんの姿が見えた。
「長門、朝比奈さん」
声を掛けると、ふたりが振り向いた。
「キョンくんもお迎えにいくの?」
朝比奈さんに問われ、苦笑しながら頷く。
「ええ、まあ、一応」
照れくさいが、今更だろう。
そうして三人で足早に向かった玄関ホールに立っていたのは、古泉だけじゃなかった。
「キョン!」
明るい声でそう呼び、星座を2、3突っ込んだような目をした少女は、何があろうと忘れられないだろう人物だった。
「ハルヒ…!?」
ハルヒは雪塗れのコートを脱ぎ捨て、驚いている俺に抱きついてきた。
「本当に無事だったのね! よかった…!」
嬉しそうに笑うハルヒに、俺は戸惑った。
何と言えばいいのか分からないし、それ以上に、どうしてハルヒがいるのかが分からなかった。
困惑しながら古泉に目を向けると、
「話はサロンでしましょう。僕はともかく、彼女がこのまま凍えてしまうといけませんから」
と言われた。
「…そうだな」
とりあえずそう頷いた俺は、
「長門、悪いがハルヒのコートについた雪を落として、サロンまで持ってきてくれるか?」
長門が頷いたのを確認して、ハルヒの手を引いてサロンに向かった。
ハルヒは体が冷え切っていたのか、小さく震えていた。
吸血鬼の館に入ったからといって震えるようなやつじゃないから、正真正銘寒さのせいなんだろう。
「朝比奈さん、お茶を淹れてもらえますか?」
「う、うん」
状況が全く分からないのだろう。
朝比奈さんが戸惑いながらお茶の支度に向かうのを見送りつつ、俺はハルヒを見た。
あれから一年ほど過ぎているのだが、ハルヒには目立った変化はない。
多少、背が伸びたような気がしないでもないが、そのほかは相変わらずだ。
「変わってないな」
俺がそう呟くと、ハルヒは一瞬きょとんとした後、唇を尖らせた。
「少しは変わったわよ。あんたのおかげで大変だったんだからね」
ハルヒがそう言った理由は、すぐに分かった。
サロンの暖炉の側にハルヒを座らせ、朝比奈さんの淹れたお茶を飲みながら、ハルヒが簡単に話してくれたからだ。
「キョンが古泉くんを追いかけて行っちゃって、そのままいなくなったでしょ? あたし、心配になってキョンを追いかけることにしたのよ。もしかしたら、吸血鬼を倒して、そのまま故郷に帰ったんじゃないかと思って」
よく村から出られたな。
あの親父さんが許すとは思えないが。
「家出してきたのよ」
平然とハルヒは言った。
「ひとりで村を出たけど、別に危なくなんかなかったわ。野盗に襲われたこともあったけど、返り討ちにしてやったし」
ハルヒは武芸も好んでいたから、それは別に不思議じゃないだろう。
「それにしたって、女の身で一人旅とは…」
俺は呆れてそれ以上物も言えない。
「楽しかったわよ? いろんな人に会えたし。そうそう、キョン、国木田って奴があんたのこと心配してたわよ」
「国木田か。元気だったか?」
「うん」
「そりゃよかった」
俺がそう言ったところで、古泉が軽く眉を寄せながら言った。
「国木田というのは誰です?」
「ああ、途中で知り合ったクルースニクだ」
「つまり、あなたのご友人ですか」
「まあな」
俺がそう答えただけで、ほっとした様子を見せるんだからこいつも分かりやすい。
先走った考えをするなよ、と笑いながら、俺はハルヒに先を促した。
「それで、俺の故郷まで行ったのか」
「そうよ。そうしたら、あんたは吸血鬼に洗脳されたとか、結局連れてかれたとか言うじゃない。だからあたしは、直接あんたに話を聞いてやろうと思って、あんたとあんたを連れてったっていう吸血鬼を探してたの」
「それで古泉を見つけたのか」
「というか、古泉くんがあたしを見つけてくれたのよね」
どういうことだ?
首を傾げる俺に、古泉は簡単に答えた。
「僕の方が彼女に呼ばれたんですよ」
「呼ばれた?」
「ええ。よっぽど会いたいと思っていたのでしょうね。あるいは彼女に、魔術師になり得る素質があるからかもしれませんが」
「へぇ、素質が…」
「僕としては、彼女のことを知っていましたから、あなたが無事だと言うことだけ伝えて去ろうと思ったのですが、」
苦笑する古泉の言葉をハルヒが悪戯っ子のような笑みで引き継いだ。
「あたしが帰らせてあげなかったの。キョンに会わせなさいって。…だって、あんたは村でリンチに遭って死に掛けてたとか、実際死んだとか色々聞かされてたんだもの。ちゃんと会って確認したいじゃない」
それは分からんでもないが、それにしたってよくやるぜ、全く。
呆れる俺に、ハルヒは柔らかな笑みを見せた。
「でも、本当に無事でよかったわ」
…無事と言っちまっていいのかね。
俺は確かに一度死んだし、今となっては吸血鬼の仲間入りだ。
これを無事と言うのかどうか。
俺の迷いを見て取ったのか、ハルヒはその表情を曇らせた。
「…ごめん。本当は、無事とも言い切れないのよね」
「…いや……」
呟いて、考え込む。
「…結果的には、これでよかったって気もするし、今は今で幸せだから…別に、無事と言い切ってもいいんだが…」
我ながら恥ずかしいことを言った気がする。
それが間違いじゃないと言うように、
「本当ですか!?」
嬉しそうな顔をした古泉が抱きついてきやがった。
「目を輝かせるな、キモイ!」
「そんな風に照れなくってもいいじゃないですか」
今もし犬の姿になったなら、千切れそうなほど尻尾を振っているに違いない様子で言う古泉に、ハルヒは笑いながら、
「うん、幸せそうで何よりだわ」
と言った。
ほっとした様子を見せたのはおそらく、ハルヒもハルヒなりに責任を感じていたせいなんだろう。
ハルヒが村で、俺を引き止めなければ、俺は古泉と再会することもなく、つまりは故郷に戻り、見知った人間によって私刑にされることもなかったのかもしれない。
俺に言わせれば、そんなものは可能性の話であり、今が今として確定している以上、思い悩んだって仕方のないことだと思うのだが、ハルヒはそれで収まらなかったのかもしれない。
だから、危険を冒して、安定した生活を捨てて、村を飛び出したのだろう。
「ハルヒ」
「何?」
迷いも躊躇いも感じさせない明るい瞳が俺を映す。
「…心配かけて、悪かったな。それと、ありがとう」
俺が言うと、ハルヒは笑顔で頷いた。

その後ハルヒは、この館に住むことになった。
村に戻り辛いとか、吸血鬼と接触した以上人の世界に戻るのは危ないとか、そういう理由じゃない。
ただ単に、ハルヒが魔術に興味を持ったせいだ。
古語で書かれた文章など読んだこともなかっただろうに、長門にそれを習いながら物凄い速さで書物を読んでいく。
読んだ成果は食事のたびに、俺や古泉に報告してくれるのだが、その時にされる指摘は鋭く、理論展開も独特で、古泉もかなり楽しんでいた。
ちなみに今日は、荒々しい足音を立てて食堂に入ってきたかと思うと、
「ねぇっ! なんで黒魔術と白魔術に分かれてんの!?」
と怒鳴った。
煮えたシチューの皿を持っていた俺は危うく転びそうになったね。
「お前、何を今更…」
「今頃気がついたんだからしょうがないでしょ」
憤然と言ったハルヒは、
「調べてたら、黒魔術にも白魔術と同じような体系で出来てる術があったし、逆もあったわ。あたしには、同じものなのに無理矢理分けてるようにしか見えないの。どうしてわざわざ分けてあるわけ?」
そう言われてもな。
白魔術と言い表されるものは俺みたいなクルースニクが使うもので、生まれ持っての素養が第一条件だ。
逆に、黒魔術はある程度の知識と素質さえあれば別に生まれに関係なく使えるものだから、一応そのあたりが違うんじゃないかと思うんだが。
「あるいは、」
と口を開いたのは、静観の構えを見せていたはずの古泉だった。
「黒魔術と白魔術に決定的な違いがあるのかもしれませんね。禁忌を犯すか否かと言う違いが」
禁忌という言葉は、相変わらず俺の胸に痛く突き刺さる。
それは朝比奈さんも同様のようで、傷ついたような表情で胸を押さえた。
古泉は何度も禁忌を犯した。
強大な魔力を求めて吸血鬼になったこともそうだし、俺と朝比奈さんを生き返らせたこともそうだ。
長門という、人に近しい存在を創りあげようとしていることも、あるいは禁忌なのかもしれない。
重苦しいはずの言葉を、古泉は事も無げに口にした。
「でも僕には、禁忌とは何か、よく分からなくなってきているんですよ」
「…は?」
と唖然とする俺を他所に、ハルヒが頷いた。
「そうよね!」
っておい!?
「だって、禁忌って言ったってどこがいけないの? 人が人を生き返らせたいと思うことは当然のことだし、そうしようとしたって悪いことはないと思うわ。軽々しく出来るなら、そりゃ、確かに問題かもしれないけど、そうじゃないんでしょ? 反魂の術に必要なものって、本当に膨大だし、なかなか手に入るもんでもないから、そう簡単には出来ないわよ。魔力も消耗するし」
だから禁忌じゃないってのか。
呆れ返る俺に、古泉は面白がるように笑いながら、
「僕が思うに、禁忌と言われるようになったのは吸血鬼が忌み嫌われるようになってからではないでしょうか? 吸血鬼と呼ばれるものも、最初は普通に人の中で暮らしていたらしい記述も、古い文献を当たれば見受けられます。しかし、いつしか吸血鬼そのものが禁忌の存在となり、その術も禁忌とみなされるようになった。その原因は、もしかすると、吸血鬼より後に流入してきた宗教のせいかもしれませんし、クルースニクと呼ばれる素養を持った一族が流れてきたためかもしれません。そのあたりのことは、僕には把握しかねますが、ただ一方的に禁忌と呼ぶのは間違いではないかと、僕も思っています。本当に禁忌であるなら、僕がこんなに幸せでいられるはずもありませんからね?」
…最後の一言がなければ、それと、俺に向かってウィンクを寄越さなければ、その説に頷いてやってもよかったんだがな。
俺はげんなりしながら、
「それで、」
と古泉ではなくハルヒに言った。
「お前はどうしたいんだ? 黒魔術と白魔術が同じ物だったとして、そうなると何が変わるっていうんだ? 内容に変化はないだろ」
「そうね。でも、人の見る目は確実に変わるわ」
ハルヒは笑顔でそう言った。
「黒魔術なんて呼んで、おどろおどろしくしてるのがいけないのよ。古泉くんだって、悪い人じゃないのに、吸血鬼ってだけで怖がられてるのよ? それっておかしいでしょ。だから、そうならないようにしたいの。黒魔術とか白魔術とかって呼び分けなくなったら、同じ魔術師として、吸血鬼も人の中で暮らせるかもしれないでしょ」
驚いた。
それは俺が考えていたこととほとんど同じで、しかも俺よりずっと建設的だった。
「手始めに、」
とハルヒは自信たっぷりの笑みで言った。
「あたしが白魔術と黒魔術両方の術を習得してみせるわ。その上で、違いがないってことを証明してみせるわ」
間違いなく、本気で言っているんだろうな。
そしてハルヒと言う奴は、有言不実行なんて情けない真似はしないのだ。
一体どんな時間の使い方をしているんだと、俺は呆れたね。
朝比奈さんに悪戯をしかけたり、有希を振り回したりしながら、どうしてそこまで早く本を読み、魔術を覚えられるんだ。
「元々の素質の問題かもしれませんね」
そう笑った古泉は、
「彼女が修行のためにと旅に出る日も遠くないかもしれません」
と言ったが、まさかそれが翌日には実現するとは思わなかったらしい。
「旅に出るわ」
唐突に言ったハルヒには、俺も古泉も絶句した。
しかも、
「有希とみくるちゃんも一緒よ」
と笑顔で付け足された。
「なんで長門と朝比奈さんまで連れて行くんだ」
俺が聞くと、
「有希とみくるちゃんがそうしたいって言うからよ」
その言葉に古泉は目を見開き、
「姉さん、どうしてです?」
朝比奈さんは困ったように微笑みながら、
「もうずっと、一樹のお世話になってるでしょ? それじゃ悪いなって、ずっと思ってたの。それに、あたしもずっと旅をして暮らしてきたから、あんまり長い間同じところに住んでると、旅をしたくなってきちゃった」
朝比奈さんは意外と行動的な人だったらしい。
「僕に遠慮はしなくていいんですよ?」
「うん、分かってるわ。でも、遠慮してないからこそ、旅に出たいって言ってるの。ここにいるのが一番、一樹に心配をかけないってことも分かってるけど、それでも旅に出たいから、わがままを言わせて貰っちゃいました」
そう悪戯っぽく笑った朝比奈さんに、古泉は困惑気味に眉を寄せた。
「精気はどうするつもりなんですか?」
「涼宮さんが分けてくれるっていうから、きっと大丈夫です」
それなら大丈夫かもしれないと思いつつ、それでも心配だというのが正直な気持ちだ。
「長門、」
俺はいつもと少しも変わらない様子の長門に聞いた。
「お前も、一緒に出て行くのか?」
「…この館を出て行くというよりも、旅に出るだけ。私は必ず帰ってくる。それに、」
一瞬、長門の目がきらっと光ったように感じたのは気のせいだろうか。
「…主とあなたの邪魔をしたくない。ふたりきりで過ごす時間も必要なはず」
「な、長門…」
余計な気遣いは要らん、と赤面する俺に、古泉も苦笑するしかなかった。
ハルヒが来て以来、長門は本当にどんどん人間らしくなった。
もっとそうなるためには、俺たち以外の人間と接触することが必要なのかもしれない。
「…止めたって、無駄なんだろうな」
「当たり前でしょ」
ハルヒは平然とそう言い放った。
「もしここに閉じ込めようとしたら、壁に穴をぶち開けてでも出て行くわ。あたしと有希とみくるちゃんがいるんだから、それくらいなんでもないんだからね」
それはそうだろう。
「ひとつだけ、約束してください」
古泉は真剣な表情でハルヒを見つめた。
ハルヒも、じっと古泉を見つめ返す。
こうしていると、ちゃんと師弟に見えんこともないではないな。
などと悠長なことを考えていた俺は、古泉の言葉に身を抓まされるような思いがした。
「何か危険な時は、何があろうと、僕を呼んでください。あなたたちの声なら、ちゃんと聞こえますから」
それは、俺も一度言われた言葉だ。
何かあったら呼ぶように言われ、そして俺はその約束を破って死んだ。
自分としてはそうした方がいいという判断の元そうしたわけだが、今こうして約束させる側になると、絶対に俺の真似だけはしてくれるなよと思わずにいられないんだから、わがままなもんだ。
「約束するわ」
ハルヒが言い、長門と朝比奈さんも頷いた。
こりゃもう止めようがないな。
俺は諦めのため息を吐きながら、
「出発はいつにするんだ?」
「明日よ」
「明日!?」
またえらく急だな。
「思い立ったが吉日っていうじゃない」
「…しょうがない。長門、手を貸してくれ。日持ちしそうな食料の作り置を引っ張り出すから」
そうやって、荷造りを手伝ってしまう辺り、俺もお人よしなのかも知れない。
あるいはただの、格好つけかもしれんがな。

わいわい言いながら荷造りをした後、扱き使われて疲れ果てていた俺は、サロンの揺り椅子で眠っていた。
パチパチと暖炉で薪のはぜる音がする。
そのほかには特に変化も音もなかったはずだったのだが、夜明け近くになって、俺は不意に目を覚ました。
体を起こし、館の二階に上がる。
バルコニーに出たところで、古泉がそこに立っていることに気がついた。
「あなたも気がついたんですね」
そう微笑む古泉の向こうには、庭を小走りに走っていく三人娘の姿が見えた。
「全く、あいつらときたら、まともに見送りもさせてくれないんだからな」
小さくため息を吐くと、
「湿っぽくなるのが嫌だったのでしょう。必ず帰ってくるという自信の表れだと思うことにしませんか?」
「…そうだな」
バルコニーの柵に手を掛け、門を開こうとしているハルヒたちに目を細めながら、俺はそっと呟いた。
「…ちゃんと帰って来いよ。ここが、お前たちの家なんだからな」
「いつまでも待ってますよ」
言い添えた古泉に、俺は笑って頷いた。
「いつまでも、な」