放課後になって三十分が経過しても、SOS団の部室にいるのは、涼宮さんと僕のふたりだけだった。 これは極めて珍しいことと言わなければならないだろう。 朝比奈さんが鶴屋さんに連れ出されて不在になることも、長門さんがコンピュータ研究部にいくことも、今となってはそう珍しいことでもないけれど、その二つが重なり、しかも大抵いつも顔を出す彼までもがやってこないなんて。 「どうしたんでしょうね」 僕がそう独り言のように呟くと、パソコンをいじっていた涼宮さんが、 「キョンなら、早く帰って妹ちゃんの面倒を見なきゃいけないとかなんとか言ってたわよ。なんか、風邪引いたんだって」 「ああ、そうでしたか」 それなら、彼がいないことも、彼が帰ることを涼宮さんが了承したことも、納得だ。 彼女は――ことに、ここしばらくの彼女は、素直に優しさや労わりを見せるようになっているから、彼がいくらか困った様子で申し出れば、怒ったように装いながらも快く許したのだろう。 その関係が羨ましい、なんてことを思ってしまうのは、僕が彼を好きだからだ。 友人や仲間としてだけでなく、恋愛感情で、僕は彼が好きだ。 恋しくて、苦しくて、――それを隠すことさえ、耐え難く思われるほどに。 だから僕は、つい、そんなことを言ってしまったのだ。 「もしも、――僕が、彼のことを好きだとしたら、あなたはどうしますか?」 彼女は驚いたような顔をしてパソコン越しに僕を見つめ、そうして、ニヤッと笑った。 少し意地の悪い、からかうような笑みが、どこか彼と似ていた。 「もしも、なんて付けなくていいんじゃないの?」 見透かされていたんだろうか。 それとも、今の発言がまずかったのか。 表情を強張らせたまま、内心で酷くうろたえる僕に、彼女は笑顔のまま言った。 「ライバルね」 「――ああ、やはりあなたも彼のことが好きだったんですね」 「気付いてたの?」 驚いたような顔をした彼女に、僕は曖昧な笑みを返す。 まさか閉鎖空間の発生を根拠に持ち出すことも出来ないが、そうでなくても彼女は分かりやすい方だと思う。 隠せていると思っていたんだろうか。 「まあ、古泉くんって鋭そうだもんね」 その点、と彼女は怒ったように言った。 「キョンってなんであそこまで鈍いのかしら!」 「それについては全く同感ですね」 そう自然に同意を示しながら、僕は驚いていた。 相手は神で、ライバルで、決して気軽に話してはいけないはずの相手なのに。 「古泉くんも、思いっきりスルーされたりしたの?」 「ええ、まあ、そんなところです」 彼の気を惹きたくて、わざと至近距離で話をしたり、冗談のようにとはいえ仄めかしたりしているのに、彼はちっとも気がつかない。 距離が近いのは内緒話をするためだけだと思い、冗談めかして言えば本当に冗談としか思ってくれないのだから。 ため息を吐いた僕に、涼宮さんはいそいそと椅子から立ち上がると、わざわざそれを引っ張って、僕の前に座った。 彼の椅子に座らないのは、僕への配慮なのだろうか。 あるいは、彼の椅子に座るのが照れくさいのかもしれない。 「有希も今日は来ないみたいだし、色々話しましょうよ。古泉くんとこんな風に話すなんて、初めてでしょ」 「ええ、そうですね」 そう笑った僕の顔をのぞきこみながら、彼女は言った。 「ねえ、なんでキョンなの? 有希もみくるちゃんもいるし、古泉くんならより取り見取りじゃないの?」 「恋愛は、選択肢の中から選び取ってするものではないでしょう? 気がつくと好きになっていた相手が、他の誰でなく、彼だったというだけのことでも、僕は嬉しいですよ」 彼が余りに平凡であるがために、その平凡を失った僕ははじめ、彼を少なからず嫌悪していた。 何かを失うこともなく、彼女に選ばれた彼に嫉妬した。 それなのに彼は、――多分に嫌な奴だっただろう僕を嫌いもせず、胡散臭いとかなんとか言いながらも仲間として認めてくれて、必要とあれば助けを求めてくれさえもした。 そんな、一貫性を持つ一連の彼の行動が、僕にとって救いとなってくれた。 だからきっと、僕は彼に恋をしたのだ。 しかし、それを口にすることは出来ず、僕は冗談めいた口調で、 「僕が潜在的に同性愛者であったという可能性も否定は出来ませんけれどね」 と付け足した。 「別に、同性愛者でもなんでもいいわよ。むしろ、そっちの方が面白いわね」 本当に差別も偏見もない――しかし面白がる様子を隠しもしないで、彼女は言った。 「そうですか?」 「だって、普通なんて面白くないでしょ」 「では、どうしてあなたは彼が好きなんです? 普通という意味であれば、彼はかなり普通の男子高校生だと思いますが」 「そうね。でも、キョンはキョンだわ。普通なんて言葉で記号化したり出来ないくらい、面白いと思うの」 そう彼女は魅力的に微笑み、 「それに、キョンって結構個性的だと思うのよ。本人は気がついてないみたいだけど、時々口にする考えも面白いし、変なことに詳しかったりするし」 「そうですね」 本は余り読まないと言っている割に、哲学などマイナーなジャンルの学問に造詣が深いというのがよく分からない。 そのアンバランスさも彼の魅力だと思うのは、あばたもえくぼということだろうか。 「でもやっぱり一番大事なのは、あたしについてこれるってことね」 彼女はそう断言した。 「ついてこれるどころか、あたしも思わなかったようなことを言いだしたりするし、キョンがいるだけで凄く楽しいと思えるの」 ――ああ、それでだったのか。 彼と出会って以来、彼女の精神が落ち着いてきていた理由が、やっと分かった。 不思議が起こらなくても、十分に楽しめていたからだ。 つまりは現実に満足していた。 時々はまだ、変化を求めるようではあるけれど、その結果この世界がなくなることはないだろう。 何故なら彼女は彼を愛していて、彼と一緒ならばこの世界だって十分楽しいものだということを分かってくれているのだ。 「古泉くんは? キョンのどういうところが好きなの?」 「僕は……」 どう言おうかと考えるだけで、彼の姿を思い描いてしまう。 それだけで、自然に笑みが零れる。 「彼の、鈍すぎるところも好きですし、一緒にいて心地よいところも好きです。安らげる、というのでしょうか」 何より、僕のような曖昧でいい加減で、本来なら決して信頼など出来ない人間を信じるばかりか、受け容れてくれるところが好きです。 口には出さずに僕がそう付け加えると、 「……不思議ね」 彼女は呟くように言った。 「同じキョンを好きになったのに、あたしはキョンの面白いところが好きで、古泉くんはその逆の、落ち着けるところが好きだなんて」 「それだけ、彼が色々な部分を持っているということではないでしょうか」 「きっと、あたしが知らないキョンを、古泉くんは見てるのね」 「その逆もあるでしょう」 「そうなら嬉しいんだけど」 そう笑った彼女は僕に、さっきも口にした言葉をもう一度言った。 「あたしたち、ライバルね」 僕は苦笑しながら、 「僕に勝ち目は無さそうですけれど」 「分かんないわよ? キョンがガチなゲイかも知れないじゃない。あたしが言うのも変かもしれないけど、キョンって変わってるでしょ。性別の違いなんかほとんど気にしてなさそうだし」 「敵に塩を送っていいんですか?」 僕を慰めるようなことを言った彼女への驚きを隠さずに僕が言うと、 「敵じゃないわよ。ライバルだもん」 と、分かるような分からないようなことを言った。 「最終的にキョンがあたしを選んでも、古泉くんを選んでも、恨みっこナシよ? 対等なライバル関係なんだから。でも、他の誰か……そうね、SOS団員以外の誰かだったら、一発殴るくらいはするわ。その時は、古泉くんも手を貸しなさい!」 「…ええ、喜んで」 物騒な提案に頷いたのは、彼女の機嫌を損ねないためじゃない。 そんなことを僕に言ってくれる彼女の気持ちが嬉しかったからだ。 「あなたがライバルで嬉しいですよ」 「あたしもよ」 彼女が差し出してきた手を、軽く握る。 「あたしがキョンを好きだってこと、キョンには内緒よ?」 「他の誰にも内緒にしておきましょう。僕の方も、そうしてくださると嬉しいです」 「勿論よ。指きりげんまんでもする?」 そう言った彼女と顔を見合わせて、僕は笑った。 作り笑いでも愛想笑いでもなく、僕自身として心から。 |