くすぐったい



「失礼します」
まだ寝ていようか、それとも起きようかと悩んでいた寝ぼけ頭に、ドアの向こうからの声が、やけにクリアに入り込んできた。
ドアが開き、部屋の中に入ってくる奴があるが、侵入者呼ばわりはしなくていいだろう。
「まだ、お目覚めにならないんですか?」
言葉だけは咎めるようだが、どちらかというと面白がっている声だな。
俺はあくびをしつつ体を起こし、
「早いな」
と古泉に言った。
古泉は苦笑して、
「もうお昼が近いですよ? 全然早くありません」
そうかい。
「洗面所に行って来るから、ちょっと服でも選んどいてくれ」
言い残して、部屋を出ようとした俺を、古泉が背後から抱きしめる。
いきなりなんだ。
「ハグくらい、いいでしょう?」
そりゃあ、悪いとは言わんが……。
「こうすると、」
と古泉は俺の肩に自分の頭を埋めるようにして言った。
くすぐったい。
「あなたの体温も、匂いも、鼓動まで感じられて、落ち着くんです」
そういえばこいつは、俺に告白してきた時にもそんなことを言ってたな。
俺といると心地いいから俺が好きだとかなんとか。
超能力者ってのもストレスの多い稼業らしい。
ボランティアじゃないだけマシなのか、報酬をもらうからこそ逃れ難いのか分からないが、どちらにしろ、
「…あんまり無理はするなよ」
と言って、古泉の頭を撫でると、嬉しそうに笑いながら俺を解放した。
「すみません、邪魔をしてしまいましたね」
「いや、どうせお前と出かけるだけだから、多少時間を取ったところで構わんが」
「ありがとうございます。でも、せっかくですから出来るだけ長くふたりで過ごしたいですし」
それなら、急いで支度をするとしよう。
「すみません」
ドアを開けた俺は古泉を振り返り、
「…今度無駄に謝ったら、なんかするぞ」
「え、な、なんかって何ですか」
らしくもなく慌てる古泉に、俺はニッと笑いながら、
「さあな」
とドアを閉めた。

コーディネートを古泉がしたところで、中身の俺に変わりはないし、服だって所詮俺の服であるため、出来映えが劇的に変わったりすることはないのだが、多分いつもより少しはマシだろう。
古泉にとっての昼食、俺にとっての朝飯を、昼でもモーニングをやってる喫茶店でだらだらと食いながら、
「今日はどこに行くんだ?」
と古泉に聞くと、古泉は、
「僕はどこでも構いませんよ。あなたと一緒にいられるのでしたら」
「俺も特に行きたい場所はないんだが…」
いっそこのままお前の部屋に行ってごろごろしたっていいと思うが、それでいいんだろうか。
「わざわざ出かけたりしなくても、あなたといられるだけで、僕は十分嬉しいですよ」
と古泉は言った。
こういう時の古泉は、俺の言うことに逆らったりはしないものだが、それでもやけに嬉しそうに頷くので、俺までつられて笑みを浮かべながら、
「ところで、……口の端に卵の黄身がついてるぞ」
「え!」
ぱっと赤くなる古泉に喉を震わせて笑いながら、紙ナプキンを取ってそれを拭い取ってやる。
「あ、ありがとうございます」
「いや」
それにしてもお前、やっぱり結構子供っぽいよな。
副団長でも超能力者でもないただの古泉一樹は。
そう指摘してやると、古泉は恥ずかしそうに視線を伏せながら、
「いけませんか?」
面白くはあるが、悪くはないさ。
感情表現が多少オーバーでも、その方が自然に見えるからな。
そんなことを言いながら、俺は残っていた目玉焼きを平らげ、コーヒーをすすった。
ちまちまと物を食べるからか、俺より食べるのが遅い古泉を待ってやって、店を出た。
天気がいいこともあり、俺たち意外にも出歩いている人間は多いらしい。
人ごみにまぎれて古泉の手を握ってやると、ぱっと俺を見た古泉の顔が赤く染まっていた。
「文句でもあるのか?」
ないと知っていながらそう聞くと、
「いえ…」
もごもごと答えられた。
「嬉しいだけです」
「…なら、もう少し嬉しがれ」
「…はい」
握り返された手が痛いくらいだが、それさえ快いのは俺がM男体質だからではなく、古泉を好きだからなんだろう。
古泉に告白されて始まった関係であり、それまでの俺は古泉どころか誰かと付き合うということさえ全く想定していなかったのだが、それでも古泉を好きだと思う。
普段なら見せないような子供染みた仕草も、頼りないところもひっくるめて。
知らない部分をもっと見たいと思うくらいには、古泉が好きだな、うん。
照れ隠しに足を速めても、俺より背が高く、つまりは脚も長い古泉には、問題にすらなりやしねえ。
そんな古泉を妬んでいるのか、それともそんな古泉と一緒にいられることを嬉しく思ってるのか分からなくなりながら、俺は歩き続けた。

こうやって、古泉の部屋に上がりこむのも、もう何度目だろうな。
だからと言って妙な邪推はするなよ。
何しろ古泉は手を握るだけで赤くなるような奴だからな。
この年頃の男ってやつはもう少し体が先行するものじゃないかと思いもするのだが、古泉が満足してるならいい。
それに、俺も特にどうこうしたいというわけでもないのだ。
ただ、体温が感じられるくらい近くにいて、ぼんやりしているだけでも満たされる。
我ながら呆れずにはいられない。
どれだけ好きなんだと思うと苦笑するしかないし、むしろ枯れてんじゃないかと思いもする。
だがまあ、誰もが同じことをしなければならないという決まりはないし、あったところで既に俺たちの関係は世間一般のそれから見ると完全にイレギュラーである以上そんなものを気に病んだところで意味もないだろう。
「ふわぁ…」
俺がくだらないことを考えていると、古泉が隣りであくびをした。
ちなみに今何をしていたのかというと、二人並んでソファに腰を下ろしてDVDを見ていたのだが、退屈だったんだろうか。
それとも、あと少しで終るから結末が見えたのか?
「つまらないのか?」
「いえ、そうではなくてですね」
と古泉はまたあくびをして、
「心地よいと眠くなりませんか?」
まあ、なることもあるな。
「あなたといるのに眠ってしまうのは勿体無い気がするんですけどね」
苦笑した古泉に、
「眠いなら寝ろよ」
と言ってやると、
「そうですね」
言いながら、古泉が俺の膝に頭を載せるようにして横になった。
「こら、ポテトが食えんだろうが」
俺の左手にはここに来る途中で買ってきたポテトチップスの袋が握られており、さっきまで古泉をそれを食べていたのだが、膝枕をさせられると袋をどこかに置くことも食べ続けることも出来ない。
「どうしてです? 食べたらいいじゃありませんか」
「この状態で食うとお前の顔に落ちるだろ」
俺がそう言っても、古泉はあっさりと、
「ああ、別に気にしませんからどうぞ」
そんな笑顔で言われてもな…。
「……ねえ」
俺の複雑な心境を考えもせずに、古泉の手が俺の体に回される。
「あなたが好きですよ…」
眠そうな声だな。
もう半分くらい眠ってるんじゃないのか?
「ちゃんと起きてますー…」
その手が痛いくらいに俺を抱きしめる。
「…甘ったれ」
そう言って俺は袋の中に手を突っ込み、ポテトを二枚取り出すと、一枚をくわえ、もう一枚を古泉の口に突っ込んでやった。
黙ってろという思いも込めて。
そのまましばらく、ポテトチップスのぱりぱり言う音だけが響いていたのだが、不意に古泉が言った。
「本当に……夢じゃないんですよね…」
何がだ。
「あなたとこうしていることです。……あなたは涼宮さんと付き合うものだとばかり思っていましたから」
「だからそれはお前の勝手な妄想だろ。そもそも、あいつが俺にそういう意味での好意を抱いていると思えん」
「そうですか?」
「そうだ」
断言してやると、古泉は曖昧な笑みを浮かべて黙り込んだ。
何か言いたそうだな。
「いえ。……もし、涼宮さんがあなたを好きだとしたら、付き合って欲しいと言ってきたら、どうします?」
「古泉と付き合ってるからすまん、とでも言って断る」
言うまでもないことをわざわざ言わせるな、と俺は思ったのに、古泉は俺が即答したことに驚いたらしい。
「…本気ですか?」
「ああ。……文句でもあるのか?」
「いえ……」
機関の立場としては、それでは世界が崩壊するとでも言いたいんだろうが、その程度のことでハルヒがそんなことをやらかすとは思えない。
大体、世界がなくなっちまったら余計につまらなくなるんじゃないのか?
新しく世界を作って、そこがどんなに面白い世界であったとしても、ハルヒは満足なんてしないだろう。
向上心が高いとでも言えば聞こえはいいが、要するに現状に不満を抱きがちなのがハルヒだからな。
最近じゃあ自分でなんとか面白くすることを覚え、しかも味を占めちまったようだから、多少はマシなのかもしれないが。
「…嬉しいです」
ぎゅう、と抱きしめられる。
「それくらい考えた上で、僕を選んでくれるんですね」
「…まあ、な」
猛烈に照れ臭いから、今は俺の顔を見ないでもらいたい。
なのに古泉は、妙に心細げに聞いてくる。
「…僕のこと、好きですか?」
そんな声で聞かれたら、お前の顔から目を逸らせないだろうが。
「好きじゃなかったら、こんなことしてないだろ」
分かりきったことを聞くな。
「…分かりきったこと、ですか」
呟いた古泉が、小さく笑う。
「そうですね」
楽しそうに笑いながら、
「僕は、あなたが好きです。いくら言っても足りないくらい、大好きです」
くすぐったい。
「愛してます」
本当にむず痒いくらいに思えるんだが、古泉はやめるつもりなどないらしい。
そんな風に繰り返し何度も愛してるというくせに、古泉は俺にキスさえしてこない。
馬鹿馬鹿しくなるくらい、清らかな関係だ。
それを不満に思わないのは、古泉が無理に我慢しているわけじゃないと分かっているからだろうか。
あるいは、こうして体温を感じられるだけで満たされるからかもしれない。
「心の底から、愛してますよ」
余計にくすぐったく感じられる言葉をどうにか止めてやろうと、俺は古泉の顔を覗き込み、
「…愛してるぞ」
と言ってやった。
古泉は面白いくらい真っ赤になり、予定通り黙り込んでくれた。