今日は朝、目が覚めた時から体がだるかった。 少し熱っぽいのか、頭がぼーっとしている。 中学の頃なら、それだけで休むところだけれど、今はそうはいかない。 そんなことをして涼宮さんの機嫌を損ねてはならないからだ。 放課後になっても体のだるさは抜けず、疲れはいよいよ蓄積するばかりだった。 しかし、だからと言ってサボるわけにもいかないだろう。 バイトが入れば抜けられるだろうが、バイトが入ったら入ったで、余計に疲れるだろうと思うから、それを望むことはしない。 それに、部室に行けば大抵彼がいて、彼に会えれば多少気分も上昇してくれるから、その方がよっぽどいいだろう。 そんなことを思いながら部室のドアをノックしたけれど、返事はなかった。 この時間帯なら、長門さんだけがいるパターンかな。 「失礼します」 声を掛けながらドアを開けると、やはり長門さんだけがいた。 「こんにちは、今日も早いですね」 と一応言ってみるが、返事はない。 いつものことだから今更気にはしないけれど、もう少し歩み寄りたいと思うのは、僕も彼女も同じSOS団の仲間だと思っているからだ。 軽く肩を竦めながら荷物を置き、パイプ椅子に座る。 今日は何をして過ごそうか、と思っていると、いきなり額に冷たいものが触れた。 「え……っと、長門さん…?」 さっきまで窓際の定位置にいたはずの彼女が突然僕のすぐ側に現れ、額に触れてきたのだ。 僕が驚いても仕方のないことだと思いたい。 それでもなんとかいつもの調子を取り戻しつつ、 「どうかしましたか?」 と聞くと、彼女は表情を少しも動かさず、 「…なんでもない」 と手を離した。 彼女の手が冷たかったからか、少し体から熱っぽさが抜けた気がする。 彼女のことだからあるいは、僕の体から余分な熱を抜くくらいのことは出来るのかも知れない。 「……ありがとうございます」 変に思われるかも知れない、と思いつつそう言うと、さっさと定位置に戻っていた彼女が、本を広げながら小さく頷いてくれた。 そのことが嬉しくて、小さく笑みを浮かべると、ドアが開いた。 「こんにちは」 顔を出したのは朝比奈さんだ。 「こんにちは」 と返しつつ、僕は椅子から立ち上がり、着替えをする彼女のために、彼女と入れ替わりに部室を出た。 廊下に立ち、窓の外に目を向けるが、特に何かを見ているという感覚はない。 ただ目を開けているだけだ。 考えることといえばこの後何をしようかという程度のものしかない。 それなのに、それを考えることさえ億劫で、彼が来てから彼に決めてもらえばいいと思った。 「着替え終りました」 朝比奈さんの言葉に振り返ると、メイド服に着替えた朝比奈さんが立っていた。 「今、お茶を淹れますね」 「ありがとうございます」 お礼の言葉を言いながら、部屋に戻り、椅子に座りなおす。 少しして、朝比奈さんは湯飲みと共に銀紙に包まれたチョコレートをひとつ僕の前に置いた。 「もらい物なんだけど、おひとつどうぞ」 と微笑む彼女に、 「いいんですか?」 「ええ。…あ、でも、」 と彼女は悪戯っぽく笑い、 「キョンくんと涼宮さんには内緒、ね? それで最後なの」 「それなら僕は遠慮しますよ」 「あ、いいの。古泉くんに食べてもらいたいから。疲れてる時は甘いものを取った方がいいですよ?」 どうやら、疲れているのを見抜かれてしまっていたらしい。 僕は苦笑しつつ、 「すみません。それでは、遠慮なく頂きますね」 チョコレートの銀紙を剥がし、口に放り込んだところでドアがノックされた。 慌てて銀紙をポケットに突っ込む僕に、朝比奈さんは小さく笑って、 「間一髪でしたね」 と言ってから、 「はぁい」 とドアを開けに行った。 入ってきたのは彼で、 「こんにちは、朝比奈さん」 僕にはなかなか向けてくれないような笑みを浮かべて言った。 それでも僕にも、 「よう、古泉」 と言ってくれるのが嬉しい。 「こんにちは」 「今日は珍しく不景気な面だな」 そんな風に心配されるのは嬉しいけれど、少し困ってしまいそうだ。 嬉しさを押し隠すのが大変になりそうで。 「そんなこともないと思いますけど…」 湧き上がってくる笑みを苦笑の形に修正しながら僕が言うと、 「そうか? …まあいい」 オセロでもするか、と率先して取ってきてくれるなんて、どういう風の吹き回しだろう。 笑みを抑えきれなくなって笑っていると、 「にやにやするな」 と叱られたけれど。 そうしてふたりでオセロをしていると、 「やっほー!」 元気よく涼宮さんが飛び込んできた。 その元気、僕にも少し分けてくださいと言いたくなるくらいだ。 「こんにちは」 朝比奈さんと共にそう言うと、涼宮さんはちょっと首を傾げながら僕に近づいてきた。 何か失敗してしまったんだろうか。 内心で青褪める僕の顔をのぞきこみ、 「古泉くん、調子悪そうね。大丈夫なの?」 「ええ」 とっさにそう答えたが、彼女に気付かれるという失態を犯したことにどうしようもなくうろたえていた。 一番気付かれるとまずい人に気付かれるなんて。 「…本当に大丈夫?」 「ええ、大丈夫です」 「……ならいいんだけど」 そう言った彼女は見るからに不機嫌そうで、小規模とはいえ閉鎖空間が発生したのが分かった。 僕なんかのことで心を痛めなくていいのに。 困った、と顔を顰めたところで携帯が鳴った。 てっきりメールだと思ったのに、電話だったらしい。 「ちょっと失礼します」 と言って席を立ち、廊下に出る。 そうして通話ボタンを押し、 「もしもし」 『今日は出なくていいわ』 開口一番、森さんが言った。 「え…」 『閉鎖空間の規模も小さいし、手は足りてるわ。それに、古泉も最近忙しくしていたでしょう。だから、来なくてかまいません』 「でも、それでは…」 『むしろ、来ないでください』 厳しい声に驚くと、 『足手まといです』 「……あの、森さん」 『はい?』 僕は声に笑いを滲ませないよう気をつけながら言った。 「心配してくださるんでしたら、もう少しストレートに心配してくださいませんか?」 『ストレートに言ったところで古泉は聞かないでしょう。…とにかく、分かりましたね?』 「了解です」 電話を切りかけて、僕は慌てて言い足した。 「ありがとうございます」 それが森さんに聞こえたかは分からないけれど。 部屋に戻ると、 「バイトか?」 心配しているような声で、彼に聞かれた。 「いえ、違います」 「そうか」 椅子に座った僕から微妙に目を逸らしながら、 「…無理はするなよ」 と照れたような表情で言った彼に、 「しませんよ」 と笑顔で嘘を吐いた。 本当なら、彼のためならいくらだって無理でも無茶でも出来るんだけど、それを言ったところで喜ばれはしないんだろうな。 「ありがとうございます」 僕がそう言うと彼は眉間に皺を寄せながら、 「何に対する礼だ」 と不機嫌を装った声で言った。 「さて、何でしょうね」 彼はそれきり黙りこんだけれど、ほんのりと頬が赤くなっていた。 それにしても今日は、みんなに心配されてばかりだ。 それを不甲斐無く思うべきなのに、嬉しくてたまらない。 だから僕は別れ際に、 「ありがとうございました」 と誰にともなく言っておいた。 それに対する各人の反応はまちまちだったけれど、どれもその人らしいものだったから、改めて言うまでもないと思う。 ここにいられて、僕は本当に幸せです。 |