放課後、古泉に呼び出された先は、屋上だった。 またハルヒが何かやらかしたんだろうか。 いやしかし、最近のハルヒは躁病を疑ったっていいくらいのハイテンションで、毎日を面白おかしく過ごしていたように見えたから、閉鎖空間の頻発や妙な事件とは縁遠いように思える。 もっとも、ハルヒがあの笑顔の顔の下でどんな不満を抱えているかなんてことは、所詮一年程度の付き合いにしかならない俺には分かりもしない。 その辺りは古泉の管轄でもあるからな。 だから俺は素直に呼び出しに応じ、屋上に上がった。 本来なら施錠されているはずなのだが、それくらいどうとでもなるんだろう。 軽くドアノブをひねると、余り開閉されていないドア特有の、微妙な軋みを感じさせながら、ドアが開いた。 その向こうには、古泉が立っている。 それだけで絵になるって、顔のいい奴は本当に得だな。 あるいはそれは、古泉の表情がどこか憂いを帯びていたせいかも知れないが。 アンニュイな空気を醸し出してどうした。 何か悩み事か。 「ええ」 古泉が頷いた。 「もしかして、呼び出しって相談したいってことだったのか?」 俺が問うと、古泉は苦笑混じりに頷き、 「そんなところです。……すみません、私事でこんなところに呼び出したりして」 「いや、それはいいんだ」 古泉との付き合いはまだ一年にも満たないが、短い時間を補って有り余るくらい、色々なことを一緒に乗り越えてきた。 だから、俺はこいつを仲間だと認識しているし、そうであれば力になってやりたいとも思う。 「……ありがとうございます」 礼を言いながらも、古泉の表情は余計に暗くなっちまった。 一体、なんなんだ。 「いえ、……もう、仲間とも言ってもらえなくなるだろうことを、これから言わなければならないものですから」 そう言った古泉が、いつになく真剣な表情で、俺を見つめた。 よっぽど深刻な悩みなのか。 それにしては、さっきの発言が妙だった気がするのだが。 「――あなたが、」 俺が? 「…好きです」 ……好き? 俺は首を傾げつつ、 「わざわざこんな所に呼び出して言うってことは、友人として好きってんじゃないんだよな?」 「え、ええ」 俺の反応がよっぽど予想外だったのか、古泉は驚きを滲ませながら答えた。 「あなたのことが、恋愛対象として、好きです」 思いを告げるというよりもむしろ、それを断ち切りたいかのように、一言一言区切りながら言った古泉に、俺は考え込んだ。 そもそも俺は色恋沙汰なんざ程遠い世界にいるものであり、自分がこんな風に呼び出されたところで「告白」というシチュエーションすら思い描けなかった。 それくらい、誰かと付き合うなんてことを考えたこともなかったのだが、この場合どう答えればいいんだろうな。 というか、俺は思いを告げられただけなのか? 答えは求められてないのか? いや、聞かれなかったら答えなくてもいいというようなものでもないだろうとは思うんだが。 俺が黙り込んでいるからか、いよいよ重苦しい表情になる古泉に、俺は尋ねた。 「それで、俺は返事をすればいいのか?」 「…返事を、くださるんですか?」 そりゃな。 しかし――本当に、どう答えればいいんだ。 一応彼女がいたりすることも時たまながらある谷口辺りに聞いてみておけばよかった。 8割方自慢話になったところで、2割は拾うところがあっただろうに。 「……とりあえず、」 俺が口を開くと、古泉が反射的に目を閉じた。 そう怯えるなよ。 「友人としては、結構好きだな」 「…友人として、ですか……」 がっくりするかと思ったらなんだ、かえってほっとしたように見えるのは俺の気のせいか? 「気のせいじゃありませんよ。気持ち悪がられなかっただけでも、本当は十分嬉しいんです」 そう古泉は笑ったが、どう見ても作り損なった笑みだった。 「最初から、受け容れられるとは思ってませんでしたし…」 言いながら、その目に薄っすらと涙が滲む。 「泣くのは気が早いと思うんだが」 「……どういう、ことですか…?」 訝しむように俺を見る古泉に、 「とりあえずって言っただろ」 と言ってやる。 「正直、人に告白されるってこと自体が、俺にとっては想定外もいいところでな。とっさに答えが出せるとも思えん。だから、俺に時間をくれ」 「時間……ですか…」 ああ、そうだ。 ちゃんと考えて、自分でも納得出来るような答えを出して、それをお前に伝えてやりたい。 「……そこまで、真剣に考えてくださるんですか、あなたは…」 呆れたように呟いた声音が、どこか嬉しそうに震えた。 「僕が、あなたと同じ男だから、それだけで、一蹴されると、思ってたのに……」 「性別は断る理由にならんだろ」 何でそんな風に考えるんだか分からん。 俺が言うと、古泉はぽかんとして、それから小さく笑った。 「あなたの方が、多分特殊ですよ」 そうか? 「ええ、性別はそんなに軽いものではないはずですよ」 そんなものなんだろうか。 親しくしてない野郎にいきなり告白されたり声を掛けられたりしたら流石にぞっとする気がするが、古泉にこうして告白されても特にそんなことはない。 ……そういえば、結局誤解だと分かったものの、いきなり告白されたように思わざるを得なかったような事件も、あったな。 あの時は本気で慌てたせいで、思考も呆れるほどに暴走してくれたが、今は驚くほど落ち着いている。 ヘテロタイプだ何だのと思いもしないし、そんなものを言い訳に断ろうとも思わない。 古泉を殴りたいとも思わないな。 つまり、性別は関係ないわけだ。 中河ならぞっとするほど嫌で、古泉なら平気ってのは、なんだ。 顔の違いか? 割と面食いだという自覚はあったが、男相手にも有効だったんだろうか。 うぅむ、と考え込んだ俺だったが、ここで悩んだところで日が暮れると判断し、 「返事はまたでいいか? いつになるかは正直分からんが、それまで保留ってことで」 「ええ、構いません」 そう答えた古泉は、自分が狐か狸に化かされていることを疑うような顔つきをしていやがった。 しかし、部室に行った時にはすでに平常仕様の顔に戻っていたのは流石だな。 家に帰り、荷物を放り出した俺は、制服を着替えもせずにベッドに横になった。 ごろごろと寝そべってベストポジションを探り出しつつ、考え込む。 古泉が俺を好き、ねぇ? あの悲愴な様子からして、冗談や機関の陰謀ではないんだろう。 どちらにしろ、そうする意図が見当たらないしな。 しかし、本心だとしても分からないことだらけだ。 まず、なんで俺なのかということ。 自分で言うのも癪だが、俺は顔も頭もその他大抵の能力は平均的、あるいは平均より下の水準でしかない、平々凡々としたつまらない人間だ。 それこそ、ハルヒに目をつけられた理由が未だに分からないくらいには、一般庶民だと思う。 それなのに、古泉は俺を好きだと言う。 性別がどうのと言っていた口ぶりからして、自分でも長いこと検討してきたんだろう。 古泉の立場を鑑みれば、俺に告白してきたことだけでもかなりの蛮勇に値するだろうからな。 何しろ、機関はハルヒが俺に惚れてるなんて馬鹿げたことを信じ込んでいるらしい。 それなら、その構成員が俺に告白するなんて、許しやしねえだろう。 古泉自身も、自分を咎めたかもしれない。 だから、ああして苦しげな顔をしていたんじゃないか。 溜め込んで、押さえ込んで、それでも耐えられなかったから、俺に振られるつもりで告白してきた。 勝手な妄想かもしれないが、多分、間違ってないと思う。 ああやって振ってもらいたがってたからこそ、俺は古泉が気になったんだという気もするが。 古泉は本当に分からない奴だと思わざるを得ない。 なんせ、同級生に対して敬語で喋り、解説役を自任し、そのくせ分かり辛い喩えを持ち出して説明するような奴だ。 第一印象こそさして悪くはなかったものの、超能力云々の話をされた時点で好感度が最低レベルにまで下降したことは言うまでもない。 その後、様々な事件だかなんだかに巻き込まれたおかげで、じわじわと上昇したがな。 その好感度の上昇さえ、まずいことだとでも言うのか、古泉は時々俺に自分を不審人物であると主張したいかのような怪しげな発言をすることを忘れない。 自分を信用するなとでも言いたいんだろうか。 胡散臭さなんてものは演出するものじゃないだろうに。 それくらい古泉と親しんだ、あるいは、親しんでしまった俺が、未だに思うのは「勿体無い」ということだ。 古泉がSOS団にいることも、機関所属の超能力者として本人の望まない非凡な青春を送っていることも、勿体無いと思う。 顔もよく頭もよく人付き合いも如才なくこなす古泉なら、普通の高校生としてももっと活躍出来るだろう。 運動部に入ろうと文化部に入ろうと、目立ちそうだ。 それなのに、あんなわけの分からない活動に参加し、神様疑惑保持者の機嫌取りとは、同情の余り涙が出そう、というのはちとオーバーだが、似たような心持ちにはなる。 嫌味なくらい優秀な古泉が、俺を好き? それこそ、勿体無いの極みだな。 古泉なら大抵の女の子はなびくだろ。 柔らかな笑みでも浮かべつつ、あの妙に甘ったるい声で、薄ら寒い愛の言葉の一連なりでも述べればいい。 相手がよっぽど特殊な趣味でもない限り、二つ返事でOKしてくれるだろうさ。 それなのに、俺。 あいつが言ったように、同じ男だ。 しかもこれといった特徴もなく、ハルヒという局地的大型台風に巻き込まれさえしなければ、クラス替えが行われる時期が来ても名前と顔をクラスメイト全員に覚えられることだってなかっただろう、平凡な俺だ。 やっぱり、よく分からん奴だ。 あんな顔して俺に告白するくらいなら、朝比奈さんか長門に告白するほうがまだ納得できるというものなのだが。 ――いくら考えても埒が明かん。 と俺はため息を吐いた。 そろそろ夕食の時間だから、いい加減結論を出すかどうかして、すっきりしたいんだが。 ……よし、切り口を変えてみよう。 仮に、古泉がガチなゲイだったとしたらどうだ。 どうあっても女性に対して恋愛感情を持てないとしたら。 そうなると、朝比奈さんや長門他、魅力的な女性陣はそもそも選択肢に入らないということになる。 で、あいつの高校生活というものはどうやらSOS団を中心にしているようだから、俺がそうであるように、あいつも、俺がこの一年で一番多く口をきいた男なんだろう。 長期休業中を除けば、毎日のように顔突き合わせて、ゲームだのハルヒには聞かせられない相談だのをしていれば、刷り込みか何かの如く惚れるということも起こり得るのかもしれない。 それなら、納得……か? いや、なんか間違ってる気がする。 だが間違ってるのはどこだ? 違和感の源は? 首が痛くなりそうなくらい首をひねった俺は、ぽんと手を打った。 納得出来ないのは、あいつの知り合いが俺ばかりではないということを知ってるからだ。 俺に対してよりよっぽど裏のない態度を取れる――あるいは裏のみを見せている――相手が、あいつにはいるじゃないか。 生徒会長だ。 顔よし、成績も多分よし、演技でとはいえ人を引っ張っていけるだけのカリスマ性も備えているような人だから、俺よりよっぽどいいと思うんだが、古泉の価値判断基準はどうなってるんだ。 こればかりは面と向かって聞くしかないんだろうか。 うんうん唸っていたせいか、 「キョンくんご飯だよー」 と俺を呼びにきた妹に、 「お腹でも痛いのー?」 と言われちまった。 懸案事項のせいで、ろくに味わうことも出来なかった夕食の後、俺は谷口に電話を掛けてみた。 こういう時に話を聞けるのが谷口くらいしかいないというのも情けないが、こればっかりはしょうがないだろう。 ぼちぼちと宿題の話などをした後、俺はストレートに切り出した。 「これまで友人だとしか思ってなかった相手に告白されたら、おまえならどうする?」 『何だと? お前、告白されたのか!?』 まあそうなんだが……、そこまで興奮するな、鬱陶しい。 『誰だ? まさか涼宮か!?』 違う。 『じゃあ誰だよ。まさかあの長門有希か?』 「詮索せずに、質問に答えろよ」 『って言われてもなぁ…』 と谷口は少し黙った後、 『本当に、友人だとしか思ってなかったのか?』 「ああ」 『まあ、キョンならあり得ない話でもないか』 どこか呆れを含んだ声で谷口は言い、 『嫌いじゃないんだろ?』 「ああ」 むしろ、好きな部類に入るだろうな。 『なら、付き合えばいいんじゃねえのか?』 「嫌いじゃなかったら付き合うのか?」 俺が眉を寄せながら言うと、谷口は呆れきった口調で、 『結婚相手を決めるってんじゃないんだから、そう硬く考えるなよ。今時の男女交際なんて、一月か二月続けばいい方だろ』 知らん。 単純にお前がさっさと振られるだけじゃないのか。 『お前なぁ…』 一瞬怒った谷口だったが、それは本当に一瞬で、 『まあ、精々悩めよ』 「言うまでもないと思うが、言いふらすなよ。相手にも悪いからな」 『分かってるって』 本当だかどうか疑わしいような軽さで谷口はそう答え、俺は電話を切った。 やっぱり、あんまり参考にならなかったな。 いや、参考になったといえばなったんだが……そうなると、古泉と付き合うという結論になる。 そうなるのが悪いというわけじゃないが、そうなったらこれまでとどう変わるのかが分からない。 古泉と一緒に出かけるとか? 思い出すのは少し前の探索で、古泉と二人になっちまった時のことだ。 手持ち無沙汰というか、あの時は目の前にでかい懸案事項がぶら下がってたせいで古泉の様子を気にする余裕もなかったんだが、あいつはもしかして、あれでも嬉しがっていたんだろうか。 くだらない話と、超能力者的視点の話くらいしかしなかったと思うんだが、それでも……あいつは、楽しんでたんだろうか。 そうだとしたら、寂しいことだ。 あの程度のことで喜びを感じる高校生なんて、今時いるかよ。 哀し過ぎる。 胸の内に広がるこの感情が同情なのか、それとも年の離れた妹がいるせいで培われた兄貴気質なのか分からない。 ただそれでも、もう少しだけでもいいから、古泉を喜ばせてやりたいと思った。 返事をするから、と俺は古泉を屋上へ呼び出した。 神妙な面持ちで現れた古泉に、 「なんで俺なんだ?」 と聞くと苦笑された。 「なんでと言われましても、一言では言い表せませんね」 別に一言で答えろとは言ってないだろ。 日が暮れない程度なら、長くなってもちゃんと聞く。 ただし、あんまり寒々しい言い回しはするなよ。 「分かりました」 そう微笑んだ古泉は、どこか嬉しそうに言葉を口にした。 「あなたがあなただから、僕はあなたが好きなんです。考え方も、声も、顔立ちも、あなたの全てが僕は好きです。どんなに非常識で、理解し難いことにぶつかっても、冷静にそれを判断し、許容し、また解決を求めるあなたの強さが好きです。鋭い洞察力を持ち合わせておいでなのに、こと恋愛となると全く頓着しない鈍さも好きです。自分からはあまり踏み込まず、でも、こちらから働きかければいくらでも話を聞いてくださる優しさと、バランス感覚も素晴らしいと思います。あなたを構成する要素の全てが、好きなんです」 十分寒い発言だと思う。 何回好きと言えば気が済むんだ、とも。 だが、それ以上にくすぐったくて、嬉しかった。 褒められることよりむしろ、古泉みたいなよく出来た奴に認められているということが。 そんなことを思いながら、黙って聞いていた俺に、古泉は笑みを見せた。 抑え切れない嬉しさがどうしても顔に表れてしまったかのような、笑みを。 「一番の理由は、あなたの側にいるということが、それだけで心地よいからです。戦いに疲れて荒んでいた僕の心を解してくださったのも、僕にとっての世界を変容させた彼女を憎む心さえ溶かしてくださったのも、あなたなんです。あなたが、僕を受け容れてくれたからなんです。これは、あなたでなければ絶対に出来なかったことですよ」 その言葉に、笑顔に、思わずときめいた。 古泉がこんな風に笑うなんて知らなかった。 見ただけで、俺まで嬉しくなるような明るい笑み。 そう笑えるのも、俺のせいだとしたら、それは俺にとっても喜びだ。 誇らしいとさえ言ってもいいかも知れん。 「これで、判断材料は集まりましたか?」 問いかけてくる古泉の表情はまたいつもの笑みに戻っていた。 心なしか緊張に強張ったような、曖昧な笑み。 「ああ」 答えながら俺は、古泉を見た。 固く握りこまれた手。 かすかに震える唇。 期待だか不安だか分からないものに揺らぐ目に、何より惹かれた。 「試しに、」 付けるかどうか迷った言葉を結局付けることにしたのは、まだ自分に自信が足りないせいだ。 実際そうなれば、すぐさま古泉は俺に幻滅するんじゃないかとか、色々と思っちまったんだよ。 生憎、褒められることに慣れちゃいないんでな。 「付き合ったんでも、いいか?」 「……本当ですか?」 「た、試しにだぞ。俺はお前が思ってるようじゃないかも知れねえし、俺の方も恋愛感情を持てるかどうかも分からん。だから、」 ぐだぐだと言い募ろうとした俺を、古泉が痛いくらいに抱きしめた。 顔は見えないが、喜んでいるだろうことだけははっきり分かった。 「嬉しいです」 弾む声で言われた。 「試しにでも、付き合ってもらえるなんて、夢みたいです。本当に、本当なんですよね?」 「…ああ」 答えながら、古泉の背へ腕を回す。 こいつ、こんな奴だったのか。 こんな風に、あからさまに感情を露わにすることだって出来たのか。 もっと知りたい。 超能力者でも、SOS団副団長でもない、古泉一樹を。 そう思うってことはつまり、既に惚れたようなもんなんだろうか。 |