気がつくと、目が自動追尾装置でも取り付けられているかのように古泉の姿を追っていた。 理由も分からないまま見つめ続けるうちに、古泉の色々な姿を知った。 たとえば、勝負には弱いくせに、チェスの駒を扱ったり、トランプのカードを切ったりする手つきがやけに優雅に見えること。 あるいは、見た目とキャラクターにそぐわないほど乱暴な筆致。 それから、ミクロン単位しか違いの表れない、疲れに強張った笑み。 そんなものを一々見つけるのが何故だか楽しかった。 見つけながら、嫌味たらしいだの、似合わないだの好き勝手なことを思ったり、もう少し分かりやすく疲れを見せろと思ったりもした。 知るほどに知りたくなるというのは人類の業なんだろうか。 気がつくと俺は古泉から目が離せなくなり、そのために、古泉にそれを気付かれていた。 「どうして僕を見ていたんです?」 他のメンバーが帰っちまった放課後の部室でそう問われ、俺は心情的にホールドアップ状態で答えた。 逃げ場なんてなかったからな。 「お前のことを知りたいって思っただけだ」 「それはまたどうしてです?」 知るか。 気がついたらそう思ってたんだ。 「知りたい、ですか」 古泉は口の端を笑みの形に吊り上げながら指で押さえた。 込み上げてくる嬉しさを抑えるような表情。 だが、なんでそんな顔をする必要があるんだ。 「それは嬉しいけれど困ったことだからですよ」 胡散臭い笑みを作りながら、古泉はそう言った。 「相手のことを知りたいと思うのは、それが戦略的に必要だからなどといった攻撃的な意思を含む場合を除けば、相手にもっと好かれたいという願望があるからだと思いませんか?」 答えない俺に苦笑しつつ、古泉は続ける。 「企業が市場に対して行う市場調査だってそうでしょう。消費者のことをもっと知りたいからこそ行われ、どうして知りたいのかと言えば、自社のことを消費者に好きになってもらいたいからです。そのための効果的な方法を考え出すために調査するんです。それは個人だって同じではないでしょうか」 「それはそうかもな。だからどうした」 苛立ちながら俺はそう言った。 自分がどうして苛立つのかも分からないまま。 「その理論で行くと、つまり、あなたは僕に好かれたいと思っているんですよ」 ――ちょっと待て、落ち着け古泉。 お前は突然何を言い出すんだ。 「おや、お気に召しませんでしたか? ちゃんとした三段論法になっていたはずなんですけれど」 三段論法どころかトンデモ論法だ。 そんな結論があるか。 「それならばあなたが理論展開してくださいますか。ご自身のことでは客観的に論じることは出来ないでしょうから、僕のことを」 俺にどうしろって言うんだ。 「簡単です。『あなたは僕に好かれたいと思っている』という結論を導き出した僕が、それを『嬉しいけれど困ったこと』と表現する理由を論じてください」 それは何か。 こんなくだらんネタに仮定もくそもないが、俺がお前を好きだと仮定すると、お前が嬉しいと感じるが同時に困るのは何故かってことか。 「ええ、その通りです」 ……確かお前は、ハルヒが俺を好きだと考えていやがったな。 で、俺が朝比奈さんや長門や、とにかくハルヒ以外に目を奪われた結果として世界が改変されるかもしれないみたいなことを言っていたような気もする。 それで行くとお前が困るのは、俺がお前を好きだとしてそれがハルヒにばれると世界が改変される可能性があるからだろう。 で、お前が嬉しいと感じるのは―― 「どうしました? 続きは?」 俺は黙り込んだ。 続きを言いたくないから黙っていると言うよりはむしろ、口をきけない状態に陥ったからだ。 結論は、エネルギー=質量×光速度の2乗とまでは行かないまでも、シンプルだ。 古泉も俺を好きだから。 そう思っただけで、心臓が挙動不審になった。 顔が赤くなっていることは鏡を見なくてもわかる。 恐ろしく熱くなってるからな。 「結論は僕が言いましょうか」 そう言った古泉が机越しに俺の手を取った。 心臓が跳ねる。 胸も苦しい。 俺はどうやら病気だ。 だが、どうせ呼ぶなら救急車より、霊柩車にしてくれ。 「僕も、あなたを好きってことです」 言っちまいやがったなこの野郎! 真っ赤になりながら古泉を睨みつけると、古泉はにこにこと笑っていた。 いつもニコニコしていると言われればそうかもしれないが、その笑みはなんとなくいつものそれとは違って見えた。 本当に嬉しそうな、俺の過剰反応を楽しむような表情。 こんな状況なのに、知らなかった古泉をまたひとつ見つけられたことを嬉しく感じる。 その顔は嫌いじゃないとも思う。 俺は本格的にどうかしてるぞ。 「あなたはどうです? 僕があなたを好きだと知って、どう思いましたか?」 「……分かってんだろ」 眉間に皺を寄せ、そういうのが精一杯だった。 「予想はつきますけど、断定は出来ません。それにこういうものは本人の口から聞きたいものだと思いませんか?」 「……かった」 「聞こえませんよ」 このしたり顔は嫌いだ。 むかつくことこの上ない。 「嬉しかったって言ったんだ! どうせ聞こえてたんだろ!」 噛みつくように怒鳴ってやると、古泉が嬉しそうにふんわりと微笑んだ。 そんな顔されたら文句を言う気が失せるって分かっててやってんだろ、この卑怯者。 苦々しく思うのに、それでも、 「僕は、あなたが好きです。あなたも、僕を好きですよね?」 改めて言われたのが嬉しかった。 俺は、長門ほどではないにしろ、かなり小さく頷いた。 そのままため息を吐きながら椅子の上で脱力する。 「なんでお前なんだよ……」 「随分な言われようですね。しかし、僕にも分かりません。これだけ魅力的な女性陣が揃った組織に所属していながら、どうして僕だったのでしょう」 俺が知るか。 本当に分からん。 「あるいは、」 と古泉は油断のならない笑みを浮かべて、 「涼宮さんがそう望んだのかもしれません。だとしたら、あなたにも理由が分からないということも、納得は出来るでしょう?」 その前に、何でハルヒがそんなことを望むのかが分からん。 「それは…」 古泉は何か言い掛けて、止めた。 「よしましょう。これを言ってしまっては涼宮さんの逆鱗に触れるかもしれません」 なんだそりゃ。 「何にせよ重要なのは、たとえ涼宮さんが望んだ結果であったとしても、今はあなたも僕も相思相愛ってことですよ」 相思相愛とか言うな、気色悪い。 「酷いですね。でも、そんなあなたも好きですよ」 勝手に言ってろ。 「じゃあ、勝手にさせてもらいます」 そう言った古泉が立ち上がる気配がした。 俺の手は握られたままだ。 胡乱に思いながら目を向けると、古泉が俺のすぐ側にまで来ていた。 「……何のつもりだ」 「分かりませんか?」 分かりたくもないね。 言っておくが、俺は勝手に言ってろと言ったのであって、勝手にしろとは言ってないぞ。 「いいじゃありませんか。ここで流されておいた方があなたは楽ですよ。それとも、なんですか。はっきりと確認を取った上で許可をいただけるよう申請した方がいいですか」 俺は苦虫を噛み潰したような気分になりながら、 「……勝手にしろ」 と吐き捨て、目を閉じた。 唇に、柔らかなものが触れた。 そんなことがあって、古泉と付き合い始めたわけだ。 妙なことに、俺たちの交際は至って順調で、機関に妨害されることもなく、人に噂されることもなかった。 何か問題が発生してもそれは軽い痴話喧嘩程度のもので、それこそネタにすらなりやしねえ。 そのことを奇妙に思う余裕なんて、最初のうちは全くなかった。 それなりに楽しくて、幸せだったからだろう。 だから、その事件こそ、最初の問題だった。 その日は朝からハルヒが不機嫌だった。 不機嫌、というよりもむしろ寝不足と表現するべきだろうか。 目の下に隈を作っているくせに、授業中に寝ることもなく、俺の背後で何やら延々と書き殴っていた。 また何か妙なことでもやらかすのかと戦々恐々としながら、 「また妙な活動でも思いついたのか?」 と探りを入れてみたが、ハルヒはぶすったれた顔で、 「別に。SOS団とは関係ないわ。個人的な活動だから」 頼むから個人的な活動に俺や古泉やSOS団を巻き込んでくれるなよ。 無駄と知りつつそんなことを願った放課後のことだ。 6時間目も、教師に注意されないのをいいことに、机いっぱいに何かを広げていたハルヒだが、終了のチャイムが鳴るなり慌ててそれを片付けにかかった。 ところが、量が多かったからだろうか。 何枚もの紙切れのうち一枚がハルヒの手を離れ、ひらりと宙を舞い、俺の足元へ落ちてきた。 「落ちたぞ、ハ…」 下向きに落ちたそれを拾い上げて裏返し、愕然とする。 その次の瞬間には、 「み、見るんじゃないの!」 と顔を赤くしたハルヒがそれを奪い取ったがもう遅い。 俺はばっちり見ちまった。 そこに描かれていたのはどう見たって俺と古泉で、それも「絡み」と表現してもなんら差し支えのないような、俺にとっては大いに差し支える代物だった。 頭がくらくらするのを感じながら俺はハルヒを凝視し、 「どういうことだ」 と厳しい口調で問うた。 ハルヒはしばらく躊躇う様子を見せたが、 「……来て」 と俺の手を掴むと、教室を出た。 連れていかれたのはいつだったかにも同じようにして連れてこられた場所だ。 屋上へ上がる階段の上、物置状態で狭苦しいその場所で、ハルヒは言い辛そうにひとりでもごもご言っていたが、やっと覚悟を決めたように俺を睨みあげて言った。 「あんた、BLとかやおいとか言って、分かる?」 何の暗号だ? 「あー、もう。それで分かったらこれ以上の説明は要らないのに、何で知らないのよ」 知っとかなきゃならん情報とも思えないんだが、と思った俺の勘は正しかったらしい。 ハルヒの説明によると、 「BLっていうのは、ボーイズラブの略! ベーコンレタスでもバナナランドでもないわよ。で、ボーイズラブって言うのは要するに、男子同士の恋愛っていうか、男同士のっていうか、……もう、これで分かってよ」 とのことだからな。 俺は呆れつつ、 「要するにホモネタか」 「そんな風に言わないでよ!」 妙に噛み付くような調子で言ったハルヒに俺が唖然とすると、ハルヒは慌てて取繕った。 「確かに、あんたの言う通りなんだけど、でもそういう風には言わないでほしいの。で、あたしは実はそういうのが好きで、自分で描いたりもしてるわけ」 それがさっきの紙切れか。 「うん…。もうすぐ締め切りなのになかなかいいアイディアが浮かばないのよ。今回はグッズも出すって言ったのに、どんなので行くかも決まらないし……」 とハルヒはため息を吐いたのだが、俺は顔を顰め、 「それでなんで俺と古泉をモデルに使いやがったんだ」 「だって、身近にいる男子で見た目がそれなりって言ったらあんたたちくらいしかいないでしょ。それに、キョンと古泉くんってなんとなく距離が近くて、見てて色々とネタが出てくるのよ」 ネタじゃなくて妄想の間違いだろう。 「うるさいわよ」 そうむくれたハルヒだったが、不意に俺に向き直ると、目を輝かせながら言った。 「ねえ、あんたどうせ暇よね!」 「いきなりなんだ」 「モデルになって」 「はぁ!?」 「別にいいでしょ、少しだけだから。ね!」 「断る!」 何で自ら火中に身を投じるような真似をせにゃならんのだ。 むしろここは、これまでにどれだけ俺と古泉を利用したのか問いただした上で損害賠償を要求したところで正当な要求だと思うんだが。 「嫌だって言うなら、」 ハルヒは傲慢と称してもいいような調子で言い放った。 「今度出す本に『これはノンフィクションです』って書き添えるわよ。キャラの名前も、あんたの名前をそのまんま使うから」 「やめろ」 本当にこいつは何を言い出すんだ。 そんなことになってみろ。 実際に付き合っちまっている俺と古泉の立場はどうなる。 俺はそれを聞けばハルヒには承知したと解釈されると分かっていながらも、渋々聞いてみた。 「モデルってのはどういうのだよ」 まさか実際に古泉と絡めとは言わないだろう。 「とりあえず急ぎなのは今度のグッズに使うイラストだから――そうね、あんたちょっと脱ぎなさい」 「却下だ却下! 誰がそんなこと出来るか!」 というか、それは本気でヤバイ。 二、三日前に古泉に付けられたキスマークがまだ消えてないのは今朝も確認したことだ。 シャツのボタンを二つ三つ外すだけでも危ないってのにそんなことが出来るか。 「心配しなくても、あんたのをそのまんま写実にスケッチしたところで貧相で見てられないと思うから適当に描き足すわよ」 「そんな配慮は要らんっ!」 それにそんな心配はしてない! 「じゃあ何が嫌なのよ」 「そもそも、そういうもののネタに使われること自体が不快極まりない。俺はホモじゃないんだからな」 「分かってるわよ、そんなの。火のないところに煙を立てるから面白いんじゃない」 なんだそら、と呆れる俺を前に、ハルヒは、 「大体、最近のアニメとかって腐女子狙い過ぎるのよ。あざとすぎて返って萌えないわ。どうせならもっと曖昧にしてくれないと。ほら、現実の恋愛関係の噂だってそうでしょ。堂々と付き合ってるふたりの噂なんて、全然ないじゃない。でも、付き合ってるかどうか怪しいっていうのは噂になるでしょ。それこそ、一緒に並んで歩いてたってだけでも噂になるってことは、皆そういう風に何もないかもしれないと思いつつ妄想するのが好きだからなのよ」 誰もが皆噂好きでもないのに、よくそう決め付けられるもんだな。 それにハルヒよ、お前は恋愛なんてもんには興味がないんじゃなかったのか? 「現実の恋愛なんて興味ないわよ。だから二次元で萌えるんじゃない」 ああそうかい。 勝手にしてくれ。 ただし、俺を巻き込まない形でな。 じゃあな、と背を向けようとした俺の襟首を、ハルヒががっちりと掴んだ。 「逃がさないわよ」 やっぱりか。 「――やれやれ」 諦めのため息を吐いた俺を、ハルヒはまたもやある場所へ連れ込んだ。 ある場所とは、連れ込まれる場所としてはある意味階段上よりもポピュラーな場所、つまりは保健室だった。 体育倉庫でなかったことを喜ぶべきなんだろうか。 というか、どうしてこういう時に限って保健室に誰もいないんだろうな。 いないならいないで鍵でも掛けておけばいいものを。 おかげで俺は連れ込まれ、鍵まで掛けられちまってるんだが、この場合精神的苦痛やなんかに対する損害賠償は誰に請求すりゃいいんだ? 「ぶつぶつ言ってないで脱ぎなさいよ」 憤然と言い放つハルヒは、途中で寄った教室でスケッチブックやシャーペンなんかをちゃっかり取ってきたため、準備万端という姿勢だ。 「脱げるか」 お前も年頃ならそれらしい恥じらいを持て。 「羞恥心なんて、腐女子になった時に捨てたわ」 はんっ、と鼻で笑いながら言い捨てるのは何だ、ヤケにでもなっているのか。 「いいから脱ぎなさい。団長命令よ」 それで俺が聞くとでも思ってるのなら大間違いだな。 大体、脱がなくても服装くらい適当にいじって描けるだろ。 ポーズを取ってやるだけでも大譲歩なんだ。 それくらいで勘弁しろ。 「あたしはただ単にモデルが欲しいだけじゃなくて、アイディアがいっくらでも出てくるような萌えが欲しいのよ」 どういう言い分だ。 「いいからっ、」 いきなりスケッチブックを放り出したハルヒが俺のネクタイを引っ掴み、思いっきり緩める。 「脱ぎなさいっ!」 「待て待て待てっ!」 お前は痴女か。 「煩いわね」 言い放ったハルヒの手がボタンを乱暴に外し、――ぴたりと静止した。 見られた。 何を、なんて分かりきったことを言う必要はないだろう。 畜生、どうすりゃいいんだ。 虫刺されとか言って誤魔化せるといいんだが、無理だろう。 これで万が一にでも世界が崩壊したりしたらお前のせいだぞ、古泉。 「キョン?」 驚きの余り起伏もなくしたような声で言いながら、ハルヒが俺の胸をつついた。 その場所は、見なくても分かる。 俺も、鏡を見ながら何度も確かめたからな。 思いっきり顔を背けた俺の顔をのぞきこんだハルヒは、悪辣とでも言たっていいような迫力のある顔をしていた。 「これ、キスマークよね」 「……知るか」 「虫刺されとかなんとか言って誤魔化そうとしなかったことは褒めてあげるわ。でも、どういうこと? 男の胸にキスマーク付けるような女の子なんて、そういないと思うんだけど?」 分かってて聞いてんだろ。 お前の推測通り、それを付けたのは野郎だ。 「……あんたさっき、ホモじゃないとか何とか言ってなかった?」 あの状況で、実はホモですと吐けるような神経が、俺にあると思うのかお前は。 「まあ、あんたならそうね。……それにしても…」 とハルヒはそれ以上ボタンを外すのではなく、今開いている部分から中を覗き込み、 「…どれだけ付けられてんの?」 「知るか」 数えたくもない。 「随分独占欲の強い彼氏ね」 呆れたように呟かれたそれには同意しておこう。 「で、」 とハルヒはニヤニヤと笑った。 どこかで見た表情だな、と思ったら朝比奈さんにコスプレを強要する時の表情とほとんど同じだ。 朝比奈さん、あなたがどれだけの恐怖を感じていたか、俺には今やっと分かりましたよ。 「相手は誰なの?」 「お前に言わなきゃならん義理はない」 「あるわよ。あんたはSOS団の団員で、あたしは団長なんだから」 どういう理屈だ、と言ったところで無駄だろうな。 俺はため息を吐き、 「あいつの都合もある。とりあえず今は言えん」 「あっそう。じゃあ、今は諦めるわ。今は、ね」 そう強調しなくても分かるっての。 後々までねちねちと締め上げられるんだろうな、ちくしょー。 「それじゃあキョン、」 にっこりと、ハルヒはいい笑顔を浮かべた。 頼むからそういう笑顔はもっといい時のために取っておいてくれ。 今、こんな場所、こんな状況で浪費するな。 「そのままポーズ取ってくれる?」 どんな羞恥プレイだそれは。 「心配しなくても、キスマークまでは描き込まないでおいてあげるわよ。そこまですると、たかがグッズにR18指定つけなきゃいけなくなるし」 そういう心配よりも以前にだな、何が哀しくてクラスメイトに向かってこんな姿をさらさにゃならんのだ。 キスマークのせいで恥ずかしさは倍増どころか何乗にもなってるってのに。 「もう見られてるんだから今更でしょ。ほら、早くする! あたしだって原稿の締め切り間際で忙しいんだからね。どうしても嫌だって言うんだったら、あんたがガチなゲイだって言い触らしてあげるわ。あ、漫研に一時間千円で貸し出すってのもいいわね」 「やめろ」 「なら観念しなさい」 俺は今日何度目とも知れぬため息を吐き、悪代官に屈服する無力な農民のような気持ちで、ハルヒの指示に従ったのだった。 ……そこ、無力な村娘と読み直すんじゃない。 結局、あれやこれやとポーズを取らされたばかりか、ゲイの性生活だのなんだのについて根掘り葉掘り聞かれたせいで、すっかり疲労困憊していた俺だったが、そのまま大人しく帰るわけにも行かず、保健室前でハルヒと別れると、すぐさま部室に向かった。 もう下校時間間際だが、多分まだいるだろう。 誰が、と言う必要はないはずだ。 俺は部室のドアをノックもせずに開けるといつもの席に座ってチェスをいじくっていた古泉に、 「ちょっと話があるから来い」 と声を掛けた。 「分かりました」 と古泉が帰り支度を始めるのを見ていた俺に、朝比奈さんが、 「キョンくん今日はどうしたんですか?」 と心配してくださったが、 「すみません、ちょっとハルヒに付き合わされてまして。今日はもう遅くなったのでこのまま帰りますね」 とだけ言うのが精一杯だった。 正直、もうこのまま眠っちまいたい気分だ。 ……出来れば、永遠に。 「随分お疲れのご様子ですね」 階段を下りながら古泉が言ったのへ、俺は苛立ちを隠しもせずに答える。 「誰かさんのせいでな」 「さて、その誰かさんというのは誰のことでしょう。僕ですか? それとも、涼宮さんでしょうか?」 両方だよ畜生。 「ハルヒにあれを見られた」 「何をです?」 「誰かさんが俺の体に盛大に付けやがった何かを、だ」 そう言うと、流石に古泉の表情も凍りついた。 ざまあみろ。 だが、古泉はむかつくほどすぐに平静を取り戻すと、 「それにしては閉鎖空間の発生もなく落ち着いたものでしたね」 「その分現実で発散しやがったんだろ」 「ほう。一体何をされたんです?」 面白がるように言った古泉を俺は睨みつけ、 「……保健室に連れ込まれて服を肌蹴られた挙句、ホモの現実について質問されながら、絵のモデルになるなんて、恐ろしい目に遭わされた」 「それはそれは…その場にいられなくて残念、と言うべきでしょうか」 「アホか」 というか、お前がいたら間違いなくお前もモデルにされただろうよ。 「それで、相手が僕であるとは言ったんですか?」 「いや」 「なるほど、僕のことを慮ってくださったんですね。ありがとうございます」 鬱陶しいからわざわざ耳元で囁くな、この変態。 大体、相手がお前だと話しちまっても良かったのかよ。 「多分、言っても大丈夫だったでしょうね」 さらりと古泉は言ってのけた。 「涼宮さんの絵のモデルを頼まれた、ということは彼女が何をしているかを知ったのでしょう?」 ああ。 同人誌を出してるとかなんとか言ってたな。 「その活動は以前からされていたものでして、当然機関も知っているわけです。だから、あなたと付き合い始めたあの日、僕は言ったんですよ。これも彼女の望みなのかもしれない、とね」 そんなこともあったっけな。 どちらにしろ、俺はこれからどんな顔をしてあいつと接すりゃいいんだ。 「今までと変わらないでしょう。知られたくなかったことを知られてしまったという点では、涼宮さんもあなたと同じ気持ちだと思いますよ。同人活動というのも世間的にはなかなか認められないものですからね」 「……お前は、」 と俺は古泉から軽く目をそらしながら言った。 「ハルヒの力のせいでこんなことになっちまったのかも知れないと思っても、どうとも思わなかったのかよ」 「はて、どういう意味でしょうか」 そのまんまの意味だ。 ハルヒが望まなければホモなんかにならなかったかも知れないと思わなかったのかってことだよ。 「全く思いませんね。何しろそのおかげで、」 と古泉はニヤケた顔で俺の目を覗きこみ、 「あなたと恋人同士でいられるんですから」 離れろ、気色悪い。 「それに、」 古泉は一応俺の言うことを聞きながら言い足した。 「おそらく、涼宮さんが望んだのは僕とあなたがカップルとなることではなく、身近にゲイカップルがいればいいという程度のことだと思いますよ。その結果として僕とあなたがこうなったのは、元々そうなるだけの素地が形成されていたということでしょう」 何を根拠に言ってるんだか全く分からんな。 勘か? 俺が言うと古泉はふふっと笑い、 「そんなところです。――ただし、あなたに気持ち悪がられる覚悟で言いますと、僕はたとえ涼宮さんが望まなかったとしても、あなたを好きになっていたと思いますよ。あなたがどうかは分かりませんけど」 恥ずかしい奴だ。 俺は赤くなった顔を隠すべく顔を伏せながら、そっと古泉の袖を抓んだ。 後になって聞いた話によると、その日スケッチしたものを元にして、ハルヒはテレカを作ったらしい。 それは果たして同人活動で作るレベルのグッズなのか甚だ疑問の上、これだけ携帯電話が普及した世の中でテレカなんてものがどれだけ役に立つかも分からんというのに、それはバカ売れしたそうだ。 「僕も裏から手を回して買っちゃいました」 と浮かれた笑みを浮かべた古泉が見せたそれは、本当に俺をモデルにして描いたのかと聞きたくなるくらい恥ずかしいブツで、古泉から取り上げたそれを即刻切り刻んで捨てたことは言うまでもない。 だが、古泉はおそらく数枚は買い込んでおり、その他にもかなりの数がイベントとやらでばら撒かれたことを思うと、ため息すら出なかった。 ……恨むぞ、ハルヒ。 |