積み木の城



気がついた時、俺は灰色に染まった世界に立ち尽くしていた。
場所自体はどうやらあの時と同じ、学校の中庭らしい。
だが、以前古泉に連れて行かれた時よりも、ハルヒに巻き込まれた時よりも、暗く、どんよりとしているように思えた。
この世界がハルヒの精神状態を表しているんだとしたら、かなり酷い状態にあるんだろう。
――なんて、思ってる場合じゃないだろう。
なんでこんなことになってるんだ?
このところハルヒは確かにイラついていたようで、閉鎖空間の発生頻度も上がっていた。
おかげで古泉と会う時間は少なくなっていて、今日はやっと久し振りにふたりになれたってのに、どうしてそんな日に限ってこんなことになるんだ。
「別にいいでしょ」
不意に声がした。
「やることもやった後なんだし、寝てる間に呼びつけるくらいでそこまでイラつかなくていいんじゃないの」
「ハルヒ…!」
振り向いたそこには、ハルヒが仏頂面で突っ立っていた。
いつも見る制服姿で、見れば俺も制服を着ていた。
「裸のまま呼びつけるのは流石に嫌だったからそうしたの。文句ある?」
「……ちょっと待てハルヒ」
「何よ」
「お前、さっきからどうしたんだ」
まるで何もかも分かっているような口ぶりじゃないか。
そう、俺は口にしなかった。
だがハルヒは薄く笑い、
「分かってるわよ。だってあたしがそうなるようにしたんだもん」
唖然として俺はハルヒを見つめた。
今までに見たことがないような酷薄な笑みをハルヒは浮かべている。
まるで人が違ったような表情の変化だった。
「そう」
ハルヒが口を開いた。
「全部知ってたわ」
「知ってたって、何を」
戸惑いながらそう言った俺に、ハルヒは小さく喉を鳴らして笑った。
「何もかも。有希が宇宙人だってことも、みくるちゃんが未来から来たってことも、古泉くんが超能力者で――」
とハルヒは嘲るように笑い、
「あんたと付き合ってるってことも」
俺の喉から苦しげな音が漏れた。
げ、とかぐぇ、とかいう、いわゆる「カエルを潰したような」音だった。
ハルヒは笑顔のままで言った。
「あんたがあんな風に善がったりするなんて思わなかった。自分で腰を振ったりして、恥ずかしくないの?」
かぁっと羞恥のあまり、頭に血が上る。
見られていたのか、あれを。
「別に、責めたりはしないわよ。それだって、あたしの望んだことだもの」
「…なんだって」
愕然とする俺に、ハルヒはくすっと笑い、
「あたしにばれないよう必死になって隠そうとしたり、そもそも思いを伝えることさえ躊躇ったりするあんたたちを見るのを楽しんだだけよ。それでも、あそこまで好き合うとは思わなかったけど」
愕然とする俺に、ハルヒは一転して穏やかな笑みを浮かべた。
「安心してよ。あたしが干渉したのは最初のきっかけと、邪魔が入らないようにしたってだけ。だから未だに機関もあんたたちに手出ししてこないでしょ?」
「――お前は、何がしたいんだ」
顔を顰めたせいでほとんど睨むような形になりながら、俺はハルヒを見つめた。
何がしたいのか全く分からない。
俺をからかいたいのか、責めたいのか、それとも他に何かしたいことでもあるのか。
「したいことなんて、もうないわ。したいと思った端から叶うんだし」
「じゃあなんで俺にそんなことを話すんだ」
ハルヒは少し黙り込んだ後、静かに話し始めた。
「つまらなくなったの。どんなに面白いことや楽しいことが起きたって、所詮あたしが原因なんだもの。だからいっそ、あんたにばらしてやったらどうなるかと思って。…怖がらなくてもいいわよ? そりゃあ心を読むのなんて、こうやってただの人間のふりをしてるよりもずっと簡単だけど、それじゃあ面白くないからもうしないし、普段もしてないの。さっきはあんたを驚かせたくてちょっとやってみただけ」
ねえ、キョン。
とハルヒはハルヒの顔で笑った。
楽しそうなくせに、どこか寂しそうな顔で。
「あんたに、あたしの苦しさを半分分けてあげる。嬉しいでしょ? そうしたら閉鎖空間もこれまでの半分の規模で済むわ。それどころか、あんたが願うだけで古泉くんは絶対に無事で済む。悪くないと思うけど」
苦しさを、とハルヒは言ったが、それは要するにハルヒの持つ神的能力のことであるらしい。
万能の力と言ったっていいだろうそれは、ハルヒにとって苦しみでしかないのだろうか。
…多分、そうなんだろう。
誰だって、自分の思うままになる世界なんてつまらないと思うはずだ。
最初こそ楽しめるかもしれないが、そのうち偶発的に起きたことでさえ自分が望んだことに思えるようになっちまうんだろうからな。
だから、こんなことを言う俺は多分、馬鹿なんだろう。
「そんなに苦しいなら、全部俺に押し付けろよ」
ハルヒは驚いたように目を見開いた。
驚きの表情はすぐに傷ついたようなそれに変わり、
「…やっぱりだめね。セーブしようと思うのに、勝手に望んじゃって」
と小さく笑った。
ハルヒらしくない弱々しい笑みに俺は眉を寄せながら、
「俺が考えて選んだことも、全部お前のせいにするんじゃない。それから、」
言いながら俺はハルヒとの距離を詰めた。
手を伸ばせば触れるほど近くに来た俺をハルヒが睨み上げる。
「…何よ」
あんな顔して笑うくらいに辛いんだったら、さっさと俺に押し付ければいいだろうに、それが出来ないくらいにはハルヒも円くなったらしい。
「――二度とは言わないからちゃんと聞いてろよ」
俺はハルヒから目を逸らしつつ言った。
「俺は、お前の楽しそうな笑顔が結構好きなんだよ。見てるとこっちまで楽しくなるからな。だから、お前には笑っていて欲しいと思う」
しかめっ面してんのは俺の役割だろ。
お前には似合わん。
「……ばか。後悔したって知らないわよ」
泣き笑いの表情を浮かべたハルヒを抱きしめる。
涙を見ないでいるための配慮だ。
けっしてやましい気持ちによるものではない。
「…ありがと、キョン」
小さくハルヒが言い、ふっと体に違和感が走った。
光が溢れるとか世界ががらりと変わるとか、そういう分かりやすいエフェクトひとつなしに、ハルヒが持っていた力は俺に移譲されたらしい。
「本当に大変になった時とか、どうしてもあたしが必要な時は言ってよね。多分、こうやってしばらく息抜きが出来たら、また元のように続けていられると思うから」
そう言ったハルヒの頭を撫で、俺は言う。
「ああ、俺に限界が来たら頼む。それまでは精々楽しめよ」
「キョン? あんた何を…」
「神様なんて面倒なものだったことなんか全部忘れちまえ。お前はただの涼宮ハルヒでSOS団の団長だ」
「キョン! ちょっと待っ…」
声を上げたハルヒがくたりと脱力したのを抱きとめる。
灰色の空を見上げながら、俺は嘆息した。
「これからどうすっかなー…」
とりあえず、ハルヒから力がなくなったと知れると面倒だろう。
機関が解散したり、情報統合思念体が観察をやめたり、朝比奈さんが未来に呼び戻されたりするかもしれん。
結果としてSOS団が消滅なんてことになるのは嫌だ。
俺はあの場所が気に入っており、あの日常と化した非日常が好きなんだからな。
だから、表面上はハルヒに力があるままの状態を装う必要があるだろう。
古泉と共にい続けるためにも。
いつかは様子を見てハルヒの力がなくなったということにしてもいいかもしれないが、今は早過ぎる。
どうしたらいいかと考えるのもなかなか大変だが、望み過ぎないようにすることもおそらくかなり大変なんだろう。
俺も自制心にはそこそこ定評があるが、本当にセーブし続けられるかと考えると疑問だ。
ハルヒはよくやってたんだろうな。
とりあえず今は、と俺は腕の中に抱えたままのハルヒに目をやり、
「こいつを戻すか」
ついでに閉鎖空間もなんとかしよう。
超能力者にも気付かれてないようだが、もし気取られるとまずい。
閉鎖空間を消滅させ、ハルヒの部屋へ移動する。
テレポートってやつだが、結構面白い。
そうしてハルヒをベッドに寝かせ、そのまま古泉の部屋へと戻る。
まだ眠っている古泉の傍らに元通り横になり、俺はため息を吐いた。
いつまでこれで楽しめるんだろうか。
いつまで俺は正気でいられるんだろうか。
疑問は尽きないしやらなきゃならんことも山積みだ。
それでも不思議と、何とかなると思えるのは――と俺は眠っている古泉を見つめ、小さく笑った。

…こいつがいるからなんだろうな。