若干ですがグロ表現注意
『僕の心臓を取り出して、村へ持って帰ってください』と古泉は言った。 吸血鬼にだって、心臓はひとつしかなく、それを取り出されてしまえば死ぬしかないはずだ。 それなのに、何を言い出すんだ、こいつは。 問いを口に出せないほど驚いていた俺へ、古泉はあくまでも穏やかに言った。 「僕の心臓を持って帰れば、あなたに科せされた罰は終ります。この際、あの村に戻ったのでも十分でしょう。彼らは吸血鬼の恐怖を知り、クルースニクの必要性を感じたはずです。そうであれば、あなたが僕を退治して帰ったなら、喜んで迎え入れてくれるはずです。…あのお嬢さんは、あなたを憎からず思ってもいるようですし」 「――出来ない」 古泉のせいで人生を狂わされたことに間違いはない。 だが、俺の過失も大きかったことを、俺は思い出したんだ。 黙っていればよかったことを喋ってしまったのは俺だ。 それに、今日の古泉による襲撃自体、俺と会うためのもの、あるいは、俺に都合のいい状況を作り出すためのものだったとしか思えない。 そんな状況でぬけぬけと村に帰れるほど、俺は厚顔無恥じゃない。 だから、俺は古泉をわざと睨みつけながら、出来る限り冷たい声で言葉を放った。 「吸血鬼に情けを掛けられるほど、俺は落ちぶれてない」 だから、もう行ってくれ。 頼む。 「――分かりました」 古泉の言葉にほっとしたのも束の間、古泉は黒い上着を開き、白いシャツを裂くようにして広げるなり、長く伸ばした爪で自らの胸を切り裂いた。 「なっ…何やってんだ、お前!」 驚きの余り動けない俺を前に、古泉は顔を顰めながら胸の中からその赤く脈打つ心臓を取り出すと、俺に近づいた。 無理矢理に俺の手にそれを握らせ、 真っ赤な血を流しながら言う。 「早く、……行って、ください…」 嫌だ、と首を振ろうとした俺へ、古泉が至近距離から目を合わせた。 まずいと思った時にはもう遅い。 吸血鬼がその目で暗示をかけることを忘れていた俺が悪い。 しかも古泉のそれはやけに強力だった。 俺の体は俺の意思に反して古泉へ背を向けた。 (吸血鬼が自ら死んでくれるなら喜ばしいことだろ) 背後で古泉が倒れる気配がしても振り向くことさえ出来ない。 ただ、村の方へとまっすぐ歩いていくだけだ。 (俺は故郷へ帰りたいんだ) 手の中に握らされた心臓の鼓動がどんどん弱く、小さくなる。 古泉の様子からしてすぐに死ぬことはないのだろうが、それでもこれを返さなくては死んでしまうに違いない。 (構うもんか、吸血鬼が死ぬだけだ) 踵を返そう、と足を止めるのさえ難しかった。 早足に進もうとする足を止めるため、俺は思いっきり体を後ろに反らし、地面へ倒れこんだ。 腰を強かに打ったが、そのおかげで体もいくらか言うことを聞くようになったようだ。 「…っくそ」 小さく舌打ちをして、駆け出す。 古泉の暗示がまだ残っているのか、足は鉛のように重いし、油断をすれば頭の中へこのまま古泉を見捨ててしまえと言う考えが浮かんでくる。 だがそれは、先ほどまでと比べればずっと弱く、十分耐えられた。 そして俺は、茂る草の中、夕陽に照らされようとしている古泉の体を見つけた。 手の中に握りこんだままの心臓の鼓動はもう随分と弱っていたが、それを無理矢理胸に開いた穴へと押し込む。 吸血鬼にどんな応急処置を施せばいいのかなんか俺は知らないが、古泉の体からどんどん精気が失われていっていることだけは分かった。 俺は腰に帯びていた道具入れから小さめのナイフを取り出した。 それを左の手首に当て、躊躇いながらも一息に引いた。 「つぅ…っ」 焼けるような痛みを感じながらも、迸る血を古泉の口へ注ぎ込む。 手首を押し当てると、生存本能ゆえか、牙を立てられた。 体から精気が抜けていく感覚に、これでいいと思いながら目を閉じ、古泉の傍らへと倒れ伏した。 どこか暗い場所へ落ちていくような感覚だけがあった。 目を開けると、豪奢な天蓋が目に入った。 おそらく真鍮製なのだろうが、よく磨かれ、まるきり黄金のように輝くそれが目に痛い。 魔法の火でも使っているのか、屋内だというのに嫌に明るかった。 戸惑いながら体を起こそうとして、ベッドについた手首がずきりと痛んだ。 目を向けると、白い包帯を巻かれていた。 一体誰が? そしてここはどこなんだ? ここが普通の場所でないことは分かった。 部屋のどこからも魔力の気配がし、しかもそれは吸血鬼の、更に言うなら古泉の気配を帯びていた。 ということはここが、谷口が見たという怪しい館であり、古泉の館なんだろうか。 考え込んでいると、薄いレースのカーテンの向こうにある黒檀の扉が開き、ぎこちない動きで何かが入ってきた。 姿形は人のそれだったが、生きるものが持つ気配を、それは持っていなかった。 ぎくりと身を竦ませた俺へ、それは思ったよりも穏やかに声を掛けた。 「…体の具合は?」 俺は、大人しげな少女の声に戸惑いながらも、 「あ、ああ、手首が痛むだけで他は悪くない」 「……そう」 「…お前が助けてくれたのか?」 薄いレースのカーテンの向こうで、それは頷いた。 「主を、助けてもらった、から…」 「主ってのは…古泉のことか?」 「そう」 「お前は…」 「私は、長門有希。……主によって創られた、生き人形。あなたの世話をするように、命じられている」 生き人形と呼ばれるものがいると、話には聞いていた。 それは人形に魔力を注ぎ、自立行動が出来るようにしてやるものだという。 多くは木偶人形のようなものであり、魔術師が雑用をさせるために創り出すとされていたが、それにしては長門は恐ろしく精巧に出来ていた。 カーテン越しに見えるその瞳も、メイド服に身を包んだ立ち姿も、人間の少女にしか見えない。 話す言葉も、多少ぎこちないものの、人間らしい。 「包帯を換える」 と言って天蓋の下へ入ってきた手は、関節が明らかに人形のそれだったが、そうでなければ俺は、長門が人形だということを信じられなかっただろう。 古泉の魔力というのはやはり、とんでもなく強いらしい。 「――そうだ」 と俺は呟いた。 「古泉は無事なのか?」 いや、無事なんだろうとは思う。 長門をこうやって俺のところに来させたりするんだからな。 だが、あいつも俺みたいに動けなくなってるんじゃないんだろうか。 どう考えても、あいつの方が傷は大きいだろう。 「主は無事。あなたのおかげ。……あなたの方が、大変」 「え?」 「あなたは極限まで精気を主に与えた。だから、この程度の傷でも危なかった。精気がもう少し回復するまで、ベッドから動くことも推奨出来ない」 「…そうか」 言われるまでもなく、体に力が入らないことは感じていた。 それにしても、極限までやっちまったとは思わなかったな。 伝承が正しいなら、あと一歩で俺も吸血鬼の仲間入りだったってことか。 俺の手首の包帯を手際よく換えながら長門は、 「食欲は、ある?」 「分からん」 空腹は感じている気がするんだが、口の方が何も受け付けないような状態だ。 「…薄い粥を用意する。もう三日もあなたは眠っていた。急に固形物を取るのは危険」 「三日!?」 驚いた俺に、長門はあくまでも淡々と頷き、 「それだけで、目覚めたあなたは、とても強い…」 とだけ言って問診を続けた。 飲みたいものはないかとか、本でも読むかとか、そういう質問だな。 そうして包帯を巻き終え、すうっと出て行った長門は、少ししてワインのボトルとグラス、それから薄めの本を手に戻ってきた。 「食事は、もう少し、待って」 そう言って俺の上体を起こさせ、クッションにもたれるようにして座らせると、俺の手にグラスを持たせた。 そこへ蜂蜜色をしたワインが注がれる。 「少し甘いけれど、疲労した体には有効」 「ああ、ありがとう」 「礼には及ばない。……あなたに受けた恩を、私も、主も、返せていないから」 そういう間もずっと、長門の表情は変わらなかった。 時折、そうしなければおかしいからとでも言うようにゆっくり瞬きをするのがなんとなく印象的だった。 口に含んだワインは本当に甘ったるく、空っぽの胃袋に緩やかに浸透していった。 長門が持ってきた本は、俺の体に負担を掛けないことを優先させてか、薄い本を選んだらしく、子供向けの絵本だった。 えらく古びたそれのページをゆっくりと繰っている間に、長門は一度部屋を出て行き、俺が一通りそれを読み終えたところで、粥の皿を持って戻ってきた。 「長門もこの本を読んだのか?」 俺が問うと、長門は頷いた。 「本は好きか?」 「…情報を取り込むために、書物は有用」 好きでも嫌いでもないってことなんだろうか。 首を傾げた俺に、長門は淡々と言った。 「好悪といった感情は、私にはまだ、よく理解出来ない。書物に目を通すのは、それが必要なことだから」 「…そっか」 なんとなく、それ以上言葉を掛けるのが躊躇われた。 見た目が人間と変わらない分、そうやって違うんだと強調されると拒絶されたような気分になるんだが、そういう風に拒絶したり、強調したりすることさえ、長門はしているつもりはないんだろうな。 俺の完全な被害妄想だ。 ほら、あるだろ、体調が悪いと考えが悪い方へ悪い方へ働いたりすることが。 あれだ。 そう考えて無理矢理に悪い考えを思考から追い出すと、俺はやっと冷めてきた粥にさじを伸ばした。 長門は食べさせてくれると言ったのだが、利き腕は使えるし、人に食べさせてもらうのは恥ずかしいので断った。 吹き冷ましながら粥を食べることだけでも、普段以上に体力を消耗し、疲れるのが不思議な感覚だったが、それが精気を失っているという状態なんだろう。 その上弱った胃袋は大した量も受け付けず、 「ごちそうさま」 と俺がさじを置いたのは、皿の粥が十分の一も減っていないような段階でだった。 「もういいの?」 長門が問い、俺は頷く。 「ああ。悪いんだが、食欲がないらしい」 「分かった。後で果物でも持ってくる。代わりの本は要る?」 「いや、いい。なんだか眠くてな。少し、ひとりにしてくれ」 「分かった」 長門は出て行く時、少しばかり部屋の中を暗くして行った。 ありがたい、と思いながら体を横たえ、目を閉じる。 少し体を起こしていただけなのに恐ろしいほどの疲労感に見舞われていた。 俺は柔らかなベッドに沈み込むようにして眠った。 吸血鬼の屋敷にいるというのに、恐怖心は欠片も沸かず、警戒するつもりにさえならなかったのは、ワインや粥が美味かったからではなく、ここが古泉の館だからだろう。 何があろうと古泉は俺に危害を加えない。 そんな妙な確信だけで、俺は穏やかに眠れた。 それこそ、村を追放されて以来の、安らかな眠りだったんじゃないだろうか。 深く、静かに眠った後の覚醒もまた、静かで穏やかだった。 自然に目を開くとそこに、古泉の姿があった。 「あ……」 俺が目を開けたのを見て、古泉はどこか慌てたようだった。 困惑するような、狼狽するような表情を浮かべ、一歩後ろに下がったのは、逃げ出したいとでも思ったからなんだろう。 その前に、俺が言う。 「もう、大丈夫なのか?」 古泉は少し躊躇った後、 「…ええ。おかげさまで」 「俺、また長い間寝てたのか?」 全く感覚が分からないんだが。 「そうですね。大体、半日というところでしょうか」 「そんなに寝てたとは思わなかったな」 我ながら寛ぎ過ぎだろう、と思った俺に、古泉は優しい声音で、 「もう少ししたら長門さんが食事を持って来ると思いますよ」 「悪いな」 「気にしないでください。それより…」 そう言った古泉が、いきなりベッドの側に膝をついた。 「おい?」 古泉はぎょっとする俺の手を取り、手の甲へ額を押し当てる。 貴婦人に額づく騎士か何かのように。 正直、居心地が悪い。 「古泉?」 「――すみませんでした」 搾り出すような声がした。 突然のことに戸惑う俺を見もせず、古泉は言う。 「あなたに恩返しがしたかったのに、かえってあなたの負担になってしまってすみません。その上、またしても命を救ってもらい、どうすればこの恩を返せるのか、僕には分かりません。だから、」 と古泉は小さく笑って、やっと俺を見た。 「今度は、どうすればいいか、僕に教えてください」 「……強引にするのはやめることにしたのか」 「ええ。それでは意味がないと分かりましたから」 「どうせなら、やる前に気付けよ」 「全くですね。すみません。……二度も救っていただいた身です。あなたの望みなら僕はなんだってします。僕のことはあなたの下僕とでも思ってください」 「下僕ってのはちょっと気色悪いぞ」 言いながら俺は笑みを浮かべ、 「とりあえず、色々話を聞かせてくれ。あれからどうしてたのかとか、ここのこととか、色々」 返事がない。 「……古泉?」 「…っ、すみません」 ぱっと古泉の顔が赤くなった。 何がどうしたって言うんだ? 「いえ……ただ、」 「ただ?」 「……あなたって、そんな風に魅力的に笑う人だったんですよね…」 「……はぁ?」 突然何を言い出すんだろうな、こいつは。 これまでの短い遣り取りでも、古泉が突飛なことを言い出したりするタイプだということは分かっていたが、それにしたって訳が分からん。 首を傾げる俺に、古泉はふふっと笑い、 「あなたの笑顔が、子供の頃のあなたと変わってなくて、嬉しいですよ」 なんとなく、その言葉の深い意味を考えたくなかった俺は、 「子供の頃と言えば、お前、あの時なんであんな怪我をしてたんだ?」 と尋ねた。 この話題の転換はうまく行ったらしく、古泉は特に不審に思った様子もなく、 「あの時は、」 と苦い笑いを見せた。 「あなたの村とは違う、少し離れた村のクルースニクと戦って、敗れかけたんです。命からがら逃げ出して、身を隠すために獣に化けたものの、精気も魔力も消耗しきっていて、小さな犬にしか化けられませんでしたけれど、それが僕にとっては幸運で、あなたにとっては不運でした」 「運不運はどうでもいい。今更言ったってしょうがないことをぶつぶつ言うなよ」 「すみません。性分なもので」 「鬱陶しいやつだな」 そんな風に、あえて乱暴な口をきくのが、俺なりの親愛の情の表れだと分かっているのかいないのか、古泉は曖昧な笑みを浮かべた。 親愛の情、そう、そんなものを俺は古泉に抱いていた。 あの黒い小さな犬は気に入ってもいたし、自分の手で命を救えたことに感激してもいたからな。 それが犬ではなく、古泉だったというだけだ。 吸血鬼と言っても古泉は全然化け物らしくなかった。 物腰は俺がこれまでに会ったことがある、そこいらの地方領主なんかよりもよっぽど優雅だったし、考え方も――少々ペシミスティックではあったものの――いたって普通。 その気配だけが人のものと違っており、若干の違和感を抱かせたものの、それだって慣れてしまえばどうってことはない。 吸血鬼も人間と変わらないんじゃないだろうか、と思いながら、俺は古泉との会話を楽しんだ。 もちろん、続けざまに何時間も話し続けられるほど俺は回復していなかったし、長門が食事や傷の手当のために来ては、 「主、彼はまだ衰弱している。無理をさせてはいけない」 と言って古泉を追い出していたからな。 だから、会話は断続的で、だからこそ、俺はベッドの上で時間を持て余すこともなく、次は何を話そうかと考えたり出来たんだろう。 「あれからどうしてたんだ?」 長門が持ってきた林檎を、小さなナイフで器用に剥いていく古泉を見ながら、俺は尋ねた。 俺の怪我の様子を見ている長門は俺がまだ古泉と話そうとしていることでいくらか眉を顰めたが、俺がそれほど体力を消耗していないことを見て取ったか、注意はしなかった。 「あれから、とは、あなたの元を離れてからですか?」 そうだ。 「この屋敷に戻って、ずっとこもっていましたよ」 「こもって?」 「ええ、ずっと」 「だってお前、吸血鬼なら精気が要るんじゃないのか?」 「いいえ」 と苦笑混じりに古泉は言った。 「吸血鬼である我々の糧は人間のそれと変わりません。精気を吸うのは、」 古泉は躊躇うように言葉を途切れさせたが、俺から視線を外して、その先を口にした。 「……自らの魔力を高めるためです」 「魔力、を?」 「我々も、元は人間でした。ただ、より強大な魔力を、より強力な術を、と力を求めるあまり、禁忌とされた技に手を染め、その体を化け物のそれに変容させただけで。その技のひとつが、精気を魔力に変えることです。しかし、自らの精気だけでは限界がありますし、精気を失えば命を失うので、他人を襲い、その精気を自らの精気に変え、あるいは自らの魔力に変えるのです。……全く、浅ましい限りです」 そう言った古泉の顔は何故か、傷ついた子供のようだった。 俺の故郷の村でも、何人もの人間が吸血鬼に襲われていた。 吸血行為が原因で命を落とした人間こそいなかったが、吸血鬼に襲われたから、と差別され、それに苦しんだ果てに正気を失ったり、自ら命を断った人間もいた。 それを思うと、吸血鬼への怒りや苛立ちが再び蘇りそうになる。 だが、古泉はもう人を襲っていないらしい。 それなら、今更何を言ったって古泉を傷つけるだけだろう。 俺は古泉に言った。 「お前はもう、人を襲わないのか?」 「あの時あなたに助けられたがために、僕の魔力は前と比べ物にならないほど大きくなりましたから。それに……」 と古泉は顔を顰め、 「これ以上、魔力を高めても意味がないんです」 そう、力なく笑った。 なんとなく、その理由を聞いてはいけないと感じたのは、それまで近すぎるとさえ思っていた古泉との距離が一気に離れたような気がしたからだろう。 まるで、俺を巻き込んではいけないと言うように。 あるいは、自分の罪深さに恥じ入るように。 古泉が剥いた林檎を長門がすりおろしているのを見ながら、俺は黙り込んだ。 古泉のことを知りたいと思っている、その理由を考えて。 また別の時には、長門のことを聞いてみた。 「長門を作ったのは、お前なんだよな?」 「ええ、僕が作りました。あなたに助けられた後、この屋敷に戻ってきてすぐのことです」 「生き人形っていうともっと荒い作りのを想像していたんだが、長門は全然違うな。よく見ないと人形だと分からないくらいだろう」 「…彼女は、特別なんですよ」 と古泉は小さく笑った。 「人間の感情というものが作り出せるのかと思って、試してみたんです」 「試しであんな風に出来るのかよ」 「それが必要だったものですから。しかし、やっぱり難しいですね。十年かかってもまだ彼女は人形のままです。もっと人間に近づいて欲しいと思うのですが、この館の単調な生活ではそれも難しいようです」 ですから、と古泉は微笑み、 「よろしければ、精気が回復してもしばらくは、この館に滞在してはくださいませんか? あなたと過ごすことは彼女にとってもいい刺激となるでしょうし、ここにはあなたの役に立ちそうな資料もあります。不自由もさせないつもりです。……悪くはないと思うのですが、いかがでしょう?」 俺は少し考え込み、それからニヤッと笑った。 その時には、古泉と過ごすのも既に回数を重ねており、大分古泉の考え方ややり方が分かってきていたからな。 「正直に、自分が俺にいて欲しいんだって言えばいいんじゃないか?」 「……お見通しですか」 苦笑した古泉に、俺は気をよくしながら、 「これでも洞察力には定評があるんだ」 と笑ってみせた。 そんな風に、俺は古泉との会話を楽しみ、長門の献身的な看病を受けながら、ベッドの上で半月ばかりを過ごした。 |