ハルヒがさっさと帰ってしまった、ある日の放課後。 ハルヒ以外のSOS団のメンバーはいつになく真剣な面持ちで部室に集まっていた。 コンピ研部室でもないのにカーテンを締め切り、ドアにはご丁寧に鍵まで掛けてある。 ついでに言うなら、上座である団長席に座らされているのは何故か俺だったりする。 長机には近くから長門と朝比奈さん、そして古泉が座っていた。 ここで何が行われているのかというと、俺を守るための作戦会議だそうだ。 守るも何も、俺としては別にどうなろうと構わないのだが、そうはいかないというのが三人の共通意見であるらしい。 というか、ハルヒの影響で古泉とむにゃむにゃしてしまった身としては、いっそのこととっとと消え去ってしまいたいと思わないでもないんだがな。 朝比奈さんさえ耳を貸してくださらないのであれば、残り二人など言うまでもない。 かくして俺はよく分からないままに団長席に座らされ、各人の報告を聞かされているわけだ。 「…というわけで、」 と長々と話していたのをまとめるのは朝比奈さんだ。 「未来の記録に当たっても、キョンくんがなくなったりはしていません。だから、私たちで守れる可能性は高いと思います」 それから、と付け足すのは俺に向かってだった。 「時空震動の話は間違いなく真実です。少なくとも私たちの理論と技術では、三年前よりも前に遡ることは出来ません」 未来人の陰謀説はこれで一応消えたのか、と俺が思っていると、朝比奈さんが着席し、代わりに古泉が腰を上げた。 「涼宮さんが『弱さ』を捨て去り、彼を創造する以前の性格について報告させていただきます。前にも言いましたが、多少想像力豊かな面はあったものの、これといって特徴はなく、少しばかり気が強い少女といったところだったようです。頭がよく、運動能力についても秀でていたため、目立つ存在ではあったようですが、悪目立ちするようなことはなかったようですね。ただ、そういったところからクラスなどでも割に孤立しがちであったようです」 それは、なんとなく覚えてるな。 寂しかったとか、何でこんな目に遭わなきゃならないんだとか、そういうマイナスの感情まみれだったことを、薄っすらとまだ覚えている。 「異能に目覚めて以降は、それこそ人が変わったように強気で、傍若無人、わがままな性格になりました。そのくせ、常に退屈していて、変化を望み続けていました。イラついたりすることも今よりずっと多くて、実に不安定な精神状態でしたね」 とそれを古泉が伝聞形で言わなかったのは、その頃のハルヒの性格をよく知っているからなんだろうな。 不安定な精神とやらにどれだけ振り回されたかを考えると申し訳ない気分になってくる。 「高校に入学し、彼に再会してからはまたいくらか変化がありました」 と、古泉の報告はまだ続いていたらしい。 「いくらか穏やかになったといいますか、以前の性格との中間点で落ち着いたような形になっていますね。今の性格についてはわざわざ言うまでもないことだと思いますのでこれくらいにしておきますが、変化の原因が彼であることは疑うまでもないでしょう」 「お前らの存在もあると思うぞ」 やっと俺が口を挟んだからか、古泉は小さく笑い、 「そうだとしたら光栄ですね。しかし、一番大きな影響を与えたのはあなたでしょう」 それでも、自分たちのことを無視する必要はないだろ。 俺からすれば、このSOS団という集まりがあるから、ハルヒは楽しそうにしてるんだからな。 「何にせよ、この一連の変化から分かるのは、涼宮さんが求めているものと、すぐに彼を取り込み直さない理由です」 と古泉は報告を再開した。 「涼宮さんが求めているのは、自分を受け入れ、あるいは受け止め、支えてくれる存在でしょう。傍若無人に振舞ってもそれを受け止め、緩やかな形で回りに伝える、緩衝材のようなものと言ってもいいかもしれません。つまり、今の性格を変えようとは思っていないんです。同様に、彼を取り込み直さないのは、そうすればまた三年前以前の性格に戻ってしまうだけだからでしょう。それは彼女の望むところではありません。そこに、付け込む隙があると思います」 「それには私も同意」 と口を開いたのは長門だった。 古泉の報告はとりあえずそれで終りだったと見え、着席しながら長門へ発言権を譲る。 「関係性の解析を行った結果、同調率が90%を越えると、彼は涼宮ハルヒに戻ることとなることが判明した。同調率は精神的距離の影響で変わる。ただし、物理的に近ければ精神面にも影響を受けるため、距離を物理的に離すことも有効と考えられる」 「報告の途中悪いんだが、長門よ」 「……何」 「同調率ってのはなんだ」 「……あなたと涼宮ハルヒの精神が同じように動く割合を精神活動の全体比から導き出したもの。あなたが涼宮ハルヒの感情の変化を強く感じ、その影響を受けている時は高く、そうでない時は低い。三年前から秋頃まではほとんど0に近かった。最近は80%にまで上がることがある。これは、危険な兆候」 ただし、と長門は付け足した。 「あなたが涼宮ハルヒに戻った場合、涼宮ハルヒの精神は安定状態になるため、世界改変の危機はなくなる。…でもそれは、統合思念体としても望ましくない。私も、嫌」 そう言って長門が俺を見つめてきたのは、別に俺に思いのたけをぶつけようとしてのことではなく、単純に、俺の発言を求めてのことだった。 俺はいまひとつやる気が出ないままに言った。 「俺がハルヒに戻らないために出来ることがあるとしたら、ふたつくらいしか俺には思いつかん。ひとつは、俺が不要だとハルヒに思わせることだ。俺を吸収しなおしたところで害にしかならないとハルヒが思えば、俺を吸収したりはしないだろ。もうひとつは、現状のままでハルヒの欲求を満たしてやることだな」 これもまあ、俺を不要だと思わせる意味では一つ目と同じと言えば同じだが。 「ただ、」 と俺は付け足す。 「自分としては戻ってしまったので構わないってのに変わりはない」 そう言うと朝比奈さんが悲しそうに目を伏せ、古泉が顔を顰めるのが分かった。 長門を直視できないのは、今の言葉が嘘だということが、長門にはばれているだろうからだ。 そう、俺は嘘を吐いた。 それは最後の一言――「変わりはない」という部分だ。 戻ってしまったので構わないと思ってはいる。 だが、それは前ほどではなく、どちらかというと戻りたくないと思ってしまう方向に考えが傾きつつあるのは、やっぱり、古泉も長門も、朝比奈さんまでもが仲間として、俺に消えないで欲しいと思ってくれているからなんだろう。 それに、古泉への感情が何なのか自覚しちまったのも大きい。 これでハルヒが古泉に恋愛感情を抱いていたり、古泉の方がハルヒを好きだったりしたなら迷うまでもなくハルヒに戻ろうとしただろうと思うくらいには、俺は古泉が好きらしく、同時に、そうではないがために戻りたくないと願っちまっているらしい。 本当に、どうすりゃいいんだろうな。 いつにもまして怪しいミーティングは各人に反省やら課題やらを残して終了した。 長門と古泉がまだ何やら話しこんでるのを横目に、俺は部室を出る。 ハルヒの精神状態はいたって良好。 今日の予定はハカセくんの勉強を見てやることだったな。 それならこれからいきなり機嫌が悪くなって閉鎖空間が発生したりすることもないだろう。 俺が安堵の息を吐こうとしたところで、不意に寒気がし、くしゃみが出た。 嫌な予感がする。 だがそれを具体的に指摘できないまま部室棟を出て行こうとした時、 「待ってください」 と古泉に呼び止められた。 「なんだ」 「少し、お話ししたいことがあるんです。これから僕の部屋へ来てください」 くださいませんか、ではなく、ください、という辺りに、古泉らしくない押しの強さを感じた。 大体、古泉の部屋なんかハルヒの影響のせいで俺がおかしくなった時に古泉を頼るためにしか行っていないってのに、今更なんでもない状態の時に行くのも、妙に気恥ずかしいものがある。 しかし、断る理由もないから、と俺は頷いた。 古泉が強く出るのが珍しいと思ったせいもある。 そこまでする理由が気になったのだ。 「ありがとうございます」 そう言って古泉が浮かべた笑みに、頷いてよかったと思った俺が、心底後悔したのは、古泉の部屋のリビングルームに行き、ソファに座るなり押し倒されたためだった。 「お前っ…何考えてんだよ!?」 「あなたのことだけを」 耳元で熱っぽく囁かれて、びくりと体が震えた。 今、別にハルヒはむらむらきてもないし、俺だってそうだ。 それでも何回も重ねたこの体は、古泉を覚え、古泉にされる行為を待って打ち震えそうになっている。 「やめろ!」 と俺は本気で抗った。 この状況で抱かれたら、もう後戻りできないという予感がした。 隠し通してきた思いを全てさらけ出し、これまでの思惑も何もダメにしてしまうのは俺の望むところじゃない。 暴れた拍子に、爪がかすったのか、古泉の頬に傷が一筋走った。 「っ…」 顔を顰めた古泉に、胸が痛む。 「すまん!」 「……どうして、謝るんです?」 一度は緩んだはずの手が、もう一度俺の手を拘束する。 また傷つけるのが怖くて、弱々しい抵抗しか出来ない。 「やめろ…」 「嫌なら、さっきみたいに暴れたらいいでしょう。それでも僕は、やめるつもりなんてありませんけど」 「…っ、なんで、なんでこんなことすんだ!?」 「あなたが素直になってくれないからです」 そう言って俺が嘘を吐くのを許さないとでも言いたげに覗き込んできた古泉の目は、怖いくらいに真剣だった。 初めて見る顔に、息が止まるほどドキドキした辺り、俺もかなりイカレてるな。 「涼宮さんに戻ってもいいと思ってるなんて、嘘でしょう」 「嘘じゃない…」 それは本心だ。 間違いなく、俺はそう思っている。 それなのにどうして古泉は信じないんだ。 「あなたは、僕のことを言えないくらい、嘘吐きですね。それも、自分にまで嘘を吐いて…」 「痛っ…!」 苛立ちのまま、シャツ越しに乳首を抓まれて、痛みに声を上げた。 いつだって俺の方が音を上げるほど優しくて慎重なくせに、今日の古泉は違っていた。 それを怖いと思っているくせに、同時に嬉しいと感じたのは、古泉がここまで真剣になってくれることが嬉しいのだろう。 「本当はもう、戻りたいとは思ってないんでしょう? このまま、今のあなたとして、ここにいたいと思っているんでしょう?」 答えられない問いに黙り込むと、また乱暴にそれを押し潰された。 「っ、う、」 「答えてください」 「答え、なんて、聞く気がないくせに…っ」 俺は精一杯古泉を睨み上げながら言ったが、それに効力があったかはひたすらに疑問だ。 俺の脚にさっきから当たっていた熱が更に高くなっただけだったからな。 「聞く気はありますよ。ただ、嘘に貸す耳がないだけです」 だからそれを聞く気がないというんだろう。 自分にとって都合の悪い発言を無視するってんなら、俺には用意された答えを口にするしかないってことになるじゃないか。 「そういう理屈は今はどうでもいいんです。それより、答えてください。このままここにいたいと思っているんでしょう?」 それに対する俺の答えは、論旨のすり替えと言ってもいいようなものだった。 「お前、だって…、世界がハルヒ共々落ち着いた方がいいだろ!?」 「あなたの方が大事です」 迷う間もなく即答されて、俺は唖然とした。 そんな風に答えられるとは思わなかったのだ。 古泉はハルヒの機嫌をうかがって、閉鎖空間が発生しては苦しい思いをしていたのに。 何より、朝比奈さんや長門と違って、古泉には一般人だったのにハルヒによって何の根拠もなく選ばれたというだけで妙な肩書きがついちまった奴だ。 それなら、世界が落ち着いて普通の人間になることを選ぶと思っていた。 それなのに、そう答えられたことが嬉しくて堪らない。 ずるい、とも思う。 そう言われて、俺が揺らがないはずがないのに。 それでも、俺は素直に頷けない。 別に、俺の性格のせいじゃなく、俺も真剣に古泉を好きだからだ。 これ以上、古泉に迷惑を掛けたくない。 苦労をさせたくない。 「俺は…」 血を吐くような思いで、俺は言う。 「俺が、ハルヒに戻れるなら、そうして、ハルヒとして、その力の一端だけでも揮えるなら、お前を元の、ただの人間にしてやりたいって、思う。そう、すべきだ。そうだろ…」 必死にそう吐き出したのに、古泉は顔を顰めただけだった。 「僕は、そうすべきだとは全くもって思いませんね。あなたの犠牲の上で普通に戻れたって、嬉しくありませんから。それに、」 言葉を途切れさせた古泉は、優しく微笑み、 「普通なんて、退屈でしょう?」 古泉に言った言葉は嘘じゃない。 俺はハルヒに戻るべきだと思う。 そうやって、古泉を守りたい。 そう思うのに、古泉に想われていることが、嬉しい。 感激したと言っても、決してオーバーな表現ではないだろう。 「俺」として愛されることが嬉しい。 ここに存在出来てよかったとさえ、思う。 古泉が、ハルヒを否定するのでなく、現状を肯定的に受け止めてくれたことも嬉しかった。 嬉しいがために、困る。 いっそ、古泉がハルヒを否定してくれたらよかった。 そうであれば、俺は古泉を少しでも嫌いになれて、思い切ることが出来ただろう。 でも、そうじゃなかった。 これまで以上に古泉を好きだと思う気持ちが強くなって、押し倒されている今の状況もどうでもよくなる。 このまま強引に抱かれて、ぐずぐずになって融けてしまってもいいとさえ、思った。 それなのに古泉は、慌てて俺の上から飛び退いた。 「古泉…?」 「す、すみません。やっぱり、無理強いなんていけませんよね」 ……今更何を言い出すんだこいつは。 人が覚悟を決めるなりへたれに戻るな。 口には出さず、ただ呆れた目を向けると、古泉はいくらかその頬に朱を上らせながら、 「そんな風に泣かれたら、無理強いなんて出来ませんよ」 「泣かれ、たら、って、…あれ?」 気がつくと、目から涙がぼろぼろ零れてた。 漫画かアニメみたいに出るもんなんだな。 古泉は指でそれを拭ってくれながら、 「すみません。そんなに怖かったですか?」 「違、う……っその、うれ、しくて…」 思わずそう口走っちまった。 古泉は一瞬フリーズしたパソコンみたいに停止すると、再び俺の上に馬乗りになった。 「ちょっ、と、待て、こらっ!」 「すみません。でも、そんな可愛いことを言われたら止まれませんよ」 「可愛いとかっ、あ、言うな!」 そのまま本当の意味で押し倒されたことは言うまでもない。 初めて、正気の状態で重ねた体は、熱に浮かされた時よりもクリアーに感覚を頭に伝え、俺を酷く狼狽させたが、それさえも今更なんだろうな。 「ねえ、僕のこと、本当は好きですよね」 場所をベッドに移して、今度こそ睡眠をとるために眠ろうとした時になってそう問われ、俺は黙ったまま背を向けた。 寝たふりをしたところでばれるのは必定だが、俺は真顔でそんなことが言えるような奴ではないんだからしょうがないだろ。 古泉もその辺りは分かっているんだろう。 小さく笑って、 「僕は、あなたのことを愛してますよ。あなたも僕のことを愛してくださってると、信じてます」 「……勝手にしろよ」 俺はそう吐き捨てるのが精一杯だってのに、古泉は俺を抱きしめ、 「…もう、戻りたいなんて言わないでくださいね」 辛そうな声で、言った。 よっぽど、あれが堪えたんだろうか。 それでも俺は…、 「お願いします」 口を開く前に、そう言われた。 俺の考えを読んだように、それさえ嫌がるように。 「――お願いします」 繰り返され、俺は顔が耳まで赤くなるのを感じながら、 「…っああ、くそ、……分かったよ」 だからもう、そんな捨てられそうな犬みたいな声を出すなよ。 俺が悪人みたいだろうが。 翌日、わざわざ廊下まで俺を迎えに来た古泉と二人、連れ立って部室に行くと、長門だけがそこにいた。 長門は本から顔を上げると、俺と古泉を見比べ、そして古泉に向かっていった。 「同調率が著しく低下した。あなたはその調子で頑張って」 その一言で、全て理解した。 昨日の古泉があれだけ強気だったのは、俺の本心を長門から伝えられたからだったのだ。 そうでなければこのへたれ男があそこまで強く出られるはずがない。 俺は顔を真っ赤にして、 「古泉!」 「は、はいっ…」 怯えたように応じた古泉の胸倉を掴み、 「どういうことか、説明してもらおうか…」 「その……昨日、長門さんに、言われたんですよ。あなたが涼宮さんに戻りたくないと思うことは防御策として有効だと。そのために、あなたを今以上に僕に惚れ込ませるように、と」 今以上ってのはなんだ。 つまり、あの時既に俺が古泉に惚れてたことを長門に暴露されたってことか。 「長門っ、」 と俺は思いっきり苦情を言ってやろうとしたのだが、 「あなたは口で言うほど怒っていない。照れているだけ。方法はどうあれ現状に満足している」 と出鼻を挫かれた。 高熱でも出してるのかと思うくらい俺の顔は赤くなり、二の句も継げずにいる俺へ、長門は更に言った。 「涼宮ハルヒとの相違点を強調することも有効。素直になればいい。……戻りたくないのであれば」 俺はいよいよ言葉を失い、諦めて、脱力した。 守りたいと思うものを守る術が見出された――と、言うのかね、この状況は。 |