「神と呼ばれしもの」の続編です
俺が古泉と付き合いはじめて数日が経った。 数日前に、あいつが妙に緊張した様子で、 「話があるんです」 と言ってきた時は何かと思ったが、 「……あなたが好きです」 と言われて、嬉しかった。 全くもって予想していなかったはずなのにな。 気持ち悪いとか、頭がおかしいんじゃないかとか、そんなことは思いもしなかった。 だから、俺も古泉のことが好きだったんだろう。 自分でも、気がつかないうちに、好きになってたんだ。 そのことが何故だか嬉しかった。 自覚している状態で告白された方がよっぽど嬉しいだろうに、逆に思えた。 そして、これでよかったと思ったんだ。 だから俺は愚かしくも、古泉がどうして突然そんなことを言ったのか、考えもしなかったんだ。 古泉の立場やなんかを考えれば、軽々しくそんなことを言うことは、絶対にありえないはずなのに。 夜半に目が覚めた。 それこそ突然頭を殴られでもしたかのように、いきなりだった。 だが、それを気にすることもなく、また、自分が覚醒していることにさえ気がつくことなく、ただ、頭を抱え込んで唸った。 「古泉…っ!」 ノイズ以上の不快さを伴って襲い来るのは、自分の中のマイナスの感情。 俺は躊躇った。 しかし、それさえ一瞬で跳ね除けてしまう。 だめだ、と思っても止まらなかった。 目を閉じて、念じるだけで、俺の身体は別の場所へ移動した。 灰色に染まった空。 暴れ狂う青い巨人。 その足元に転がる、人の形をした何か。 俺は神人を一指して消すと、倒れ伏したそれへ駆け寄った。 「古泉! しっかりしろ、古泉!」 もはや手遅れなのは近寄るまでもなく分かった。 それでも駆け寄らずにはいられなかった。 空がひび割れていくのを感じながら、俺は古泉だったものに触れた。 「古泉、古泉…」 何でお前、ここまで無理したんだよ。 力を使い果たして、体力も気力も失せた身体でまだ戦おうとするなんて、自殺行為だ。 そう、古泉たちの力は無限じゃない。 その体が弱れば、心が弱れば、力は脆くも失われ、その体もかなりのダメージを受けることになる。 それが分かっていたからこそ、全ての超能力者が戦うことはなく、それよりずっと少ない人数での交代制でやってきた。 だが、それでもガタが来る時は来る。 実際、この身体にはもう命は残っていない。 それでもまだ、俺には出来ることがあった。 俺は目を閉じて、強く念じた。 生き返れ、古泉、と。 永遠にも同じく思えるほど生きてきた俺にも、その時間は恐ろしく長く思えた。 自分の力がそこまで弱まってしまったんじゃないかと思うほど、古泉は中々戻らなかった。 けれど、人の形さえ失い掛けていたその身体も、少しずつ、静かに、元の姿へと戻りはじめる。 穏やかに眠っているかのような古泉の身体を膝に抱いて、俺は情けないほど涙を零しながら念じた。 それはもはや祈りにも似た思いになっていた。 祈りを捧げられる立場であったこともあるはずなのに、その頃には分からなかった気持ちが、今になって分かった。 俺でさえ、自分の無力さを感じずにいられない。 それなら、ただの人に過ぎない彼等はどんなにか必死で祈っただろう。 傍らに人が立つ気配がしても振り向かず、俺は一心不乱に祈り続けた。 そうして、やっと古泉が目を開く。 「…え……?」 戸惑う古泉を抱きしめて、俺は泣きながら呟いた。 「…よかった。本当に…よかった……」 「一体、どうなっているんですか? 僕は確かに死んだはずでしょう。それに、どうしてあなたと長門さんがここに…」 そう、俺の近くに現れたのは長門だった。 ガラス玉めいた瞳に、どこか憂いの光を湛えて、長門はそこに立っていた。 おそらく、俺がどうするのかを見届けるために。 俺は小さく笑った。 自分がここまで人間に近づいていたことにも気がついていなかったことを嗤い、そうなれたことを喜んで。 「古泉」 と俺は古泉の名を呼んだ。 俺を見つめる古泉の額に小さく触れながら念じる。 以前、消した記憶を蘇らせるために。 それくらいのことなら、息をするほどに簡単だった。 まだ、力は弱まっていない。 それなのに、俺の心の方が、人に近づき過ぎてしまった。 「――あなたが神だったのでしたね…」 呟いた古泉に、俺は頷く。 古泉は、俺が記憶を消していたことを責めるでなく、ただ、困惑の表情を浮かべ、 「それならあなたが僕を生き返らせたことは、その行為自体に驚くべき点はないのかも知れませんね。分からないのは、どうしてあなたが覚醒したのかということと、どうしてそんなことをしたのかということのふたつです。何かまたノイズでも発生したんですか?」 発生したと言えばそうなのかもしれない。 ただしそれが発生したのは、俺の心の中にだ。 お前の死を感知して、そのままここに駆けつけてしまうほど、神としての自分も、人に近づいていたとは思いもしなかった。 つまりそれくらい俺はお前が好きだってことだな。 「そんなことを言っていて、いいのですか?」 せっかく、普段ならとても言えないようなことを言ってやったのに、古泉は困惑を消せないままだった。 「長門さんまで駆けつけてきていることや、あなたのその辛そうな表情からして、それはとんでもない事態なのでしょう?」 辛そうな表情? ああ、俺はそんな顔をしてるのか? …参ったな。 人になれるんだから、もっと嬉しがってもいいはずなのに。 やっぱり、不安なんだろうか。 俺が人になることで、この世界がどうなるのか分からないことが。 「人になる…?」 そう。 俺は他の連中にだけでなく、自分にもルールを課して来た。 人としての自分自身のために、神としての力は使わないというのがそのルールだ。 それを、俺は今、破ってしまったわけだ。 ペナルティは神としての力を失うこと。 つまり俺はただの人になる。 「……なら、どうしてもっと早くそうしなかったんです? あなたはずっと人になりたかったのでしょう?」 もっともな疑問だと思う。 だが、力を単純に消すことはできないんだ。 この世界に存在する全てのものに、力を均等に分配し、それによって力を薄めることしか。 俺の力が強いうちは、そしてこの世界が小さいうちは、それをしたところでかえって世界の混乱と崩壊を招くだけだっただろう。 だからそうしなかった。 今も、本当なら危険だろう。 うまく行くか、それとも世界が混乱に陥るかは分からない。 ただ、今なら俺の他にも神たる存在がいるから、混乱もいくらか抑えられると思う。 それを思うと、ハルヒに任せておいたのはよかったかもしれないな。 あいつなら、他の誰がどんなことを望もうと跳ね除けてくれるだろう。 それに、あいつがいたからこそ、俺は長門や朝比奈さん、それに古泉に会えた。 この繋がりがなかったら、ただでさえ規模の大きい情報統合思念体なんかがいるこの世界に、力を拡散させることなど考えるだけで恐怖だったに違いない。 でも、今は違う。 俺は笑みを浮かべて長門を見た。 「今から、俺は人間として普通の能力しか持たない存在になる。それによって不都合が生じた場合に、情報統合思念体の助力を仰ぎたい。申請を頼む」 「…分かった」 待つのは数秒だけだ。 「情報統合思念体から許可が下った」 と長門が言えば、準備することはなくなる。 さっさと終らせてしまおう、と思った時、古泉が言った。 「本当に……それでいいのですか?」 何がだ? 「僕なんかのために、あなたは力を失って…いいのですか?」 古泉の目の中に不安が見えた。 子供染みたそれに俺は小さく笑い、 「ああ。むしろ、満足だ」 神の力を持った人として、最初で最後のわがままが、何より愛する者をこの世に呼び覚ますことだなんて、俺にしては上出来なくらいロマンチックじゃないか? なあ、古泉、分かるか? 俺は、お前のことをこんなに好きだったなんて、自分でも知らなかった。 お前に告白されるまで、自分がお前を好きだと言うことにも気がつかずにいたんだ。 つまり、お前の行動に、俺の力は一切働いていないことになる。 無意識に思っていることを叶えられるほど、俺の掛けた封印は弱くないからな。 お前の意思で、お前が俺を好きになってくれたことが、俺は何より嬉しい。 「――まるで、これでお終いのようなことを仰るんですね」 硬い声で言って、古泉は俺を見つめた。 「そんなことはないんでしょう…?」 ああ、大丈夫だ。 ただ、――お前が俺を嫌いにならなければ、だけどな。 「あなたを嫌いになるはずなんてないでしょう!」 泣き出すんじゃないかと思うほど昂ぶった声で古泉が言った。 「あなたのことをずっと好きだったんです。涼宮さんのことや、あなた自身のことを考えれば、諦めるべきだということは誰に言われるまでもなく分かっていたのに、それでも諦めきれないほど。自分がもう死ぬと分かった、その時まで口に出来なかったくらい、僕は我慢してきたんです。でも、あなたは僕を好きだと言ってくれた。愛する者と言ってくれた。それなのにどうして、あなたを嫌いになるっていうんです!」 お前の気持ちは痛いくらい分かってる。 でもな、考えてもみろよ。 これからの俺は今までの俺とは違う。 神であった人間として、その記憶を持ったまま生きて行くことになるんだ。 それは傍で見ていて気持ちのいいものじゃないだろうし、これまでの俺とは違ったことを考え、行うだろう。 そんな違いに違和感を覚え、以前の俺をお前が求めたとしたら、俺はお前の側にはいられない。 「そんなことはあり得ません」 妙にきっぱりと、古泉は言った。 「あなたはあなたでしょう。違いますか」 長門も頷いた。 「あなたは変わらない。本質は同じと言ったのは、あなた自身」 …そうだったな。 俺は笑って頭を掻き、本当にハルヒを選んでよかったと思った。 あいつは俺が思っていた以上にうまくやってくれた。 中途半端な存在でしかない俺にまで、こうして居場所をくれた。 それならやっぱり、俺は今ここで、力を失うべきなんだろう。 俺は長門に言った。 「やるぞ」 長門が頷く。 俺は古泉にも言う。 「これからもよろしくな。古泉」 「ええ、こちらこそ」 古泉が笑みを浮かべた。 優しい笑顔。 それでいい。 むしろ、いつもそうしていてほしい。 俺は満足と共に念じた。 ただの人間になることを。 視界が一瞬真っ暗になる。 意識を喪失する、と思った瞬間、脳裏を過ぎったのは、ハルヒの言葉。 『ただの人間には興味ありません』 でもな、ハルヒ――ただの人間ってのも、羨ましいものなんだぞ。 そして、俺は力と共に意識を失った。 目を開けると、どこかで見たような場所だった。 いつだったかに世話になったあの病室らしい。 ただ、あの時と違うのは余裕の欠片もなく俺を見つめている古泉の姿があったことだ。 「…っ、よかった…!」 古泉が声を上げて俺を抱きしめた。 その眦に見えるのは、やっぱり涙なんだろうか。 「悪い、心配掛けたな」 「全くです。どれだけ眠っていたと思ってるんです?」 さて、どれくらいだろう。 「丸一日ですよ」 それなら前より随分短いじゃないか。 「あんなのは二度とごめんです。それより、調子はどうです? 気分は?」 至って快調だな。 ノイズも頭に入ってこないし、聞こえすぎることも、見えすぎることもない。 普通ってのは素晴らしいな。 「……本当に、記憶はそのままなんですね」 そう言っただろ。 「…辛くありませんか? 長門さんは、自分が記憶を封じてもいいとおっしゃっていましたが…」 必要ない。 それに、これくらいは自分で負っていくべきだろう。 「……僕にも、その一部くらい一緒に背負わせていただけますか?」 「お前が潰れない程度ならな」 答えながら俺は古泉に口付けた。 それだけで真っ赤になって飛び退いた古泉に笑いながら、俺は聞く。 「それで、世界に何か変調はないのか?」 古泉はなんとか体裁を取繕いながら椅子に座りなおし、 「長門さんによると、この地球上では目立った変化は特にないそうですが、宇宙規模では色々と起こっているようですよ」 ほう、どんな? 「情報統合思念体は自立進化の可能性を見出したそうです。もちろん、だからと言ってすぐに長門さんや他のTFEI端末が消されることにはならないようですが。何しろ、見出されたのは可能性の一端ですからね。その他にも、ある程度規模の大きな存在はこの世界の変化に気付き、うまく利用しようと動き始めたようですよ」 そうか。 まあ、ちっぽけな地球のちっぽけな存在に過ぎない我々には全くもって関係のない話だな。 「…そうですね」 くすくすと笑いながら古泉は頷き、 「あなたが神であろうと人であろうと、僕はあなたを愛してますよ」 とさらりと口にした。 窓の外を見れば、重く垂れ込めはじめた夜が街を染めようとしている。 その下にあるだろう様々な人の姿をのぞきみるのではなく、自分の頭の中で好き勝手に想像しながら、俺はいかにしてこの真っ赤になった顔を沈めるべきかと苦心するのだった。 |