秋だというのに日差しはやたらと熱く、ただでさえオーバーヒート気味の俺の頭は余計に熱を持っていた。 どうして俺がここまで考えこまなければならないんだ。 それもこれも、古泉が悪い。 古泉がいきなり妙なことを言い出したのが悪い。 思い返しても訳が分からん。 普通にチェスをしていただけなのに、突然言った言葉が、 「あなたを愛してるんです」 だった。 俺の耳がおかしくなったんだろ、そうだと言ってくれ、と俺が思ったのを見透かしたかのように、古泉はいつものように微笑み、 「冗談ですよ」 と言ったが、その直後の寂しげというか、何もかも諦め切ったかのような表情が、俺に罪悪感を錯覚させている。 あいつは本気で言ったのか? それとも本当に冗談だったのか? 本気だったらどうするとかそういうことは全て横に置いて、俺はそればっかり考えている。 古泉が本音で喋れないようなところがあることは、そこそこ前から分かっていた。 あいつの立場やなんかを鑑みると仕方ない気もするのだが、それならそれを貫いて、冗談でもあんなことを口にするなと言いたい。 言いたいが、……言えないでいる。 それは、俺がそれなりに古泉のことを仲間として認めており、機関との板挟みに疲れているようなところには同情さえしているからだ。 団長がああな分、団員のフォローに回されるのが俺のポジションなんだろうと近頃では思い始めているのだが、そうなると俺はどうすればいいんだろうな。 ため息を吐き、ふと道の脇へ目をやると、小さな社が見えた。 社と言うのもはばかられるような、小さなそれは、屋根も銅が青く錆びたような色をしており、どうやら随分長い間風雨に耐えているようだった。 周辺は草が茫々と茂り、社まで数歩の距離さえ踏み込むのを躊躇いたくなるほどだ。 それなのにわざわざ足を踏み入れたのは、藁にでも縋りたい気持ちだったからなのかもしれない。 どうにかしてくれ、と手を合わせておきながら何もしないのは気が引けて、面積1メートル程度しかないその場所に生い茂った草を適当に引き抜き、とりあえず社の前にしゃがみこむくらいのスペースを作って帰った。 どうでもいいが、毎日通っておきながら気がつかなかったのは、俺が鈍いからなのか、それともここが余りにも荒れているからなんだろうか。 ハルヒに言えば不思議だとかなんとか言うかも知れないと一瞬思ったが、その前に、 「あんたの注意力が足りないからよ。だからいつも何も見つけられないんじゃないの!?」 などと怒鳴られる気がしたから、黙っておくことに決めた。 その時は本当にただの寂びれた社だと思っていたんだが、どうやら俺は本当に注意力が足りなかったらしい。 翌日、俺がいつものように適当にだらけながら興味のかけらも持てない授業をやり過ごし、放課後の部室へ向かうと、そこにはいつものように朝比奈さん、長門、そして古泉がいた。 ハルヒは俺よりも早く教室を飛び出していったのだが、どこかへより道でもしているのか、まだ来ていない。 だが、今問題にすべきはそこではない。 俺は自分の目を、眼球が傷むんじゃないかと思うほど、ごしごしと擦った。 それでも問題のそれは消えない。 現実に存在しているらしい。 目を見開いてそれを凝視する俺を、古泉は不審そうに見上げ、 「どうかしましたか?」 と普通に聞いてくる。 俺の頭が、あるいは目が、おかしくなってしまったんだろうか。 古泉の頭の上では、黄金色をした耳が不思議そうにぴくぴくと動いていた。 「古泉……頭のそれ…」 俺が聞くと、古泉は小首を傾げながら自分の頭に手をやり、ぎょっとしたような顔をした。 「ななな、なんですか、これ!」 聞きたいのは俺の方だ。 どうしてお前は何の前触れもなく狐の耳なんか生やしてるんだ。 生やすなら普通定番は猫の耳とかうさぎの耳だろう。 「あなたの萌え属性はこの際どうでもいいんです。なんで僕にこんなものが……」 らしくもなく焦る古泉とは反対に、俺は冷静になってきた。 俺の頭や目がおかしくないのなら、俺以外の物がおかしいということであり、それなら原因は七割方決まっているからだ。 そうだろう、長門。 「今回は違う」 長門は本から顔を上げもせずに言った。 「間接的には涼宮ハルヒの影響。ただし、直接的な原因は、」 と長門はここで顔を上げ、俺を見た。 「…あなた」 「俺が何かやったっていうのか?」 「そう」 「一体何を…」 問いかけようとした俺に、朝比奈さんが不思議そうに目を丸くして言った。 「あの…どうかしたんですか?」 どうかしたって……朝比奈さん、古泉を見て、どうも思わないんですか? 「え? えぇっとぉ……どこか、変ですか?」 驚いたことに、朝比奈さんには古泉の頭で存在を主張するふたつの三角形の物体も、ふさふさとした尻尾も見えていないらしい。 どういうことなんだ、と長門に問うと、長門は平然と答えた。 「それを視覚で感知できるのは当事者であるあなたと彼だけ。私には見えていないが、存在は感知出来ている」 とりあえず、古泉が変態として後ろ指をさされるようなことにはならないということか。 「そういう問題ではないでしょう」 まだ平静を取り戻せない様子で古泉が言った。 「どうしてこんなことになっているんです」 「それが彼の望みだから」 あっさりと長門は答えたが、その場合の彼というのは俺のことだろう。 どうしてそれが俺の望みになるんだ。 俺は古泉にこんな可愛らしい物を載せたいと思ったことはないぞ。 似合っていると言えなくもないことは否定しないでおくが。 それに、望んだだけでそれを実現するというのはハルヒの専売特許だろう。 俺は関係ないはずだ。 「あなたに願望を実現する能力はない。けれど、涼宮ハルヒは願いを叶える存在がいてもいいと考えていた。その存在に、あなたは願った」 「願ったって…」 それはもしかして、昨日のあのちっさい社のことなのか? あんなろくに人が来ないような、近づきもしないような社に、あいつは妙な力をやったっていうのか? その方がバンバン願いを叶えられたりしない分、確かにいいのかもしれないが、そこに俺が手を合わせちまうなんて、どういう偶然だ。 「何を願ったんです」 古泉が眉間に皺を寄せながら問い詰めるような調子で俺に言った。 「まさか僕の狐耳姿が見たいなんていう戯けた願い事をしたわけではないでしょう」 当たり前だ。 俺はそこまで酔狂じゃない。 だが、俺は何を願ったんだったかな。 腕を組み、考え込むが思い出せない。 何しろ、特に考えもなく手を合わせただけだったからな。 「思い出してください」 古泉の困惑交じりの視線と、それ以上に今のあいつの精神状態を示している、伏せられた耳と垂れ下がった尻尾が俺の罪悪感に訴えかけてくる。 「仕方ない」 俺はため息混じりに言った。 「昨日と同じように手を合わせたら思い出すかもしれないから行ってくる」 「僕も行きます」 古泉の意外な発言に俺が訝しむと、古泉が、 「願いを叶えてくれるのでしたら、これを除けてくれるよう頼むことも出来るかもしれませんから」 とてきぱきと荷物をまとめ、 「この格好で外に出るのは正直恥ずかしいですが、朝比奈さんが見えないと仰るのでしたらそれを信じて、このままで行くとしましょう」 と嘆息した。 かくして俺はしょげた古泉という稀有なものとふたり、道を歩いているわけだが、しょげていると分かるのが耳と尻尾だけで、表情や歩き方は至っていつも通りなのが、哀れなようなおかしいような複雑な気分だ。 そんな風に古泉を観察するのに夢中になっていたから、 「本当に、他の人には見えてないようですね」 と古泉が突然言った時は、一瞬何のことかと思った。 そのせいで開いた妙な間に、古泉の耳が不思議そうに動く。 怯えるように軽く伏せられるのが、古泉の頭の上にあっても可愛かった。 「どうかしましたか?」 「いや、なんでもない」 ただの気の迷いだ。 「見えないなら、問題ないんじゃないか?」 俺が言うと、古泉は苦笑して見せた。 「それではお聞きしますが、あなたなら、たとえ人に見えなくても自分の頭の上にこんなものがあり、尻尾が揺れているような状況を我慢できるんですか? それに、自分にだけ見えたり触れられたりするのではなく、あなたにも見えているんですよ?」 お前にしか分からなかったらただの妄想ということになってお前は通院を宣告されるだろうがな。 「あなたのせいでこうなっていると、分かってるんですか?」 いくらか怒ったような調子で言っているが、本当は大して怒っていないらしいことが、耳と尻尾のせいで丸分かりだ。 それよりも今の状況への混乱が強いと見た。 「俺としても納得しかねてるんだ」 あんなちっぽけで貧相な社にそんな物凄い力があると誰が考えると言うんだ。 長門の言葉だからこそ半信半疑だが、そうじゃなかったら頭から信じなかっただろう。 その状況で全面的に俺のせいだといわれるのは釈然としないものがある。 俺がそう言うと古泉はため息を吐き、肩を竦めると共にその尻尾が軽く俺の背中を叩いた。 「古泉、その尻尾とか耳とか動かせるのか?」 「え? 勝手に動いているだけだと思うのですが…」 古泉が驚いた様子を見せたから、さっきのはわざとではなかったらしい。 俺は古泉の尻尾を掴み、ふかふかした毛を撫でたが、どうやら尻尾には神経が通っているわけではないらしい。 「触られてんの分かるか?」 「感覚としては別に何もありませんね」 まあ、感覚があったら俺に指摘される前にこんなものが生えてると気付いてただろうしな。 俺は尻尾を掴み、ぐいっと思いきり引っ張ったが、尻尾は多少伸びて引きつれただけで、古泉が痛がることもない。 それなら切ってもいいんじゃないか、と俺が思い始めたところで社についた。 昨日俺が来た時のままだ。 「ここですか」 興味深げに古泉は見回したが、面白いものなんざ何ひとつない。 「そうでもありませんよ。とりあえず、どうして猫でもうさぎでも犬でもなく狐の耳だったのかは分かりました。ここが稲荷神社なんですよ」 と古泉は黒ずんだ扁額を指差した。 よく見ると、なんとか稲荷と書いてあるように見えないでもないが、それさえおぼろげなほど汚れている。 狐の像さえ置いてない稲荷神社ってのはありなのか? 「これだけ小さいですからね」 苦笑しながら古泉は地面に軽く膝をつき、手を合わせる。 さて、俺は昨日何を願ったんだったかな。 昨日――と考えて、余計なことまで思い出しちまったが、それは頭の隅に追いやり、むしろ頭から出て行ってもらいたいと思いながら、ここでやったことを思い返す。 余計なことをぐだぐだと考えながらここまで来て、なんとなく手を合わせて草をむしった。 ……で、何を願ったんだよ俺は。 くそっ、一日前のことも思い出せないとかどんなだ。 万能な神様なら俺に思いださせてくれたっていいんじゃないか? 「そう思うなら願え」 突然古泉がそう言った。 驚いて顔を上げると、いつも同じような笑顔を貼り付けている顔が、いつもと違う笑みを浮かべていた。 にやりとかにたりとか、そんな笑みだ。 「古泉?」 「これがこいつの名前か?」 こいつ、と自分の胸に当てられる手の動きはやけに優雅だ。 分かったのは、これが古泉ではないことくらいなんだが、俺は思わず一歩後退る。 しかしそいつは楽しげに笑い、 「怯える必要はない。昨日の礼をしに現れただけだからな」 「昨日の礼?」 「そう。ずっと草にまみれておった我が社を清めてくれたであろう。おかげで今日は他の者も我が社に気付き、手を合わせていった」 我が社、と言う以上ここの主なのだろうそいつに、俺は問う。 「古泉に何をしたんです」 敬語になってしまうのはそいつの威圧感ゆえだ。 そいつは面白がるように目を丸め、 「お前が望んだことを」 「俺が何を望んだって言うんです」 「こいつについて、どうすればいいのか悩んでいたのをどうにかしてほしい、そう望んだのはお前だ。私はその助けとしてこいつに耳と尾を付けてやったまで」 それで男にそんなもんつけてしまう神経が分からないが、神様だからしょうがないのかもしれない。 「それで、どうすればなくせるんです?」 「お前が満足すればいい」 1+1の計算結果を答えるように簡単に言った。 「お前の悩みが解決すれば、勝手になくなるようにしてあるから、今の状態では私にも外せない」 「満足って……」 どういう意味だ。 悩みの解決、と言われても困る。 何しろ俺が古泉に関して悩んでいることといえば思いだしたくもないような古泉の発言やなんかのことなのだ。 古泉に問い詰めて、あれが本気だったのか冗談だったのか聞けということか? しかしそれならどうしてこんな妙なツールが要るんだ。 「これは、心が読めるようなものだ」 俺の心を読んだのか、そいつが言う。 「本音を隠すようなものには丁度いいだろう」 にぃとそいつは笑い、 「うまくやれよ、少年」 と目を閉じ、その場にくったりと座りこんだ。 「古泉!?」 慌てて近づくと、どうやら古泉は意識を失っているらしく、何の反応もなかった。 意識不明の奴はどうすればいいんだったかな。 とりあえず気道確保か。 聞き流した保健の授業を思い出しながら古泉を地面に仰向けに寝かせ、額と顎へ手をやり、気道確保、と思ったところで古泉が目を開けた。 「っ…!?」 古泉は声にならない声を上げ、顔を瞬時に赤くさせた。 俺は出来るだけ平静を装いながら、 「大丈夫か?」 と聞いたが、平静を装うと言うことはつまり平静な状態ではない訳で、内心、古泉の古泉らしからぬリアクションに驚いていた。 びくっと動いた耳が余計にリアクションを強く感じさせたのもある。 古泉はしかしすぐにいつもの冷静さを取り戻した様子で体を起こし、 「大丈夫です。…あの、僕は一体……」 覚えていないのか? 「ええ。なんで倒れているのかも分かりませんね」 俺はさっきの神様(仮)の発言を適当に誤魔化しながら説明した。 そのまま説明するには恥ずかしい内容が多すぎるからな。 古泉に耳と尻尾がついたのは俺が古泉の考えていることを知りたいと思ったからであるらしいことと、神様(仮)にも除けられないこと、それから俺が満足すればなくなるということだけを話す。 その間も古泉の尻尾から目が離せないのは、驚いたせいでぶあっと膨らんだそれがゆっくり戻っていくのが面白かったからだ。 「まあ、害はないらしいから、我慢してくれ」 俺が言うと古泉はため息を吐き、 「どうして僕の考えていることなんかを知りたいと思うんです」 そりゃあお前が秘密主義でいつ本当のことを言っているのか分からないからだと思うのだが、それよりも「僕の考えていることなんか」の「なんか」という言い方が気になった。 自分を卑下するような言い方をしていながら、古泉の尻尾や耳はどこか嬉しそうにしている。 どういう精神状態だ。 俺は眉を寄せながら言う。 「お前が嘘つきだからだろ」 「嘘つきとは酷いですね」 そう古泉は笑顔で言うのに、尻尾は目に見えてへこたれる。 お前、いつもの軽口だって分かってるんだろ。 それなのにそんなにへこんでたのか? まさか、いつもそうじゃないよな。 しかし、俺が「気色悪い」とか「気持ち悪い」とか言うたびに古泉が密かに傷ついていたらしいことは、数日と経たないうちに証明されてしまった。 それと共に俺は罪悪感を募らせ、同時に、傷ついているくせにへらへらと笑っている古泉に苛立った。 嫌なら嫌だと言えばいい。 それとも何か。 俺は信用ならないとでも思われているのか。 ハルヒに対して演技を貫くのは分かる。 だが、俺にまでそうする必要はないんじゃないか? 事情を知らない第三者なら、古泉が本当はどうだとかハルヒの耳に入れるような危険性がないわけでもないが、俺はそんなことをするはずがない。 やっぱり、信用がないのか。 それが嫌だと思う自分の精神状態が分からん。 妙な耳を取りつけてそれが分かるんだったらつけてくれ、いや、やっぱりいい。 あんなもんは必要ない。 しかし、どうすればいいのか分からん。 悩みは増幅されるばかりだ。 玉砕覚悟でぶつかってみるべきか? やれやれ、と俺はため息を吐き、目を閉じた。 もう夜中を過ぎて朝が近い。 どうして俺がここまで悩まなければならんのだ。 何もかも古泉のせいにして投げ出してやりたい。 そして俺は、寝不足だったからかそれを実行してしまったのだった。 古泉の部屋へ土曜の朝6時から押しかけて言った第一声が、 「お前のせいで寝不足になったんだから何とかしろ」 だった。 俺の頭はいよいよ回らなくなっているらしい。 こんな早朝だというのに、やけに格好をつけた服装の古泉はぽかんとした顔で俺を見、次に苦笑した。 「僕のせいであなたが寝不足と言う状況は大変興味深いですが、とりあえず、上がりませんか? コーヒー…では、寝不足のあなたには逆効果でしょうが、ジュースなら構わないでしょう。すぐにお出ししますよ」 そう言って俺に背を向けて歩きだす古泉の尻尾が俺を招くように揺れている。 俺がこれだけ悩んでるというのにお前はなんでそんなに楽しそうなんだ。 「それは、あなたが僕の部屋に来てくださったからでしょうか」 胡散臭い笑顔で古泉が言う。 しかしそれは本心であったらしく、尻尾にも耳にも後ろめたさはないようだ。 俺はため息を吐き、 「なんで俺が来ただけでそこまで浮かれられるんだ」 「あなたのことが好きだからですよ」 さらりと言った古泉に驚いて顔を上げると、古泉は数日前と同じように、 「冗談です」 と笑って見せた。 だが、数日前と違うのは、今の古泉にはその本心を告げるように素直な耳と尻尾があることだ。 お前が水を向けたんだぞ、と思いながら俺は言った。 「この前も、そう言ってたな。……本当に、冗談なのか?」 「おや、本気にしたんですか? 驚きましたね」 動揺のかけらもない顔。 うろたえまくっている耳と尻尾。 どちらを信じるか聞かれたなら答えは改めて告げるまでもないだろう。 こんなに嘘を吐くのが得意なくせに、吐いた嘘にこんなにも傷ついているなんて、馬鹿みたいだ。 「お前、なんで俺の前でまでそんなに格好つけるんだ?」 「あなたの前だけじゃありませんよ。いつもそうしているだけのことです」 「じゃあ……俺が信用出来ないとかそういうわけじゃないんだな」 疲れていたせいか、妙にほっとした声が出た。 実際、ほっとしていたのかもしれない。 とりあえず納得すると、いきなり眠気が襲い来る。 あくびをしかけて、止まったのは古泉がやけに真剣な顔で言ったからだ。 「今のは、どういう意味なんですか」 どういうって……そのままだろう。 「僕があなたを信用していないとしたら嫌だとでも言っているかのように聞こえましたが、僕の思い違いですか」 そうだな……思い違いじゃないんじゃないか? 止められたあくびを再開しながら俺が言うと、 「それは、……どうしてですか」 緊張した声で問われた。 どうして、と言われても、俺としてはお前が素直になれないことの方がよっぽどどうしてだか分からないんだが。 「話を逸らさないでください」 「じゃあお前も誤魔化さずに答えろよ」 寝不足ゆえの俺の苛立ちを、古泉は何か勘違いしたのか、怯んだように耳を伏せた。 だが、そんなものに構っていられるか。 重くなるまぶたを持ち上げながらソファから立ち上がり、向かいに座っていた古泉の顔をのぞきこむ。 古泉の目に俺の不機嫌な面が映って見える。 不機嫌なのは眠気が極限に来ているせいなのだが、たとえこれがいつもの顔であったとしても、普通のつまらない野郎の顔だと思う。 それなのに、 「なんで、俺のことが好きなんだ?」 古泉は一瞬硬直した後、誤魔化すように笑う。 「あなたのことが好きとは? 冗談だと申し上げたでしょう? 本気にしてくださるのは光栄ですが、僕はいたってノーマルな男ですよ」 ああ、普段のお前なら完璧に誤魔化せただろうよ。 だがな、今のお前には耳も尻尾もあって、それがお前の嘘吐き過ぎる口よりもずっと雄弁に主張してるんだよ。 驚いて膨らんでいる尻尾も、嘘を吐くたびに申し訳無さそうに伏せられる耳も、お前自身よりずっと信じられる。 というかだな、俺は眠いんだ。 だからさっさと決着はつけよう。 「決着とは?」 「俺が勝ったら無駄に嘘を吐くのはやめろ。お前の勝ちなら、俺のことをホモ野郎と罵るなりなんなりすればいい」 俺は古泉の胸倉を掴み、ただでさえ近かった古泉との距離を物理的にゼロにした。 古泉の驚く顔を見ながら、数センチだけ距離を取る。 「俺はだな、お前のことに頭を悩まされた挙句変な神様に頼み事をしちまったり、一晩も二晩も眠れなくなったり、お前のことをもっと知りたいとか、嘘を吐かれるのが嫌だとか、とにかく戯けたことを思っちまってしかもそれを口にするくらいには、お前のことが好きなんだよ」 そりゃあ、お前に嘘を吐かなきゃならん事情があるのは分かってる。 そこまで正直になるよう強制するつもりはないさ。 だが、お前のプライベートなことまで、どうして嘘で誤魔化さなきゃならないんだ? 俺のことが、好きなんだろ? 言いながら、もう一度キスをして体を離すと、尻尾も耳も硬直して動かない古泉の姿が見えた。 フリーズしてんのか。 回復するのは古泉本体よりも尻尾と耳の方が早かった。 俺のやったことが分かったように、嬉しそうに振られる尻尾。 俺の言葉をもっと聞きたいかのように立ち上がった耳。 リクエストに答えて、俺は繰り返し言ってやる。 「俺は、お前が好きだ。お前も、俺のことが好きだろ」 それに対する古泉の返事は恐ろしく的外れなものだった。 「僕を、からかっているんでしょう?」 縋るような声で、何を言いだすんだろうね、こいつは。 見れば、尻尾も耳も再びへこたれている。 本気で言っているらしい。 「お前をからかってどうするんだ」 呆れながら呟く。 お前、普段嘘を吐いてばかりいるから俺まで嘘を吐いてるとでも思ってるんだろうが、俺がこんな悪趣味な嘘を吐くような性格じゃないことは誰しもが認めるところだ。 「あなたは真顔でそんなことを言える人ではないでしょう」 それは同意するが、真顔なのはあれだ、眠すぎるんだ。 「眠いって…」 「言っただろ。お前のせいで眠れなかったんだ。責任取れ」 言いながら俺は低いテーブルを乗り越え、古泉に抱きついた。 俺より少し低めの体温が心地いい。 そんなことを思うのは俺の脳が寝不足で壊れているからに違いない。 俺を抱き止める古泉の手は罠じゃないのかと疑うように震えていて、笑いそうになるのを堪えた。 「本当に…本当なんですか」 古泉の震える声に頷く。 「からかっているのでも、嫌がらせでもなく?」 嫌がらせってどんなのだよ。 というか、お前が正直に言わない以上、俺は一人よがりの変態野郎になり下がるんだが、それでもまだお前は誤魔化し続けるつもりでいるのか? 「僕…は……」 緊張してか、古泉の喉が鳴る。 俺は食いいるように古泉の唇を見つめた。 早く言ってしまえ、と思いながら。 しかし古泉は、力なく微笑んだ。 「……すみません。言えないんです」 「なんでだよ」 禁則事項があるのは未来人だけのはずだろう。 「僕にも立場というものがありまして」 苦笑する古泉を睨みつけ、 「立場なんかどうでもいい。それとも何か? お前は常に機関に監視されてて、自由な発言も出来ないとでもいうのか?」 言論、思想の自由は憲法で保証されているんだぞ。 思想及び良心の自由だったかも知れないが今の俺には思いだせない。 気になった奴は憲法を読むか公民の教師でも捕まえろ。 「そんなことはありませんが、しかし、たとえあなたにだけでも本音を言ってしまえば、あなた以外の人がいるところでもうっかりと間違いを犯してしまいそうなのです。だから、僕は自分の家であっても、気を抜くわけにはいかないんです」 ……お前バカだろ。 そんなことをしていて体が持つとも思えん。 適度に息を抜いた方がいいに決まっている。 「分かってます。でも、それが出来るほど僕は器用ではないんです」 何でもそつなくこなしますみたいな顔してよく言うぜ。 じゃあ、お前は言わなくていい。 頷くか首を縦に振るかだけしろ。 「それ、同じじゃありませんか」 笑った古泉に構わず、俺は言う。 「俺のこと、……好きだろ?」 古泉は困惑交じりの笑みを浮かべ、小さく頷いた。 「全く、さっさとそうやって頷いてればよかったの…に……」 体がぐらりと揺らぐ。 ヤバい。 「ど、どうしたんですか!?」 古泉の声が遠い。 「も……だめだ…。眠い…」 何とかそれだけ言って、俺は目を閉じた。 そして、数日振りの充実した眠りは夢の断片すら残さずに覚めた。 体の節々が痛い、と思ったのも当然で、俺は古泉に抱きしめられた体勢のまま眠っていたらしい。 「お目覚めですか?」 「…悪い。今何時だ?」 古泉は携帯を取り出して答えた。 「夕方の4時ですね」 と言うことはなんだ? 俺は10時間ばかりも寝ていたことになるのか。 古泉はその間ずっと大人しく俺を抱えていたことになるんだが、色々と大丈夫なんだろうか。 「すまん」 謝りながら体を離すと古泉が苦笑を浮かべた。 「寝不足の責任を取るつもりでしたから、これくらい、構いませんよ」 ああ、そういえばそんなことも言ったな。 考えなしにとんでもない暴走をしたような気もするんだが、俺の夢または思い違いであることを祈る――と言いたいところだが、そうするにはあまりにも記憶が鮮明で、しかもそれは忘れたくないと俺に思わせるようなものだった。 本気で古泉のこと好きなんだな、俺。 若さとは振り返らないことだとはよく言ったもので、振り返っていたら若さゆえの過ちも若さゆえの暴走も有り得ない。 とりあえず今は忠告に従い、振り返らないでおこう。 今考えるべきは俺の過ちではなく、この不正直者をどうするかだからな。 そう思いながら古泉を見たところで、俺はひとつの変化に気がつく。 「古泉、狐耳と尻尾がなくなってるぞ」 「え?」 古泉が頭に手をやりそれを確かめる。 「本当ですね…」 素直に驚く古泉の顔を楽しんでいると、不意に意地悪く言われた。 「満足したんですね。僕を抱き枕にしたかったんですか?」 思わず顔が赤くなるが、ここは否定しておくべきだろう。 「違う。お前の本心をお前の口から聞きたかったんだ」 それに対する古泉の返事は沈黙。 「…おい?」 「……あなた、そっちの方がよっぽど恥ずかしいって分かってます?」 耳まで赤くしてるお前の方が見ててよっぽど恥ずかしい。 そう思う俺の神経はまともだと思う。 それから一月ばかり後、ハルヒが突然言い出したことには、 「あんたの家の近くにある稲荷神社って縁結びで有名なんだって。あんた知らなかったの?」 初耳だ。 稲荷神社ってあれだろう。 小さすぎて稲荷神社とも分からない奴。 「あたしはまだ行ってみてないんだけど、女の子が溢れてて凄いらしいわよ」 どうせ叶わないのにとは言わないのか? 「それがね、よく叶うって有名なのよね。どういうわけか、噂は一ヶ月前からのしかないし。もしかしたら何か面白いことが分かるかもしれないから、今度は街じゃなくてそこへ行ってみようと思ってるの」 好きにしろよ。 適当に返事をした俺は、ハルヒの興味がパソコンへ向かったのを確認して、古泉へ目を向ける。 「縁結びで有名になったらしいぞ」 「願いが叶った人はどれくらいいるんでしょうね」 さて、あのいけ好かない神様なら、可愛い女の子の頼みならほいほい叶えてるんじゃないかと思うんだが、どう思う? 「どう思うも何も、僕はお目にかかっていませんから。それに、願いを叶えてもらったのは女性だけではないでしょう?」 そこでウィンクをするな、変態。 「その変態がお好きなのは誰でしたっけ?」 小声で囁くな、気色悪い。 俺の小さな毒にさえ傷ついていたはずの古泉は、慣れたのか、それとも俺が本気でないと感情でも理解したのか、楽しげに笑っている。 今はもう古泉には狐の耳も尻尾もない。 それなのにそれが本当に楽しいと思っている表情なんだと分かる自分が無性に恥ずかしい。 俺はため息を吐き、 「俺だよ、悪かったな」 と呟いたのだった。 |