間違いにさえ気がつけない可哀相な男だなんて言って許してやると思ったんならそれこそ大間違いだ



告白されるならどんな場所がいい、なんて淡く青臭い憧れを抱いていた頃もあった。
自分の顔の色も、相手の表情も分からなくなるほど、赤い夕陽に照らされた教室で、なんて思っていた頃が、俺にだってあったのだ。
ただそのうちに俺が気がついたのは、俺が女子にもてるようなタイプではなく、そんなシチュエーションに似合いもしないという残酷な現実だったから、もう随分と前に、そんなイカレた妄想とは縁を切ったはずだった。
それなのになんで俺はこうして真っ赤に染まった教室にいて、逆光で相手の表情さえ見えない状態にあるんだろうな。
しかも俺に馬乗りになったそいつは、わざわざ俺の耳に唇を寄せて、
「…あなたが好きなんです」
などと、どうして囁くのだろうか。
ああ、きっと俺はおかしくなったんだ。
そうじゃなかったらそんな幻聴が聞こえるはずがない。
あるいは、酷くリアルな夢なのかも知れない。
間違っても現実ではないはずだ。
それなら、口にしてもいいんだろうか。
なかったことにしようと思っていた感情を。
「俺も、好きだ。古泉…」
手を伸ばし、抱きしめ返すと、古泉が俺の肩に埋めたままだった顔を上げた。
それでも、あの整った顔は見えない。
夢なら逆光でも何でも気にせず顔が見えてしまったっていいだろうに。
「夢かと疑いたいのは僕の方です。てっきり、あなたに蹴られるか殴られるかするものと諦めていましたから」
その声からして、おそらく笑っているんだろう。
俺は古泉の笑顔を思い浮かべる。
俺の好きな表情だ。
だけど、光線の加減でやっと見えるようになった古泉の顔は笑顔じゃなかった。
見たこともないと思えるほど、真剣な表情。
閉鎖空間に行った時も、ここまでじゃなかったと思う。
見慣れないそれに見惚れていると、静かにキスされた。
その感触も、リアルで、リアルで……。

それから数週間が過ぎた今も、俺には分からないことがある。
どうして古泉とつき合うことになったのかということだ。
告白された記憶はある。
それどころか押し倒されていた気もする。
好きだと告げてしまったような記憶もある。
キスを……された気がする。
それ以上の行為に及ばれかけたような気も、する。
でもそれは全て夢だと思っていた。
そうじゃないと、俺がいきなり教室で押し倒されていた理由が分からない。
そして夢ならば現実に作用はしないはずだ。
少なくとも、ハルヒの夢ではなく、俺の夢なのだから。
なのに今、俺は古泉と歩いている。
夢が終らないという夢を見ているんだろうか。
「夢じゃないと何度言えばあなたは納得してくださるんでしょうね」
苦笑を帯びた声が隣りから掛かった。
「お前の説明が悪い」
俺は不機嫌さを隠そうともせずそう言う。
だが古泉は肩を竦め、
「僕としては言葉を尽くしたつもりなんですが」
と言ってのけるだけで俺を咎めもしない。
それはこいつらしいと言えばこいつらしい行動だろう。
だが、だからこそ、俺は受け入れられない。
本当にこれが現実で、間違いなく俺が好きだと言うなら、どうしてこいつはここまで余裕を保てるんだ。
全部夢、俺の見ている想像力の足りない夢に違いない。
頑なにそう言い張る俺を、古泉は困ったように笑いながら見つめていた。
それがまたこいつらしくて、胸が、苦しくなった。

その日の夜中、古泉の野郎のせいでどうにも眠れずにいた俺は、気分転換にと家を出た。
夢だと思っているからか、ろくに考えもせずになんとなくチャリに乗り、夜の街を走る。
昼間と同じ場所だと言うのに、どこか違う、怪しさが漂う街の中を当て所もなく走る俺は、間違いなく補導対象だろう。
ハルヒのおかげでただでさえ危うい内申点を更に下げられるのはまずいだろうと、俺が引き返そうとした時、俺はありえないはずのものを見た。
看板はけばけばしいほどにネオンで飾り立てられているのに、入り口だけはやけに薄暗いホテルから出てきたのは、古泉だった。
暗かろうが何だろうが、見間違えるはずがない。
惚れた相手なんだ、そういうもんだろ?
胸の中に湧きあがる感情も何もない。
ただ、余りにも信じられなさ過ぎて、俺は表情ばかりか頭の中まで呆然となりながらそれを見ていた。
その隣りを歩いているのは男だ。
いくらか痩せ型で、大した特徴もない、ハルヒなら見るなり門前払いを食らわしそうな男。
そこを退け、そこにいるのは俺のはずだ。
古泉の隣りにいるのは、俺のはずだ。
それなのに、古泉は愛想笑いを浮かべている。
二人の顔が近づく。
突き飛ばせ。
突き放せ。
顔が近いと言ったんでも何でもいい。
とにかく離れろ。
それは、俺のだ。
「古泉っ…!!」
恥も外聞もない。
俺は大声で叫んだ。
唇が重なる寸前で、古泉が振り向く。
俺は自転車を投げ捨てて古泉に駆け寄り、少しでも男から引き剥がしたくて、ほとんど体当たりするみたいに抱きついた。
泣き出しそうになりながら男を睨むと、そいつはニィッと小さく笑い、それから古泉に手を振るとさっさと行ってしまった。
「あの…」
古泉は困ったように、そして同時に不思議そうに、
「どうかしたんですか?」
と言いやがった。
誤魔化そうとしてるつもりか?
ホテルから出てきておいて、しかもそれを見られといて、それが無駄だってことくらい分かるだろ?
「確かにホテルに行きましたし、することはしましたけど……どうしてあなたが、そんな、泣きそうな顔をするんです?」
目の前が真っ暗になるかと思ったが、そうはならなかった。
その代わりに、涙で視界がぼけ、古泉の表情さえ見えなくなった。
いっそのこと目が潰れて見えなくなればいい。
そうすれば、声だけなら、古泉が誤魔化そうとしているんだと思える。
見えるから、古泉のマジな顔が見えてしまうから、俺は余計に苦しいんだ。
これが夢なら、悪夢に違いない。
だからもう醒めてしまえばいい。
こんなもの、俺はもう見たくない。

それからどこをどう歩いたのかも分からないが、俺は道端の小さな階段に座らされ、古泉も隣りに座っていた。
チャリもちゃんと持って来てある。
古泉はどうやったんだろうか。
そんな、本当ならどうでもいいことを考えてしまうのは、俺の涙が未だに止まらず、しかも古泉が困惑したままだからだ。
俺はしゃくり上げながら言った。
「お前…俺のこと、好きだって、い、言ったよな…?」
「はい。僕はあなたが好きです。それは間違いありませんよ」
俺は見っとも無い涙声なのに、なんでこいつはいつも通りなんだ。
もっとうろたえたっていいはずなのに。
「なら、っなんだ、って、他の、奴と、ホテルなんか行くんだよ…っ!!」
「それは、だって、」
拗ねた子供のように古泉は言った。
「あなただって、嫌でしょう? 男に抱かれるなんてことは。あなたは元々その気のない人ですし。でも僕は…抱きたいんです。我慢できないんです。あなたの側にいるだけで堪らなくなるのに、それであなたを傷つけるのは嫌で、だから」
だから、他の奴と寝てきたって?
「いけないことなんですか? だって、ただのセフレですよ?」
そう古泉は真顔で言ったのだ。
俺は今まで、男同士であっても、恋愛のステップも考え方も、男女のそれと変わらないと思っていた。
会う回数を重ねて、キスから始めて、それからだと、思っていた。
それまでには覚悟を決められると思っていた。
それだってかなりの譲歩だと俺は思っていたのに。
それなのに、古泉は違うらしい。
好きだから、シたい。
それはまだ納得できる。
でも、セフレとするのは浮気じゃないと本気で思っているらしいことについては、たとえ地球の自転が逆回転になったとしても俺には絶対に納得出来ない。
「ただのセフレだろうが援交だろうが、相手が男だろうが女だろうがんなこたぁどうでもいい。他の人間とセックスした時点で浮気なんだよ! お前の頭がどうなってるか知らないが、少なくとも俺の中ではな!!」
辺りに響き渡る声で怒鳴れば、古泉にも聞こえるだろう。
そう思ったのに、古泉は首を傾げた。
許せん。
これが夢でも現実でももう関係ない。
どうなったって知るもんか。
俺は古泉の胸倉を掴み、反対の手で拳を固めた。
殴られると思ってか、古泉が目を閉じる。
半分当たりだ。
俺は軽く古泉の頬を平手で打ち、その上で噛みつくみたいにしてキスしてやった。
古泉が目を見開くのが見える。
このまま唇を噛みきってやりたい。
手足をもぎ取ってしまいたい。
目を潰して、喉を焼いて、舌を切って、鼓膜を破いて。
もう他の誰にも何ひとつ出来ないようにしてやりたい。
俺以外の誰かの姿を見ることも、俺以外の誰かの声を聞くことも許せない。
他の誰もがこいつを見ていられなくなるくらい、醜くしてやりたい。
怒りで一度は止まったはずの涙が、自分でも嫌悪感を堪えられないような感情のせいでもう一度流れ始める。
痕がつくようにと強く唇に噛みついてやって、俺は古泉を解放した。
「お前は、俺のなのにっ…!」
古泉はぽかんとして俺を見上げ、それから、噛み痕のついた唇で言った。
「あなたはプラトニックの人だと思っていました」
はぁ!?
「涼宮ハルヒにも朝比奈みくるにも長門有希にも、ましてや他の誰にも欲情したりしなかったでしょう? だから、そういう人なんだと思っていました。それに、あの日……拒まれたので」
あの日というのは告白されたあの日のことだろう。
俺の返事を聞いて俺にキスした古泉はその場でコトに及ぼうとしやがったのだ。
当然、俺は抵抗した。
当たり前だ。
誰が入ってくるかも分からんような場所で襲われて、ほいほいやられるような奴がいるものか。
相手が好きだろうが、それには関係ない。
それが平気で出来る奴は露出趣味があるか羞恥心を持ち合わせていないかどちらかで間違いない。
なのに古泉は、それを理由にする。
「だから僕は…あなたを抱いてはいけないのだと、そう思って…」
「っ……もう、いい! お前は口を開くな」
黙って俺の話を聞け!
「俺だってなぁ、抱く抱かないはともかく、や、やりたいとか思うんだよ。ああ、正直に言ってやる。そう思ったとも。なのに、てめえは普通に一緒にいるだけで満足みたいな顔してたから、俺から言いだせるわけもなくて、それなのに、」
ああくそ、思考がまとまらん。
「なのに、てめぇはセフレとやってましただと!? セフレは浮気じゃない? ふざけんな! 俺の純情を返せ!! この大馬鹿野郎――っ!!」
ぜぇぜぇと息が切れるほど叫んだ。
それでもすっきりしない。
するはずがない。
苛立ちやムカつきが募るばかりだ。
古泉が口を開く。
頼むからこれ以上俺を怒らせて俺のエネルギーを消費させてくれるなよ。
「…すみ、ません……」
……ちょっと待て古泉。
なんでお前が泣いてんだ。
泣いてんのはこっちだぞ。
「僕にもよく、分かりません…。ただ……してはいけないことを、してしまったんだと…」
やっと分かったのか。
「…すみません…」
にしても……男二人でこんなところで泣いてんのも変だな。
どこか落ち着けそうなところに入るとするか?
「え、そ、それって…」
お前、この辺り詳しいんだろ。
お前に任せる。
何があろうとお前に驕らせるから、覚悟して選べよ。
「……はい」
まだ頬を涙が伝ってるってのに、古泉はそう笑って見せた。