僕は、男だけれど男が好きなタイプの人間である。 要するに同性愛者で、それも真性だと思っていた。 何しろ、生まれてからずっと男にしか目が行かなかった。 幼稚園の頃には他の男の子たちの憧れの的だった、りこせんせーよりもめぐみせんせー(男)にべったりだったし、小学生の頃にはサッカー部の先輩たちに目が釘付けだった。 汗臭い柔道部にときめくようになっていた中学生時代にはもう自分の性癖をよく分かっていて、しかもそれが一般的にはおかしく思われるものだということも分かっていたから、ひたすらにひた隠しにしてきた。 同時に、誰も寄せ付けないようにした。 女の子に告白されても困るし、それを断りでもしたらなんと言い立てられるか怖かった。 男も近づけなかったのは、自分の持つ獰猛さが同性に向けられるということを気付かれるのが恐ろしかったからだ。 はっちゃけたのは大学になって上京してからの話で、それまでの鬱憤を晴らすかのように遊びまわった。 それまでの好みから分かっていたことではあったけれど、僕はどちらかというと男臭いタイプが好きだった。 そして、同じような趣味の人間は多いみたいで、そうでない僕はなかなかモテなかった。 そのくせ遊びまわっていたのは、それこそ、それまでの鬱屈したものをなんとかしたくて、誘われるままに遊んでいたからかも知れない。 それでも一応病気やなんかの対策を忘れなかった自分の理性に感謝したい。 夜にはそうして遊びまくり、昼間は真面目に学生をして、順調に養護教諭の資格を得た僕が女子校に就職すると知って大いに祝ってくれたのは、そういう遊び仲間たちだった。 お前だったら間違いが起きるはずがない、採用担当者は目利きだ、などと笑いながら飲んだくれた。 実際僕は真面目すぎるほど真面目な養護教諭になれた。 遊びは大学時代にやりたおした。 いつかは独り身が寂しくなるかも知れないけれど、とりあえず当分そんなこともなさそうだ。 もしかしたらこのまま枯れていくのかも知れない、なんてぼんやり思っていたのに、僕は彼女に出会ってしまった。 体は男で心は女の子。 どちらかというと華奢なのだけれど女の子と言い張るには少し筋張っていて硬そうな体も、恥かしそうにうつむいて顔を隠す仕草も、そのくせどこか大胆に誘うような小悪魔めいた囁きも、どれもこれも僕の好みには合致しないはずだった。 僕の好みで言うなら、もっと筋肉質で引き締まっていて、そのくせがっちりした体が抱き心地もよくて好きだし、恥かしがるようなことがまるでないような大胆さが好きだし、思わせぶりな仕草よりもストレートな言葉の方がいいはずだった。 それなのに、どうしてだろう。 僕はどうしようもなく彼女に惹かれている。 彼女の持つ男の部分ではなく、匂い立つような女の部分に。 たとえば、こんなことがあった。 入学して一週間経たないうちに、身体測定の日がやってきた。 例年、体重が増えたの減ったの、背が伸びたの胸が減ったのと騒ぎ立てる女の子たちで賑やかになるのを主に監督するのは女性教諭の仕事で、僕はというと基本的に手配や準備を済ませてしまえばやることがなくなる分だけ、随分と楽させてもらっている。 というか、女子校なのに男の養護教諭で本当によかったんだろうか。 女の子特有の悩みなんかがあって当然の年頃だろうに。 勿論、相談があれば出来る限り話を聞くし、僕の手に余るようであればいい先生を紹介するということもしているから、問題ないのかも知れないけれど。 そんなことを考えていると、保健室の戸がノックされた。 「失礼します」 と入ってきたのは体操服姿の彼女だった。 「いらっしゃいませ、お待ちしてましたよ」 にこやかに応じると、彼女は照れ隠しのつもりなんだろう、唇をつんと尖らせて、 「ホストみたいだな」 なんて言うのが可愛らしくて、 「おや、ホストクラブに行ったことでもあるんですか? それはいけませんね」 「ないっつうの」 文句を言いながらも彼女は楽しそうに笑う。 「で、ええと、身体測定、こっちでいいんだよな?」 「はい。…皆さんと一緒では嫌でしょう?」 「ん……やっぱりちょっと…な」 と彼女は恥かしそうに体をよじり、 「見ても平気ではあるんだが、男だって知られたくはないし…、向こうがいやかも知れないだろ?」 「そのうち、ちゃんと言えるといいですね」 「…うん……そうだな」 と答えながらも彼女の声は沈みがちだった。 それでも、卒業するまでには堂々とそう言いたいという希望があると聞いていたから、悪いことを言ったとは思わない。 ただ、まだ早すぎたかとは思った。 「さて、それではどうしましょうか。身長と座高、体重、胸囲とありますけれど、どれからにします?」 「う、あ、し、身長!」 恥かしそうに顔を赤くしながら応じた彼女を可愛いと思う。 それと同時にもっと熱くてもどかしい何かを感じる自分をどこか危うくも思った。 それでも素知らぬ顔をして、僕はいつも以上に薄着になっている彼女を身長計に立たせる。 「背筋を伸ばして…真っ直ぐ前を向いて。……顎を引いてください。…背筋を伸ばして」 「…やだ」 小さな声で彼がそんなことを言ったと思ったら、泣きそうに熱を持った目で僕を上目遣いに見つめ、 「背筋伸ばしたら…もっと背が高くなっちまうだろ……」 なんてか細い声で言う。 「……嫌ですか?」 「ん……今でさえ、女の子にしては大き過ぎるだろ…?」 「…あなたより背の高い人だっているでしょう?」 「そりゃ、いないわけじゃないが……でも…やっぱり嫌だ…」 そう呟いておいて、彼女は僕を見上げて、 「お前だって…でかい女とは付き合いたくないだろ?」 と言われて、思わず硬直した。 言葉も出ない僕が答えに窮しているとでも思ったんだろう。 むっと唇を尖らせて、 「ほらな」 と拗ねた声で言う。 「ち、違いますよ。まさかそんなことを聞かれると思わなかったので驚いただけです」 慌ててそう言い繕うと、 「……本当に?」 と睨まれる。 「ええ、本当です」 「……じゃあ、返事は?」 「それは……あの、背は…関係ないと思いますよ。それに、高い高いと言っても、僕よりはまだずっと低いじゃないですか」 「ばか、お前なんか高い方だろ。せめて日本人の平均身長と比べさせろ」 「はいはい、いいですから、ちゃんと背筋を伸ばしてください」 「うー…」 「普段から伸ばしていた方がいいですよ。体が歪むとあちこち支障が出ますし、それを直そうと思ったら大変なんですから」 「だって…」 「だってじゃありません。ほら、ちゃんとしてください」 「…はぁい」 ようやく背筋を伸ばした彼女の形のいい頭を見つめながら、そっとメモリをあわせ、数値を読み取る。 「……170センチジャスト、ですね」 「やだぁ…」 べそでもかきそうな声で言い、 「とうとう170センチとか……」 「まあそう嘆かないで…」 「…先生は、何センチあるんだ?」 じっと睨みあげてくる視線に胸の中が波立つのを感じながら、 「僕は、確か178センチでした」 「……せめて先生は追い越したくないな…」 「…どうしてです?」 何か深い意味でもあるのかと思ってしまいそうになりながら問い返すと、 「…流石に180目前とか、嫌過ぎる……」 と文句を言われた。 まあそれが当然だろうと思いながらも、彼女のそんな反応が可愛く思えた。 なんとか冷静を装い、測定を進める。 彼女の希望する通りの順番で、つまりは彼女にとって抵抗のない順番で進めたそれの最後に待ち受けていたのは、胸囲の測定だった。 「…なんで胸囲なんて測る必要があるんだ……」 「愚痴りたい気持ちは分かりますけど、仕方ないので協力してください」 「うー……」 唸る彼女をなだめすかして、ようやく腕を上げさせる。 背後から滑り込ませた手で素早くメジャーを回し、背中であわせる。 「ずれてませんか?」 鏡に映る彼女の平らな胸元を見ながら、ただそこで小さく突き出たところは注視しないように気をつけつつ問いかける。 「んー…これくらい、か?」 メジャーの位置を合わせ終えた彼女が顔を上げた。 鏡越しに目が合い、彼女は少し頬を赤くしたと思ったら、 「あんまりジロジロ見るなよ。金取るぞ」 なんて男の子っぽい強がりを言うけれど、その真っ赤になった顔や胸元を隠す手に女性を感じた。 「すみません」 僕はなんでもないような顔をしながら、その実、表情を固定するのに必死だった。 彼女をそういった欲の対象として意識してしまったことを隠すためではなく、彼女の女性らしさに心を揺らしてしまったことによる動揺を隠すために。 僕は本当におかしくなってしまったようだった。 これまでずっと男が好きだったのに今更ヘテロになるなんてあり得ない。 おまけに相手は体だけならまだ男なのだ。 それなのに、僕が惹かれているのは彼の男の部分ではなく、女の子の部分であり、彼女を「彼」と呼ぶことを考えることも出来ないほどに彼女を女性だと認識していて、なお彼女を好きだと思っているらしい。 神様なんてものを信じると仕事はとっくの昔に過ぎたつもりだったけれど、それにしたってこんな皮肉なことをするなんて、とこの時ばかりは神様というものの実在性を信じ、かつそのおかしな仕事ぶりを罵ってやりたく思ったほどだった。 けれどどうしようもないことに、僕が彼女を女性として好きになってしまったかもしれないという推測を事実に変える他ないと思えるほど、状況は揃ってしまっている。 どうしよう、と途方に暮れるのは、もしかしたら自分の性癖をはっきりと自覚した時以来かもしれないとさえ思った。 |