軽いSMって言うのかしら












































嘘吐きな道化



顔を近づけられれば苦情を通り越した罵声を浴びせ、必要だからこその近づいて声を潜めての内緒話にすら眉を寄せ、そもそも近づいてきたらすぐさま距離を取る。
そういうのが、俺の古泉に対するデフォルトの態度である。
それなのに、古泉と恋人として付き合っている、というのが自分でも信じられない。
信じられないのに事実なのだから、現実というのはまさしく小説より奇なるものであるらしい。
さっき挙げたものが、ハルヒの前やら校内でのカモフラージュ的なものであるならばまだマシだろうに、そうじゃないのがまた酷い。
二人での外出――いわゆるデートというやつ――でもそうだし、古泉の部屋、あるいは俺の部屋で二人きりの時すらそうだ。
古泉の部屋でテレビなんか見ながらぼーっとしている俺に、古泉がそろそろと距離を詰め、肩を寄せるくらい許してやればいいのに、肩が触れ合った途端、俺の口から出るのは、
「鬱陶しいから離れろ。邪魔だ」
なんて言葉であり、それも照れ隠しらしく上擦ったりしていればいいのに、日頃なら出ないような冷淡かつ突き放すような物言いになっちまうのだから我ながらたちが悪い。
恋愛に関して、ああ見えてオクテらしい古泉は、鼻先をぶっ叩かれた犬の如くしゅんと肩を落として、
「すみません…」
なんて謝るものだから、未だにキスもさせてもらってないという哀れさだ。
それどころか、ハグなんてものすらろくにない。
とにかく、万事が万事そんな調子なのだ。
俺のそんな酷い態度にもめげず、せっせと懐いてくる古泉に、俺は冷水どころか半分凍ったような氷水をぶっかけるようなことしかしない。
そんな扱いをされれば、俺ならとっくに心が折れてると思うのだが、そうはならない古泉に感謝するどころか、俺が呟くのは、
「お前ってマゾ? 気色悪い」
などという言葉なのである。
全くもって酷いとしか言いようがない。
自分がここまで残虐非道なサディストだったとは思わなかったし、今も思いたくない。
別にいじめて楽しんでいる訳じゃないからだ。
ともあれ、そんな扱いしかしていないからと言って俺が古泉を嫌いなのかと言うと、そうじゃない。
むしろ、嫌いだったならいいと思うほど、そうして古泉を振ったり突き放すことが出来るならよかったのにと思うほど、俺は古泉のことが好きなんだ。
近づかれるとそれだけで心臓がおかしくなりそうなほど早く打つから近づかれたくないだけだし、二人きりで部屋にいるなんてだけで死にそうになるのにもっと近づいたりだとか恋人らしく過ごすなんてことが出来る訳がない。
大体、俺としては古泉に恋人として接してもらえるというだけで大満足だし信じられない思いがするほど幸せでならないのだ。
これ以上なんて望まない。
むしろ、これ以上なんて死んでしまうから断じてお断りしたい。
古泉の声がするだけで歓喜に震える。
姿を視界の端に捉えるだけでも堪らなくて、目をそらす。
微笑なんてもはや凶器だ。
どうして俺の心臓は止まらないのか不思議になるくらいですらある。
こんな俺だから、正直なところ、古泉と付き合えていることさえ奇跡だ。
告白なんて俺に出来るはずがなく、このまま、古泉を眺めるだけで満足して、遠くから古泉を思ったまま過ごすんだろうといっそ覚悟すらしていた俺に古泉が何の気の迷いからか告白なんぞしてきたのだ。
あいつもどうやら断られると思っていたらしいし、俺だって走しちまうんだろうと思った。
それでも、あいつと恋人なんて甘ったるいものになれると思うと胸が高鳴ったし、そうなったらこのどうしようもないような気持ちも落ち着くかもしれないなんて思ったのだ。
「あなたが好きです…。あなたさえよければ、僕と……その、お付き合いしてくれませんか……?」
恥かしそうにしながらも勇気を振り絞ってそう言ってくれた古泉に、頷けばいいんだと思った。
照れながらでも驚きながらでもいい。
とにかく頷いてしまえば、自動的に俺の気持ちだって通じるだろうと思った。
ああ、それなのに。
本当にあの時の俺はどうかしていたと思う。
あまりのことに驚き、挙動不審になっていたんだ。
だからあれは本意じゃない。
それなのに、俺の口からは、
「付き合ったら、デート代とか全部お前持ちにするし、誕生日プレゼントだのなんだの言って色々たかるが、それでいいなら付き合ってやらんこともないではない」
という、おそらく世界でも歴史上でも最悪の部類に入るだろう返事であった。
金目当てって援助交際かよ、と脳内で死語と共にセルフツッコミを入れる俺に、
「それでもいいです」
と答えた古泉の泣き笑い染みた顔が未だに忘れられん。
どうしてあの時俺は、冗談だとかなんとか言えなかったんだろうか。
いや、冗談なんて言ったら、付き合うのをOKしたことさえ冗談扱いして台無しにしていただろうから、そうしなくてよかったのか?
俺には分からん。
こんな状況だから古泉はおそらく、俺が古泉を嫌っているという事実からは全く逆方向に捩れた誤解をしているのだろう。
それなのに俺を好きだと言ってくれ、俺が言った酷い発言を真に受けてあれこれせっせと貢ぎ、尽くしてくれる古泉には本当に感謝もしてるし、嬉しいとか愛しいなんてことを思っている。
そうして、あれは本気だと信じていたのに、俺は今、信じられないものを目にしていた。
古泉から、デートの予定をキャンセルしてきたなんてことを珍しく思いながら、あいつのことだから急なアルバイトだとか何かしらの用事だとかあったんだろう了解した。
「埋め合わせに、今度飯にでもつれてけよ」
とこれまた鬼のような言葉を言った俺に、
「畏まりました」
と返した古泉の声が情けない苦笑に震えていたのを心苦しく思いながら、嘘だなんて付け足しも出来ないまま、無遠慮に電話を切った。
むしゃくしゃしたものを抱えたまま家に籠もっていても仕方ないと外に出た俺は、古泉はどうしているんだろうかと考えながら、急に退屈になっちまった休日をつぶすべく、レンタルショップに向かっていたのだが、その途中で、信じられないものを発見しちまった。
この辺りは、北高の連中もよくうろついていて、カップルなんかがデートしているのもよく眺めるのだが、丁度そのように、古泉が誰かと歩いていた。
俺の知らない女の子。
古泉と並んで歩いていてよく似合う、可愛らしい子。
古泉が向ける笑みも、柔らかくて優しくて、俺にしか見せないと俺が愚昧にも妄信していたそれが、本当はそうじゃなかったと言う衝撃に俺はその場から動けなくなった。
どこか浮ついて、危なげな足取りの彼女を気遣うように手を引く古泉にスケベ心なんて感じる奴はいないだろう。
まるきり、お姫様をエスコートする王子様って感じだ。
この方が似合うんだから、許してやればいいのに。
譲ってやればいいのに。
あの子ならきっと素直に、古泉に好きだとかなんとか言えるんだろう。
俺がどんなに頑張っても言えない言葉を、いとも簡単に言ってのけるんだろう。
そう思うと悔しくて堪らない。
同時に、ああやってへらへら笑っている古泉が憎たらしくなった。
憎たらしいのに、俺は、それでも古泉が好きで、泣きたくなるほど好きで、疎ましがられようと嫌われようと離したくないほど好きで、自分を抑えられないまま、気がつくと俺は古泉の家に向かっていた。
合鍵なんかはもらってないから、古泉が帰って来るまで廊下で待たなきゃならん。
その待ち時間すら苦ではないほど、俺の頭の中は古泉のことで占められていた。
どうすればいいのか、何を話せばいいのか、そんなことを延々考えていた。
別れてやるのが古泉のためなんじゃないかと、一瞬思いはしたが、すぐさま却下した。
そんなことが出来るならとっくの昔にしている。
付き合ったりしなくても満足だと思っていた時ならいざ知らず、俺はもう、古泉に好きだと告げられる幸せだとか、大事にされる喜びなんかを知っちまってる。
それを手放せるくらいの軽い気持ちでなく、かといって、古泉のためならと身を引けるほどの献身的な愛情もない俺には、そんなことは出来そうにない。
じゃあ、どうしようか。
見っとも無く泣いてすがって、捨てないでくれと訴えるか?
今度こそちゃんと好きだと言って、でも、古泉が信じてくれるだろうか。
今更と笑われるかもしれない。
そうして捨てられたら、と思うと泣きそうになる。
うまい解法が見つからないまま、じっと待っていると、
「……あれ…」
と声がした。
見ると古泉が立っており、明らかに驚いた顔をしていた。
「どうしたんですか?」
言いながら足を速め、駆け寄ってくる嬉しそうな顔はいつもと変わらないはずなのに、それさえ嘘か誤魔化しに思えた。
俺はじっと古泉を見つめながら、手に持っていたコンビニの袋を持ち上げ、
「ちょっと気が向いてな」
と答える。
「嬉しいです。今開けますね」
犬だったら尻尾をぶんぶん振ってそうな調子で言った古泉が鍵を開け、ドアを開いてくれる。
「どうぞ、上がってください」
「邪魔する」
短く言って、俺は部屋の中に入った。
もう何度か足を運んだ部屋。
何処に何があるのか、なんてこともなんとなく分かるのに、なんだか知らない部屋みたいだ。
「コーヒーでも、」
と言う古泉に、
「ジュース買ってきたから」
と言って止め、500ミリ入りのペットボトルを袋から出した。
テーブルの上に置いたそれはおそらくすっかり温くなっちまってることだろう。
それでも、
「ありがとうございます」
にこにこしながら古泉がソファに座る。
俺の隣り…なのだが、俺に文句を言われない程度に距離を取って。
俺はそれを見つめながら、
「…なあ、古泉、ちょっと目を閉じててくれるか?」
と言う。
「どうしたんですか?」
「んー……ちょっとな」
理由ははっきり言わないのに、古泉は俺の言う通りにするということが染み付いているのか、大人しく従う。
その目に俺は買ってきたアイマスクで目隠しをする。
「え、な、なんですか?」
「いいから、じっとしてろ」
なんでもないことのように言い聞かせた俺は、一体どんな顔をしていただろうか。
笑っていたのか泣いていたのか怒っていたのか、それさえ、俺には分からない。
心の中はいやに静かで、迷いもない。
俺は古泉の手を取ると後ろに回させ、コンビニの袋から取り出した荷造り用のビニール紐でそれをきつめに縛った。
「ちょっ…、え、な、何事ですか!?」
ここに来てようやく異常事態に気がついたのか、古泉が慌てた声を上げ、縛られた手をばたつかせるが、後先考えずに固結びにした紐が解ける様子はない。
「じっとしてろって言っただろ」
温度のない声で言って、俺は更に古泉の腕を体に添わせる形できつく固定してやる。
脚も縛っておくか。
逃げられたり、蹴られても困るからな。
きつめに縛っておいて口にするのは、
「流石に血流を止めるほどじゃないが、きつめにしてあるから暴れたりするなよ。擦れて後になっても困るだろ?」
というどこかずれた言葉だった。
ずれていると自分で分かるだけマシなんだろうか、それとも手遅れなのかはよく分からん。
俺はようやくアイマスクを外してやり、戸惑いに満ちた古泉の目を覗きこんだ。
「お前って、俺の何?」
「……え…?」
「恋人? 下僕? 奴隷? ……まあ、なんでもいいか。どれにしても、同じようなもんだよな。この件に関しては」
「あ、あの……?」
本気で分かっていないらしい古泉を俺はじっと見つめた。
睨んではないと思う。
笑ってもないと思う。
ただ、どうしたらいいのか分からない混乱のまま、そのくせどこか冷めた頭で、
「裏切り者」
と呟いた。
「……まさか…」
「見てないと思ったか? 俺だって、あんなもん見るとは思わなかったさ。だが、見ちまったもんはしょうがない。……随分楽しそうだったな」
「あれは、」
と何か言い募ろうとするが、古泉に発言権をやるつもりからしてない俺は、
「うるさい」
と言い様、古泉の頬を引っ叩いていた。
乾いた音が響き、見る間に古泉の頬が赤く染まっていく。
ショックでも受けたのか放心状態の古泉の膝に伸し掛かりながら、
「許してなんかやらん」
と告げて、初めて口付ける。
「絶対に許さない」
呪いのように呟きながら、二度、三度と口付ける。
触れるだけのキス。
ぞっとするようなキス。
それなのに、古泉は笑ったのだ。
「…何がおかしい」
むっと眉を寄せた俺に、古泉はにっこりと微笑んだまま、
「いえ、ね。……こうもうまく行くとは思いませんでした」
と呟きやがった。
「……なんだと?」
「予定としては精々週明けあたりにでも、噂があなたの耳に入って、というところを狙っていたんですが、あなたを見ていたとはね」
くすりと意地悪く笑った古泉は、
「…妬いてくれて、嬉しいですよ。たとえそれが、独占欲だけのものだとしても」
つまり、俺の本心を分かってはいないらしい。
この詰めの甘さが可愛いというかなんというか…。
俺は少し呆れて、つまりは少しながらも平常心を取り戻しながら、
「俺を騙そうとするとは、いい度胸だな」
「騙したかったわけじゃありませんよ。…試したいと思ってしまっただけです」
言いながら古泉は上体を傾け、俺の胸に頭をすり寄せてきた。
「少しでも執着してもらえて、嬉しいです」
そう笑う古泉に、馬鹿野郎とかなんとか言って、ついでに、どうしようもなく執着するくらい好きだと言えたらよかったのに、この期に及んでもまだ俺は、このどうしようもない執着だとか、自分でも持て余すほどの古泉への恋心――というにはあまりに重くてどす黒い感情――を、古泉に知られるのが怖くて堪らないのだ。
だから俺はまたしても、
「このどM」
などという罵言と共に古泉の頭を引っ叩いたのだった。
……しかし、これだけやっちまってまだ愛想を尽かされない辺り、こいつは本当にどMなんじゃないか?
たとえ本当にそうだとしても幻滅しないどころか、だったら俺がこうも素直になれない性格を改善出来ないままでも平気なんじゃないかと期待してしまう辺り、俺も相当病気である。