僕の朝は、差し込む眩しい日差しと鳥のさえずり、爽やかな風、そして何より、彼の甘い囁きで始まる。 カーテンの開く音がして光がまぶたの中まで明るく染め、小さく身動ぎしている間に窓が開く。 ふわりと風が吹いたかと思うと、鳥の声もする。 そうして僕の体に伸し掛かってくる彼の重み。 僕の頭の横に手を付いて頭を低く下げた彼は、唇が触れそうな距離でそっと囁くのだ。 「古泉、起きろよ。朝だぞ。…腹減った」 吐息を含んだ甘え声は低く優しく響き、甘えられているはずなのにこちらが甘やかされているかのように聞こえる。 僕はと言うと、昨日も随分夜更かししてしまったのもあって、まぶたが重くて開けられない。 「…今日は休みでしょう……?」 なんてむにゃむにゃと返すばかりだ。 そんな僕に彼は多分不機嫌な顔をしているのだろう。 「起きろって」 不貞腐れた、と言うにはあまりにも可愛らしい、拗ねた調子で言って、 「なあ」 と囁きながら僕の鼻をざらりとした舌で舐めた。 「ん……」 「古泉ぃ」 ざり、ざりと鼻を舐められ、頬を舐められ、そっと口付けられる。 それでも目を閉じていると、 「起きろって。俺が飢えてもいいのか?」 と言って、鼻を甘噛みされた。 鋭い牙が、傷はつけず、しかし痕は残る程度に突き立てられる。 「…痛いですよ」 そろりと薄目を開くと、 「おはよう」 と口付けられた。 「おはようございます」 と返して彼を抱き締めると、滑らかな素肌に触れる。 「…また服を着てないんですか」 「お前が脱がせたんだから、お前が着せるべきだろ」 「全くもう…。パンツはどこにやったんです?」 「しーらねっ」 くすくす笑いながら彼は僕の腕から逃れて飛び退いた。 「どうせまたベッドの下とかに隠したんでしょう」 困ったなぁと言いながらベッドから下り、その下を覗き込んでいると、裸のままの彼が背中に伸し掛かってくる。 「古泉ー、朝飯ー」 「裸のままふらふらするような人に食べさせるご飯はありません」 「人じゃないからいいだろ」 にやりと笑って言ったように、彼は人じゃない。 人のように見えるけれど、今だって三角形の綺麗な耳が頭の上でぴこぴこしているし、長い尻尾がゆらゆら揺れていたりもする。 揺れる尻尾は二股に分かれている。 要するに彼は、化け猫というやつなのだ。 「それでもだめです」 「けーち」 ぶつぶつ言いながら彼はベッドの中で丸くなっている布団を漁り、中から取り出した下着を身に着けた。 今日はそこに隠してたんですか。 「隠したんじゃない。勝手に巻き込まれただけだ」 どうだか。 僕は呆れながら彼に着替えを渡し、自分も着替える。 「邪魔臭い」 とかなんとか文句を言うので、 「着てないと朝ごはん作りませんよ」 と軽く脅すと、渋々黙りこんだ。 そのくせぺたぺたくっついてきては、 「朝飯はやっぱり和食に限るよな。炊き立てご飯と漬物と味噌汁と焼き魚。後、海苔とか佃煮なんかもいいな」 なんてリクエストしてくる。 「分かってますよ。ちゃんと用意してあります」 と返せば、彼はふくれっ面で、 「古泉がつれない」 と唇を尖らす。 「そんなことありませんよ」 「じゃあ意地悪だ」 「そんなことありませんってば」 「…だったら、ん」 そう言って何をねだっているのかと思えば、キスをねだっているらしい。 目を閉じて、軽く背伸びをしている彼を、可愛いなんてつい思ってしまった。 僕はそっと彼の唇にキスを落としたのだが、彼はまだ不満らしい。 「もっとちゃんとしたのがいい」 「…全くもう……。食い千切ったりしないでくださいよ?」 言いながら、彼と唇を重ねあう。 舌を絡めて、彼の甘い唾液をすすり、きつく抱き締めあう。 「はふ」 と息を吐いて離れた彼は、そのくせ恨めしそうに僕を睨んで、 「食い千切ったりするわけないだろ。そんなことしたら、お前がだめになっちまうだろ。俺はまだ、お前を壊したいなんて思ってないのに」 と言ってくれる。 そんな彼を可愛いと思うし愛しいと思う。 思うのだけれども、だからこそ、朝食を作りたくないと思ってしまった。 …何故って、 「ごちそーさんでしたっ」 と手を合わせるなり、彼はさっきまでの愛想はどこへやら、仏頂面でテーブルを離れ、ソファにごろりと横になった。 その上、省エネとばかりに猫の姿に戻り、そのくせ広々とソファを使ってうんと伸びる。 こうなってしまうと彼は本当に怠惰で、無愛想な猫でしかない。 「食器は片付けてくださいっていつも言ってるじゃないですか」 なんて僕の苦情には耳も貸さず、そればかりか僕なんて空気以下の扱いだ。 恐ろしく現金な猫だ。 嘆きながら僕は食事の後片付けをし、それが一段落したから、とソファに行くと、ご機嫌でうたた寝していた彼は僕がソファに座ると、ふーっと唸った。 「いいじゃないですか。大体、どうしてあなたのそのサイズでソファを独占するんです」 と言ってもまるで無駄だ。 不機嫌そうに顔を背け、それでも辛うじて場所を譲ってくれるだけ今日はマシだった。 場合によっては問答無用で引っかかれ、追い返されることもあるのだから。 ほっとしながらテレビをつけ、とりあえずニュースを見る。 日曜日の朝は選択肢が少ない、といつものように不満に思いながら、一応その内容に耳を傾けた。 それでも、大した内容はなくて、すぐに飽きてしまった。 こういう時こそ、彼と戯れたいものだけれども、そろりと手を伸ばすと、丸くなって寝ていた彼の尻尾が不満げに揺れた。 不満げ、というよりもむしろこれは、第一段階の警告に近い気がする。 「…だめですか」 「だめですよ」 即答。 いやでも、人間の言葉で返してくれるだけマシだったりする。 下手すると叩かれたり引っかかれたりかみつかれたりするんだから、ずっといい。 まだ傷が残っている自分の手を見ながら、僕はそっと呟いた。 「遊んでくれませんか」 「疲れてるんだから邪魔すんな」 ……冷たい。 ちなみにこの疲れたというのは、甘えてみせるのに疲れたということに他ならない。 泣きたくなりながら、仕方なく家事に集中することにした。 せっせと掃除をし、無駄に風呂場をぴかぴかに磨き上げ、洗濯物を干し終わるか、という頃になって、背中に伸し掛かられた。 「…なんですか」 お昼前のデレタイムか、と覚悟しながら振り向く僕に、 「んー…?」 甘えた声で一拍置くのも、彼なりの駆け引きの手段だ。 「腹へったー」 と間延びした甘え声を出すのも。 「…腹減ったって、まだ10時にもなってませんよ?」 「今から作り始めたら丁度いいだろ?」 「……って、また何をリクエストするつもりですか」 びくつく僕に、彼はにっこりと微笑んで、 「お前の作るミートソーススパゲッティーが食べたいなー」 とねだられた。 それはまた時間の掛かるものを。 煮込むだけで1時間くらいかかるじゃないですか。 僕はとりあえず笑みを作り、 「では、どこかに食べに行きましょうか?」 「…お前のじゃなきゃ、やだ」 ぷくっと膨れてみせるのは本当に可愛い。 「……キョンくん…」 「なあ、お前の食わせて? お前のじゃないとおいしくない」 なあなあと子猫が甘える時のような声を上げてねだられて、それに耐え抜くと決めてたはずなのに、気がつくと僕はキッチンに立っていた。 「僕がいない時には自分で出来るのに……」 と嘆きながらタマネギを刻んでいると、本気で涙が溢れてきた。 うう、と涙を流す僕の背後でゆらゆら尻尾を揺らしながら、彼はご機嫌で宣う。 「お前がいるのに、なんで俺がしなきゃならんのだ? お前がいないと甘えられないんだから、お前がいる時に甘えるのは当然だろ?」 そんなことを言いながら僕の背中に抱きつき、首筋にちゅっとキスを落としたりしてくる。 本当にこの人は…もう………っ、可愛い。 正直言って、休日の一日なんてこんなものだ。 夜も当然美味しいものを作れーとえらく手の込んだものを要求されたことは言うまでもない。 一日のうち一体何時間を料理に費やすことになっているのかなんて、計算したくないくらいだ。 ぐったりくたびれた僕がソファで一眠りしていると、胸にずしりとした重みが来た。 う、と呻きながら薄目を開けると、猫の姿をした彼が僕の胸に乗っかって丸くなっている。 重いけれど嬉しい。 嬉しいけれど、気持ちよさそうにしているのを撫でるわけにもいかない。 ぐっと堪えながらただ一言、 「おやすみなさい」 とかすかな声で囁くと、ぱたりと彼の尻尾が揺れた。 |