こうやって言うと親バカ丸出しで恥かしいけれど、うちの息子は随分出来がいいと思う。 うちが共働きのせいもあるかもしれないけれど、小さいうちから妹の面倒をよく見てくれたし、家事だってよくしてくれる。 高校生になっても反抗期なんてなくて、妹のお手本になるいいおにいちゃんをしてくれてる。 それだけしてくれてたら、って大目に見たいけど、あの寝穢さと勉強への不真面目な態度は直してほしいと思うのは、欲張りかしら。 ともあれ、そんなよく出来た息子のおかげで本当に助かってるし、だから私としても息子の力になりたいなんて思うんだけど、その息子の様子が最近ちょっとおかしい。 おかしいっていうか、何か変わってきてる気がするのよね。 思えば少し前からその前兆があったようにも思える。 前兆その一。 なんだかよく分からないけど考え込むことが増えた。 ソファなんかでぼーっとしてて、そのくせ時々頭を抱えてのたうちまわったり、かと思うとにやにやして、赤面したりするから、この子はとうとうどこかおかしくなったんじゃないのかしらなんて思ったくらいだけれど、お父さんなんかはなんだか察しがついたみたいで、「放っておいてやれ」なんて言うから放っておいた。 思えばあれが最初の前兆。 前兆その二。 少しだけどおしゃれに気を遣うようになった。 たとえば前ならTシャツにジーパン姿で日曜日の朝から出かけたりしてたけど、最近はちょっと違う。 前日くらいから頭を悩ませて、コーディネイトに気を遣った挙句、何がしたいんだかよく分からない格好になったり、あるいはただのTシャツジーパン姿になったりする迷走っぷり。 ちなみにこれはお兄ちゃんの部屋に遊びに行って邪険にされた娘の報告。 あれだけ妹に甘い子が、と呆れたりしながら、あの子がおかしくなった理由が、私にもちょっと分かってきた気がした。 前兆その三。 家事に積極的になった。 前から料理なんかはちょくちょくしていてくれたけど、前よりも精を出してやってくれてるみたいで、料理のレパートリーを増やしてるみたい。 掃除や洗濯も、こっちが言う前に終らせてくれて、ありがたいことこの上ないけど、理由がやっぱり気になった。 多分、前兆としてはそんなものだったんだろうと思う。 働いてる分忙しくて私はあまり見ていられないから、もしかしたらもっと違う変化もあったのかも知れないけど。 そんな風になんだか変だなぁと思ってたのが決定的に変わったのは、とある木曜日のことだった。 珍しく、連絡もないまま帰りが遅いと思っていると、玄関のドアが開いて、あの子が帰ってきた。 「お帰り。遅かったのね」 と声を掛けたのに上の空。 どこか赤い顔のままぼんやりと自分の部屋に上がっていってしまった。 「…何かあったのかしら」 何もなしにああいうことになるならそれはそれで心配だけど、何かあったならあったで勿論心配だわ。 風邪かしら、なんて思いながら晩御飯を仕上げて、娘に、 「ご飯出来たからキョンくん呼んできてくれる?」 と頼んだら、 「はーいっ」 と元気な声で走ってったのに。 「キョンくんお腹空いてないんだってー」 とちょっとしょんぼりして帰ってきた。 「どこか具合でも悪いのかしらね」 「わかんなーい」 まあいいわ。 お腹が空いたら自分で何とか出来るでしょ。 そう思って放っておいたら、翌日にはいつもと変わらない顔をして起きて来た。 でも、その時間がおかしい。 いつもなら目覚まし時計と妹に起こされてやっと寝ぼけ眼をこすりながら起きてくるのに、今日はまだ妹も起きてないし、朝ごはんだって作ってない。 「どうしたの?」 驚いた私に、キョンはもごもごなんだか口ごもりながら、 「たまには朝飯と弁当くらい作ろうかと思っただけだ」 なんて返す。 「…どういう風の吹き回し?」 首を捻る私に、 「別になんだっていいだろ」 と返して、私をキッチンから追い出す。 一体なんなんだか、と訝りながらも、作ってもらえるのはありがたい。 私はのんびりニュースと新聞のチェックをしながら出来上がるのを待つ。 作り慣れてるだけあって、手際はいいし失敗もない。 それなのに、珍しく不安そうな顔して、 「味付け、大丈夫だと思うか?」 なんて聞きながら、お弁当に入れるらしい玉子焼きとかアスパラのベーコン巻きとかポテトサラダをちょっとずつお皿に入れて私のところに持ってくる。 ぱくぱくぱくっと味見して、 「おいしいわよ」 と返すと、ほっとしたみたいに笑うのもなんだか珍しい。 何か妙に思いながらも、本人は楽しそうなので放っておく。 キョンはいつになく丁寧に、おにぎりまで作ったかと思うと、普段のそれでも十分大きい弁当箱を持って行ってるのに、それじゃ足りないみたいな顔して、もう一つ、前に使ってたちょっとだけ小さな弁当箱を引っ張り出し、それにもお弁当を詰め込んだ。 「…あんたはどこの欠食児童よ」 呆れた私にキョンは、 「別に俺が食うんじゃないんだって。…いつも食堂使ってて、家でも外食かコンビニの弁当だっていう奴がいるからそいつに差し入れだ」 「あら、そうなの?」 「おう」 「ふーん…」 「…なんだよ」 じっと私を睨むみたいに見てくるのは照れ隠しだって分かるけど、 「あんたってほんと、いい子に育ったわよね…」 しみじみ呟きながら頭を撫でたら、なんだか知らないけど顔をしかめられた。 それも、照れ隠しじゃなく、どちらかというと、そうね、申し訳なく思ってるみたいな顔で。 「キョン? どうかしたの?」 「…なんでもない」 …なんなんだか。 浮かれてるのかしょげてるのかよく分からない感じでキョンはお弁当を作り、作ってる間につまみ食いしたので満足だから、と朝ごはんを座って食べることはせずに部屋に戻った。 かと思うとまた下りて来た。 それもちゃんと制服を着て、出かける準備万端で。 「あんた、こんな早くから行くの? 日直だっけ?」 「違う」 「それともまた部活で用事でもあるの?」 「…そんなとこ」 …ってことはそうじゃないってことね。 我が息子ながら誤魔化し方がうまくないというか素直というか。 まあいいわ。 「気をつけていってらっしゃい」 「いってきます」 そういう挨拶はちゃんとして、結局妹の顔も見ないまんま、出てったけど……ねえ、今から行って、学校開いてるの? それから、キョンはまたちょっと変わった。 友達の家に遊びに行ったり、そのまま泊まったりすることが増えた。 だから遊び歩いてるかと思ってたら、勉強もしてたみたいで成績が上がってて驚かせてくれたりもした。 でも、思い詰めた表情をしてることが増えたりもした。 いい変化が起きたのかそうでないのかはよく分からない。 時々、あの申し訳なさそうな顔で私やお父さんを見てたりするのも気になりはするけれど、物言いたげな顔に反して口は重くて開かない。 何か隠し事があって、それを打ち明けたいけど出来ないみたいな感じね。 どうしたのかっていよいよ心配になってきたある日曜日。 私は予定より早く仕事が終って、家にも随分早く帰ることが出来た。 玄関の鍵が掛かってたから、子供たちも遊びに出かけてるんだろうと思って、黙ってドアを開けたら、意外にも靴がふたつあった。 適当に脱ぎ散らかしてあるのはキョンの靴。 でもそれよりちょっと大きくて、きれいに揃えられた靴は……キョンの友達の、かしら。 妹も親もいないからって、友達を呼んで、鍵まで掛けて、何をやってるんだか。 まあ、アダルトビデオを見るとかそういうのなら、妹がいない時にしてくれるのはありがたいわ。 邪魔しちゃ悪いと思って、音を立てないようにこっそり玄関のドアを閉め、自分の部屋に行く。 荷物を下ろして、着替えて、さて夕ご飯の買出しにでも行こうかしらと思いながら廊下に出たら、何かが聞こえた。 細い、すすり泣きみたいな、ただ、ちょっと違う声。 これ、は。 もしかして? ……なるほど、なんて思ったのは果たして母親として正しいのかしら。 とにかく、気付かれないうちにと慌ててエコバッグを掴んで家を出る。 鍵はばっちり掛け直して。 一時間くらいしたら帰ってもいいかしら、なんて思いながら、とにかく落ち着こうと適当な喫茶店に飛び込んで座る。 反射的にコーヒーを頼むだけ頼んで、ぼうっと座って考えた。 なるほど、色々と納得は出来たわ。 お弁当の差し入れ相手であり、泊りがけで遊んだりするような相手ってのは要するに彼氏だったわけね。 で、時々見せるあの申し訳なさそうな顔は、私たちに孫の顔を見せられないことに対する申し訳なさか何かだったと。 高校生の恋愛だからそんな先まで考えてない可能性もないではないけれど、あの子のことだから、それくらいのことは考えてても不思議じゃない。 少なくともあの後ろめたそうな顔はそういうことなんだと思う。 ……本当に、うちの息子はいい子だわ。 小さく笑って、私はコーヒーを口に含んだ。 苦い。 砂糖もミルクも入れ忘れてたわ。 これでも動揺してたのかしら。 驚いたからそうかも知れない。 でも、あまり反対する気にもなれない。 だって、あの子ってば本当に一生懸命恋してるんだもの。 反対するだけ野暮だと思うし、それに、あの子が好きになった相手なら大丈夫って気もする。 いつかちゃんと紹介してもらえるかしらと思うと、なんだか楽しみな気もして来ちゃう。 いっそさっき見つけてあげた方がよかったのかしら? そうしたらあの子も白状せざるを得なかっただろうし、白状したら、あんな申し訳なさそうな顔はもう見なくて済むでしょ? ……ふむ、そうね。 これから急いで必要なものだけ買って、家に帰るとしましょうか。 それでも、予定よりはずっと早いから、あの子も油断したままのはず。 それで見つけたら見つけたでしょい、誤魔化されたらそれはそれで構わないということで。 私は苦いままの、そのくせ温くなったコーヒーを飲み干して、立ち上がった。 何が出るかはお楽しみ、ね。 |