その日は磁気嵐もなく、いたって穏やかな日だった。 地上なら、天気晴朗とでも言うんだろうな。 そんなことを考えながら、俺は画面を睨んでいた。 戦況は一見こちらに非常に不利だ。 それぞれ五艦を繰り出しての模擬戦で、こちらが初期位置からほとんど動かないまま固まってるのに対してあちらは比較的広がった状態からこちらを包みにかかった。 いわゆる鶴翼陣形ってやつだな。 それに対してこちらは、およそ四艦でその猛攻に耐えている訳だ。 耐久力の強さは折り紙つき、とはいえ、耐えるばかりでは辛いところだ。 攻撃を加えてきているのもおよそ四艦。 その向こうに、あちらの司令官のいる艦がある。 これを破れば、と思うやつも居るかもしれないが、そんなことはしなくていい。 俺たちのすべきことは、なんとしてもここを守ること。 そうして時間を稼ぎ、相手を引きつけることだ。 こっそりやっている妨害工作は今のところ順調。 あちらのコンピュータに紛れ込んでいるシャミの報告によると、特に気付かれてはいないらしい。 それにしても、なかなかいいセキュリティが組んであった。 歯応えがあって楽しかった、とシャミと二人してほくそ笑んだくらいだ。 それでも、同じ軍の中ってこともあり、侵入はさして難しくもなかったのだが、いくらか独自で組んである部分もあり、なかなかにきな臭いなと笑った。 さて、ハルヒの艦の様子はどんなもんかね、と思いながら情報をみると、順調に進んでいるようだった。 もう少ししたら目的の位置に移動して、主砲のチャージが始められる頃合か。 作戦は、呆れるほどに単純だ。 今猛攻に耐えている四艦は完全にオトリで、攻撃に回るのは残る一艦のみ。 しかもそいつはハルヒの艦と来た。 自慢にもならない話だが、こちらの艦の中で一番性能がいいのはハルヒの艦だ。 速度も攻撃力も耐久力もピカイチだ。 あいつの艦だけは前線のやつらにも負けないだろう。 ところが、ほかのとなるとそうはいかない。 近衛軍は盾だ。 決して剣ではない。 だから、耐久力なんかはそれこそ呆れるほどに高いのだが、速さは出ないわ攻撃力は低いわ散々である。 まあ、だからこそ今回はこんな作戦を立てたわけだが。 実際、無茶な作戦である。 もし万が一あちらの索敵に引っかかってハルヒの艦が見つかって集中攻撃にあっちまえば、まずこちらの負けは確定。 あちらの司令官の艦を見つけられないままこちらの四艦がやられちまってもまずこちらが負けるだろう。 そうならないため、こちらも大分索敵に人員を割いたし、おかげでそこはクリア出来た。 あちらさんはよっぽど余裕と見えて、攻撃に出してる四艦の背後で悠然と構えているらしい。 そこへ向けて、ただし、ハルヒが焦れに焦れるほどの大回りで、艦を進ませる。 ここでハルヒが焦れて、猪突猛進、なんてことにならないといいんだが、そこは古泉が押さえ込んでくれることを願おう。 デッキはなかなかの喧騒に包まれている。 中には俺への聞こえよがしなイヤミだかなんだかも混ざってるようだが、重要でない情報はシャットアウトだ。 俺はじっと画面を見つめ、こちらのダメージ状況を見守る。 とは言っても、しょせん模擬戦であり、お遊びだ。 プログラムに応じて数値が出されるだけで実際には艦はダメージを受けてはいない。 だが、これで一定以上のダメージを受けると、戦闘不能となるので、慎重にならざるを得ない。 じっくり見ていると、やはり前に出ている二艦の消耗が激しい。 途中で入れ替えるか? しかしそうなると、その隙が生まれ、万が一、その間に間を抜けられるとハルヒの艦がいないことに気付かれちまう。 そうなれば、馬鹿丁寧に索敵艦やなんかまで落としてやった甲斐がない。 このまま強引に耐え抜いてやろう。 そう考えながら、今度は艦の位置を確認する。 四艦は――まるでハルヒに追い立てられて仕方なしとでも言うように――時折前に出ようとするものの、実際にはじりじりと後退している程度。 敵艦隊はそれを追ってじわじわと前進してきている。 ハルヒの艦は大分大回りをして、もう少しで真後ろについてくれる、というところだな。 それから、ほどよい位置を確保した上、チャージをさせる。 一撃でかなりのダメージを与えなければ、やはりこちらが負けちまうからな。 そのためにも、気付かれないようにしなきゃならん。 俺はこっそりと、 「シャミ」 と呼ぶ。 答える代わりに、画面の隅に生意気な三毛猫のアイコンが現れた。 「あちらさんの様子は?」 「まだ気付かれてはないだろう。…どうするかね。これ以上妨害を行うとかえって気付かれる可能性も強いが」 「……その前に聞かせろ。向こうが自分たちの背後に索敵を行ってるかどうかだ」 「現状ではしていない。なかなか無防備なことだ」 「…それが引っかかるな」 あちらは実戦慣れしてる。 となれば、たとえ自分が通過した後であろうともある程度は索敵を行うはずだろう。 それを怠っているのは、模擬戦だということからの油断なのか、それとも何かの罠なのか。 「……考えすぎて疑心暗鬼になってもまずいな。何かおかしな動きがあれば報告してくれ」 「だから君の指示はいつもあまりにも抽象的だと私は言っているのだが…」 「それに対応出来ないほど頭の悪い奴じゃないだろ」 返事はなく、ただアイコンが消えた。 さて、どうなることやら。 ハルヒの艦はそろそろ位置を確定し、チャージを始める頃だ。 間に合うように、と祈るような真似はしない。 祈るなんてするだけ無駄だ。 そんなことをしなくても勝てるだけのことはしてある。 考えながら、俺は端末を叩く。 表示されるダメージには、実はいくらか細工がしてある。 正確にはダメージそのものではなく、艦の周りにある浮遊物に紛れて、模擬戦用のレーザー類による損害を少なくする機器がまいてある。 こちらのレーザー類は通し、あちらのは緩和する、なんてプログラムを組むのにも苦労させられたんだ。 ちゃんと働いてくれなきゃ困る。 あちらがおかしいと思ったとしても、これだけ障害物が多い宙域じゃなんとでも言い訳出来るってのがありがたい。 悪辣なことを考えながら、ハルヒの艦の様子を見守る。 完全にチャージしたそれを、確実に命中させてくれなければ、こちらが負ける。 頼んだぞ。 しっかり働いてくれよ。 そんなことを考えている間に、画面に赤い文字が躍る。 どうやらこちらの艦がひとつやられちまったらしい。 「くそ、やっぱりあちらもやるな…」 ダメージ軽減も誤差の範囲で誤魔化せる程度に抑えたから、こういうことも考えてはいたが、それでも実際こうなると焦らないでもない。 「撃墜された艦は下がって。残る艦は速やかに陣形を整えてください」 という古泉の指示を聞きながら、画面を睨みつける。 これでこちらは残り四艦。 ここに固まっているのは三艦だけだ。 あちらの索敵を通さないように気をつけながら、速やかに形を整える。 そう、あくまでも我々は盾だ。 皇女殿下を守る盾だと自分に信じ込ませる。 自分で信じられないような嘘でどうして人を騙せるのか、といったのはどこの詐欺師だったかね。 出典はともあれ、それはある意味で真理だろう。 何よりも、真実よりも、本当らしく見えるのは、そうと信じている物事だろうからな。 無事に陣形を整えた後は、再び猛攻に耐えるだけの時間になる。 こちらはお義理のようにレーザーを放ち、ついでに飛んでくる邪魔っけな浮遊物を撃ち落す。 最初のうちはまごついていたようだが、何時間もどんぱちやるうちに調子を掴んだらしく、実際の艦体の損傷はほぼない。 …皆無じゃないってのが情けない話ではあるが、これはまた今度、訓練でもするネタにさせてもらうとしよう。 チャージはそろそろ100%になる。 が、俺のいる艦の被ダメージ率もそろそろ100%が近い。 流石に残り二艦なんて状態になると、誤魔化しきれない可能性が高くなるんだが、それでもやってやれないこともない。 問題は、ほかの艦のダメージもそこそこ蓄積している点だ。 どうしても間に合わない時には、チャージが100%を越えても、それこそ機材の限界までチャージを続けるようには言ってある。 そうして、こちらが完全にやられて、あちらが驚くその瞬間を狙って撃てばいいとも。 現状は、どう判断するか迷うところだが、さて、どうなるかね。 そんなことを考えていると、不意に敵司令官の艦が向きを変え、後退を始めた。 まさか、ハルヒの艦に気付いたんだろうか。 「シャミ!」 「聞きたいことはおそらく分かる。あちらの司令官の動きだろう」 その通りだから早く話せ。 「なかなかいい勘をした司令官らしい。こちらに何か策ありと見て、距離を置くことにしたようだが…流石にここまで斬新かつ無鉄砲な方法を取るとは思わなかったようだな」 というシャミの声が笑っている。 てことは、 「…大丈夫、だな」 「まずこちらが負けることはないだろう」 意地悪く言った瞬間、デッキいっぱいに展開したスクリーンにハルヒの顔が映し出され、 「いっけええええええええ!」 というハルヒの歓声にも似た雄叫びが響き渡った。 模擬戦とはいえ、楽しそうな顔してやがる。 危険なやつめ。 そう思いながらも、俺はつい笑っちまった。 勿論、これで勝てるからでもある。 敵主艦のダメージが甚大なのを確認しながら、艦を前進させる指示を待つ。 それはほどなく下され、俺たちはぼろぼろながらも敵を挟み撃つことになった。 ハルヒは調子に乗って艦を進ませ、景気づけの花火みたいにレーザーを撃ちまくる。 滅茶苦茶なやりようだが、あちらが体勢を立て直す前に、ダメージ率が100%に達した。 これにて投了って訳だ。 「キョンはどこ!?」 はしゃいだハルヒの顔が、デッキいっぱいに広がる。 「こちらに」 と手を上げれば、ハルヒは満面の笑みを浮かべ、 「よくやったわ! 今回の功労賞はあんたにあげる」 「畏れ多いことです」 慇懃に返しながら、俺はハルヒにも分かるよう、にやりと笑い、 「おめでとうございます」 と返した。 ハルヒは俺と同じくらい意地の悪い笑みを見せ、 「あんたって最高だわ」 と褒め言葉らしい一言をくれた。 それから、今回のことは一応模擬戦だったため、後で双方の司令部で顔を合わせ、反省会らしきものをすることとなった。 階級の低さにも関わらず、今回の功労者ということでその場に同席させられた俺は、それでも末席で大人しくしていたのだが、型通りの会議の後、退出するかに見えたあちらの司令官は俺の横で足を止め、 「今回の作戦は君が立てたと聞いた」 俺は否定も肯定もせず、黙ってそいつを見る。 生で見るのは初めてだが、データやなんかで見たのとさして印象は変わらない。 シニカルで、どこか芝居がかった表情と仕草をした男は、知的に見せる眼鏡のフレームの向こうで面白そうに目を細めていた。 「なかなかに斬新な作戦だった」 皮肉たっぷりなお言葉にこちらも笑みを返したが、おそらくあちらには分からなかったことだろう。 「恐れ入ります」 「先ほども言わせてもらったが、実戦では決して使えないような策だな。皇女殿下を危険な目にあわせたことはもとより、オトリとして使った艦の損害があまりにも大きい。くわえて、戦闘範囲や互いの戦力が明確に分かっているからこそ出来るものだった」 全くもってその通りだとも。 だが、あえて言わせてもらおう。 「今回の模擬戦で勝つための作戦でしたから」 そう笑った俺に、そいつは意外そうに目を見開き、それから笑った。 笑った顔は意外と幼い、というより無邪気な印象を受けるもんだな。 脳内の人物評に新しい項目を加える俺に、そいつは面白そうに笑ったまま、 「うちに来ないか?」 ……と言いやがった。 全く、驚かせてくれる、と言いたいところだが、そうでもないな。 流石は実力主義で有名な奴だ。 「評価していただけるのはありがたいですが、自分は殿下にお仕えするため、ここにいるものですから」 「今時珍しい忠義者だな」 揶揄するように言ったそいつに俺がもうひとつ何か返すより早く、ハルヒが上座から怒鳴った。 「あんたなんかにキョンはやらないわよ!」 「それは残念だ。それではまたな」 飄々とした顔でようやくいなくなったそいつは、本当に食えない奴という印象ばかり振りまくが、真実そうなのかはよく分からん。 何かを演じているような、妙な違和感がある。 今度調べておこう、と考えながら見送った俺に、 「キョン!」 と間の抜けた名前を言いながら、ハルヒが抱きついてきた。 首が絞まるからやめんか。 「あんたって本当に最高だわ! この調子でガンガンやるわよ!」 褒めてくれるのは嬉しいし、興奮しているのも分かるが、 「殿下、ほどほどになさらないと彼が苦しそうですよ…」 やんわり言いながら、そのくせ案外強い力で古泉がハルヒを引き剥がしてくれて助かった。 「ありがとな」 「いえ」 人前だから、返ってくる言葉は短いし声もやや冷たい。 だが、それでも嬉しくなる。 俺はじっと古泉を見上げて、今夜の楽しみを思った。 |