力試し運試し 2



整備関係のところ以外にも、艦内を余すところなく見て回った俺は、全体に広がっているやる気のなさにげんなりする破目になった。
ここまで酷いとはな。
やる気がないのは上だけかと思ったが、末端まで行き届いていやがる。
こういうことは広がりやすいとはいえ、酷いもんだ。
こいつらにやる気を出させるにはどうしたらいいのかね、と思いながら俺はそろそろ空く時間だろうと、古泉の部屋を訪ねた。
端末越しに、
「今、よろしいですか?」
と問いかければ、
「どうぞ」
と素っ気無い返事が返ってくるが仕方ないしそれでいい。
部屋に入るまではきっちりしていても、部屋に入ってしまえばいつものペースだからな。
部屋に入り、ドアにロックがかかるのを確認してから、俺はデスクに向かっている古泉の背後に回りこむ。
「…んー…これ、見たらまずいか?」
「まずいのはまずいですけど…あなたにはそう言っても無駄でしょう?」
「まあな」
にやりと笑いながら俺は古泉の背中にべったりともたれかかりつつ、展開されたファイルを覗き込む。
「…ああ、こいつか」
「ご存知でした?」
「シャミが出しといてくれたからな。ざっと目は通した。今度の作戦宙域の選定資料だろ」
「ええ。…ご親切にも、こちらに選択を任せてくださるそうですよ」
「舐められてるな。……と、見栄の一つや二つ張ってでも軽く言いたいところだが、それだけ甘くしてもらっても、なかなか厳しいな」
「全くです」
「素晴らしき無能揃いだってのに、お前はよくまとめてるよ」
言いながら、古泉の頭を撫でてやると、俺の胸に頭を預ける形でもたれかかってきた。
お疲れだな。
「まとまっているのは、殿下のおかげですよ。そうでなければ、僕のような青二才、蹴落としたい連中ばかりですから」
「だろうな。…じゃあ、青二才同士、共闘といこうか」
そう言って古泉の頭を抱き、
「お前が反対しないといいんだが、」
と手を資料の上に滑らせ、とある宙域を示す。
「ここでやる、ってのはどうだ?」
「ここ…ですか?」
古泉が警戒を滲ませるのも仕方ない。
そこは特にごちゃごちゃと小惑星やら浮遊物やらが漂う、比較的危険な宙域だ。
油断しているとそれだけでお陀仏、とまではいかなくても、艦体に傷を受けることは免れない緊張感がある。
「あまりにも足りない士気の代わりに、その緊張感が欲しい」
「……」
「…ハルヒのお守役として、あいつの安全を第一に考えなきゃならんお前の立場も分かってはいるが、あいつが怪我をするほど酷い場所でもないし、あいつを守ろうと思えば嫌でもきびきび動くはずだろ。それに、あいつとしても、自分から先陣切って動き回るとか、危険なところであえて戦うってのをやりたがるタイプだろ。だから、俺はここを勧める」
どうするかはお前次第だけどな、と言った俺に、古泉は難しい顔で考え込む。
「……当該宙域は確かにほどほどの緊張感を与えてくれそうではありますね。しかしそうなると、障害物排除のための装備も必要になりますし、切り替えの人員も……」
「それは向こうも同じだし、それくらいきびきびやってくれないようじゃ、いざって時には本当に役立たずだろ」
「…そうなんですよね」
「模擬戦は訓練としてやるんだし、いいと思わんか?」
「……それはその通りです。全くの正論だと思います。ただ、」
「正論で人が動く訳はないわな」
低く笑って、俺は古泉の耳元で囁く。
「俺に一つ考えがある。任せてくれるか?」
「…え……?」
「大丈夫だ。お前がまずいことになるような真似はしないし、なんだったら、俺から場所の選択から口出しさせてもらってもいい。それでハルヒに口ぞえでももらえれば、まさかの時にも咎められるのは俺で済むだろ」
「そんな、責任がどうのなんてことは、いいんです。……殿下に、本当に危害は及ばないと言えますか?」
「……ガラス室の中で保護されてやっと生きてる花でもあるまいに、過保護もほどほどにしろよ」
呆れて呟きながら、俺は古泉の膝に移動する。
そのまま首に腕を絡めて、
「分かってるはずだろ? 必死になって守ったってあいつは喜ばんぞ」
「……分かってはいます…けど……」
「…花が強風にさらされて散りそうだとか、飛んできた石に当りそうだとかいう時だけ守れば十分だと思うぞ」
そろりと古泉の頭を撫でながら、触れるだけのキスをする。
「…あなたって、本当に不思議な人ですね」
「……はあ?」
なんでそうなるんだ?
「普通は怒るか機嫌を損ねるかすると思いますよ? …恋人に向かって、ほかの女の話をしたら」
「…そんなもん、今更だな。お前にとってハルヒが大事なのはよく分かってるし、それとは違う意味で俺を愛してくれてるのも確かなんだから」
きつめに抱き締め、今度は深く口付ける。
触れ合う舌先が、唇が、気持ちいい。
「ん……ぁ…古泉……」
「…なんですか?」
「…色々背負って大変だろ。ちょっと、俺にも預けてみろよ」
「……」
返事は、一層深い口付けだった。
かくして俺は、意を決して口を開いた。
模擬戦を前に、作戦会議が開かれたその場でのことだ。
当然のようにぐずついて話は進まず、建設的な意見など出てこない。
そろそろハルヒの堪忍袋がはじけ飛ぶぞと思ったその瞬間を狙って、
「我々にとって有利なことがひとつあります」
末席から突然、新入りが発言したことに、議場にいる人間の視線がこちらに集中する。
それを怖いと思わない訳でもない。
緊張だってする。
それでも、言い出したならやるしかない。
「あちらが、我々を近衛軍だからと侮っていることです。確かに、あちらは前線を駆けずり回っている分実戦経験は豊富ですし、こちらはと言えば、実戦に出ても皇女殿下の護衛が基本で、自ら動くことは苦手です。艦の作りも防御優先で、機動性にも攻撃力にも乏しい。何より、」
と俺はあえて挑発的に笑う。
卑しく唇を歪め、分かりやすく冷笑してやる。
「この軍にいるのは、他で役立たずと見なされた者がほとんどでしょう?」
その言葉にその場の空気が一気に殺気立った。
刺すような視線にさらされながら、俺はどこか悠長に、殴りかかってこないだけマシだなどと思っていた。
「事実は事実です。違いますか?」
反論はない。
……おいおい、反論くらいしてほしかったんだがな。
しかし、自らの力量くらいは分かってるってことならまあいいだろう。
「それこそが、我々の武器になるんですよ」
「――詳しく説明してもらいましょうか」
と言ったのは、俺からはるか遠くに座った古泉だ。
遠すぎるそれが、今の俺たちの距離だ。
この距離をなんとしてでも縮めてみせる。
ハルヒとあのどこかいけ好かない司令官のじゃれ合いめいた確執なんてどうでもいい。
俺はただ、古泉の側に行きたいだけだ。
何度も誓ったことを改めて誓いながら、俺は柔らかく微笑む。
「…この戦い、勝ってみせましょう」
偉そうにそう言ってのけた俺に、
「……あんたって、ほんっとうに面白いわ」
そうハルヒは上機嫌に笑った。
「えらそうに言うってことは、何か秘策があるってことよね?」
「秘策…というほどのものではありませんが」
「いいわ、あんたの考えを聞かせてもらおうじゃないの」
「…喜んで」
そう言って、俺はその作戦というのを口にした。
それにしても、炊きつけ、煽り、挑発し、それでようやく動く奴らってのも厄介なもんだな。
やれやれとため息と共に長時間に及ぶ会議で溜まったストレスなんかを吐き出しつつ、ベッドに座り込んだ俺に、
「お疲れ様でした」
と古泉がコーヒーを寄越した。
「ん……ありがとな」
「いえ……。しかし、本当によかったんですか? あんな、憎まれ役みたいな……」
「別に構わんさ。俺としては、お前がどう思うかしか気にならん」
「…またそんなことを言って……」
「だって、事実だ」
俺はそう笑って、
「お前こそ、お疲れさん」
「僕は別に…大したことはしてませんよ」
「俺の意見に反対して見せたり、渋って見せたりするのがしんどかったって顔してるくせになに言ってんだか」
くすくす笑う俺に、古泉も苦笑する。
「…そうですね、つらい役どころでした」
「だが、おかげでうまく乗せられた」
「あなたこそ、本当にお見事でしたよ」
「ありがとよ。まあ、ああいう仕事は慣れっこだ」
むしろ、あのくらいでいいなら楽な仕事だ。
「……勝ちましょうね」
勝てるでしょうかでもなく、勝てますかでもなく、古泉はそう言った。
「勝たなきゃならんな。そうじゃなきゃ、ハルヒがどんなに機嫌を悪くするか…」
「違います」
そう言って、古泉は俺を抱き締めた。
「古泉?」
「あなたのために、勝ちたいんです。いえ、勝ってみせます」
「…ありがとう」
その気持ちが嬉しい。
「俺も頑張るからな」
「……ええと…すみません、何をするおつもりですか?」
俺の言葉に含まれていた何かを感じ取ったのか、古泉は訝るようにそう言った。
俺はにやりと笑って、
「聞きたいか?」
「…一応、聞いておきます」
「……そうだな、とりあえず、場所が場所だから、ついでにいくらかかく乱用の機材でも飛ばしておくか。それで、あちらの連絡を、気取られない程度に遅らせる。ジャムらせるのも面白いかな。ついでに、シャミにちょっとした悪戯でも仕掛けさせてもらうか」
「ほどほどにしてくださいね」
嘆くように呟いた古泉には悪いが、こちらとしても全力は尽くさせてもらう。
何、気付かれない程度、かつ、こちらの戦況に応じての多段計画のつもりだから、どうなるかは状況次第だがな。
「…勝とうな」
「ええ」
「…ま、そもそも勝てない戦をするような馬鹿にはなりたくないんでな」
やってやろうじゃないか、と俺は笑う。
本来俺は別に好戦的でもなければ、勝とう勝とうとするタイプでもないんだが、古泉と一緒だと楽しくてならん。
あまり突っ走らないように気をつけようと思いながらも、古泉とならそうはならないだろうという安心感もある。
「古泉、」
と俺は声を掛ける。
「願掛けでもするか」
「願掛け…ですか?」
「ん。……勝つまでしない、ってのはどうだ?」
そう言った俺に、古泉は驚いたようだった。
大きく目を見開き、
「…これはまた……あなたから出るとは思わないような提案ですね」
意地悪く言った古泉に、俺は軽く唇を尖らせて、
「悪いか?」
「いえ、それだけ本気なんだなと思いますよ」
「本気だとも。……そうしたら、意地でも勝つだろ」
「…ええ」
「……よし、どうせ模擬戦の後は慰労のため、ちょっとした休暇がある予定なんだろ? その時に抱き壊す勢いでヤッてやるからな」
と我ながら人の悪い笑みを浮かべて言ったのに、古泉は愛しげに目を細め、
「楽しみにしてますよ」
とまで言ってのけた。