力試し運試し 1



ようやく古泉の近くに来れた、と思ったものの、同じハルヒの艦隊内ながらも、艦も違えば地位も大分違うところになり、俺としては前以上に出世を急ぎたい気持ちになる破目になる任官から数ヶ月が経過した頃、唐突にハルヒが言い出した。
「今度あのいけ好かない眼鏡と模擬戦をやるわよ!」
とな。
それこそ、寝耳に水ということで俺の直接の上官も含め、唖然として理解しきれないまま、ハルヒは鼻息荒く、
「しっかり準備しときなさいよ! あいつに負けたりしたらただじゃ置かないんだから!」
と言って姿を消した。
なんだありゃ、というか、あそこまで傍若無人なハルヒは初めて見るぞ。
呆然としていると、
「また殿下のわがままか…」
「最近大人しいと思ってたらこれだ」
とかなんとか小さなざわめきが聞こえる。
……ああ、そういえば噂には聞いてたな。
皇女殿下の傍若無人伝説っつうかなんつうか。
前からそりゃ、無理を言う奴ではあったが、こういうのは初めてだ。
これはこれで面白い、と思いながら、件の「眼鏡」とやらについて考える。
おそらく、ハルヒがライバル視している奴だろう。
貴族だったかハルヒの遠縁だったか知らんが、前線でばりばり働き、帝国の領土を確実に拡大しているようなやり手司令官だ。
年は若くて、ハルヒより二つ三つ上くらい。
そこそこ整った容貌と優秀さで女性の人気も高いとか聞く。
そんな奴と模擬戦をやることになったのは理解したし、別に構わん。
俺としても、初めてまともに加わるんだから、実戦よりは模擬戦の方が気が楽だからな。
しかし、なんだこの士気の低さは。
解散後、艦内をあちこち見て回っていた俺は呆れてため息を吐く破目になった。
模擬戦の話が出回るなり、重苦しい空気に包まれてやがる。
そんな調子でいいのかよ。
そりゃ、今時白兵戦でもないから、士気が少々低くても何とかなる。
なるだろうが…それは少々なら、ってところだ。
どんなに機械が発達してようと、人間の目や勘による微調整は必要だし、操作する人間の機敏さなんかを動かすのは日頃の訓練以上に士気によるものが大きいだろう。
このままじゃ、やる前から負け戦だ。
そうしたらハルヒの機嫌が悪くなって古泉が困る。
そんなのは嫌だ。
古泉を困らせたくない。
どうしたものか、と考えながら、だるそうに武器関係を整備してる辺りに立ち入り、ぼんやり眺めていると、
「あれ? キョンじゃない」
と声を掛けられた。
その声は、
「国木田」
驚いた、お前もここだったんだな。
「うん、僕は一昨年卒業したところだけどね。キョンがこっちに来たってのは知ってたけど、まさか会えるとは思わなかったよ」
「会いに来てくれて構わなかったんだが」
と言ってはみたものの、部署も違えば艦も違うし、何より俺は暇さえあれば古泉のところにこっそり忍んで行ってたからな。
難しかったか。
「しかし、お前が整備に進むとはな……」
「衛生でもよかったし、一応医者の免許も取ったんだけどね」
どちらにせよ、前線で戦うっていうよりは裏方志望か。
小さく笑った国木田は、
「ちょっと、面白いものに出会っちゃって、ほかへの移動願いを出し損ねたんだ」
「へえ」
「あ、ほら、あそこにいるよ」
と言って指差したのは、機械油だらけになって床に転がっている野郎だった。
「……あれか?」
「そう、あれ」
面白いんだよ、と言った国木田は、本当に面白がっているようだった。
「……まあ、人の好みはそれぞれだからな」
「酷いなあ」
「ところで国木田」
「なんだい?」
「ちょっとお前の耳を貸せ」
「いいけど…どっちの意味かな?」
両方に決まってんだろ。
俺は国木田から目をそらし、全然別の方向に顔を向けながら、口の中だけで呟く。
「こう、呆れるまでに士気が低い理由はなんなんだ?」
「うちは実戦経験が少ないってのに、模擬戦なんて無茶を言い出すもんだよね。ああもちろん、模擬戦をするってのはいいと思うよ。少しでも経験が積めるんだから。でもさ、相手が悪いよね。最前線で戦ってるところだろ? 毎年勲章をもらってるような」
そうらしいな。
独り言めかして国木田が教えてくれる情報に耳を傾ける。
「向こうの司令官も色んな噂を聞く人ではあるけど、野心に満ち溢れたどぎつい人って感じではないし、むしろ、皇女殿下には好意的な印象があるかな。これまでに何度か見かけた感じでは、だけど」
そうなのか、意外だな。
「あの人なりに殿下に目を掛けてるんじゃないかな。ただ、少し歪んでるっていうか、素直じゃないから、殿下も反発しちゃうんじゃないかって思うんだけど」
なるほどな。
確かにハルヒにはそういうところがある。
「同じ国の仲間なんだし、探せばいくらでもデータは見られるだろ? 一応見ておくといいんじゃないかな。キョンは目がいいんだし」
「…そうだな。出来るだけ多くの情報を見ておくとするか」
そう呟いたところで、国木田がじっと見つめていた男が機械の下から這い出てきて、
「サボってんじゃねーぞ国木田ぁ!」
と自分こそサボりたそうな不満たらたらの顔で近づいてきた男は俺を見て、
「あんたは? 言っとくが、こんなところに来たって大したもんはねーぞ」
「谷口、ちゃんと階級章とか見て言ってる?」
苦笑しながら国木田が言うと、谷口はようやくマジマジと俺の服を見たが、
「それがどうした? こんなところで油売ってるなら、どこぞのぼんぼんだろ」
などと言う。
存外骨があるのかと思いきや、実際にはびびりまくっているのが面白いな。
俺は小さく笑いながら、どうせそれはほかの人間には分からないだろうとたかをくくって、
「ぼんぼんでもないし、油を売ってるつもりもないんだが、邪魔になったのならすまん」
と返したのだが、
「笑いながら言っても説得力ねーぞ」
と言われて驚いた。
…分かるのか。
「何がだよ」
国木田はくすくす笑いながら、
「ね、谷口って面白いだろ」
「…全くだな」
そう同意した俺を胡乱気に睨んだ谷口は、
「国木田、そりゃどういう意味だ」
と文句を付けにいったが、国木田に勝てるはずがない。
「そのままの意味だよ。谷口はユニークで興味深いって話」
「ちっとも褒めてないだろそれ」
「そんなことないよ。ねえ、キョン」
「そうだな、随分な褒め言葉だと思うぞ」
同意しておいて、俺は口には出さずに、呟く。
国木田がここまで他人に興味を示すってことがまず珍しい、と。
俺の表情が分かったりする辺り、決して馬鹿じゃないんだろうかと思うのだが、どう見てもそう賢そうにも見えない。
野生の直感とかそういうことか?
「キョン、それは流石に酷いよ?」
口に出していたつもりはないのだが、唇の動きでも読み取られたんだろうか。
ともあれ、今の国木田の、あるいは国木田にとって人生最初のお気に入りはこいつということか。
なるほど、お幸せにな。
「ご愁傷様、とでも言いたそうに言われてもね」
苦笑しながらも国木田は満足気だ。
うまくいくことを祈っておくよ。
「ところで、谷口」
「なんだ?」
こちらが警戒してないのを見て取ったか、少しばかり態度を軟化させつつも、訝しがる様子は残したまま、谷口は俺を見た。
少しばかり険のある目つきすら、俺にとっては可愛いもんで、自然、少しばかり顔を緩めながら、
「お前はえらく熱心に整備してたな。ほかの奴等なんてやる気のなさが滲み出てんのに」
「まーな。機械いじりが好きで入ったようなもんだし、俺は俺なりに、この仕事の重要性くらい分かってるつもりだぜ?」
「そうか、たとえば?」
「たとえ訓練で模擬戦で、使うのは非致死性どころかただの光の塊みたいなお遊びレーザー程度だとしても、実際外のあの真っ暗な中に飛び出してドンパチやるなら、整備不足で艦もろとも藻屑になっちまう可能性があるってことは、ちゃんと心得てる」
「…全くだな」
だから俺は、自分の小型艇を人に任せるつもりにはなれないんだが、
「お前になら任せてもいいって気になるな」
「何をだよ」
「俺が半分私有、半分国有で使ってる小型艇だ。最新かつあれこれごちゃごちゃ積んでるもんだから、扱いが面倒でな。自分で暇を見つけちゃ手入れしてはいるんだが、俺は整備関係はプロじゃないからな。頼めるものなら頼みたい、しかし、頼むあてもなくて困ってたんだ。…今度見てもらえるか? 勤務時間中にで構わないから」
「俺はかまわねえが……お前、結局なんなんだ?」
さて、どう答えたもんだろうな。
階級と部署と名前でいいんだろうか、と考えていると、横から国木田がこう答えた。
「皇女殿下の御猫だよね」
…それでもまあ間違ってはないと思うんだが、何か誤解を招く気がするのは、俺の気のせいだろうか。
実際谷口もぎょっとした顔をして、
「こいつが噂の……」
とかなんとか言ったが、おいおい、どういう噂になってるんだ?
その辺りは、確実に、この艦の中で誰よりも詳しいだろう国木田に聞こうと決めつつ、俺はそっとため息を吐いた。