どたばたなどという言葉で済ませてしまうにはあまりにも起伏に富み、あっという間に過ぎ去ったといつか誰かに言われたような言葉で振り返るには長くとんでもない高校生活が過ぎ去った後、俺は一応順当に大学に進学し、久々の平穏というものに浸っていたのだが、残念なことにそれは長続きしなかった。 どうしてって、そんなもん、決まってるだろ。 たとえ妙ちきりんでトンデモな力を失ったにしたって、ハルヒが周りを巻き込んであれこれやらかそうとすることに変わりはないし、三年もの長きに渡ってそれに慣れ親しんだ体は、しばらく大人しく過ごせたとしても段々勝手に疼いてくるって訳だ。 そんな訳でゴールデンウィークが終る頃にはすっかり退屈しきっていた俺は、探りでも入れるかの如く、とりあえず一番手近なところにいる古泉に声を掛けたわけだ。 他の面々と言えば、一人は未来、一人は県外、残る一人は海外にいるからな。 「退屈してないか?」 電話するなりいきなりそう言った俺に、古泉は声を立てて笑った。 『勿論、してますよ』 「だろ。ハルヒや長門を呼び寄せるのは流石に悪いから、お前で我慢してやる。今度の日曜はどうだ? 彼女でもいるっていうなら諦めてやるが」 『残念ながら…』 と古泉は一度言葉を切っておいて、 『大学に入ったからといってさっさと彼女を作れるほど、僕は要領がよくはないんです』 とどこか皮肉っぽく言った。 その言い方に透けて見える、ちょっとした親しさ、あるいは馴れ馴れしさににやりとしながら、俺もまたそれとよく似たものを返す。 「じゃあ、いいな?」 『はい。場所は…』 「お前の部屋でいいだろ。住所を教えてくれりゃ勝手に調べるから、後でメールしておいてくれ」 『畏まりました』 おどけるように言った古泉は少しの間黙っていたが、特に用件はないのか、 『それでは…日曜日に』 「ああ、楽しみにしてる」 『こちらこそ。……あ、の…』 「うん?」 『……いえ、なんでもありません。それでは』 そう言って、珍しく自分の方から切った。 何か言いたいことでもあったんだろうが、電話では言い辛いから切った、というところだろうな。 それなら、日曜に聞いてやらなきゃならんなと思った俺は、もしかするとたかだか一ヶ月やそこらで酷く平和ボケしていたのかも知れん。 この時、強引にでもあいつのところに駆けつけるか、あるいは電話を掛け直して問い詰めておけばよかったのだと知ったのは、日曜日になってからのことだった。 その日、俺は途中で寄ったコンビニで手土産とも言い難いような菓子類を適当に買って、古泉の部屋を訪ねた。 思えば、高校時代にも古泉の部屋を訪ねたことはなく、これが正真正銘初訪問になる。 改めて、普通に部屋を訪ねられるような、極平凡な友人というものになったんだと思うとなにやら感慨深くすらなるね。 しみじみとそんなことを思いながら、部屋の前に立ち、ドアフォンを鳴らす。 「はーい」 と非常に平凡な声がして、ドアが開いた。 「お待ちしておりました」 そう言って顔を見せた古泉は、五月病などとは無関係な晴れやかな笑顔を見せていた。 「五月病なんかにはなってなさそうだな」 とストレートに言ってやると、古泉は笑って、 「そうですね。いい意味で充実した大学生生活を送れそうですよ。…心配してくださったんですか?」 「まあな。…ハルヒにあれこれ振り回されてたのがなくなって、寂しがってんじゃないかと思ってたくらいだ」 「それほどでもありませんよ」 「そりゃよかった」 実際、俺はそれを案じていたのだ。 高校時代どころか、中坊の頃さえ古泉はハルヒの気分の上下に振り回され、とんでもない目に遭い続けてきたのだ。 それが急にぽっかりなくなったなら、たとえ最初は肩の荷が下りたように思ったとしても、あまりに軽くなりすぎた肩に寂しさか物足りなさでも覚えても仕方ないだろうし、それで五月病めいたものになっている可能性もあると思っていたんだ。 だが、そうじゃないならその方がいい。 「どうぞ」 と勧められるままに、リビングに上がり込むと、そこは小奇麗に片付けられていた。 ソファに腰を下ろし、不躾にもきょろきょろと室内を見回した俺は、 「案外、ちゃんとしてるんだな」 などと失礼極まりないコメントを発した。 それに対して、 「僕はどう思われてたんでしょうか」 と古泉は苦笑しながらも、 「ちゃんとしてますよ。一人暮らしも長いですからね」 何気なく言ったんだろうが、俺としてはひやりとさせられる一言だ。 「…やっぱり、大変か?」 「大変でないというと嘘になりますけど、仕方のないことですから」 「そうなのか?」 何もかも終ったんだから、実家に帰るとかそういうことも出来るんじゃないだろうかと楽観的に考えていたのだが、こうして相変わらず一人暮らしをしているということは、それが出来なかったということなんだろうか。 「実家から通うには、僕の大学は遠いですからね」 「……は?」 ぽかんとした俺に古泉は軽く首を傾げ、 「何か変ですか?」 と聞いてくる。 そんな風に自然に言われると、こっちとしてもコメントのしようがない。 だが、それでいいんだと思うと、小さく笑えた。 「いや、変じゃないな」 「何か引っかかったのかと思いましたよ」 苦笑する古泉に、 「そりゃ、ひっかかりもするだよ」 「そうですか?」 「ああ。…って、そういや、俺はお前の実家がどの辺りだとか、何人家族だなんて話も知らないんだよな」 「そうでしたね。聞かれてもいませんでしたし……」 「聞いてよかったのかよ」 驚く俺に、古泉はきょとんとした顔で、 「ええ、別に構いませんでしたよ?」 そうだったのか。 …だが、まあ、そうか。 こいつが秘密にしてたというか、ぼかしていたことは機関のことが主だったからな。 それなら、家族がどうのというのは普通に話せる話題だったということにならなくもない。 しかし、何か違和感めいたものを抱く俺に、古泉はホットコーヒーを運んできた。 「どうぞ」 「ん、ああ、すまん」 「いえ」 俺の向かいに座った古泉に、俺は小さく笑う。 「お前と初めてハルヒに関して聞かされた時を思い出すな。もっとも、あの時のコーヒーは自販機のだし、もっと甘かったが」 そう言った俺に、古泉は一瞬戸惑うような表情を見せた。 「…どうした?」 「え、あ……、いえ…、なんでもありません。多分、気のせいでしょう」 「ならいいが…また既視感だの違和感だの言い出したりするなよ。ループなんてのはもうたくさんだからな」 「は? ループ…ですか?」 不思議そうな顔をする古泉に、俺は呆れる。 「そりゃあ確かにハルヒはあれこれやらかしてくれたが、その中でも一、二を争うほど酷かったあれを忘れたとは言わせんぞ」 「…すみません」 「……古泉? お前、本当に忘れたのか?」 「ええ、一体何のことを仰っているか…皆目……」 この時点で、俺はなにかがおかしいと思った。 だがそれはとてもじゃないが信じられないようなことで、 「何かありましたっけ?」 という古泉の問いには答えず、 「じゃあお前、1年の秋、ハルヒが映画を撮るとか何とか言って騒いだ時のことは覚えてるよな?」 「それは覚えてますけど…」 「あの時は、お前にも面倒を掛けたよな」 「そんな、大したことは……」 「そうか? 鳩を驚かせて騒がせた後始末だとか、お前と機関でやってくれたんじゃないのか?」 「キカン……ですか?」 訝しげにそう呟き、古泉は驚くべきことにこう続けた。 「どういう字をあてるのでしょう」 その言葉にめまいすら感じた。 これこそ既視感だ。 いや、明確に記憶がある以上、既視感とは言わないのだろうか。 「……笑えない冗談はよしてくれ」 冗談ではないだろうと思いながら、すがるような気持ちで言えば、古泉は不安を滲ませて、 「冗談ではありません。本当に分からないんです。あなたこそ、どうしたんです? 一体何の話をしてるんですか?」 「ハルヒが妙ちきりんな力でやらかしたことについてだ! しっかりしてくれ超能力者」 「……は…?」 ……畜生、この場合おかしくなっちまったのは俺なのかそれとも古泉なのか。 常識に照らし合わせれば、おかしな話をしているのは俺の方なんだろう。 どう考えたって荒唐無稽すぎるからな。 だが、そうじゃないはずだ。 あの三年間の大騒動をなかったとは言わせない。 ただ、そうなるとどうして古泉は忘れちまったのかということが分からん。 戸惑いも露わに俺は古泉にSOS団のことやなんかを尋ねた。 返ってくるのはそれこそ、ハルヒが知っていた程度の内容だ。 SOS団はただの妙なサークルでしかなく、ハルヒも長門も朝比奈さんもそして古泉自身も変わった力などもってはいない。 機関なんてものは存在せず、古泉が転校して来たのは家の都合。 家族と疎遠になったりもしてないということになっていた。 一通り聞いた話は、それだけなら矛盾などない、普通の話に聞こえる。 しかし、明らかに俺の知るものとは違っていた。 まるであの時みたいだ。 おかしくなった長門がやらかしちまった、世界改変事件。 あの時もハルヒは力を失っていて、こいつもまた、今みたいに忘れていた。 あれは、長門が意図的にそうしたものだと思っていたが、違っていたのかもしれない。 ハルヒの力と古泉の超能力と言うのは密接に結びついていたからこそ、ハルヒの力が失われると共に、古泉の力もなくなった。 同時に、それに関する記憶も失われるのだとしたら。 「…もう、取り戻せないってことじゃないのか?」 唸るように呟いて頭を抱えた俺だったが、頭を抱えたのは古泉も同じだった。 さっき俺が、俺の記憶にある話をしたのだ。 それを笑い飛ばしたっていいはずだろうに、古泉は絶望したように呟いた。 「あなたが仰るなら、そうなのでしょうね。それに…整合性は十分だと思います。僕は…朝比奈さんが卒業後どうなさったのかという記憶がまるでありませんから」 「そうなのか?」 「ええ。…度忘れしただけだと思っていたんですけど、どうやらそうではなさそうです」 ああでも、と古泉は切なげに呟いた。 「……もしかしたら、超能力者の僕にかわって、今の僕が作られたということかも知れませんね」 「…阿呆。わけが分からんし妙にネガティブなことを唐突に言い出すな」 「あり得ない話ではないでしょう?」 「たとえそうだとしても、お前はお前だろ」 「……そう、言ってくれるんですか」 「ああ」 それでも、俺はやはりショックを受けていた。 確かに共有していたはずの記憶。 それがなくなっちまったということに。 誰が悪いということでもないんだろう。 それでも、悲しかった。 何かが足りなくなったような、妙な感じだ。 失ってから初めてその重要性に気付く、ということはよくあることらしいが、俺の場合もどうやらそうだったらしい。 なんだかんだ言って、俺は古泉との秘密の共有なんかが、思っていた以上に楽しかったし、重要な思い出になっていたのだろう。 「……すみません」 俺が凹んでいるからか、古泉は申し訳なさそうにそう謝ったが、 「別に、お前が謝るようなことじゃないだろ」 「…それでも、謝りたかったんです」 そうかい。 なら、好きにしてくれ。 「……すまん、」 俺は短く言って立ち上がった。 「大分長いこと邪魔しちまったな。そろそろ帰る」 「あ……」 かすかに声を上げた古泉に、 「…どうした? まだ何かあるのか?」 と尋ねると、古泉は迷うような顔をしながらも、 「…いえ、なんでもありません」 「ならいいが……。…その、」 「はい」 「…また、来ていいか? 連絡して…いいか? しばらく放っておいた方がいいなら、そうするが……」 「いえ、そうしてください。…待ってますから」 「…お前から連絡してくれてもいいんだからな」 と言い置いて、俺は足早に玄関に向かい、古泉の部屋を出た。 古泉もまだ混乱してるのだろう。 意外だが、見送りには出てこなかった。 それでよかったのかも知れない。 部屋を出るなり俺はよろけながらも駆け出し、逃げ出すようにそこを離れちまった。 何から逃げたかったのかなんてことは分からないが、とにかくひとりになって落ち着きたかった。 そうして考えたかった。 これからどうするのかということを。 逃げ帰った先は自分の部屋だった。 お袋が何か言ってきたのもろくに聞かず、部屋に駆け込み、ベッドに倒れこむと、何かが乾いた音を立てた。 「ん…?」 ベッドに何か置いてあったか? 首を捻りながら体を浮かし、音の招待を手探りすると、一通の封書が出てきた。 白い洋封筒には宛名くらいしかない。 しかしその字を見れば、それが誰からの手紙なのかということはすぐに分かった。 こんな悪筆を俺は他に知らない。 慌てて飛び起きた俺は、しっかりと糊付けしてあるそれを開けるべく、はさみで慎重に開いた。 中には数枚の便箋が入っており、それはびっちりと文字で埋め尽くされていた。 「…古泉……」 思わず呟きながら、文字に目を通そうとして、やけにそれが読み辛いことに気がついた。 文字が汚いからじゃない。 俺の手がどうしようもなく震えていたからだ。 「…っ、くそ、落ち着け」 はき捨てるように呟き、一度きつく目を閉じる。 そうしてようやく俺はそれを読み始めた。 突然の手紙に驚かれたことだと思います。 あなたにどうしてもお伝えしたいことがあり、手紙を残すことにしました。 僕の記憶について、言っておかねばならないと思ったんです。 どうやら、僕の力と記憶というものは強く関係していたようです。 力が失われ、その残滓さえも消えていこうとしているのと共に、どんどん記憶が薄れつつあるのです。 自分でも信じられないようなことなのですが、少しずつ、記憶が書き換わっているように思います。 変化しているのは僕の記憶だけではなく、ほかの超能力者や関わった物事、その記録までも変わって行くようです。 そうして、僕らはなんでもない、只人に戻っていくようです。 突然超能力者になったのと同じように、しかし今度はゆっくりと。 記憶が変わってしまう、薄れてしまうということは恐怖ではあります。 けれど、これでもう余計な不安や恐ろしさを感じなくてもいいのかと思うと安堵する面もないわけではないのです。 だから僕は、このまま、これを受け入れることにしました。 そんな風にして始まった手紙には、まるで最後の別れを惜しむかのように、あれこれ思い出話までがつづられていた。 今日会った古泉とは全く噛み合わなかった話。 そして、もう思い出せない部分もあると残念がるような言葉に、不覚にも視界が歪みそうになった。 俺への感謝だとか謝罪だとかがつづられた部分にはあいつらしいと笑えもした。 汚い字を読むのに苦労してではなく、ゆっくりとそれを読み進める俺の目に、「最後に」という言葉がうつる。 最後に、どうぞ、生まれ変わった僕のことも、よろしくお願いします。 多少、覚えていることが違っていても、僕には変わりありませんし、そうであれば、あなたを恋い慕っていることに違いはないでしょうから。 「……なんだよ、それ」 呟いた声は情けなく震えていた。 視界を歪めた原因の液体は、決壊を起こしたかのようにこぼれ落ち、頬をぬらす。 うっかり読み流しちまいそうなさり気なさで、そのくせ読み辛い字を余計に震わせたその言葉が冗談や嘘や諧謔やちょっとばかりオーバーな表現であるとは思えない。 「ばかやろ」 と罵りながら、泣けてきたのはなんなんだろうな。 言い逃げされたのが悔しいのか、古泉がこんな手紙だけ残して、直接は何も言わずに変わっちまうことを選んだのが悲しいのかさえ、俺にはよく分からん。 こんな言葉に返す言葉を見つけられないのがもどかしいのかも知れない。 ただ、今度この手紙をあいつの目の前に突きつけて、本当のところを聞いてやろうということだけは決めた。 その結果どうするかなんてのは、俺が決めることじゃない。 あいつが決めることだろ。 ぐしゃぐしゃになった顔を更に歪めるように顔をぬぐい、俺は罵るように呟いた。 「待ってろよ、古泉」 |