まさかと思いながら振り返ると、そこには間違いなく涼宮ハルヒその人が立っていた。 思わず悲鳴を上げそうになった僕の隣りで、彼もかすかに息を飲んだが、それ以上の反応は押さえ込む。 そうして何気ない顔で、 「古泉、お前の彼女か?」 なんて言い出すから、僕は本気で狼狽して、 「何言い出すんですか…!」 と唸る破目になった。 ああもう、こんなところ、涼宮さんに見せるわけにいかないのに。 驚きすぎたのと、この状況をどう誤魔化したらいいのか考えているせいで余計に混乱が深まる。 なんとか落ち着こうと必死な僕を涼宮さんは面白そうな顔で見て、 「古泉くんの親戚か何か?」 なんて聞いてくる。 そんなところです、と濁そうとした僕を他所に、彼は完全に面白がっている顔で、 「親戚…というか、押しかけ女房か?」 と軽口を叩く。 おまけに僕の背中に伸し掛かるみたいな格好で抱きついてきたりする。 「な…っ…」 涼宮さんは大きく目を見開いて、それからにやりと笑った。 「あんた面白いじゃない」 「年長者をあんた呼ばわりするお前も相当に面白い奴だな」 クックッと意地の悪い笑い声を立てた彼は、僕の頭を羽交い絞めにしながら、 「んで、このお嬢さんはどこのどなたさんだ?」 「す、涼宮さんです…っ」 「ああ、噂の団長さんか。キョンから聞いたことがあるな」 「キョンを知ってるの? そう言えばあんたキョンと似てるわね」 地雷原の中に立たされているかのような会話に、僕はそれこそ青褪めそうになるのだが、彼は悠然と、 「キョンとは家族ぐるみの付き合いをさせてもらってるな。それでよく話も聞いてるが…まあ、今のうちに楽しんどけよ」 と返した。 その言葉に彼女は軽く眉を寄せ、 「今のうちにってのは何よ。あたしは生涯楽しみ続けてやるわ」 「はは、そりゃ頼もしいな」 面白そうに笑った彼を睨み上げ、彼女は詰問する。 「あんた、名前は?」 「俺? 俺は――…」 と「今」の名前を名乗っておいて、 「キョンやこいつにはジョンって呼ばれてる」 と言ったので、今度こそ青褪めた。 その名前を出すのはまずいんじゃ、と慌てふためく僕の頭を押さえ込んだまま、彼はチェシャ猫みたいな顔をしたのだろう。 「よければ、お前もそう呼んでくれ」 「…嫌よ」 いつになく冷たい声だった。 あるいは、久しぶりに聞くと言うべきかもしれない。 「ジョンって名前はあんたには相応しくないわ」 とまで言った彼女だったけれど、それでもすぐに我にかえったようで、どこか取繕うような早口で、 「あんたにはキャンとかキュンとかそういうのでいいんじゃないの? キョンの紛いもんってことで」 「そりゃ酷いな」 ククッとまた喉を鳴らして笑った彼は、 「まあじゃあ好きにしてくれ。保護者だか成人男性だかに用がある時には、体が空いてりゃ付き合うからな。子供だけであんまり危ないマネすんなよ」 「余計なお世話よ!」 そう言い残して彼女は早足で去っていき、僕はようやく解放された。 「これでよし、と」 という彼の独り言を聞き逃すわけにはいかない。 「一体どういうことなんです? 何か意図があってあんな話をしたんでしょう?」 「まあな」 彼は困ったような顔をしながらも、誤魔化しきれないと思ったのだろう。 そろりと口を開いた。 「俺は鍵じゃないって言っただろ。俺はハルヒに対してなんの力も持たない。何故なら、俺は『大人』で、あいつと一緒に馬鹿なことを真剣にやるなんてことは出来ないからだ。それに、俺の歳じゃあいつの知ってる『ジョン・スミス』とも合わないからな。…とはいえ、少しは不安もあったんでな。それを消させてもらった」 「……そういうことだったんですか」 「ああ。これで大丈夫だろ」 安心したように言った彼は、ぐいと僕の腕を引っ張り、 「ほら、さっさと行くぞ」 と歩き出す。 引っ張られて歩きながら、僕はなんだか足が重いように思えた。 本当に…よかったんだろうか。 何に対してということもなく、漠然とそう思った。 「どうせ汚すもんなんだし、高いのは必要ないだろ」 と言う彼に引っ張られるまま、百円均一で灰皿を物色する。 といっても、禁煙ムード高まる中、灰皿もあまり置いてはいない。 安っぽい金属製のもののほかは携帯用のものが主だ。 「んー…どうすっかな…」 「食器のコーナーでも見てみます? 手頃なのがあったらその方がいいかと思うんですが」 「だな。お前の部屋に置かせてもらうんだったら、ちょっとでも格好がつく方がいい」 「なんですかそれ」 と思わず笑った僕に、彼はにやりと口の端を上げ、 「かっこつけた部屋に住んでるのはお前だろ?」 とからかいの言葉を口にする。 「あれは別に僕の趣味じゃありませんよ」 「維持出来るだけでも大したもんだ。実は結構気に入ってるんじゃないのか?」 「…それは、まあ…、もう半年以上も暮らしていれば、多少の愛着くらいわきますよ」 「お前のその優等生面と同じように、か?」 にやにやしながら言う彼に、僕は苦笑する。 「そうですね。これだってもう、僕のパーソナリティーの一部であることは間違いありませんから」 「引っぺがしたくなるけどな」 意地悪く言っておいて、彼はぽすりと僕の頭に手を置いた。 「だが、それはおいおいでいいだろ」 「…はい」 思わず顔をほころばせた僕に、彼も柔らかく微笑して、 「その顔は好きだな」 「え?」 「作り物じゃない笑顔が見られる特権もいい」 独り言のように呟いておいて、彼は僕の耳をちょっとくすぐって、 「灰皿、お前が選んでくれるか?」 とどこか照れ臭そうに言う。 「…あなたって本当に可愛いですよね」 「おいこら、どういう返事だそれは。それから、たかが高校生の分際で、大人をからかうんじゃありません」 照れ隠しにそんなことを言うのもやっぱり可愛い。 「からかってませんよ」 本当にそう思ったから言ったんです、と正直に言うと、彼が顔を赤らめる。 可愛いなぁとにやにやしながら、僕は食器コーナーに足を向ける。 色々なのがあるけれど、灰皿に出来そうなのはどれだろう。 一応耐熱性のあるものの方がいいだろうか。 色々な形のものがあるなぁと感心しながら眺めていると、少しばかり可愛らしいものを見つけた。 「これ、は嫌がりますよね?」 にやにやしながら指差したものを見た彼は、嫌そうに顔をしかめたくせして、 「お前こそ嫌だろ。こんなもんが部屋にあるのは」 「僕は構いませんよ? それに、あなたが寛いでくれるというしるしとしてなら、部屋にハートマークがあるというのも悪くはありません」 言いながら、ピンク色をしたハート型の小鉢を手に取る。 そこそこ深さもあり、安定感もありそうだ。 「どうします?」 わざとらしくにっこりと笑えば、彼は苦笑を返し、 「困ったな」 と呟いた。 「嫌だと言ってやりたいんだが、お前にそんな風に言われたら拒み辛いものがある」 「では、これで?」 「まあ待て」 そう言って彼は一緒に並んでいた同じシリーズの食器から、ハート型の大きなプレートを取り上げる。 当然それも淡いピンク色をしている。 「それを買うならついでにこれはどうだ?」 「どうするんですか?」 首を傾げる僕に、彼は悪戯な笑みを見せ、 「これに、今日の晩飯を作ってやる」 「え?」 「そうだな、ちゃんとハート型にしたものを盛り付けてやってもいい。今晩はちょっとしたご馳走にする気だしな。ハート型のハンバーグとかにんじんとかおにぎりとかな。……ただし、お前の分だけだ」 つまりそういう意地悪をしたい、と。 「別にいいですよ?」 我ながら悪辣な笑みを浮かべて僕はそう返した。 「楽しみにしてますね」 「……全く、お前に羞恥心はないのか?」 呆れたように言われたけど、 「ありますよ。でも、あなたにそういう可愛らしいことをされても、嬉しいだけですから」 「…そういうことをさらっと言えるあたりが、羞恥心がないって言うんだよ」 「あは、すみません。少々浮かれているのかも知れませんね。嬉しくて…」 「…そうかい」 そう言った彼の頬が赤い。 可愛いと思う。 愛しいと思う。 なのに、困ったな。 僕はまだ、どこか迷っているのだ。 本当に彼といていいのか。 付き合っていていいのか。 彼を未来に――あるべき時間に、帰らせなくていいのか、と。 |