ある日、俺宛に一通の手紙が届いた。 上品といえばそう言えなくもない、真っ白で何の特徴もない洋封筒には、配達した方もさぞかし解読に苦労しただろう乱雑な筆致で、俺の名前と住所だけが書かれていた。 明らかに見覚えのあるその字を見て、誰からか分かるほどには馴染んだ相手からの手紙だ。 だからこそ、何があったのかと心配になりつつ、俺は手紙の封を切る。 ところが、だ。 その中には何も入っていなかった。 便箋も入っていなければ、何かゴミくずが入ってるなんてこともない。 本当に何もナシだ。 さかさまにした封筒を慎重に振っても何一つ出て来る気配もない。 試しにとじっくり封筒を見てみるが、俺の住所氏名のほかには何もありやしない。 そこに暗号が隠されている、というような凝ったことをしても不思議ではない奴ではあるが、俺には解読出来なかった。 まさか便箋を入れ忘れたというわけでもないだろう。 あいつだって迂闊なところが全くないわけでもないが、そんな間の抜けたことはしないはずだ。 だとしたら、これにはこの状態で意味があるはずだ。 が、さっぱり分からん。 俺は首を捻りながらその封筒を掴んだまま家を出た。 それから歩いている間も登校してからもその怪しい手紙のことが頭を離れない。 首がおかしくなりそうなほど考えていると、 「変な顔して何やってんの」 とハルヒに声を掛けられた。 「ああ、いや、ちょっとな」 「何それ」 ひょいと俺の手から封筒を取り上げ、ねめるように見たハルヒは眉を寄せて、 「どうしたのこれ。中身は?」 「最初からなかったんだ」 「ふぅん、随分そそっかしい差出人ね。で、あんたはそれが誰からかわかんなくて困ってるっていうの?」 「え?」 「違うの?」 と聞いたハルヒは本当に分かってない顔をしていた。 「……分からんのか?」 「あたしが知ってるって言うわけ? 知るわけないじゃない」 「…まあ、それならそれで構わんのだが……」 意外に思えた。 ハルヒなら、俺と同じか、俺以上にあいつの字を目にしているだろうに、それでも分からないのか? どう見たって間違えようのない、その乱雑な筆致は、どう考えても我等がSOS団副団長、古泉一樹のものだった。 毎日のように顔を合わせるってのにどうしてわざわざ手紙なんか出したのか、なんで空っぽだったのか、知りたければ聞けばいいだろうと思いながらも、その日一日その手紙に思考を奪われ続けた。 そんなだったから、会うなりその話をしてやろうと思ってたってのに、部室には生憎古泉が来ていなかった。 「長門、古泉は?」 「まだ」 「…珍しいな」 大抵俺より早く来てるくせに。 さては逃げたか。 と思ったのは間違いじゃなかったらしい。 朝比奈さんがいらしても、朝比奈さんの着替えが終っても、ハルヒが来ても来やしねえ。 俺は苛立ちながら封筒を弄んでいたのだが、放課後になっておよそ三十分が過ぎてから、ようやく古泉は顔を出した。 「遅くなってすみません」 そう言った顔に浮かべた胡散臭いことこの上ない薄っぺらな笑みもいつもと変わらない。 俺は眉間の皺を緩めもしないまま、 「全くだな」 と言った。 「すみません」 重ねて謝る古泉には甘いのがハルヒなのか、 「たまにはいいじゃない。あんただって遅刻したりするんだから」 と援護に出ては俺としても責め辛くなる。 ぐっと唇を噛みつつ、俺はじっと古泉を睨むしかない。 わざと分かるように封筒をひらめかすが、古泉は知らん顔で、 「今日は何をしましょうか?」 なんて言って来やがる。 あくまでもとぼけるつもりか。 そんなまずい手紙なのか? 俺は眉間の皺を引き伸ばしつつ、 「オセロでいいだろ」 と答えてやった。 俺の方だけが気になっているというのはなんとなく癪だったから、知らないふりをするなら付き合ってやろうじゃないか。 後でしっかり聞いてやるから覚悟しとけ。 ――と、決めていたのだが、古泉は本当に最後まで隙がなかった。 下校途中さえ聞き出す隙がなく、俺はどうやらこれについては聞かない方がいいらしいと判断せざるを得なかった。 どうせあれだろ、何か間違えたとかうっかりしたとかで俺に送っちまって恥かしいんだろ。 そこまでうっかり者だとは知らなかった。 そういうことにしておこう。 俺がいささか強引かつ自家撞着を起こすような考えでとはいえ、一応の納得をみたというのに、それでは済まされないことだったらしい。 一週間ほどして、またもや俺の宛の封筒が届けられた。 またしても空っぽの手紙だったということは、やっぱりそれに意味があるってことなのか? 唸りながら考えても答えは出ず、そうしてやはり古泉を問い詰めることは出来やしなかった。 以来、時折届くようになった手紙が、そういうものなんだと慣らされる方が早かった。 諦めたんじゃないが、そんなものと思っちまえば疑問も特になくなる。 古泉は俺に手紙を出す。 それはある種の捌け口を求めてのことなんだろう。 返事はなくていい。 ただ吐き出したいだけ。 それなら俺は、それをとりあえず受け取って、封を切ってやればいいだけだ。 そうと決めてしばらくしてから届いた手紙には、驚いたことに中身があった。 どうせ空なんだろうと無防備に振った封筒からひらりと何かが舞った時には本気で焦った。 「うわ!?」 思わず声を上げて、慌てて拾い上げたそれは、小さな白い花だった。 綺麗に押し花にされたそれは、なんの花は知らないが、どこか夏らしい花に思える。 「…なんの花だろうな」 何を思って古泉はこの花を摘み、丁寧に押し花にしたんだろうか。 この花はなんの花で、どんな匂いがしたんだろうか。 気になる、と思いはするが、本人に聞いても無駄だろう。 今度調べるか、探しに行くかしてみよう。 そう思いながら俺はそれを封筒に戻し、そっとカバンの中に忍ばせた。 そんな調子で、空っぽだった封筒には何かが入れられるようになった。 たまには空っぽの時もあるんだが、それよりは何かが入っていることの方が多い。 入れられているものはまちまちで、天体写真が印刷されたポストカードだとかどこかの喫茶店の手描きのコースターだとか、それからチラシのきれっぱしが入っていたこともある。 美味しそうなケーキの写真が印刷されたポストカードが届いた時には俺もなんだか食べたくなって、似たようなケーキを探してきて、妹に取られないようこっそりひとりで食った。 星座早見盤が届いた日は、丁度空が晴れていたのをいいことに、それを見て星を探した。 そんな風に、段々と古泉からの手紙が待ち遠しいような気持ちになってくると、週に二、三度訪れるそれはとても楽しみなものになってくる。 相変わらず、古泉自身の言葉はないのだが、言葉がないままでも何かが伝わってくる気がした。 それは近況報告めいてもいたし、自己紹介のようでもあった。 大体あいつは普段喋りすぎなんだよ。 言葉がないのがかえって丁度いいくらいだ。 俺にはあいつのこととか、それに対する自分の感想なんかを見つめるだけの余裕が出来るし、ほどほどに好奇心を刺激され、もっと知りたいと思えてくる。 おそらくこの手紙は、あいつが心を動かされた何かを教えてくれているんだろう。 だから、俺も返信をしてみようかと思う。 入れるものは自分で撮ったシャミセンのだらしない寝姿の写真を家のパソコンを使ってプリントアウトしたものだ。 古泉が寄越すのとよく似た、味も素っ気もないような封筒にそれだけを入れ、きちんと手描きした表書きを確かめながら、しかし差出人名などは何もいれず、つまりはあいつの流儀を踏襲して、手紙を送った。 すると、いつもよりは少し早いペースで古泉からの手紙が届いた。 俺の出した手紙に対する返事のつもりなのかどうか分からないのが手紙の曖昧なところだな。 そう思いながら封を切ると、中からは作り物の猫の人形の写真が現れた。 思わずにんまりと顔がほころぶ。 「ちゃんと見てくれたんだな」 呟いた声は妙に甘かった。 それから、文通めいたものになったかというとそうでもない。 大体俺の方にはさして引き出しがあるわけでもない。 ただちょっと気になったら写真を撮っておくとかするようになった程度だ。 送ったのは写真に始まり、雑誌の切り抜きだとか、お袋が買ってきたのを何気なく舐めたら案外うまかった飴玉だとか、本当に適当なもんである。 そんなある日、ふと思いついて住所と日時をメモした紙を封筒に入れて投函してみた。 週末はハルヒの都合で不思議探索もなく、正しく休日になることが決まっており、何かないかとネットで探していると、古泉が好きそうな映画を見つけたのだ。 単館物のマイナーなそれだが、ちょっとした本格ミステリっぽさと古き良き時代の匂いがして面白そうだ。 どうせ映画を見るなら一人より誰かいた方がいいだろうと思い、それなら古泉だろうと自然に思った。 映画館の名前ではなく、住所を書いて入れたのはちょっとした謎掛けというか、悪戯のつもりだ。 今時、住所さえあれば場所くらい簡単に分かるからな。 もしあいつが来なくても、ひとりで映画を楽しめばいいだろう。 面白ければチラシでももらって帰って、また封筒に入れて送りつけてやろう。 そんな軽い気持ちで送ったから、当日の時間ぎりぎりになって古泉が現れていなくても、特に落胆などはしなかった。 そんなもんだろうと思いながら、映画館に入ろうとしたところで、何気なく振り返ると、迷うような顔をした古泉がいた。 「あ……っ」 見つけられた、とでも言いたげな古泉に、 「遅いぞ」 と笑ってやれば、ぎこちない笑みを返された。 よく見れば、なにやらいつもとは違う雰囲気の服装をしている。 ダメージジーンズにTシャツ、それから綿のシャツを軽く羽織っているだけなんて、ハルヒたちと一緒の時には見ないような格好だが、そっちの方がまだ高校生らしくていい。 「この映画、見たくないか?」 薄いチラシを一枚手に取り、そう尋ねると、古泉は小さく頷いた。 「はい」 「だろ。お前が好きそうだと思ったんだ」 予想が的中したことが嬉しくてそう呟けば、古泉はかすかに息を飲んだ。 「どうかしたか?」 「いえ、なんでも……」 そんな調子で、古泉はどこか口数が少なかった。 と言っても、機嫌が悪いとかそういうことではないようだ。 俺は考えながらもとりあえずはチケットを買い、ひとつきりしかない上映室に入る。 小さなところだから、ポップコーンやドリンクの販売もなしだ。 だが、十分楽しめるだろうと思いながら、適当な席に座ると、古泉はぎくしゃくした動きながらも隣りに腰を下ろした。 それを微笑ましく眺めながら、 「手紙、届くの遅かったか?」 「え、いえ……」 軽く首を振った古泉は、恥かしそうにうつむきながら、 「…なかなか、決心がつかなくて……」 と答える。 「まあ、来てくれて何よりだ」 それきり、特に会話もないまま、場内が暗くなるのを待った。 元から時間ぎりぎりに古泉が来たせいもあって大して待つことはなかったが、その間のちょっとした沈黙も気詰まりではなかった。 あの手紙と同じだ。 悪戯や悪意のあらわれなんかではなく、温かいものがあると分かる。 手を伸ばして、すぐ近くにある古泉の手を握りでもしたら驚くんだろうか、なんて思いながら、暗くなりかかる場内でにやける口元にその手を当てた。 映画そのものは予想通りに面白かった。 途中でも、勿論古泉との会話なんてなかったが、十分だった。 映画を見てる最中だってのもあるが、言わなくてもお互いに何か分かるものがあった、と言うと大袈裟だろうか。 ともあれ、いつになく集中して映画を楽しめたと思いながら映画館を出た俺は、 「飯でも食うか?」 と古泉に声を掛けた。 「はい」 やはり言葉少なに頷いた古泉は、それでも嬉しそうだ。 満足してくれたんだなと思うと俺も嬉しくなる。 にたにたしそうになる顔を隠すべく、先に立って歩き始めた俺のシャツの裾を、古泉がつんと引っ張った。 「どうした?」 何か言いたいことでもあるのか? こくんと頷いた古泉は、その顔を赤くしながら、いつもと違ってろくな前置きもなく口を開いたかと思うと、 「僕は……あなたのことが……好きなんです…」 なんてことを蚊の鳴くような声で言ったりするので、俺は呆れてため息を吐いた。 「今更だな」 「え?」 「…だってお前、手紙にいつも書いててくれただろ?」 |