「似て非なるもの」の続編です
捏造しかないのでご注意ください←






人は好奇心で出来ている



突然そいつがやってくるのは珍しいことじゃない。
何せそいつと来たら珍しいものが大好きで、帰ってくるたびに訳の分からない生き物と参考データを携えて俺の職場にやってくるんだからな。
訳の分からない生き物は、そいつが自分で捕まえたということも稀にあったが、大体がどこだかからの貢物らしい。
全く、皇女殿下ってのも大変だな。
だからこそ、息抜きに来るのかも知れないが。
12月も末に近い、つまりは世間的に忙しい時期ではあったが、俺の職場は案外暇だった。
世話している動物――と言うか、宇宙生物の生体サンプルってことになってる――の半数ほどが冬眠に入り、元気真っ盛りのシーズンと比べると非常に楽なのだ。
それでも、冬眠が失敗しても困るので、毎日の健康チェックは欠かせない。
俺はだだっ広い研究所内をのんびりと歩いて、各ケージやらガラス室やらを見て回る。
それから、この寒さにもめげずに元気にしている連中の檻を覗き込む。
すかさず伸びてきたぬるついた触手に手首を掴まれたが、これくらい日常茶飯事だ。
「どうした? 腹でも減ったのか?」
と言葉を掛ければ、同意するように蛍光オレンジのけばけばしい、しかしながらどこか花にも似た頭部が揺れた。
「さっき飯をやったはずなんだが…どうにも最近エネルギー効率が悪いな。調子でも悪いのか?」
問いかけながら、分厚い眼鏡越しにじっと観察する。
少しばかり血色が悪いようだ。
この寒さが堪えてるのかもな。
「もう少し空調を強めにした方がいいか」
それで満足したのか、手首に絡み付いていた触手が離れた。
こうやって自分から主張してくれる方がまだありがたいんだよな。
苦笑しながら俺は少し離れた檻に入る。
「調子はどうだ?」
声を掛けた相手は、非常に体格が大きく、俺の五倍くらい背が高い。
毛むくじゃらで、たとえると…あー…なんだった?
前に確か皇女殿下が地球にいる雪男だかなんだかに似ているとはしゃいでいたんだったか?
雪男って言ってたのか雪女と言っていたのかは思い出せんが、とにかくそういう類のだ。
厄介なのがこういうタイプなんだよな。
毛むくじゃらのせいで顔色やなんかは分かり辛いし、変に知能が高いと妙に本音を隠したりすることもあるのが参る。
俺は手を伸ばして、自分の頭より随分高いところにあるそいつのでかい腕に触れた。
指先に取り付けてあるセンサーが体温を測り、記録する。
「…ちょっと低いな。お前も寒いか?」
困ったように視線をさまよわせるが、
「正直に言ってくれた方が助かるんだ。遠慮なんかしなくていい」
どうせどれだけ空調を効かせようが、どれだけエサを食わせようが、金を出すのは皇女殿下だし、俺は飼育員兼研究員としてきちんと世話をしてやるのが仕事だからな。
「ワガママ言ってもいいんだぞ?」
と撫でてやると、気のせいか嬉しそうな目をした。
「よし、気温は上げるか?」
こくんと頷いてくれる。
こうやってきちんと要求してくれるようになると、言葉が随分通じやすいのが助かる。
「食べる物は、性に合わないのがあったらちゃんと残せよ。お前、前に無理して食って体壊しただろ。…そういうのの方が困るんだからな」
こくこくと頷いたそいつに、軽く抱き締められた。
感謝とちょっとした愛情ってやつを示してくれてるんだろう。
「…ありがとな」
そろりと手を伸ばして撫でてやると、嬉しそうに目を細めた。
…うん、可愛い。
「それじゃ、俺はまだ他の檻も見なきゃならんから…」
名残惜しげながらも解放してくれる辺り、本当に聞き分けがよくていい奴だ。
この間淡い黄色のスライムに捕まった時には1時間以上解放してもらえなかったからな。
おかげであの日は残業する破目になった。
もっとも、俺はここで寝起きしてる変わり者だから、少々残業しても関係ないんだが。
ぼんやり考えながら、順調にチェックを終え、そろそろレポートでもまとめようかと事務所に戻ると、メールが来てることに気がついた。
それも、
「…また皇女殿下か」
そう言えば戻ったとかなんとか聞いたな。
今度は何を連れて来るんだか。
そろそろまた施設の増築か何かを頼んだ方がよさそうだ。
スライムとか、一部の繁殖させた動物については、他所の研究所や動物園に寄贈したくもあるんだが、スライムの管理は案外難しいからな。
悩ましい。
独り言をぶつくさ漏らしながらメールを開いた途端、
『ジョン! あんたちょっと小奇麗な格好してあたしのところに顔を出しなさい! いいわね? 絶対よ!?』
という皇女殿下の怒声染みた声に耳を破かれそうになった。
「な…んだこりゃ……」
わざわざ音声で来るとは思わなかった。
しかも内容が意味不明だ。
小奇麗な格好で皇女殿下のところに行けって?
なんで俺が。
何かヘマをやったか?
そんなことはないはずだ。
大体、皇女殿下がこっちに来るんじゃないってのが珍しい。
彼女は大抵こっちに来て、俺も遠ざけて好きな宇宙生物たちの観察に目を輝かせ、静かにしてるような人だったはずだ。
それがあんな風に怒鳴るとは。
全くもって分からん。
しかし、だからこそこれを蹴るわけには行かんのだろう。
俺はため息を吐き、
「小奇麗な格好ってどんなだよ……」
とぼやきながら、ひとまずシャワーを浴びることにした。
粘液だのよだれだのにまみれたままで殿下のいる離宮に行くなんてことは流石に出来ない。
「…めんどくせー……」
しかし、素性も何もろくに明かさないまま俺を雇ってくれてるのはありがたいが、こういうことをされるのは困るな。
大体、なんだって俺を呼ばねばならんのか。
嘆きながらも身支度を整える。
ついいつもの習慣で薄汚れた作業着と白衣を着そうになったが、慌てて思い止まった。
極稀に参加することもある学会用のスーツを着て、落ち着かないなりに髪を少し撫で付ける。
人に会うのは本当に面倒だ。
動物相手なら服なんか気にしなくていいし、頭だってぼさぼさのままでいいってのに。
ぶちぶち言いながらも研究所の外に出たところで、
「お迎えに上がりました」
と目にも眩しい白い軍服の美男子に言われてぎょっとした。
「……は…? 古泉司令……?」
呆然と呟いた俺に、司令は何故だかわずかに頬を赤く染め、
「お久しぶりです」
「…ええ、ああ、そう…ですね。お久しぶりです」
つっても、前に会ったのはいつだ?
この男に関しては皇女殿下を厄介な外界に連れ出す男という認識しかないんだが。
そしてこいつはこいつで、俺のことを皇女殿下を妙な趣味の世界に引きずり込んだ害悪みたいな目で見ていたはずだ。
それなのに久しぶりに見たこいつはやけに優しい目をしていた。
俺にはこれまで向けたことがないようなそれに、妙に胸の中がざわついた。
どっかで気立てのいい寄生生物でももらって来たんだろうか。
そういや、そういう類のはあんまり育ててないな。
今日皇女殿下に会ったら提案しよう。
「あの…」
「あ…すみません、急ぐんでしたね」
うっかりぼんやりしちまったが、わざわざ司令が迎えに来るってことは本当に急ぎだってことなんだろう。
そう思って、司令の後ろに控えている車に向かって歩きだそうとした俺に、司令は意外なことを口にした。
「いえ、そうではなくて…ひとつ、頼みがあるんです」
「頼み…ですか? 司令が、俺に?」
「ええ、簡単なことなんです。……その眼鏡、」
と司令は俺の分厚い眼鏡を指差した。
「外して見せてもらえませんか?」
「……は?」
なんだそりゃ、と思うものの、それくらい拒む理由もないので、眼鏡を取った。
自慢じゃないが、俺の目は本当に悪い。
眼鏡なしじゃ10センチほどの距離も見えなくなるくらいだ。
人が目の前にいても輪郭がぼんやり見える程度になっちまう。
だから俺に分かったのは、眼鏡を取った俺の顔を見た司令が、微かに息を飲んだことくらいだった。
「…司令……?」
「…やっと見つけました」
「……は?」
「こんなところにいたんですね…」
独り言のような呟きを漏らして、司令は俺を抱き締めた。
「ちょっ…!?」
「ずっと、あなたを探してたんです。まさかこんな近くにいたなんて、灯台下暗しにも程がありましたね」
「…ええと……探してたも何も、私は前からこちらで働かせていただいてましたし、司令には目の敵にされていたと思うんですが……?」
不遜と言われてもしょうがないようなことを言った俺に、司令は困ったような声で、
「すみません。そのことについては謝ります」
「え、あ、あの…?」
なんなんだ今日は。
本当に調子が狂う。
「敬語もあまり得意ではないでしょう? やめてくださって構いませんから」
それはありがたいが、本当に訳が分からん。
「一体なんだって言うんですか」
「詳しいことについては殿下からお話がありますから」
そう言った司令がようやく俺を解放してくれたので、俺は慌てて眼鏡を掛けなおす。
司令は本当に嬉しそうな顔をしていて、訳が分からないなりに、悪いことにはならなさそうだと楽観的なことを思った。
そのまま皇女殿下の離宮にまで連れ去られた俺が聞かされたのは恐ろしく荒唐無稽な話だった。
異世界からやってきた、俺そっくりの誰だか。
そいつに触発されて、一皮剥けたように思い切りがよくなっちまった皇女殿下。
なんていうか…結構物凄いお姫様だと前から思ってたが、まだ吹っ切れてなかったんだなぁ、としみじみ思った。
「あたしはキョンがいなくなってから、大急ぎでこの世界にいるはずのあいつを探してたの。でも、どこのどんなデータに当たっても該当する人間がいないから困ってたのよ。で、そこで思い出したの。あんたがいるってね」
そう言って皇女殿下――ではなく、ハルヒと呼べと言われた。敬語もなしだそうだ――は、つばを飛ばさんばかりに、
「あんたは素性不明の不審人物だもんね。そりゃ、データにもないはずだわ」
お前が言うな。
そんなのを雇ってるくせに。
「で、よく考えたら顔だちが似てる気もしたから、こうやって呼んだって訳」
ああそうかい。
「なら、用はこれで済んだだろ。そろそろ帰らせてくれ。あと、眼鏡返せ」
来るなりハルヒに取り上げられちまった眼鏡がどうなったのかなんて俺には分からん。
「あんなダサくて古臭い眼鏡なんてやめなさいよ。視力くらい今時手術で治るんだし」
「めんどいだろ。手術のために時間を取られてる暇なんか俺にはない。こうしてる間だって、あいつらが腹を空かせてたらどうしてくれる」
「餌やりなんかはオートメーション化してあるはずでしょ? ちょっとやそっと平気じゃない」
「それでも毎日様子を見てきちんとしてやらんと調子を崩すくらい、あいつらはみんなデリケートなんだ」
そりゃ、たまには水さえやっときゃご機嫌みたいなのもいるけどな。
「とにかく、眼鏡を返せ。俺を研究所に帰らせろ」
ふてぶてしく唸る俺に誰かが近づいたと思ったら、手の平に何かをのせられる。
眼鏡、か?
「…掛けましょうか?」
「うん?」
司令の声だ、と思うとそっと眼鏡を掛けさせられる。
その眼鏡の軽さに、
「…これ、俺のじゃないだろ」
眉を寄せた俺に、司令は柔らかく苦笑した。
…まただ。
何だその顔。
そんな顔、見たことなかったぞ。
「殿下がああ仰るので、せめて新しいのをと思って急いで用意させました。前のよりはよくお似合いですよ」
なるほど確かにそれは前の眼鏡より随分レンズが薄いようだった。
そのくせ視界はクリアに見える。
「…ありがとな」
「いいえ。…そろそろお帰りになられますか?」
そう微笑した司令にはやはり違和感が拭えない。
「帰りたい」
「かしこまりました」
司令はハルヒに向き直ると、
「殿下、続きはまたにしませんか? 彼もお疲れでしょうし、どうせなら研究所を訪ねる方が殿下も気が紛れるでしょう」
「仕方ないわね…。古泉くん、送ってやって」
「はい、喜んで」
そう頷いた司令につれられて、俺はハルヒの部屋を出た。
だだっ広く、天井も高い落ち着かない空間から早く出たいと思いながらも、俺は問いを口にする。
「なあ、司令も何かあったのか? その…キョン参謀とやらと」
「…そうですね、少しばかり」
聞いたこともないような柔らかな声で言った司令は振り返って、
「司令なんて呼ばなくて構いませんよ。あなたは軍属でもありませんからね」
「じゃあ、なんて呼べって言うんだ?」
「古泉、と。…本当は一樹と呼んでいただきたいところですが、気が早すぎるでしょう?」
「……は?」
何を言い出すんだこいつは。
呆然とする俺に古泉は微笑しておいてまた前を向き、歩き出す。
「…僕は、正直なところ、あなたが苦手だったんです。あなたを前にすると何もかも見抜かれてしまいそうで、怖かった…」
「は…? そんなもん…」
「…じゃあ聞きますけど、僕のことをどう見てましたか?」
そう問われ、俺は少し考え込む。
こいつをどう見てたか?
「…ハルヒが嫌がってても、ハルヒの嫌がるところに連れてく奴だと思ってた。お前自身については…そうだな、無理して、意地張って、片肘張ってるような感じがして大変そうで……少し、苦手だった」
「…やっぱり」
と古泉は笑った。
「あなたには分かってしまうんですね」
「…何がだ」
「僕は大した人間じゃありません。たとえ、実質的には飾りに過ぎないにしても、軍の一部隊を預かることの出来るような器もないんです。でも僕は…殿下をお守りしたかった。その思いだけで、無理を重ねて来たんです。けれど…いい加減ガタが来てしまいそうだと思っていたところに、あの人に出会ったんです」
「…キョン参謀に、か?」
こくりと頷いて、古泉は恥かしそうに笑った。
「彼には僕の薄っぺらな虚勢なんて、すぐに見抜かれてしまいましたよ。それどころか、僕自身も知らなかったようなことまで……」
そう語尾を濁した古泉は、もう一度足を止め、真剣な目で俺を見つめた。
「どうした?」
「…あの人をきっかけに、考え直してみようと思ったんです。知られたくないとばかり思っていたことを、あなたに知られたらどうなるのか。悔しいのか悲しいのかそれとも苛立たしいのか」
くすりと小さく笑って、古泉は続きを口にする。
「あなたが僕を気味悪がったりするなら、とても悲しいです。でも、そうでなくて……どうしようもないような僕を受け入れてくれるのなら…僕は……」
そう言った目に浮かぶのは不安が多い。
だが、なんだろう。
少しばかりの期待と、ちょっとばかり分からない種類の歓喜めいた何かを感じる。
冷たくされたいのか、優しくされたいのか分からん。
「…あー…お前が俺に何を求めたいのかはよく分からん…。が、お前って……んー…なんか、案外面白い奴なんだな。興味深い」
「え…?」
困惑に眉を寄せる古泉をじっと見つめて、
「うちの可愛い連中も結構複雑だが、お前も相当複雑な感情がありそうで興味がある。何を隠してるんだ?」
「あ……その…」
うろたえる古泉なんて初めてだ。
今日は本当に初めて尽くしで面白い。
帰ったら古泉の観察レポートを作るとしよう。
そんなことを考えていると、唐突に古泉に抱き締められた。
またか、と思いながらもされるがままに任せるのは、長年の経験の成果である。
急に抱きついてくるような奴は拒むより、満足するまでじっとしておいた方がお互いのためだ。
相手は同じ人間なんだから、圧し折られたり、引き千切られたり、なんだかよく分からないものを刺されることもないだろう。
「…どうした?」
「……僕……その…あなたが……」
――好きになりそうです、とか細い声で言った古泉の顔は恐ろしく真っ赤で、その表情はまるで小さな子供のように頼りない。
俺は噴出しそうになるのをぐっと堪えながら、
「そりゃありがとうな。しかし、俺でいいのか?」
「あ、あなたこそ……いえ、その前に、意味…通じてますか……?」
「通じてる。つがいたいとかそういう類のだろ?」
「つが…っ!」
真っ赤な顔のまま絶句した古泉に俺は小さく笑った。
「案外初心なんだな」
「……あなたは意外と慣れてるんですか…」
「まあ、ああいう特殊な環境で動物の世話をしてりゃ、向こうから好かれることも多いからなぁ…」
しみじみ呟けば、
「…僕は動物と同じ扱いですか」
とがっくりされた。
「同じ扱いはしてないぞ。動物相手なら、閉鎖的な空間におかれたが故の代替行為または勘違いの類であることを懇々と言い聞かせ、場合によっては一時的に罰を与えてでもやめさせるからな」
「…じゃあ、なんなんですか?」
縋るような目を向ける古泉に、
「興味がある」
と正直に答える。
「お前がどうして俺なんかを気に入ったのかってのはさっきので分かったが、お前がまだなんか隠してる気がするから、それが知りたい。それに、同種の生物とはいえ同性に真剣な好意を寄せるってのは十分研究に値することだからな。今後の参考のためにも知っておきたい」
「…あなたって人は……」
呆れたように言ってるくせに、
「…嬉しそうだな」
「っ、う……それ……は…」
「もしかしてそれがお前の隠してることか?」
古泉はしばらく躊躇うように黙り込んでいたが、ややあって小さく頷いた。
「…そうです」
「あれか? 被虐願望とかの類か?」
「っ…そう、です……」
と答えるだけでも、
「…気持ちよさそうだな」
「あ……」
面白い。
実に興味深い。
「古泉、お前、研究所に戻ったら少し待てよ。ざっと仕事を済ませるから、そうしたら飯でも食いながら話をしよう」
「…え……?」
「忙しいか?」
「え、いえ…今日はもう大丈夫です」
「ならいいな。決まりだ」
「あなたはいいんですか!?」
「構わん。たまには誰かと飯を食うのも悪くないし、お前なら面白そうだ」
そう笑った俺に、古泉はなにやら感激したような顔をしてきつく俺を抱き締め、
「大好きですっ…!」
と宣言した。

…ところで、被虐願望のある奴に対してどう接してやるのがいいのかとか、そもそもどうすると喜ぶのかってことさえ恋愛経験もろくにないような俺には全く分からんのだが、どうしたらいいと思う?