「非実在青少年……か」 ぽつりと呟いた俺に、怪訝な顔をしたのは、律儀に不思議を探してか、あたりを見回しながら隣りを歩いていた男だった。 「なんですか?」 「いや、ちょっと思い出してな」 「はあ…」 返事に切れがないのは、興味がないからではなく意味が分かってないからだろう。 「知らないのか?」 「ええ、浅学ですみません」 苦笑した古泉に説明してやる。 「そういう言葉があるんだよ。一応法律用語にあたるのか? 詳しい定義は訳が分からん上に曖昧だから、説明はさせるな。気になったら自分で調べろ」 「分かりました」 愛想よく応じた古泉だったが、疑問は残ったらしい。 「それで、それが一体どうしたんですか?」 「いや……お前に似合いそうな言葉だと思ってな」 「…そうなんですか?」 首を捻る古泉に、俺は慌てて言葉を重ねる。 「誤解はするなよ? 意味がお前に合うってわけじゃないからな? ただ、字面がお前に似合いそうってだけだ」 「字面…ですか……?」 どういう字を書くのか、と問われる前に俺は小枝を拾い上げると、地面に字を書いてやる。 すると古泉は複雑そうな顔をした。 「これはまた……なんとも言い難いですね」 「そうか?」 「ええ。…だって僕は、ちゃんとここに実在しているはずでしょう?」 それはそうだがな。 「お前自身は結構非現実的だろ。俺は常々、何でお前みたいなのが実在するんだと首を捻ってるんだぞ」 「ええ?」 不本意そうな声を上げるところ悪いが、実際そうだと思うのは俺だけじゃないはずだ。 何しろこいつと来たら、顔はいいし背は高いし体は引き締まってるしで外見要素で貶す要素など欠片も見当たらないほどに恵まれている。 しかも頭は理系クラスに編入出来るほどいいときた。 だからと言って、勉強ばかりが得意だと言っちまうには会話も巧みで、引き出しの多さには時として舌を巻かされる。 これで性格が悪けりゃまだすっとするってのに、こいつは性格もほどほどによろしいという、嫌味ったらしいまでに完璧な奴な訳だ。 神様ってのが実に不公平であるという一つの証拠だな。 欠点らしい欠点なんて見当たらない。 完璧すぎて鼻につく、と言っちまうのは簡単だが、そうすればするだけこちらが惨めになるだけだろう。 そんな完璧すぎる奴を指してどういえばいいか。 「非実在青少年でいいじゃねえか」 「よくないですよ」 苦笑した古泉の顔が赤い。 ……何だその反応は。 「いえ……」 恥かしそうに軽く目をそらし、古泉はそっと自分の口元を手で覆った。 「…あなたにしては珍しく、ストレートに褒めてくださったので……なんだか恥かしくなりまして…」 「……別に、褒めたつもりじゃないんだが、な」 それ以上に貶したつもりだとでも言おうか。 だから、あまり喜ばれてもこっちが居た堪れなくなるだろ。 「でも、嬉しいですよ。あなたに評価していただけているようで何よりです」 にこりと微笑んだ古泉は、やっぱりハンサム過ぎる。 ただでさえ綺麗な顔が余計にきらきらして見えるからやめてもらいたいところだ。 いっそお前も「非実在青少年」として規制されちまえ。 「規制…ですか?」 おう、そうだ。 「非実在青少年ってのは、創作物に関する規制の法律における文言だからな」 「なるほど、そういうことですか」 なんとなく分かりましたと呟いた古泉は、悪戯っぽく唇を歪め、 「では僕が規制されたとして、どうなるんでしょうね?」 などと言い出した。 悪乗りのつもりにしても絡みにくい奴だ。 「さあな。その整った面が隠れるように、着ぐるみでも被らされるんじゃないのか?」 適当に答えたってのに、古泉は何が面白いのか声を立てて笑った。 ハルヒがこの場にいないから構わないということだろうが、それにしても珍しい。 「着ぐるみですか」 「ああ。…そうだな、ああいうのはどうだ? どこだかのテーマパークにありそうな、見るからに怪しいパチモンみたいなやつ」 「ああ、あれですか」 理解したらしい古泉がくっと笑う。 それにどこか得意な気分になった俺が、ニヤニヤ笑いながら、 「そうすりゃ、外見については問題なくなるだろ」 と行ったら、古泉は面白そうな顔をしたまま同意する。 「そうかも知れませんね」 「で、語尾に何か怪しい言葉をつけたら完璧だな」 「語尾ですか?」 「もふとかふもとかつけるってのはどうだ? そうすりゃどうやったって萌えの対象にはならんだろう」 「そうですね」 くすくすと笑った古泉は、 「しかし逆に、非実在性というものは跳ね上がりそうですね。そんな属性があるとしての話にはなりますが」 ……それもそうか。 着ぐるみを着て、もふもふ喋るような男子高校生がそうそういて堪るかという気はするな。 「じゃあ、ちゃんと非実在性を引き下げる方向で考えるか」 「規制されないように、ということでしょうか?」 「そうだな」 「是非とも知恵を貸していただきたいものですね。規制されては堪りませんから」 わざわざ真面目な顔で言うな、と笑いたくなりながらも、俺もそういうノリのよさは嫌いじゃないから応じてやる。 あえて真顔を作りながら、 「そもそも、どうしてお前は非実在性が高いと思う?」 と問いかけてやると、古泉はやはり真面目に、 「この話し方などがひっかかるんでしょうか」 と答えた。 「分かってるじゃないか」 「それは、まあ…」 と苦笑した古泉に、 「それから、大袈裟な身振りだとか囁きの多用なんかもやめた方がいいだろうな。もっと普通の高校生らしくしてみろ」 「そうしたら大丈夫でしょうか?」 「ああ」 大真面目に頷いてやったことでも分かるように、俺は本当にふざけていたのだ。 そうして、この諧謔を楽しんでいたに過ぎず、だから、自分の発言がどんな事態を引き起こすかなんてことは考えてもみなかったのだ。 「では、そうしてみましょう」 そう笑った古泉が、鬱陶しそうな前髪をかき上げた。 そうすると、いくらか鋭い眼差しが現れてぎょっとする。 「…古泉?」 「そうしろって言ったのは、あんただろ?」 悪辣な笑み。 「あんただって、普段の俺が素じゃないって思ったから、あんなことを言い出したんじゃないのか?」 どことなく粗い言葉遣い。 「なあ、聞いてんのか?」 不躾なまでに真っ直ぐな視線。 それらが全部、普段のそれとはあまりにも違っていて。 「……逆に気色悪いな」 「…そう来ますか」 だって、なあ? 「今のも演技だろ」 「……え…」 「少なくとも、完全に素じゃないだろ?」 違ったか? と尋ねる俺に、古泉はどこかぎこちなく首を捻る。 「違いません……けど…どうして分かったんです?」 「…分かったもんは分かったんだからしょうがないだろ」 理由を聞かれても答えられん。 強いて言うなら、 「お前はそこまで器用じゃないような気がしたんだろ」 「え? 僕って不器用ですか?」 「いや、十分器用だろ」 少なくとも俺には、たとえ演技でも一瞬であれだけ化けて見せるような真似は出来ん。 俺が言いたいのはそういう器用さとは少し違う器用さの話だ。 「素の自分をさらけ出すとか、本音を出すとか、そういうことについては、お前も人並に不得意って気がするだけだ」 「……本当に、あなたって人は…」 呆れたような言葉を呟きながら、古泉は思い切り顔を背けた。 顔を隠したかったのかも知れないが、それにしたって耳が真っ赤で意味がない。 「どうした」 「どうしたもこうしたもありませんよ。本当になんなんですか、あなた…」 「そりゃ、こっちの台詞だろ。さっきからなんなんだ」 「……」 古泉はまだ目を合わせようとしないまま、恨めしげに俺を睨みあげる。 「本当に、分かってないんですか?」 「分からん」 「…きっと色んな人にそんな調子でいるんでしょうね」 そうため息らしきものを漏らした古泉は、 「夜道を穏やかに歩いていたいなら、あまりそういうことは乱発しない方がいいですよ。特に女性にはやめた方がいいでしょうね。あなたも、恨みは買いたくないでしょう?」 「恨み?」 というか、なんでそうなるんだ? 「本当に、どこまで鈍いんでしょうね」 そう言って古泉はもう一つ深刻そうに嘆息する。 「…そうやって、相手の本質を突くような発言は、色んな意味で危ないですよ。本質を理解されることを恐れる人間もいれば、求める人間もいるのですからね」 という言葉は、忠告のつもりなんだろうか? 俺は軽く首を傾げて、 「お前はどっちだ?」 と問う。 「え…?」 「嫌だったのか?」 そもそも俺としては本質を突くとかそういう意図はなかったのだが、それを横に置いてそう聞いてやると、古泉は困り果てたようにもう一度顔を背けた。 「…嫌がってるように見えますか?」 「…見えん、な。多分」 「だったら聞かないでくださいよ」 拗ねるな。 「拗ねたくもなります」 今度こそ完全に不貞腐れた古泉に、俺は小さく笑って、 「そうやってたら多分、規制なんかも平気だろうな」 と言ってやった。 「ちゃんと年相応に見えるぞ」 「…あなた、僕をいくつだと思ってるんですか……?」 胡乱げに問う古泉には、あえてにっこりと作った笑みを向けてやる。 それにびくりと竦みあがる古泉に、俺はその笑顔のままで答えてやった。 「俺、実はお前の実年齢を知ってるんだ」 「――っ!?」 声にならない悲鳴をあげて、慌てて俺を見つめた古泉の顔は見事に真っ青になっている。 仮面なんぞ剥がれ落ちて、もはや意味など為していない。 俺はにやにやしながら、 「お前、簡単すぎるだろ」 「…へ……? え、あ……うわぁ…!」 俺がカマを掛けただけだとようやく気付いたらしい古泉が、今度はさっきとは別の意味で頭を抱える。 「やっちゃった……」 「ほんとにな」 全く、 「そうであっても不思議じゃないとは思ってたが、本当に年齢詐称してるとはな……」 「ううう……」 呻く古泉の頭を軽く撫でて、 「詳しくはそのうち聞かせろよ。ついでに、お前の素の状態とやらも見てみたい気もするな」 「…それは、ただの興味ですか?」 恨めしげに見つめてくる古泉には、 「それもあるが、それだけじゃないだろ」 「え?」 「お前が規制されて、消えちまいでもしたら困るからな」 そううそぶいて笑ってやる。 どこまで冗談か、なんてことはあくまで隠して、なんでもないように笑って見せる。 それくらいには俺もこいつ同様、素直じゃないんだろうなと、ほんの少しの自嘲を混ぜた。 「消えませんよ」 俺の内心を分かっているのかいないのか、古泉はそう言った。 「消えたくありませんから、なんとしてでも拒みます」 「そりゃ、いい心がけだな」 頷きながら、どうしても口元が緩む。 そんな風に古泉が、現状への執着めいたものを見せてくれるのがどうしようもなく嬉しく思えてくる。 かつてのこいつならしなかったんじゃないかと思うような反応がどうして出てきたのかなんてことは、想像するしかない。 しかし、SOS団でこうして過ごして来たことが影響してないはずはないだろう。 自分がその理由の一部にでもなれていたら嬉しいんだが、そこまでは望むまい。 「いなくなるなよ」 もう一度だけそう言って、俺は少しだけ足を速めた。 「そろそろ戻るぞ。ハルヒに怒鳴られるのはお前じゃなくて俺だからな」 「連帯責任じゃないんですか?」 「ハルヒにそんなもん通用するか。俺だけ責任取らされるに決まってんだろ」 ほら行くぞ、と古泉の手首を引っ掴み、ぐいぐい歩く。 俺は前を向いていて、古泉は後ろから大人しくついてきた。 だから、俺は知らん。 古泉がその時、どんな顔をしてたかなんて、知る由もない。 |