食堂に入るなり、ざわめきが起こったのは……俺のせい、らしいな。 全く、なんでこうなっちまったんだか。 張り切りすぎたのが悪かったのかもしれないが、これはないだろう。 そうため息を吐いたところで、 「…キョン?」 と驚きに満ちた声を掛けられて驚いた。 「え、あっ……、ええ…!?」 こんなに驚いたのは久しぶりだったかも知れん。 そこには、かつての仕事仲間が立っていた。 確か呼び名は……、 「今は国木田、だよ」 そう言ってベビーフェイスの中にある、淡いピンク色の唇を笑みの形にした。 自然に笑えるのが羨ましいな、おい。 「やっぱりキョンだったんだね。びっくりしたよ。まさかと思っちゃった」 「こっちこそまさかだ。お前、なんでこんなところに……」 「学費を少しでも抑えたいなら、士官学校を選択するのは一般的なことじゃないのかな?」 「ああ、そうか、そういう選択もあったんだな」 「それにしても久しぶりだね」 と笑った国木田は、 「よかったら、一緒にお昼食べようよ。色々聞きたいし、話したいな。結構話せないこともあるだろ?」 「そうだな」 お互い積る話もあるだろうということで、中庭に移動して、極力他からは距離を取る。 「キョンが生きてるとは思わなかったよ」 というのが国木田の第一声で、俺は大いにむせ返った。 「なんだそりゃ!」 「だって、一人だけ別のところに連れて行かれて、全然出てこなかっただろ? てっきり、処分されるかどうかしたんだと思ってたんだよ。なのに、キョンなんてそのまま名乗って、新入生代表なんて務めてるからびっくりしちゃった」 「…あれは俺も失敗だったと思う」 「どれ? キョンって名乗ってること?」 「じゃなくて、試験で点数を稼ぎすぎたのが、だ」 「そうだね、ちょっと悪目立ちし過ぎちゃったかな。なんだか色んな噂を聞いたよ? 誰だか知らないけどえらい人がバックにいるとか、パトロンがついてるとか」 それはまた、あながち間違ってもないな。 というか、 「お前の地獄耳は相変わらずか」 咎める調子でいったつもりだったのだが、国木田はしれっとした顔で、 「ふふ、棄てるには惜しいだろ? キョンだって、相変わらず人の顔色読むのは上手じゃない」 「これは、本能みたいなもんだろ」 「僕のだってそうだよ」 お互い難儀なもんだな。 「使えるものは使おうよ。ね?」 くすくすと笑った国木田は、 「で、色々聞かせてもらうかな? いくら僕が地獄耳だとしても、話されてないようなことは聞き取れないんだからさ」 「あーはいはい」 気のない返事をしながら、俺はサンドイッチに食いついた。 長い話だ、食いながらした方がいいだろ。 「なるほど、なかなか面白いことになったんだね」 と国木田は愉快そうに言った。 「お前はどうだったんだ?」 「僕は普通だよ。保護された後、ちょこちょこ聴取とか証言とかさせられて面倒だったけど、それが終ったらきちんとしたところに養子に取ってもらえたしね」 「そりゃよかったな」 「そうだね。あまりにも善良な人たち過ぎて困るんだけど」 と言ってるほど困ってるようには見えないな。 「親孝行してるみたいじゃないか」 「…これだからキョンは……」 今度こそ困り顔になった国木田は、 「いっそ、成績を高く維持してみたら? その能力は高い地位にいった方が活かせる気がするよ」 「そうなったとして、お前は俺を手伝ってくれるか?」 と問えば、国木田は笑顔で頷いた。 「いいよ、キョンにならね」 「……お前のその笑顔だけは昔から読み辛いんだよな」 「そう?」 貼り付けたような笑顔のまま、国木田はうんと伸びをし、食べ終えたサンドイッチの袋を丸めてポケットへ突っ込んだ。 「それにしても、やっぱり若い子が多いよね」 「年寄りみたいなこと言うな」 「だって、僕たちだけ飛び抜けてる気がしない?」 「入学する歳に制限はないはずだがな」 それでも確かに、俺たちよりいくつか若い奴のが多そうだ。 「もっとも、僕もキョンも見た目は若く見えるみたいだけどね」 「お前はそうだろうが、俺はどうなんだ?」 「見えるだろ? それに、年齢だってどうせ推定じゃない」 「まあな」 って、お前から歳の話を始めたんだろうが。 相変わらず気まぐれと言うか、話をはぐらかすのがうまい奴だ。 「キョンがいてくれてよかったよ。お行儀よくするばっかりじゃ息が詰まるかと心配だったんだ」 「嘘吐け」 せせら笑うように言った俺を置いて立ち上がった国木田は、 「クラスが違って残念だけど、そのうちクラス替えもあるらしいし、その時にでも、同じクラスになれるといいね」 と言って先に行っちまった。 全く、友達甲斐があるのかないのかよく分からん奴である。 味気ない昼食を口の中に押し込めて、俺はそのまま教室に戻ろうとしたのだが、 「キョン」 と声を掛けられ足を止めた。 振り返るとそこにいたのは、確か同じクラスで、試験でも次席だったという成績優秀者だった。 「もう昼食は終ったのかい?」 という話し方から、男だと思うのが普通だろうが、相手は歴とした女の子である。 名前は確か、 「佐々木だったな」 「覚えててくれたんだ。嬉しいな」 そう微笑した佐々木は、 「君とお昼をご一緒できたら、と思ったんだけど、どうやら出遅れてしまったらしいね。よければ今度どうかな?」 「俺は別に構わんが、お前はそれでいいのか?」 「うん、僕としては、君と仲良くなりたいって思っているからね」 その表情から分かるのは、少なからぬ好奇心だ。 ふむ、大人しそうな顔や態度だが、どこかハルヒに似たようなタイプの人間らしいな。 俺を利用しようとしているわけでもなさそうなら、断ることはないだろう。 「こちらこそ、よろしく頼む」 とりあえず握手を交わし、そのまま一緒に教室の方へ戻る。 「佐々木は昼飯は?」 「いただいたよ。どんなものかと思っていたけれど、食事はなかなかのもののようだね」 「そうだな」 「キョンは好き嫌いとかないのかい?」 「ないな」 「それはいいね。僕はいくらか苦手なものがあるから、今から少しばかり心配だよ。せっかくだから、この機会に偏食を治したいとも思うんだけどね」 「そうだな。いつでも好きな物だけ、十分に食べれるとも限らんからな」 佐々木は少し驚いた様子で俺を見つめ、 「それは、戦場でってこと?」 「どこであれ、だろ。戦場でも、将校クラスなら関係なく好きなもんを食えるかも知れんだろうし。だが、俺が兵隊として働くなら、同じように不味いもんを、一緒になって食ってくれるような上官と一緒にいたいもんだね」 「…そうだね。うん、やはり偏食は治したいものだ」 そう言った佐々木は、 「昼休みはまだしばらくあるけど、キョンはどうするんだい? 僕はもう少し、あちこち見て回ろうかと思うけど」 「俺もそうしようかと思ってたところだ」 どこに何があるか、どこからどう出入り出来るか、抑えておく方が得策に決まってるからな。 「それじゃあ、一緒にどうかな」 「そうだな」 そう俺が頷きかけた時、視界の端に何かが見えた。 何って……恐ろしく見覚えのある何かだ。 「…っと、ちょっと、すまん、佐々木。先に行ってくれるか?」 「うん? どうかした?」 「ああ、ちょっと気になることを思い出してな。合流出来そうなら合流するし、無理だったらまた後で、色々教えてくれるか?」 「うん、分かったよ。明日にでも僕が案内するっていうのも面白そうだしね」 それじゃあ、と佐々木が行ってくれたのを見届けて、俺は廊下の角を曲がり、物置のドアを開いた。 そこにいたのは、学生に扮した我等が皇女殿下――ハルヒだった。 「お前…何やってんだ……」 呆れ果て、ため息めいた呟きを漏らした俺に、ハルヒは悪戯な笑みを見せた。 だめだこいつ、完全に面白がってやがる。 「勿論、あんたの様子を見に来てやったに決まってるじゃない」 本当にそれだけで来たらしいハルヒの明るい笑みに力が抜ける。 「そのために無茶したのか」 「無茶ってほどじゃないわ。それにしても、」 とハルヒはしげしげと俺を眺め、 「似合わないわね」 と一刀両断した。 「まったく、どうせ士官学校なんだから軍服と同じようなデザインにしとけばいいのに、変に高級ぶって装飾過剰なデザインにするから、着る人間を選ぶことになるんだわ。キョンならこんな無駄な飾りボタンの付いたブレザーとか、かっこつけたシャツなんかよりも、うちの軍服の方がよっぽど似合うのに」 褒めるか貶すかどっちかにしてくれ。 「それよりお前、古泉は?」 「さあ?」 というのがハルヒのあっさりとした返事だった。 「そろそろ追いつくんじゃない?」 「また撒いてきたのか?」 呆れる俺に、ハルヒは当然悪びれもしない。 「しょうがないじゃない。古泉くんの頭が固くて見逃してくれないんだから」 それなのにどうやって誤魔化してきたのか、その手段が非常に気になるところではあるが、俺がいうべきことはひとつだろう。 「…頼むから、あいつをあんまりいじめてくれるなよ」 ああ見えて打たれ弱いんだから。 「あたしたちはこれで普通なのよ」 にまっと笑ったハルヒは得意げだ。 こいつなりに、古泉が特別だってことだろう。 そんな話をしているうちに、耳慣れた足音が聞こえてきた。 わざと聞かせているのだろう不機嫌なそれにすら、顔が緩む。 「古泉」 ぱっと振り向いた俺に、古泉は少しだけ驚いたような顔をしておいて、すぐに表情を引き締めて隠した。 古泉司令、あるいは、ハルヒの側近としての顔だ。 「殿下、すぐにお戻りください」 「分かってるわよ。どうせもうしばらくで昼休みも終りなんでしょ? そうしたら、人気のなくなったところを見計らって脱出するわよ」 「では、準備を」 「要らないわ。それより、」 とハルヒはにっこりと微笑んだ。 滅多に見せないほど綺麗で優しい笑顔だ。 「古泉くんは、キョンに声でも掛けてあげたら? 一応、入学してからは初顔合わせでしょ?」 その顔からして、どうやらこれも目的のひとつだったらしい。 俺はそろりとため息を吐き、古泉に向き直る。 「よう。今朝ぶりだな」 「そうですね。……えっと…」 どう言葉を掛けたらいいんだろうか、と考え込んだ古泉は、 「……その、頑張ってますか?」 「……頑張るも何も、今日は入学式関係のセレモニーとレクリエーションだのしかないんだがな」 お前だってここの卒業生なら分かってるはずだろ。 「あ、そ、そうでしたね」 おたおたとどこか挙動不審な古泉に首を傾げる。 何を考えてるんだろうか、とその瞳の色をのぞく。 ……まさかとは思うが、 「…俺の制服姿がそんなに新鮮か?」 「…っ!」 ぱっと顔を赤らめたところからして、どうやら当たりだったらしい。 ……呆れた。 「今朝だって見ただろ」 「そ…れでも、ここで見るのとはまた違いますよ」 「そうかい」 俺はため息を吐き出して、 「…で? 感想は?」 「え?」 「ハルヒには貶されまくったんだが、少しは似合うと思うか?」 「…ええ、似合いますよ。とても、気品が感じられて、素敵です」 そう古泉は心底褒めてくれる。 しかし、言いたいのはそれじゃないらしい。 「どうかしたか?」 「……いえ…その、」 ハルヒをはばかるように、古泉はためらいを見せたが、ハルヒのニヤニヤ笑いと真っ直ぐに向けた俺の視線とに負けたらしい。 恥かしそうにしながら、 「…あなたがなかなか帰って来られないかと思うと、堪らなく寂しくて……」 ああ、そういう顔を今朝もしてたな。 何しろ、ここは士官学校である。 将来軍隊に入ることを理由に全寮制であり、年度末ごとの休みにしか帰れない。 「寂しいのは、俺も同じだ」 そう言って抱き締める。 「だから、約束する」 「え……?」 「可能な限り早く卒業する。そうして、お前のところに行って見せるから、それまで、待っててくれ……」 「…ええ、勿論ですよ」 力を込めて抱き締め返してくれた古泉に笑みを返し、 「もう一回会えて、よかった」 と告げてその腕を解かせる。 「…そろそろ俺も戻らなきゃまずいから、これで。…ハルヒ、古泉をあんまりいじめるなよ」 ともう一回繰り返して、俺は二人から離れた。 もう少しで昼休みも終りだ。 急ぎ足で教室へ戻りながら、俺は唇を笑みの形に歪める。 国木田にはああ話したが、こうなったらいくら目立ってもいい。 いくらだって勉強してやる。 飛び級でもなんでもして、とっとと卒業してやろうじゃねえか。 そう、心に決めたんだ。 後は実行するだけだ。 |