二人でダンスを



俺がいつものようにあちらから我が家に帰ると、何故だか居間に古泉が来ていて、夜中だってのにうちのお袋と手を組んで、ダンスなんぞ踊っていたので、俺は思い切り息を吸い込むと、それこそ半径5キロ圏内に響き渡ったんじゃないかと思うような声で、
「こん……っ…んの、浮気者おおおおお!!」
と罵って、その場から遁走した。
素直にあちらに行くのもどこかしゃくなものがあったので、全力で表に逃げる。
体は軽く、地面は半ば遠かった。
そうして逃げ込んだ先はいつもの公園で、そこのベンチの上で膝を抱えた。
「…っ、ぃ、ずみの、……ばか…ぁ…」
ひっく、と勝手に横隔膜が痙攣する。
こんなに涙もろいのも、最近の俺がほとんど女になっちまってるせいだ。
俺が女になったのも、古泉が好きだからなのに。
「…ば、かぁぁ……!」
思い切り喚いてやったところで、
「うわっ」
とかなんとかいういくらか間の抜けた声がして、木の上から何かが墜落してきた。
どさりという音がしなかったのは、そいつがぎりぎりで中空に留まったかららしい。
つまりそいつは空が飛べる――妖精だった。
「…あ……?」
「キョン! お前、自分の力が強まってんのくらい分かってんだろ!? 迂闊に爆発させんなよ。びっくりしただろ!」
「す、すまん」
俺の名前を知ってると言うことは、血縁か知り合いか何かだろうか。
正直、どこの誰だかさっぱり分からんが、相手は俺のことをよく知っているらしい。
「全く……」
とぶつくさ言いながら俺の前に立ったそいつは、見た目だけなら背格好も年齢も俺とそう違いはないように見えた。
……ということは、まず遥かに年上ってことだろう。
おっさんほどじゃないと思うが。
「で? どうした? 噂の美人な彼氏に振られでもしたのか?」
「噂って……」
かあっと顔を赤らめた俺に、そいつはにやりと笑った。
「有名だろ。お前のことも、お前の彼氏がえらく美形だってこともな」
んで、とそいつは楽しそうに、
「振られたのか? 振ったのか?」
などと人の傷口をえぐるようなことを聞いてくるから、
「…っ、どっちも違う!」
と怒鳴ってやったのだが、
「えー? 違うの?」
と盛大に残念がられるのが分からん。
なんなんだ。
「だってさ、そうしたら俺にもチャンスがあるってことだろ? …いや、今だって十分チャンスだと思うんだけどさ」
「は?」
まさか古泉狙いとか言うのか、と焦りかけた俺の目を、そいつは真っ直ぐに覗きこんできた。
金糸のような髪に縁取られた白皙に、緑の瞳はあまりにも深く、吸い込まれそうな色をしているように思えた。
「…なあキョン、」
と囁く声もどこか深くて甘い。
「ただの人間なんか相手にするのやめて、俺と…」
そいつがなんだかよく分からんことを言おうとした時だった。
「やめてください…っ!」
と古泉の悲鳴染みた怒鳴り声が響いたのは。
走ってきたからか、それとも怒っているのか、古泉は顔を真っ赤にしていた。
「古泉……」
「彼から離れてもらいましょうか」
そう言って俺の肩に手を掛けたままの奴を睨む古泉は、結構迫力がある。
それをそいつも感じたのだろう。
「はいはい」
とかなんとか頼りない返事をしながら俺から離れ、そのまま姿を消した。
やはりそれなりに年もいってるし力もある妖精なんだろう。
「またね」
とかなんとか言い残したのが気に食わんが、とりあえず消えてくれて助かった。
古泉は慌ただしく俺に駆け寄ってきたかと思うと、俺の体をきつく抱き締め、
「…よかった……」
とため息混じりに呟いた。
「よかった、って……」
「心配したんですよ。いきなり飛び出して行かれるから。おまけに、…あんな風にナンパなんてされて」
「ナンパ…って、言うのか? あれを?」
戸惑う俺に、古泉は大袈裟なほどはっきりと頷いて見せた。
「そうですよ。…本当に、あなたときたらどこまで鈍いんですか」
咎めるように言われて泣きたくなる。
だが、待てよ、怒ってるのは俺の方だろ。
「…離せよ」
「嫌です。離しません」
「っ、離せって!」
思わず力を放出しそうになった俺に、古泉は強い口調で言った。
「あなたは、本当に魅力的なんですよ。おまけに、賭けのこともあって、狙われてるんです!」
「……は?」
「…やっぱり、ご存知なかったんですね…」
古泉は嘆息して、
「賭けがされてるんですよ。あなた、あるいはあなたのお母様を落とせるかどうか、という賭けが、ね」
「………は?」
「あなた方はどうやら、妖精と半妖精にしては身持ちが堅いことでも有名なようですよ。それで、妖精の間で賭けがされていて……」
「…って、んなまさか…」
「本当ですよ」
「だとしても、なんでお前が知ってるんだ?」
「あなたのお母様に聞いたからですよ。さっき、あの妖精の姿が見えたのも、お母様のご助力あればこそです」
「は? お袋?」
「ええ。……あなたは分かってないから、ずっと心配だったんです」
「心配って……」
「…他の誰かにあなたを横取りされたらどうしようかと、気が気でなかったんですよ?」
そう言って、古泉は俺の頬に口付ける。
「ん…っ」
「あなたが勉強に行くのを、どんなに邪魔したかったか、分かります?」
「邪魔、って…んな……」
驚く俺に、古泉は痛そうに笑った。
「頑張るあなたの足を引っ張るような真似はしたくなくて、ずっと我慢してるんです。でも、本心を言えるものであれば、ずっとやめて欲しかった…」
「古泉……」
俺の体を抱き締める腕に力が込められる。
「…すみません。見っとも無いところを見せてしまいました」
「…ばか、んなもんはいいんだよ。…お前、そんなこと思ってたのか?」
「思いますよ。……それくらい、あなたは魅力的です。…決して、あなたを信用してないわけではないんです。ただ、あなたがどんなに慎重であっても相手がそれ以上に狡猾だったらと思うと心配でならなくて……」
「…ありがとな」
心配してくれて嬉しい。
そんな風に素直に、心情を吐露してくれたことも。
だがな、
「それとお袋とダンスしてたことは話が別だろ」
と俺は古泉の腕の中から逃げた。
「関係はあります」
「はぁ?」
苛立たしげに睨んでも、古泉は怯まず、俺の手を握った。
「ダンスを教えてもらっていたんです」
「……んなもん、俺とやったらいいだろ」
不貞腐れる俺に、古泉は困ったように笑って、
「あなたと踊るための練習だったんですけど」
「…俺と一緒に練習したらいいだろ」
「よくないですよ」
なんだと?
「ちゃんとリード出来ないと、締まらないでしょう? それに、あなたを驚かせたかったんです」
「驚かせ…?」
なんでだ、と戸惑う俺に、古泉は苦笑を深めた。
「妖精の結婚式にはダンスが必要不可欠だとお聞きしたんです。だから、あなたにちゃんとダンスを申し込めるようにと思って、習ってたんですよ」
「……え?」
それってつまり…と見つめた古泉の瞳はとても優しかった。
「僕と踊ってくださいますか? あなたが踊ってくださらないなら、こっそり練習していたのも全くの無駄になってしまうのですが……」
「古泉…」
「…僕と踊ってください。僕と、だけ……」
そう囁いた古泉の手が震えている。
その顔も緊張しているのか、強張って見えた。
だから俺は笑って、
「お前以外と踊るわけないだろ」
と思い切り抱き締めてやった。
「好きです。あなたが、何よりも好きなんです」
「知ってる。…俺も、お前だけだから……」
どちらからともなく唇を重ねて、二人して微笑んだ。
幸せってのはおそらくこういう気持ちを言うのだろう。
手を繋いで――勿論目くらましはかけてある――俺の家に帰ると、お袋がにやにやしながら迎えてくれた。
「ちゃんと話し合えたみたいね?」
「う……ああ」
「全く、あんたも変に人の話を聞かないから困るわ」
そう笑いながら、お袋は俺たちをソファに座らせ、温かいハーブティーを入れてくれた。
お袋特製のそれを口にすると不思議なほどに落ち着いた。
多分、そういう作用のあるお茶なんだろう。
「それで、話はまとまったの?」
「ん…ああ、まあ……」
羞恥に頬を染める俺に、古泉は嬉しげに微笑んで、
「無事にプロポーズは受け入れていただけました」
と報告する。
つうか、いつの間にうちのお袋とそんなに仲良くなった。
「キョンくんったら、そんなに妬いてどうするのよ」
「妬いてるわけじゃないんだが…」
「違うの?」
「…気になるだけだ」
「全くもう」
くふふふふっと笑って、お袋は古泉に問う。
「本当に、この子をもらってくれるのね?」
「はい。…僕に、ください」
真剣に、しかし嬉しそうに唇を緩めて言った古泉に、お袋は笑みを深める。
「うん、素直でいいわ。古泉くんとならこの子もうまくやれそうだし、妖精のこともある程度分かってくれそうだしね」
「よろしくお願いします」
「じゃあ、キョン、どうする?」
とお袋は今度は俺に矛先を向けた。
「どうするって、何をだよ」
「あんたたちが妖精として結婚するのは簡単よ。それこそ明日にって言っても不可能じゃないくらい。準備とかもあるから、まだ先がいいけどね。でも、妖精としてだけでいいの?」
「…どういう意味だ?」
首を傾げた俺に代わって、古泉が問い返した。
「…人間として、結婚が可能だとでも仰るのですか?」
なんだって?
驚く俺たちに、お袋は得意そうに笑った。
「だって、キョンってば、もう半分以上女の子でしょ? だったら、女の子になっちゃえば、ちゃんと婚姻届だって出せるじゃないの。戸籍もあるんだし」
「女の子になって…って……」
「普通の人間でもいるでしょ? 途中で性別が変わっちゃったりするようなの。正確にはちょっと違うんだっけ?」
適当なことを言っているようだが、そういうことがあるという話は俺も知っている。
「そういうことにしろ、って?」
「そうそう」
「……いいのか?」
「いいじゃない。実際、女の子になっちゃってるんだし」
「……ふむ」
考え込む俺に、古泉は心配そうに、
「あの、大丈夫なんですか? そんなことをして……。色々大変なことになるのでは…」
「なんとかなるとは思う。ハルヒだって、面白がりそうだよな」
「それは…そうですけど……」
「それに俺も、お前をちゃんと俺のだって主張してやりたい」
「な…」
ばっと顔を赤らめた古泉に、俺は笑って、
「お前は俺にばっかり言うが、お前だって滅茶苦茶もてるだろ。だから、法的にでもなんでもいいから、俺のものにしたい」
と抱きついてやった。
「僕もですよ」
そう言って浮かべた笑顔だけで、どんなに大変だろうがやってのけてやろうという気になった俺は、本当にお手軽だな。