ピンク色した幸せ?



退屈な日曜日に、部屋の中で腐っているのもどうかと思った僕は、自発的に部屋から出て、町に繰り出してみた。
いくら暇だったからといって、わざわざ外面よく装ってそぞろ歩きをするなんて、どうにも僕は自虐的でいけない。
苦笑しながら、ちらちらとこちらに視線を向けてくる、どうにもけばけばしくて年齢不詳の女性たちを全力で視界から排除し、どこへ行こうかと考えていると、気になるものが視界を横切った気がした。
なんだろう、と思いながら辺りを見回すと、よく見知っているはずの人が滅多に見ないほど真剣で難しい顔をして歩いていくのが見える。
同じSOS団の団員で、色々な意味で僕にとって重要なその人は、普段着ているのとは少しばかり違う、かっちりした服を身にまとい、頭にはキャスケット帽らしいちょっとばかりおしゃれな帽子を被っていた。
彼らしからぬ格好だ。
一体どこへ行くのだろうかと思った時には、彼の後を追い始めていた。
ストーカー染みているどころか、歴としたストーカーである。
彼のことを知りたいと思うとそうやって追いかけてしまったりするほど、彼に興味や関心があるくせに、あからさまに興味を示すことで彼にこの胸の内に渦巻くある種独特の感情の名前を悟られることが恐ろしく、つい慇懃無礼に振る舞い、彼を突き放すような真似をしてしまう自分の性格の厄介さはよく知っている。
それにしたって、こんな行動に出るほどだとは思わなかった。
嘆息しながらも、彼を追いかけて早足に歩く。
彼は何か目的があるらしく、真っ直ぐ前を向いているので尾行に気付く様子もない。
そんなに一生懸命どこへ、と思っている間に、彼は人目を忍ぶように裏通りに入り込んだ。
裏、とは言ってもいかがわしい雰囲気はない。
それなりに人通りもあるし、店も明るい雰囲気のものが多い。
その中でも、少しばかり人が集まっている店があると思ったら、手芸洋品店がセールをやっているらしい。
まさか彼がそこにはいって行くことはないだろうと思いつつ、彼の様子を見ていたら、真っ直ぐにそこに突っ込んで行かれて唖然とした。
女性ばかりが熱心に商品を品定めしている中で、彼も真剣に布の吟味を始める。
店の外からガラス越しにそれを眺めながら、家庭科の課題でもあっただろうかと首を傾げても、思い当たる節はない。
それに、課題でどうしても、というには彼はあまりにも真剣過ぎる。
見ている布も、白やピンクや薔薇色と言った女の子に似合いそうな色や柄ばかりだ。
いくつかの布を選び、店員を呼びつけて必要なだけカットさせた彼は、今度はレースのコーナーに向かい、あれこれ見比べている。
遠目に見ている僕には何がどう違うのか分からないが、あれだけ時間をかけるところを見ると、何かよっぽどの違いがあるのだろう。
布地の吟味に43分、レースの選定に32分、リボンとパールビーズを買うかどうか迷いまくって14分――僕には彼を見守りつつ、タイムを計る他やることなどなかった――合計1時間29分かかって、彼はレジに向かい、うつむき加減で恥かしそうにしながらも店員となにやら会話を弾ませ、大きな袋一杯に戦利品を抱えて出てきたところで、僕と目があって荷物を落とした。
「…落ちましたよ?」
そう言葉を掛けつつ、落とされた袋を拾い上げ、彼の手に戻す。
「大事なものなんでしょう?」
とにっこり微笑んだ瞬間、彼は驚くほど真っ赤になった。
あまりの可愛さにその場で悶絶しそうになった僕の腕を彼が引っ掴み、駆け出すような勢いで歩き出す。
「あの…?」
「……」
返事はない。
黙々と歩き続ける後頭部を見れば、耳まで赤いのが分かる。
黙ってついて来い、ということだろうか。
しかしどこに連れて行かれるのだろうか。
黙ったまま彼は歩き続け、電車にまで乗った。
その間も掴んだままの僕の手は離してくれなくて、そのことを照れ臭く思うよりもむしろ嬉しくて堪らなく感じた僕は色んな意味で重症である。
デートみたいだ、なんて戯けたことを思いながら、彼について行くと、とうとう彼の家に到着してしまった。
家には誰もいないのか、彼は荷物をドアの前に放り出し、空いた手でポケットから鍵を引っ張り出すと、苛立たしげにガチャガチャと音を立てながら鍵を開けた。
荷物を掴み直し、それを抱えたまま僕を家の中に引きずり込む。
そうしてもまだ安心出来ないというのか、荷物を床に置いて、ドアに鍵まで掛けても僕の手を離さない。
ぐいぐいと強い力で引っ張り続け、とうとう僕は彼の部屋に連れ込まれた。
彼はそこで手を離した。
…というか、僕を床に転がすように腕を引っ張り、強引に座らせただけだけれど。
手首から先が痺れているような気がするけれど、精神的視野狭窄に陥る病に罹患している身としては痛くも痒くもない。
これから彼がどうするのかということだけが気になった。
にやけそうになるのを堪えながら見つめることしばし。
彼は相変わらず赤い顔のまま考え込むばかりである。
そんな可愛らしい様を思う存分堪能出来るのはいいけれど、いつまでもだんまりでは彼が困るだろう。
…仕方ないな。
どう言葉を掛けるのがいいだろうか。
『手芸が趣味なんですか?』と聞くのは、少しばかりイヤミっぽいだろうか。
大体僕は頭の中でどう考えていても、口に出す時におかしなニュアンスのこもった発言になりがちだから困る。
言おうとしたらまず間違いなく、『男のくせに』とか『意外にも』とか付けてしまいそうだ。
かといって、『誰かに頼まれたんですか?』と聞くのも白々しいだろう。
それに彼が乗って、これ幸いと誤魔化されるのも面白くない。
だって僕は、彼が今日買ったもので何をするのかが気になっているのだから。
ああ、それならそれを聞こう。
僕は彼を怖がらせないようにちょっと微笑んで――しかし彼は怯えるようにびくりと体を震わせたので、逆効果だったかもしれない――、
「それで、」
と彼が大事に抱え込んでいる袋を軽く目で示す。
「何を作るおつもりなんですか?」
と尋ねた。
彼は一層大切そうにそれをぎゅっと抱き締め、
「……服」
と長門さんのように短く、小さな声で答えた。
いつもの彼からは想像も及ばないような愛らしさに、胸の中がぎゅうっと痛むほどに思える。
こんな姿も隠していたのかと思うと憎らしいような、それを知ることが出来て嬉しいような気持ちになる。
にやけを笑みで誤魔化しつつ、
「ご自分の服ですか?」
「んなわけないだろ!」
とツッコミ返す声はいつも通りに戻っていた。
残念な気もするけれど、それくらいの方が彼らしくていいとも思える。
つまりは、彼ならどんな姿でもいいということなんだろう。
「これは、妹の服だ」
「妹さんの?」
「ああ」
「…それにしては、楽しそうに選んでらしたんですね」
「…お前……一体どこからどれくらい見てたんだ……」
呆れたような呟きには笑みだけを返す。
まさか店に入る前からつけてたなんて言って、彼に余計に嫌われるような真似はしたくない。
「服を作るのがお好きなんですか?」
「…笑いたきゃ笑えよ」
強がるようなことを言っているけれど、その顔は泣きそうに歪んでいる。
本当に、可愛らしい人だ。
僕は小さく笑って、
「別にいいと思いますけどね」
「馬鹿にしきった声で言われてもフォローにならん」
そんなつもりはないんだけどな。
やっぱり僕はどこか不器用というか、どこかおかしいんだろうか。
「あなたとしては、人に言いたくない趣味なんですね」
「当たり前だろ…。こんな、趣味……」
恥かしそうに顔を赤らめ、縋るように袋を抱き締める姿が、どうにも庇護欲をそそっていけない。
でも、どうしてでしょうね。
庇護欲と同じくらい、嗜虐心が煽られるのは。
僕はあえてにこやかに、
「黙ってて欲しいから、僕を連れてきたんですよね?」
と尋ねる。
「…頼む」
軽く頭を下げる彼に、僕は笑みを崩さず、
「ひとつだけ、条件があるんですけど、聞いてくれますか?」
「なんだ? …あんまり無茶は言うなよ」
警戒するように僕を見つめた彼に、
「あなたが、妹さんに一番着せたい、あるいは作りたいと思っている服ってありますか?」
「…へ?」
「あるとしたら、どんな服なのでしょうか」
「……それ、は…」
困ったように視線をさ迷わせ、考え込んでいた彼だったけれど、少しばかり嬉しそうに顔が緩む。
「…甘ロリ、って言って分かるか? こう、白とかピンクとかで、ひらひらふりふりした可愛い服を作って着せてみたいと思うんだが、あいつには嫌がられててな」
「具体的に、どういう感じの服でしょうか」
「そうだな…」
少し考えて、彼は唇を笑みの形にしながら、
「リボンやフリルやレースやビーズなんかをいっぱい飾った、ピンクのワンピースなんて、着せてみたいな。スカートを丸く大きく膨らませて、中には嫌ってほどペチコートを重ねて。足元はやっぱり白い二ーハイソックスか。それならスカートは膝丈がいいな。それで、頭にレースの髪留めなんか止めてやりたい。髪は勿論下ろして、オプションにピンクのテディベアなんかつけてもいい」
嬉々として語る彼は本当に可愛い。
僕はにこにこしながら、
「では、その服を作ってください。材料費は僕が持ちましょう」
「…へ?」
ぽかんとした顔をした彼は、
「…そんなことで…いい、のか?」
「ええ。ただし、」
と僕は彼がどんな顔をするのか楽しみで、じっとその表情を見つめながら、
「サイズは、あなたのサイズでお願いしますね」
「………」
大きく目を見開いて沈黙している、ということは聞こえなかったわけではないのだろう。
信じられない、とでも言いたいんだろうか。
「それをあなたが着てくださることが、黙っておくための条件です」
そうダメ押しすると、彼の顔が泣きそうに歪む。
泣くだろうか。
それならそれで見てみたいと思ったのに、
「…お前…酷すぎるだろ……」
どん底に突き落とされたような顔をした彼に、まずったか、と思いはした。
でも、僕は見てみたい。
そんな可愛らしい格好をした彼を。
だから、彼がどんな顔をして渋っても譲らず、二月以内に用意して着てもらうという約束を取り付けて、意気揚々と引き上げた。
彼から連絡が来たのは、それからおよそ一月半が過ぎてからのことだった。
放課後、僕が自分の靴箱を開けると、小さな封筒に入った手紙が置いてあったのだ。
宛名も何もないそれに訝りながら封を切ると、彼からの手紙だったので思わず微笑が漏れた。
こういうことをするところも可愛らしい。
女の子みたいですね、と言ったら流石に機嫌を損ねるだろうからやめておく。
手紙には素っ気無い文章で、用意が出来たから家に来るようにという指示だけがあった。
それでも僕には十分嬉しい。
にやにやしてしまいそうになるのを堪えながら、僕は彼に訪いの可否を問うメールを送った。
返事はすぐに帰ってくる。
今すぐに訪ねて行って問題はないらしい。
僕はいそいそと彼の家に向かい、そうしてそこで、驚くほどに愛らしい彼に遭遇して我を失った。
気がつくと玄関で彼を腕の中に抱き竦めていたなんて、自分でも驚きだ。
いえ、でも、そうしてしまっても仕方がないくらい、彼は可愛らしかったんです。
大きく膨らませたスカートにも、膨らませた袖にも沢山のフリルやリボンやレースをつけて、まるで人形のようだ。
頭にもきっちりと自分が言っていたような、レースのリボンで飾りをつけている。
テディベアを持っていないのは、それは部屋においてあるということなんだろうか。
「こ…古泉……?」
驚き戸惑う彼は、もがくことも忘れて僕を見つめていた。
「す…すみません……。あなたがあまりに可愛らしくて…つい……」
思わず本音を漏らしてしまったのに、彼は本気とは思わなかったらしく、不機嫌そうに眉を寄せ、
「嘘吐け」
と吐き捨てるように言って僕の腕を振り解いてしまったから、
「本当ですよ」
とむきになったように主張してしまった。
でも彼は、
「嘘だ。…だって、」
と自分の手足を嫌そうに見て、
「女の子と違って、見苦しくて筋張ったパーツしかないし、顔だって十人並みで女の子っぽくなんかないから、全然似合わんだろ…」
そう酷く不満そうに言うと思ったら、
「……せっかく、作りたかったデザインを作れたのに、自分が、それも似合わんのに着る破目になるとは…」
と嘆いてる。
でも、
「…可愛いですよ」
冷たくならないように、そろりと呟いた。
声が小さくなったけれど、彼にはちゃんと聞こえただろう。
「だから、嫌がらせは…」
「本当です。…そうじゃなかったら、どうしていきなり抱き締めたりなんてするんです?」
そう言って、もう一度抱き締めなおすと、彼はまだ戸惑うように僕を見る。
「可愛いです。…少なくとも僕には、可愛らしくて堪りませんよ」
「う……」
泣きそうにくしゃりと顔を歪めた彼は、
「…嬉しくない……」
と唸って、僕の肩に顔を埋めて隠してしまったけれど、その耳が赤いのは、僕のいいように解釈してもいいんですかね?