自虐的なエスパー



だるいだるいと思いながらも、気がつくと部室に向かっているのは、もはやこれが習慣を通り越して習性じみたものになっているということなのか。
まさか呪いか何かということもないだろうが、一つ言っておきたいのは、俺がいつも嬉々として部室に足を運んでいるというわけでは断じてないということである。
勿論、部室に行けば本来なら滅多に口もきけないはずの朝比奈さんと会話が出来るばかりか、朝比奈さんが手ずからいれてくださったお茶をすすりながら過ごすことが出来るのは悪くないと思う。
長門を眺めていてもそれなりに楽しいし、機嫌がいいようならハルヒだって見ていて飽きない。
だが、今も俺の目の前でとぼけた笑顔を無意味に振り撒いている野郎だけは見ていても楽しくもない。
というか、毎日毎日よく飽きないな。
「お前、いつも笑ってて嫌にならんのか?」
俺が聞くと、古泉は何が楽しいのか一層笑みを深めて、
「なりませんね。別にこれだって、意図的に作っているというわけではありませんから」
嘘吐け。
「作り笑いにしか見えんな」
「それは残念ですね」
「はぁ?」
「少なくとも、最近のこれは勝手にそうなってしまうだけですから」
そんなもん、習慣化したってだけだろ。
そんなに笑ってて、
「顔の筋肉が痛くなったりしないのか?」
「しませんねぇ」
くすくすと楽しそうに笑いながら、古泉はチェスの駒を進めた。
なんでまたこんなところに進めるんだか、と呆れながら、ついつい眉が寄ってくる。
あんまり手ごたえがないと、こっちとしても面白くないんだが……。
「いい加減上達しろよ」
「すみません。僕なりに努力はしているつもりなんですが……」
「詰めチェスなら得意なんだろ?」
「それなりに、ですね」
「なのになんで…」
「さて、どうしてでしょうね。ちなみに、これでもあなた以外となら、もう少しマシな戦績なんですよ?」
どうだかな。
そもそも、
「お前、俺以外にチェスをするような相手なんているのか?」
「いますよ、少しは」
意外だな。
ちょっと驚いたぞ。
しかしどうせ機関のメンバーだとかそういうことなんだろう。
「校外の知り合いか?」
「それもありますけど、最近はクラスでプロブレム集を広げたりしていたからか、クラスメイトが息抜きがてら声を掛けてくださるようになりまして、昼休みに遊んでみたりしてますよ。大抵時間切れで終るんですけどね」
「そりゃよかったな。お前のクラスの奴等も、お前があまりにもヘボだと知らない方がいいだろう」
「いえ、知られてますよ?」
「は? それでいいのか?」
イメージとか色々あるんだろ。
「いいんですよ。僕があまり強くないのは涼宮さんもご存知のことですし」
「そういやそうだったな」
何しろ毎日のように目の前で散々な負け戦をさらしてるんだから、今更隠すまでもないか。
だが、
「それで女子の人気が落ちたりしたんじゃないか?」
「どうでしょうね? クラスでは、僕が弱いということが知れると、面白がられましたけど」
「面白がられ…?」
なんだそりゃ、と眉を寄せた俺に、古泉は困ったように苦笑して、
「その……かわいい、とか、意外性がどうとか……」
……これだから、顔のいいやつは本当に得だよな。
俺はため息を吐いて、
「お前は本当に一般男子高校生の敵だな」
つまり俺の敵だ。
「そんなこと言わないでくださいよ」
「うるさい。お前は俺の敵だ」
俺がそう言うと、古泉はまるで俺の言葉を予想していたかのように薄く笑った。
気色悪い。
ともあれ、そんな調子で今日も時間はゆっくり過ぎるほどゆっくりと過ぎて行き、ようやく解放されることになったのだが、それでも帰り道は全員ほぼ同じ方向である。
中でも、本当か嘘か分からんが、古泉の家は比較的俺の家と近いらしく、最後の方まで一緒になる。
男と並んで帰るのもどうなんだと思わないでもないが、無下に振り切るのも可哀相だろう。
というか、
「お前、友人とかいないのか?」
「…僕としては、SOS団の仲間は友人以上のものだと思ってますが……」
はぐらかすな。
「それ以外にってことだ。クラスメイトのことも、友人とは言わなかったよな?」
「…そうですね」
牽制でもするように薄く笑った古泉は、
「そもそも、友人とはどのようなものなのでしょうね。恋人なんてもの以上に定義が難しいもののように思います。友人であることを確認することが必要なわけでもなく、友人だからこそ出来ることというものも、恋人同士のそれと比べるとずっと少ないように思われます。どこからどこまでが友人で、どこからが親友なのかさえ、僕には分かりかねます。それに、こちらが友人だと思っているのに、相手がそうでないと知ったら、とても悲しいとは思いませんか?」
「…かもな」
だが、
「そんなもん、思ったもん勝ちじゃないか?」
「そうでしょうか」
「少なくとも、友人だと思ってた方が、そうじゃないかもしれないと思いながら過ごすよりはずっとマシだ」
「…そうですね」
くすりと笑った古泉は、
「ちなみにあなたは、僕のことはどう思ってらっしゃるのでしょうか?」
などと聞いてくる。
調子に乗るな。
「んなもん、お前と同じだ」
ただの、部活仲間だろ。
今日も実のない会話ばかりだったな。
こいつとの会話は大抵そうだ。
もっとも、それも平和だからこそのことなので、悪くもないのだが。
「では、また明日」
無駄に爽やかに言って古泉は離れて行った。
全く…もう少し普通にしろ。
…まあいい。
今日の夕食はなんだろうな。
――なんて、考えらっしゃるのでしょうね、と僕は嘆息して、ペンを置いた。
目の前の日記帳には、もはや日記と言うより小説と言った方がいいようなものが書かれている。
でも、発言の部分は実際にそう話した通りのものだし、他の部分も間違ってはないという自信がある。
それくらい僕は彼のことを知っているし、彼の考えていることくらい分かると自負している。
…それでつい、思った通りのことを彼が言うと、嬉しくてにやけ、余計に気味悪がられているのは辛いけど。
「…はぁ、どうにかなりませんかねぇ……」
呟いてみるけれど、それすら無駄なことだ。
彼の思考をうまくトレースできるのだから、僕がどう真剣に口説いたところで、彼はまず本気に取ってくれないということくらい分かる。
それでも粘れば理解はしてくれるかも知れない。
でも、受け入れてはくれない。
間違いなく、困ったような顔で謝って、それでも僕を友人扱いしてくれるんだろう。
そうしたら僕は、それ以上のことなんて出来やしない。
彼に拒まれて、その上でどうこうなんて出来るわけがない。
だから、僕はここから動けないままでいる。
このトレースだって、彼のことをもっと知りたくて、それであわよくば、と思って始めたことだったのに、そうするほどに望み薄であることが分かってしまうなんて。
そして、今はともかく、もし将来、彼に好きな人が出来たなら、きっと僕にはそれがすぐに分かってしまうのだ。
下手をすると彼自身よりも早く。
悲しすぎるな、と思っても、もはや癖になってしまったそれはやめられないのだった。
もはや条件反射のように、彼を見ていると彼が何を考えているのかトレースしようとしてしまう。
このままじゃいけないと思っていた矢先、僕はやってしまった。
「どうぞ」
と本を差し出した僕に、彼は大きく目を見開いた。
「え……」
(なんで分かった。俺は別にそれを取ってくれなんて言ってないだろ。どうしてわざわざそれを選んだんだ)
「あの…この本ではありませんでしたか?」
びくつきながら僕はそう尋ねた。
(いや、それで合ってる。だが、それだから問題なんだろう。俺はただ古泉とのオセロを断って座り、本棚を眺めていただけだ。それなのにどうして、俺が読もうとしたのが分かるんだ。俺と並んで視線を追っていたならともかく、そうでないのにどうして)
「…なんで分かったんだ?」
「ただの直感、ですよ」
苦笑してそう誤魔化そうとした僕を、彼はじっと見つめる。
間の悪いことに、部室には涼宮さんがいなかった。
だから彼も、
「…本当に超能力者だったのかと思っただろ」
と言ったのに違いない。
疑いの眼差しが僕の心臓に痛い。
それでも、僕の差し出した本を受け取ってくれたことにはほっとした。
(本当に超能力を使った、なんてことはないんだろう。しかし気になるな。前々から鬱陶しいとは思っていたが、見てただけで分かるほど、俺は分かりやすいんだろうか。…そんなこともないと思うんだがな。むしろ、何考えてんだと言われることの方が多いと思うし……)
「朝比奈さん、俺ってそんなに分かりやすいですかね?」
いきなり聞かれた朝比奈さんは、驚いたのか慌てて、
「えっ? ええっと…どうでしょう……」
(…朝比奈さんに聞いても仕方ないか。しかし、長門に聞くのもなぁ…)
僕は自分の心臓がドキドキしてくるのが分かった。
こういう風に何か気になりだすと、彼は意外な行動に出ることが多い。
このまま放り出してくれたらいいのだけれど、どうやら僕のこの奇妙な勘のよさが気になってしまったらしい。
(……ちょっと調べてみるか)
なんて考えているのが、目の動きだけでも分かってしまって、僕は必死に自分の表情は抑えつつ、うろたえていた。
どうしよう。
どうしたらいいんだろうか。
いっそのこと、本当に超能力に目覚めたんですなんて冗談で誤魔化してしまえばよかった。
びくつく僕が、ひたすらに嵐の過ぎ去るのを待つしかないというのに、彼はその興味を失わないまま数日を過ごし、そうしてとうとうその日が来てしまった。
不思議を求めての市内探索で、僕と二人になってしまったというのに彼は不満を浮かべもせず、
「それじゃ行くか」
となんでもないような顔で言ったけれど、緊張しているらしいのが分かった。
(せっかくだ。この機会に聞いてやろう)
と思っているのがありありと分かる。
「古泉、ちょっと付き合ってくれ」
「はい」
なんでもないような風を装いながら頷いた僕を、彼は人気のない公園の片隅に連れて行った。
(…この辺りならいいだろう)
「そこのベンチにでも座れ」
「はい」
頷いて、僕は大人しくその言葉に従う。
(まさか逃げたりはしないだろうが…)
と思いながら彼は僕の前に立った。
それでも彼は躊躇って視線をさ迷わせていたけれど、ややあって、
「…単刀直入に聞くぞ」
と口を開いた。
「なんでしょうか?」
あくまでもにこやかに僕は問い返す。
「分かってるんじゃないか?」
「さて……どうでしょうね」
(はぐらかすな)
苛立ちながら、彼は僕を睨み据える。
「お前、俺の考えてることが分かってるんじゃないのか?」
予想通りの問いかけに、僕は笑う。
「どうでしょう? それを確かめる術はないのではありませんか? なぜなら、」
「御託はいい。そんなもんで誤魔化されるのにも飽き飽きだ」
気色悪いからやめろ。
そう、罵られるのだと思った。
だから僕はそっと目を閉じた。
彼に罵られる覚悟はしていても、それを直視出来る自信はなかったのだ。
ところが、彼はあまりにも予想外なことを口にした。
「…この、性悪」
え、と思って目を見開いても、目の前はよく見えない。
酷くピントがずれて、何がなんだか分からない。
そして、唇には柔らかな感触。
え。
ええ?
ええええええええええ!?
「な…」
「…あん? 分かってたんじゃなかったのか?」
きょとんとした、と言うにはあまりにも不機嫌な顔で彼が言う。
呆れているのは分かっても、何を考えているのかがさっぱり分からない。
こんなのは久しぶりだと新鮮ささえ感じるのは、ある種の現実逃避に過ぎない。
僕は真っ赤になりながら、
「わ、分かってって……」
「違ったのか?」
「い、いえ、いくらかあなたの思考をトレース出来ていたとは思いますよ? でも、どうしてこんな……。これまで、そんな素振りなんてなかったじゃないですか…!」
「…あほか」
こつん、と彼が僕の額を軽く叩いた。
「恥かしくて、そんなもん出せるかよ。……いや、それでも知られてたと思ってたんだが……」
というか、と彼は明るく笑って、
「俺の読みたい本がぱっと分かるくせに、なんでこんな四六時中考えてることは分からなかったんだ?」
「し…ろくじちゅう……」
かあっと余計に顔が熱くなる。
赤味が増す。
なんだこの人。
本当に彼なんだろうか。
いっそ別人だと言ってもらいたいのは、こんな扱いに僕が慣れてないからであり、こんなことを予想もしていなかったからだ。
「しかし…分かってなかったんなら、困ったな」
(どうしたものか)
と考えながら彼は僕を見つめる。
「正直、分かってるもんだと思ってたし、それで逃げないから構わないだろうと思ったんだが、そうじゃないってことは、ちゃんと言った方がいいし、聞くべきだよな?」
「何をですか…?」
びくつく僕に、彼は笑う。
「怯えんなよ」
優しく僕の髪を撫でて、それ以上に優しい瞳で僕を見つめて、
「…俺は、お前が好きなんだ。…お前は、どう思ってる?」
「そ…んなの……」
言わなくたって、分かるでしょう?
「分からんな。俺はお前と違って心が読めるわけでもないんだ」
そう言って彼は意地悪く笑う。
ああでも、その笑顔も魅力的で。
「…僕も、あなたが好きですよ」
と答えると、彼は一層嬉しそうに微笑んで、僕を抱き締めてくれた。

それからも、僕は相変わらず彼の考えが大体読める。
彼が何をほしがっているのかなんてことはすぐに分かるし、悩み事があっても大抵は分かってしまえる。
でも、僕自身について彼がどう考えているのかということについてはどうにもうまく読めないままだ。
それについて彼は呆れたように笑って、
「お前が自虐的過ぎるか、自信がなさ過ぎるんだろ」
と言うくせに、
「でもまあ、そんなところも悪くはないがな」
なんて言葉で僕を混乱させる。
「どうしてですか?」
と尋ねた僕に、彼は悪戯っぽく笑って、
「そんなもん、自分で考えろよ」
と言って、決して教えようとはしてくれないので、未だに謎のままなのだった。