雨の日は猫になろう
  お題:タオル 紅葉 三匹の猫



古泉と俺の関係は、ちょっと前までは親しい友人で、更に遡るとただの部活仲間で、それ以前は知人ですらなかった。
知人ですらなかった頃なんて、一年ちょっと遡ればいい。
それくらいの、浅い関係だ。
それでも俺たちは出会い、お互いを知り、いつの間にか好きになっていた。
その思いをなんとか打ち明けあったのは、ほんの数週間前でしかない。
俺たちはお互いに少々奥手だったため、関係も、以前とそう変わってない。
非常に清らかなものだ。
古泉は俺の嫌がることを強引にしたりはしないと知っているから、俺は以前と変わらず何の躊躇いもなしにあいつの家に訪問出来るわけだが、今日、古泉の部屋を訪ねると、古泉はフローリングの上に寝そべって、すやすや眠っていた。
……何やってんだこいつは。
確かに最近暑いから、フローリングのひんやりとした感触は昼寝には丁度いいだろう。
しかし、クーラーも入れてないんじゃ蒸し暑いんじゃないか?
だらだら汗をかきながらも、古泉の顔はいつもと変わらず綺麗で、涼やかだ。
「古泉」
と声を掛けてはみたが、古泉は身動ぎひとつしやしねえ。
くうくうと寝息を立てながら眠るばかりだ。
この状況でよく眠れるもんだ。
「全く……」
俺はため息を吐きながら、自分もその隣りに腰を下ろした。
外は雨がしとしとと降っていて、蒸し暑さはここ数日で一番酷い。
ただ、雨音にかき消されてか、部屋の中はとても静かだった。
外にいる時はそうは思わなかったのだが、不思議なもんだな。
ぼんやりと窓の外を眺めていても、雨が止む気配はなく、古泉が起きる気配もない。
部屋の中には雨の音と古泉の寝息ばかりが満ちて行く。
俺はそっと息を吐く。
ため息ではない。
古泉が穏やかに寝ているのを見るのも悪い気分じゃないからな。
むしろ、安堵して息を吐いたのかもしれん。
どうやら古泉は熟睡していて、当分目を覚ますつもりもないらしい。
仕方ない、と俺は古泉の隣りに潜り込み、そっと目を閉じた。
これだけ暑いから寝付けないかもしれないと思ったのも束の間、すとんと夢に落ちていた。

夢の中でもしとしとと雨が降っていた。
俺は傘をさして歩いていたが、傘なんかなくてもいいくらいの降り方だ。
どこに向かっているのか、てくてくと進むうちに、何か小さな物音が聞こえた。
…猫の鳴き声、だろう。
小さく頼りない声に引かれてその姿を探すと、電信柱の下に段ボール箱が置いてあるのに気がついた。
小走りになりながら駆け寄ると、そこには三匹の猫が揃ってこちらを見つめていた。
薄い毛布に包まった二匹と、毛布からはみ出た一匹。
黒と白と明るい茶色。
どれもまだ小さく、手の平に乗りそうな大きさでしかない。
その三匹は、揃って俺を見つめた後、それぞれに違った反応を見せた。
一番元気のよさそうな黒猫は、威嚇するように唸り、力強い瞳で俺を睨みあげる。
大人しそうな白猫は、ガラス玉のような瞳でじっと俺を見つめてくるが、鳴いて訴えるようなこともしない。
そして残った茶色は、平気だとばかりに穏やかな顔をして、後ろに引っ込んだ。
毛布にもぐりこんでないから、その体はしっとりと塗れて、どこかみすぼらしくも見える。
思わず俺が手を伸ばすと、そいつは迷惑そうにその手をかわした。
軽く俺を睨むことも忘れない。
そんな態度に出られても、俺は苛立ちもせずに笑えた。
「……バカだな」
本当は一番寂しがってるし、一番腹を空かせて、一番寒がってもいるくせに強がって。
毛布を他の二匹に譲ったばかりか、拾われる機会も譲ろうとするなんて、本当にお前らしい。
こっちはそんなもん、お見通しなんだぞ。
だから俺はその素直じゃない、拾い上げようとしたら抵抗するような奴を、わざわざ選んで拾い上げた。
他の二匹も一緒に拾ってやれるだけの余裕があればよかったのだが、俺には何匹も猫の面倒をみてやれるような余裕はない。
それに、あいつらなら大丈夫だろ。
間違いなく、俺よりもいいやつを見つけるに決まってる。
だから俺は、まだ暴れて抵抗しようとする茶色の猫を抱えて、雨の中を戻る。
段ボールから離れるにつれて、そいつはどんどん不安そうな顔になっていくが、
「何がそんなに怖いんだ?」
あいつらが追いかけてくるとでも思うのか?
そうして、お前に取って代わると?
それはないだろう。
お前が拾い上げられた時の、あいつらの顔を見てないのか?
あいつらも、安心してただろ。
黒猫には軽く睨まれたが、あれはお前を大事にしなきゃ許さんという意思表示に違いない。
「安心しろ。…俺が選んだのはお前で、俺が好きなのもお前なんだから、な?」
三角の耳に唇を触れさせて、そっと囁くと、そいつは戸惑うように俺を見つめる。
全く、素直じゃない。
「……好きだ」
何度言っても、そいつは不安で仕方がないらしい。
だから俺は、そいつをきつく抱き締めてキスをしてやった。
唇に柔らかい感触が触れ……って、おかしくないか?
猫にキスしたらもっと毛の感触がしたり、鼻先なら濡れてるもんだろう?
驚いて目を開くと、目の前にはびっくりした顔の古泉がいて、その唇が俺のそれと触れ合っていた。
「……っ、寝てる奴に何しやがる!」
そう怒鳴り様、思わず平手打ちをした。
古泉の頬に大きな紅葉が散る。
痛みに顔をしかめた古泉の側から、それこそ猫がそうするみたいに飛び退ると、古泉は情けない顔で俺を見つめて、
「…あなたからしてきたんですけど」
と怨みがましく言うが、
「俺は知らん!」
「寝ぼけてたんでしょうね」
古泉は嘆息して、
「…一体どんな夢をご覧になってたんです?」
「し、知らんったら知らん!」
言いながら、自分の顔がどんどん赤くなってくるのが分かる。
フロイト先生なんかの手を借りるまでもなく、恐ろしく恥かしい夢だと分かるからだ。
あんな、自意識過剰もいいところな夢。
「知らない、なんて顔には見えませんけどね」
くすくすと、どこか意地悪く笑った古泉は、膝をするようにしてこちらに近づいて来ながら、
「ねえ、どんな夢を見たんです?」
「んなもん、お前には関係ないだろうが…!」
恥かしさのあまりそんなことを言っても、古泉は気を悪くもしないらしい。
「よっぽど恥かしい夢でした?」
「…ある意味、な」
「その夢に僕は出ていたのでしょうか」
「……」
「…出てませんでした?」
「だから、関係ないって…」
言いながら、顔を背けたのが不味かったらしい。
その隙を突くように、素早く近づいてきた古泉が俺を抱き締めて、俺を腕の中に捕らえる。
「ちょっ…!」
「教えてくださいよ。…寂しいじゃないですか」
どこかふてぶてしく言いながら、その手は震えているように思えた。
顔なんか、不安丸出しだ。
あの猫と同じ。
「……ばか」
毒づきながら、俺は古泉を抱き締める。
「なんでお前はそんな素直じゃないんだ」
「…十分素直なつもりですよ? ストレートに言わなければ、あなたには通じないと言うことはよくよく身に染みて分かってますから」
「そうじゃねえよ」
と俺は古泉の背中に触れていた手を滑らせて、柔らかな茶色の髪に触れさせる。
撫で付けるというよりもむしろ乱すようにしてやると、古泉はくすぐったそうに笑った。
「なんなんですか。懐柔するつもりですか?」
「違うから、素直に喜べって。何でお前はそう、態度と発言が一致しないんだ」
どっちか片方しか素直になれんとは、不器用なやつめ。
呆れながらも笑い、俺はその頭をすっかりくしゃくしゃにしてやる。
「ねえ、どんな夢を見て、あんなことをしたんですか?」
「…お前を拾ってやる夢を見たんだよ」
少し違うが、大体はそんなもんだろうと思ってそう要約すると、古泉は複雑な顔をした。
嬉しがっているのか、迷惑がってるのかよく分からん。
「僕を…ですか?」
「ああ。…ハルヒでも長門でもなく、お前を選んで、な。……お前ときたら盛大に抵抗しやがって、大変だったんだぞ。せっかく拾ってやったってのに、迷惑そうな顔か不安そうな顔しか見せないし」
だから、と俺は古泉の体を抱き締めなおす。
「こう、抱き締めて、キスをしてやったんだ」
囁いて、その唇にキスをする。
途端に、古泉は真っ赤になった。
さっきの俺よりもよっぽど赤いに違いないと言いたくなるような見事さだ。
「…っ、いきなりやめてくださいよ…!」
「なんでだよ」
「びっくりします。さっきのだって、驚かされたんですからね」
「別にいいだろ。…ちゃんと、付き合ってんだから」
にやにやしながら、もう一度キスしてやる。
柔らかなその感触が気持ちいい。
ちゅ、ちゅ、と触れるだけのキスを何度も何度も繰り返す。
そうするうちに、古泉からもキスを寄越してきた。
「…ん……は…、ぁ…。……で、まだ文句はあるのか?」
キスが深くなりかけたのを拒むように言葉を挟むと、
「…ありますよ」
ぎゅうっと力を込めて抱き締められる。
痛いって。
「……そんな、なんでもないことみたいにキスしないでくださいよ。僕はこんなに緊張するのに…」
と睨まれても、可愛いだけだぞ。
「それに、あなたからのキスなんて、初めてだったじゃないですか」
「…そうだったか?」
「そうですよ」
不満げに尖らされた唇に、もう一回キスしてやる。
「ちょ…っ……」
「いいだろ。…恥かしさより、したいって気持ちの方が勝るんだから。それとも、されたくないか?」
「そんなわけ、ないでしょう」
狡いとでも罵りたげに、古泉は俺に口付ける。
唇を舐められ、舌を絡め取られるようなキスに、体も頭もふわふわしそうになる。
俺は少し身を捩ってそのキスから逃れると、
「あんまり焦るなよ」
と笑ってやったのに、古泉はしょげた顔をして、
「…すみません、がっつき過ぎましたね」
「おう。せめてシャワーくらい浴びさせろ」
「えっ…!?」
驚き、それから顔を赤らめる古泉に、俺は喉を鳴らして笑うしかない。
「何も用意してないから、タオルや着替えくらいは貸してくれよ?」
「じょ……冗談、なんでしょう? 僕をからかってるん、ですよ…ね?」
「ん? そういうことにしたいんだったら、それでもいいぞ。お前が据え膳を逃がすだけで」
にやりと笑った俺に、古泉は泣きそうな顔で抱きついて、
「…逃げないで、ください」
とか細い声で懇願するから、
「お前こそ逃げるなよ」
とその額にキスを落としてやった。
それだけで情けない顔になる古泉が、果たしてうまくやれたのかどうかは、ご想像にお任せする。